2 アルベルの天使 前篇
冬に入り、あっという間に寒さが強くなっていった。
ジーヴル城では薪をくべ暖をとるようになった。
ライラはクロードとお茶をしながら、ジーヴルの冬について会話を楽しんでいた。
未だに魔物討伐の要請があればでかけることが多いクロードであるが、区切りがつけばすぐにジーヴル城へと戻った。
「少し、それを甘やかしすぎではないか」
クロードはじとっとライラの膝の上の白トカゲ、いや護竜のブランシュをみた。
公国の大事な聖獣とはいえ、妻の膝を占拠するのは面白くない。
「オズワルド様からはまだ赤ちゃんだから愛情を与えるようにと言われました」
この年頃は母親の腕の中で暖まり春を越えるという。
春を越えた頃には精神が成長し、一匹で過ごせるようになる。
ライラが初めて会った時ブランシュは生後数日程度で、母竜は食糧を調達途中雪ムカデに喰われてしまったと推測される。
ブランシュは目を開けてライラをはじめに見た為、ライラを母親と認識しているようだ。
1日数回は接触して、フルートを聞かせてあげるといい。
オズワルドはそう言っていた。
ブランシュ生育計画を聞かされてクロードは頭を抱えた。
これが春まで続くのか。
勿論ブランシュが1日中ライラを占拠しているわけではない。
リリーや護竜飼育係のお願いは聞いてくれるようである。
最近は護竜用の小屋に入り昼寝をすることもある。
ライラ離れは一応進んでいるようだが、何故かクロードがライラと一緒にいようとすると狙ったかのようにライラを求めていた。
「一応、護竜ということで良いのですよね」
初めて遭遇した後クロードは部下たちに緘口令を敷いていた。
「ああ、オズワルドと護竜の研究員の解析で間違いないそうだ」
これからブランシュはどうなるだろうか。
本来は自然の中で過ごすのが良いだろう。
だが、冬は雪ムカデが活発になりやすく、守ってくれるはずの母竜は食われてしまった。
とてもではないがブランシュだけで冬の山を過ごすのは厳しい。
城の中で養育し、ある程度大きくなれば自然に返すのがいいだろう。
「大公様にはお伝えしましたか?」
「報告はしてある。春に兄がジーヴル城を訪問してくださる。ブランシュを見ていただいてから、公表をどうするか決めるということだ」
慎重な様子である。
伝承を考えると、国にとって良いことではなかろうか。
「帝国に警戒しているのだろう」
ライラの疑問に答える。
護竜が生存していたと聞けば公国の民は喜び祝う。同時に帝国がこれを公国の団結、脅威と捉える可能性がある。
護竜が絶滅した原因のひとつが帝国の支配である。思い出したかのように帝国への憎悪が増し、煽る者が出るかもしれない。
「そなたの国のことを言って気分を害すことだが……」
「いいえ、教えてくださって嬉しいです」
ライラは帝国出身であるが、クロードの妻である。クロード視点での見方は知っておきたい。
「失礼いたします」
エドワードが部屋を訪れた。手に持つお盆には手紙が載せられていた。
「奥様へ。エステル夫人からの手紙です」
名前を聞き、クロードは微妙な表情を浮かべた。
手紙は2通あり、ひとつはライラ宛、もうひとつはクロード宛であった。
「そんなすごい方なのですね」
ライラはリーゼロッテ女史の挨拶の希望を確認した。
内容は本来であればすぐに挨拶をすべきであったが、諸事情により動けなかったことを詫びている。
その理由は北の異民族の侵攻にて体制が崩れた治療隊の状況確認の為に各砦へ訪問していたという。
ようやくジーヴルの治療院に帰還するという。
「何か用意した方がいいでしょうか」
折角なので、お茶を一緒にしたいと考えている。
どんなお菓子が好きだろうか。
クロードは笑いながら特に気にしなくていいと言ってくれた。
「好みに関しては、リリーに聞けばいい」
「リリーに?」
「リーゼロッテはリリーの兄嫁だ」
兄嫁。
ライラはその単語を呟いた。しばらくして驚いた表情になる。
