4 帝都の社交界
大国クリスサアム帝国、帝都の社交界では様々な噂が行き交い慌ただしかった。
そのうちのある噂を耳にしては、トラヴィスの眉間に皺が寄った。
本当は社交界にはしばらく出ないつもりであったが、皇太子の誕生パーティーでありこればかりは欠席できなかった。
「トラヴィス」
ガリア子爵令息のアルフォンスはパーティーで久々の旧友に声をかけた。
「久しぶりだな。奥方の体調は大丈夫なのかい」
「ああ、年を越える頃には生まれているだろう。無事生まれれば、少人数でパーティーを開く予定だ」
「是非、呼んでくれよ。何しろお前とは義理の兄弟だからな」
アルフォンスの妻はリザの妹であった。
「ライラも来られたらいいな」
一瞬トラヴィスの表情が曇った。
今妹のライラは北の公国のさらなる辺境にいる。手紙のやりとりをするのも大変である。
「元気にやっているかな。伯爵夫人に似ているから心配になっちゃうよ」
ライラとトラヴィスの母親のレジラエ伯爵夫人は体が弱く有名であった。
特に冬の寒い時期に倒れることがあり、暖かい気候のイセナで過ごしていた時期がある。
だいぶ体調が良くなり、帝都に戻ってきたと思えばすぐに臥せってあえなく亡くなられた。
ライラによく似た黒髪の美しい女性であった。
淡い色のシャンパンの入ったグラスを受け取り、アルフォンスはパーティー会場をぐるりと見渡した。
「君が社交界に出てくるのは何年振りか」
「6カ月前だぞ」
「それでも十分長すぎだろう」
社交界の移り変わりは激しく顔を出さなければすぐに忘れ去られてしまう。
トラヴィスのような家系と音楽の才能であればその心配はないだろうが。
それでもアルフォンスは心配した。
パーティー会場の一部がざわめきだす。
何事かとみると赤い豪奢なドレスを着た金髪の美少女が登場した。
アメリー・ノース子爵夫人である。
彼女のエスコートをしているのはノース子爵ではない。10歳以上年上の伯爵が彼女の手を取っていた。
中肉中背の顔立ちは平凡な男であるが、身に着けているものは流行もので派手である。ここ最近、買い占めた絹織物が大当たりで妙に羽振りがよかった。
既に妻子がいるというのに、娼婦通いも頻繁で愛人との間に子がいるという噂が流れている。
新しいものや若い女性が好きであり一部の貴族からは評判が残念であった。
「うわぁ。ノース子爵夫人もあんなことがあったのに、よくやるね」
アルフォンスはシャンパンを飲みながら、アメリーに呆れた声をあげた。
「トラヴィスには悪いけど、ノース子爵には同情しちゃうな。ライラと夫婦になっていれば、平穏な生活を送れたのに」
アルフォンスの言葉にトラヴィスは無言であった。
クライド・アレキサンダー、ライラの元婚約者で、今騒がれているアメリーの夫になった男である。
アメリーと婚約し、スワロウテイル公爵家が持つノース子爵の地位に就き王宮での活躍を期待されていた。
気が弱く、平凡な青年であった。
しかし、優しい青年でありトラヴィスはライラとの関係を認めていた。
大事なのはライラの幸せである。
それがあのような形で壊されるとは思ってもいなかった。
クライドがライラとの婚約を破棄したのは、侯爵家と親からの圧力があったためである。
家門を捨てる覚悟で、スワロウテイル公爵家に逆らいライラと一緒になるには彼は弱すぎた。
残念であるが仕方ない。
ライラと別れた後クライドはアメリーと婚約を結び、ライラが公都へ訪れた時には盛大な結婚式を挙げたという。
その後、クライドがアメリーと仲睦まじく過ごせるかといえばそうではない。
親から甘やかされ派手好きで浪費家だったアメリーはクライドとの慎ましい生活に満足できなかった。
クライドが引き継いだ子爵家の資産で豪遊した。
お茶会・パーティーに頻繁に参加し、毎回予算をオーバーした豪華な衣装や装飾品を注文していた。
それだけではない。
カジノに出入りしては1日で館を購入できる程の額を使用し、見目の良い男を誘い食事と宿泊を楽しんでいた。
宿泊所も高級ホテルの一等良い部屋である。
子爵家の資産だけではなく、クライドが数年溜めていた貯金も底を尽いてしまった。
結婚して3か月のことである。
ついに、クライドは浪費を抑えるようアメリーにお願いしたという。
「あなたは私と結婚して子爵になれた幸運を喜ぶべきなのに、そのような狭量なことをおっしゃるのね」
性格からして当然アメリーは激怒した。
使用人たちが噂するほどの大きな声が館中響いたそうだ。
アメリーの剣幕に押されながらもクライドは何とかわかってもらおうと努力した。