「兄嫁ということは……そのような話を聞いたことがありませんでした」
「まぁ、使用人だから余計なことは言わないだろう」
元々、リリーは公都在住の騎士の家であった。
リリーの兄はアルベル辺境伯家と長く友好関係を築き、幾度と北の防衛で助力をしていただいたカディア侯爵家の騎士であった。
それがリリーの兄で、リーゼロッテの夫であった。
「……そうでしたか」
リーゼロッテの経歴を思い出す。
夫の死後、この地へ訪れ、治癒魔法と知識を使いアルベルの医療に貢献してきた。
リリーの兄、リーゼロッテの夫はこの地で命を落とした。
「もしかしてリリーが別館に勤めていたのは、お義兄様とリーゼロッテ女史の繋がりで」
「あってはいる」
クロードは詳しく説明するには長くなりそうだと、ライラの質問に軽くうなずいた。
後はリリー本人が話す内容だろう。
「気負わず気楽に会えばいいさ」
ライラに対してそれほど難しい話はしないはずだ。
「いいえ、彼女に会うのですから彼女のことを勉強しなければ」
治療院に関する資料を持ってきて欲しいとバートにお願いする。クロードは苦笑いした。
◆◆◆
フローラ治療院、アルベルの騎士だけでなく傭兵、民間人の治療を行う場所である。
治癒魔法使い、医者、看護師、研究員、理学療法士などで構成されている。後にアルベル公立病院と呼ばれるが、それはまだ先のこと。
現在治療院院長は公都貴族令嬢にして、騎士の妻であるリーゼロッテ・エステル夫人である。
彼女は治癒魔法を使うことができ、若い頃より公都の治療院で働いていた。
夫が戦死したことを契機に、夫が亡くなったアルベルの地に赴き戦場の治療魔法隊に所属した。
彼女がアルベルに現れたことで、アルベルの死亡率は三分の一まで低下したと言われている。
それは彼女自身優れた治療魔法使いだったからということもあるが、彼女がアルベルにもたらしたのは新しい治療システムだった。
短時間で治癒魔法隊まで運ぶべきか、末端で応急処置の対応でよいのかを大まかに把握し他の隊員が理解できる符号の作成を行なった。
これにより優先すべき救える重症者の治療をスムーズに行うことができた。
また、衛生の見直しを行い、汚染物、清潔物の区別を徹底化。これにより負傷者の感染治癒率を上げることに成功した。
北の悪夢と呼ばれた北の異民族の5年に渡る長い侵攻が落ち着いたあとは新しい治療院分設を各地区に行う案を出している。
また、雪ムカデの研究をしており、雪ムカデから解熱鎮痛剤を開発したのも彼女である。
それだけの功績があり、彼女は公都の大学の教員招聘の話も出ているが「この地ですべきことがある」と今もなおアルベルにいた。
そんな彼女を人々はこのように呼んだ。
アルベルの天使。
◆◆◆
クロードが執務室へ向かった後ライラはバートが持ってきてくれた資料を読み漁った。
バートは既に必要な頁に栞を挟んでくれたため、優先してそちらを読み気になった箇所を足して読んでいった。
「奥様、お勉強がはかどりますね」
「ええ、リリーのお義姉様に会うのよ」
義姉の来訪についてすでに耳に挟んでいるようでリリーは特に驚いた様子がなかった。
「すごい人らしいから勉強しなきゃ」
きっと治療について聞かれるかもしれないとライラは医学の本にも手を出していた。
やる気に満ちている女主人に苦笑いした。
「そういった難しい話は専門家じゃない方には質問しないと思いますよ」
真面目なライラの生き方にリリーはストップをかける。
専門書はまず基礎的な知識がないと何が書いているかさっぱりだろう。
「どんなことを聞かれるのかしら」
「そうですね……綺麗なお水や食料が長期的に届けられるライフライン。熱病流行時期が近づいてきているので、予防方法の公布資金について。最近義姉がアルベルに欲しいと考えている医看学校についてでしょうかね」
いくつかはクロードに既に話を通しているので、ライラが難しく考える必要はない。