もう家にはアメリーの欲しいものを与えられる程の財産がないのだ。
このままでは使用人たちの給料も払えなくなってしまう。
「わかったわ。それなら費用はあなたに出してもらわなくて結構よ。ただし私の行動に今後一切口出ししないで」
アメリーは自分を可愛がってくれる年上の富裕層の紳士たちにおねだりをするようになった。
今アメリーのエスコートをしている伯爵もその一人である。
1週間前はどこぞのお茶会で、アメリーはさる貴婦人と口論になったそうだ。
アメリーの交流相手の奥方だったそうで、彼女はアメリーを責めた。夫を誘惑したその行為は不貞であると。
「まぁ、でもしょうがないわ。おじさまが私の為にいろいろよくしてくださるんだもの」
アメリーには何が悪いのかわからないとけろりとした表情であった。
それが乱闘騒ぎになり、アメリーは膝をすりむいてしまい貴婦人は傷害罪として訴えられ投獄されてしまった。
釈放された時には、離婚を投げつけられ泣く泣く修道院へと入ったという。
貴婦人のような女性はたくさんおり、何人かはクライド・ノース子爵へと苦情が送られているそうだ。
スワロウテイル公爵家に言えばいいものの、高位貴族へは意見立てづらく一番言いやすいクライドが的になった。
真面目なクライドは多くの家の人々に迷惑をかけたことを悪く感じていた。
しかしアメリーからは遊ぶ金を出さないなら交友関係に意見を出すなと言われる始末である。
今の彼は被害者が減るようにと必死に働いている。
今は宮殿の仕事をこなしつつ、多くの事業に手を出し資産を増やそうとしている。
この前仕事帰りにみかけたクライドは随分とやせてふらついていた。
トラヴィスでさえ妹の婚約破棄での溜飲を下げ、声をかけようかと考えた程だった。
あのままではキャパシティーオーバーで潰れてしまうだろう。
哀れとすら感じた。
ノース子爵を助ける気はない。しかし、このままではよくないと公爵家にアメリーの件で何とかするようにと願い出てみたが無駄だった。
既に嫁に出た娘で口を出す気はないという。
ノース子爵を助ける為に、アメリーの浪費を負担するようにということも却下される。
すでにノース子爵の爵位と資産で十分のものを与えているという。
年老いた伯父の都合の悪いことは目をつぶる悪癖が出てきている。
せめて南部のジェノバ聖国の大学へ遊学している公爵家嫡男が早く戻ってくるのを祈るばかりである。
「トラヴィス」
ヴィンセント皇太子がトラヴィスへ声をかけてきた。
既に彼が登場して、多くの貴族が挨拶をしていた。
「皇太子殿下、ご機嫌うるわしく」
トラヴィスは身を整え、礼を尽くした。
「来てくれて嬉しいよ。お願いだが、私の為に一曲弾いてくれないか?」
喜んでとトラヴィスはパーティー会場に置かれていたピアノへと向かった。
皇太子がリクエストする曲を確認し、ピアノの状態を確認する。
元々トラヴィスに演奏を頼むつもりだったので、万全であった。
トラヴィスの指が流麗に流れる。それに合わせて美しいメロディーが会場に響き渡った。
さすが、天使に愛された才能を持つ男である。
ヴィンセント皇太子は満足げであった。
会場の誰もが、曲に聞き入っていた。
大きな拍手が鳴り響く。トラヴィスは会場の人々に礼をした。
「さすが、レジラエ伯爵令息」
「ここ最近彼の演奏を聞けずに寂しかった」
「殿下には感謝しなければ」
称賛の嵐の中、アメリーはすたすたとトラヴィスの方へと近づいた。
「トラヴィスお兄さま、素敵でしたわ」
甘えた口調にトラヴィスは無表情になった。
「私のことを覚えていますか? 最後に会ったのは、3年前の公爵家のパーティーでしたね」
「ああ、覚えているよ」
嫌になるくらいにと付け加えたいのをトラヴィスはぐっと抑えた。
ライラの平穏な日々を台無しにした娘である。
昔は可愛い従妹であっても、今は憎たらしく感じる。
「私の結婚式でもお兄様の演奏を聴きたかったわ」
何故こうも苛立つ言葉を次々と出してこれるのだろうか。才能とさえ思える。
結婚式に出なかったのはライラの結婚式があったからだ。
アメリーのせいでクロードと結婚させられたライラの。
「ねぇ、お兄様。次の私の誕生日に是非いらしてください」
「申し訳ないが、その日は貿易相手の国との交渉で忙しいのだ」
嘘ではない。
ライラの為であれば日は都合をつけるが、アメリーの為につける義理はないはずだ。
「えー、そんなの他の人に任せればいいじゃない。お兄様は働きすぎです」
アルフォンスはひやひやとして様子を窺った。