「それより、義姉はマカロンが好きなのですよ。明日提供するお味を確認していただけますか?」
「まぁ、綺麗な色」
赤、緑、黄色と三色の綺麗な色合いのマカロンが目の前に広がる。
味はいちご、ピスタチオ、レモンの味である。
帝都の人気洋菓子店で食べたことがある味でライラは嬉しくなった。
「材料を手に入れるの苦労したでしょう。料理長にも、材料を送ってくれた方にも感謝だわ」
「後でしっかりと料理長に伝えておきますね」
料理長が公都別館と交代になってから、ライラの食の悩みは改善された。
アルベルの辛い料理もライラの好みに合わせて調整しており、だいぶ食べやすくなっていた。
菓子類に関しても、ライラが好むものを調理できるようにと定期的に材料の手配をしたり、アルベルで採れる食材を応用していた。
ライラの笑顔をみてリリーはうんうんと頷いた。
エドワードの言う通り、料理長を交代異動させて良かった。
以前の城の料理長は頑固な性格なので、バートたちが苦労していそうである。
エドワードが言うにはバートであれば大丈夫だということだが本当であろうか。
「ぴゅー」
ブランシュがマカロンをねだりライラは半分に割って分け与えた。
「オズワルド様はまだ赤ちゃんだからというけど本当かしら」
ライラはぽつりと疑問を口にした。
推定年齢を教えてくれたオズワルドにお菓子を食べるのはまずいのではと質問したが、護竜は生まれてすぐに木の実や葉っぱ、穀物を食べられる。
甘いものが好きであり、焼き菓子類は問題ないと言ってくれた。
「オズワルド様って不思議ね。アルベルの出身者じゃないのに、あんなにアルベルと護竜について詳しいなんて」
ブランシュの頭を撫でながら、ライラはさらなる疑問を抱いた。
そういえば何故彼は公国を訪れ、クロードに出会い、アルベルへ案内したのだろう。
まるで定められた一本の道筋を示してくれていたようだった。
クロードはそう語っていたのを思い出す。
「そういえば、奥様はオズワルド様と昔馴染みだったのですよね。私、びっくりしちゃいました」
「ええ、帝国の南西のイセナの領主の子で……面倒をみてくれていたわ」
昔馴染みでも謎の多い男だった。
必要以外は離れの別棟に籠っていて、そこで魔術の研究ばかりしていた。
いくら魔力があったとはいえ、魔女を家庭教師につけるんじゃなかったとブラック=バルト伯爵はこぼしていたのを覚えている。
「あら」
リリーが声を出した時に気づいたが、皿の上のマカロンが綺麗に消えていた。
まだ少ししか食べていなかったのに。
傍らで満足げなブランシュをみてライラは「もう」とブランシュの額を軽く指の腹で押さえた。
「ぴゅ?」
わかっているのかわかっていないのか、とぼけた仕草をする。
こんな表情をみたら怒れないではないか。
「追加で作っていただきますか?」
「いいわ。味見はしたし、ブランシュが全部食べるくらい美味しかったということがわかったんだもの」
リーゼロッテとのお茶会はマカロンでよろしくとライラは笑った。
「アルベル夫人、お目にかかれて光栄です。フローラ治療院院長を務めるリーゼロッテ・エステルと言います」
ジーヴル城に訪れたリーゼロッテは恭しく礼をした。
「ライラ・アルベルよ。あなたに会うのを楽しみにしていたわ」
ライラはリーゼロッテに握手をした。
すでに用意されているお茶会に案内する。
リリーも同席できればいいのだけど、仕事中だからとリリーは席に着くのを断った。
「リリーとは久々に会うのではなくて」
「はい。元気そうで安心しました」
リーゼロッテの表情が緩んだ。
それは親し気な存在を目の前にしたときの表情であり、ライラは何となく彼女を身近に感じた。
彼女も感情が表情に出ない性質のようである。
だからといってアルベルの天使と同じと思うのは、ちょっと悪いかな。
リーゼロッテはライラの質問に答えてくれた。
このアルベルの地にたどり着いた経緯に関しては、一番は夫が亡くなった土地だったということである。