何とかトラヴィスの雷が落ちる前に止めたいが良い案が思いつかない。
「やぁ、レディ・アメリー。来てくれて嬉しいよ」
ヴィンセント皇太子はアメリーの傍に駆け寄り声をかけた。
一瞬でアメリーの興味はトラヴィスからヴィンセントへと変わる。
「殿下、お会いできて光栄です」
「良ければ一曲ダンスをお願いしたいのだが」
「はい、喜んで!」
皇太子のファーストダンスをもらえるなど嬉しいことこの上ない。
アメリーは迷わずヴィンセント皇太子の手を握った。
「大丈夫か?」
バルコニーに逃げて来たトラヴィスに、一曲終えたヴィンセントが声をかけてきた。
「殿下、先ほどはありがとうございました」
誕生日という素晴らしい日に主君を煩わせてしまったことをトラヴィスは詫びた。
「いや、いいよ。しかし、強烈だったね。レディ・アメリーは」
ダンスの時の熱視線を思い出し、ヴィンセント皇太子は苦笑いした。
「悪いと思っているなら少し私の愚痴につきあってくれないか」
ヴィンセント皇太子はトラヴィスの横へと並び、外の風景を眺めた。
「実は困ったことにレディ・アメリーを甘やかす紳士の中に私の弟がいるのだよ」
弟というとトラヴィスは二人を思い浮かべる。
第二皇子は、体が弱く外出をあまりしない。宗教学を勉強し、最終的に聖職に就く予定である。
そう考えれば、第三皇子カイルのことであろう。
「随分と絆され……いや、篭絡されてしまっている」
「陛下は何と」
「まだ知られていない。知ったとしても、カイルは父母の話を一切聞こうとしない」
最近は今までの不満を爆発させているようだ。
ヴィンセント皇太子が帝位に就けば、彼は大叔父のソクラス大公を継ぐ予定である。
来年には公国のアビゲイル公女と婚約を正式発表する予定だ。
随分前から決められていたことであるが、第三皇子カイルはそれが面白くなかったようだ。
勝手に決められたと憤慨し、大学受験を蹴ってしまい父親に呆れられた。
その上でアメリーとの交流である。
「来年には弟を使節として公国に向かわせて、初顔合わせさせようとしているのだが心配だよ」
ヴィンセント皇太子は深くため息をついた。
それまでに何とかアメリーを引きはがせないものかと。
「引きはがせそうですか?」
「それができれば苦労しない。逆に吸い寄せられそうだったから、エスコートしていた伯爵に渡して逃げて来たよ」
トラヴィスとしては悩みの種が増えてしまった。
一応アメリーも従妹である。本来であれば本家がしっかりと彼女の手綱を引いていればよかった。
本家が頼りにならないとはいえ、皇族にも影響を与えてしまえばよくないだろう。
アメリーの行動はどうしてここまで行き過ぎたのだろうか。
はじめは確かに我儘だと感じたが、いくらなんでも彼女の行動は常軌を逸している。
とはいえ、このままにしてはおけない。
第三皇子の醜聞がリド=ベル大公の耳に届けば公国との関係にひびが入ってしまう。
そうなればライラの立場が危うくなるだろう。
トラヴィスは嫌な予感がした。振り払うようにヴィンセント皇太子の話に耳を傾けていた。
◆◆◆
パーティーが終わった後、客人たちが帰っていく。
アメリーは友人の伯爵とともに馬車の中で楽し気に会話を弾ませていた。
このまま高級ホテルで飲みなおす予定だった。
「ああ、お兄様のピアノは素敵だったわ」
しばらくしてぐすんとアメリーは涙ぐんだ。
突然どうしたのだと伯爵は慌てる。
「私、トラヴィスお兄様に嫌われているわ。きっとレディ・ライラが私の代わりにアルベル辺境伯へ嫁がされたと思っているのね」
「ああ、君をいじめていた悪役令嬢か。あれは自業自得であろう」
伯爵が慰めてもアメリーはなかなか泣き止まない。
困ったなと伯爵は思い出したように言った。
「アルベルで思い出した。丁度君にプレゼントを注文していたところなんだ」
「まぁ、アルベルなんかで思い出すようなもの?」
「北天狐というのは知っているかい? 美しい狐の魔物で、その毛皮はどんな高級品にも負けないと言われている。あれで君のコートを作ってもらうことにしたんだ」
もう寒くなる時節であり、アメリーの為に注文していたのだ。
それを聞きアメリーはぱぁっと表情を明るくさせた。
通常の白狐の毛皮のコートでも珍しく高価なものである。
「伯爵様、私……嬉しいわ」
アメリーは頬を赤く染めて伯爵に寄り添った。
「とっても高かったのでは?」
「ああ、でも美しい君の為なら何ともないさ」
アメリーはほうっとため息を吐き、伯爵を見つめた。そしてお互い唇を寄せ合った。