「手紙を届けてくれた兵士から話を聞くと、とても衛生状態が良いと思えず、治療部隊たちの統率が乱れている様子でした」
北の悪夢にて、治療部隊が狙われることは珍しくなかった。その時に統率管理をしていた治癒魔法使いや医長らが攻撃に巻き込まれて死亡している。
傷病者、死者が次々と出る中の人手不足は治療専門団体にも影響していた。
リーゼロッテの夫が死ぬ前はどこも混乱状態で、治療場所を確保できなかったことが大きい。
場所を確保できたとしても助からなかった可能性もある。
夫の訃報前に公都の治療院にてアルベルの治療部隊の急募がかけられていた。
リーゼロッテは何度も考え込んで、急募に名乗り出た。
実家から猛反対された。
落ち着いたら新しい婚約者を紹介するから行くなとまで言われたそうだ。
勘当するとまで言われたが、彼女は意志を変える気はなかった。
夫が亡くなった戦場で、自分のできることがあるはずだ。
そう信じて、リーゼロッテはジーヴルへと向かった。
「お父さまたちとかなり喧嘩をされたと聞きました」
「ええ、もう少し説得に力を入れてもよかったのですが強引に切り上げました」
喧嘩自体は特に気にしていない様子だった。
元々公都の治療院で働くこと自体良くは思われていなかった。
淑女の教養で治療院の世話をすることがあるが、リーゼロッテの場合は本格化しすぎた。
何度か衝突することはあったが、リーゼロッテが根気よく父を説得することで渋々折らせるということが毎回の事例であった。
「あの時はリリーがアルベルの戦場へ飛び出したので、慌てていたのもあります」
「まぁ」
ライラはちらりとリリーの方を見つめた。
リリーは困ったように笑った。
「リリーが戦場に?」
「傭兵の部隊に紛れ込んで走り回っていたそうです。会う機会を作ろうと思いましたが、当時のアルベルではそんな余裕はなくただ目の前のことに必死でした」
ようやく再会し、北の悪夢が終わりリリーはリーゼロッテの勧めで公都へと帰り、そのまま公都別館で侍女務めすることになった。
「リリーは勇ましいものね。雪ムカデの時も毅然と立ち向かっていてすごかったもの」
「そんな無茶をまだしていたのですか」
じろっとリーゼロッテはリリーを見つめた。
「あれは奥様が無茶をしようとしたからです」
リリーは慌てながらお茶のおかわりを注いだ。
あのままだとライラが雪ムカデに立ち向かおうとしていた。
「令嬢を助けようと……奥様の行動は立派でしょうが、雪ムカデに立ち向かうのは利口とは言えませんね」
「ええ、反省しています。でも、レディ・カレンが無事でよかったわ。あの後、体調を崩したというから心配だけど」
カレンという名に少しリーゼロッテは反応したように思える。
知り合いかもしれない。ライラはそう思った。
「彼女のことはご心配ありません。私の治療院で療養しております。もうしばらくしたら実家へ帰る予定です」
カレンの思いもよらない行方を聞いて驚いたが、ライラはほっとした。
彼女とは色々あったが、無事とわかって良かった。
「本当にレディ・サマンサたちには困ったものでしたね、義姉様」
「はい。まぁ……」
リリーの問いにリーゼロッテは複雑な表情をした。
ライラに詳細なことは伝えなかったが、サマンサらが治療院へボランティアに来た時は困ったものであった。
面倒な仕事を嫌がり、顔立ちの良い騎士の部屋へ頻繁に訪れて談笑し、誘惑しようとしていた。
治療院所属のスタッフが注意すると、いじめられたと泣き出し篭絡された騎士がスタッフを責めるという事態になる。
そしてサマンサらに入れ知恵をつけられたヒリス修道院の修道女たちも同様の行為が目立った。
リーゼロッテが再三修道院の責任者へ報告したが改善することもなかったため、クロードに全て報告した。
先日ようやく解決したため、一安心である。
サマンサはアルベルの中で険しい山の中にある修道院へ入ったという。
ライラの目の前に現れるなと厳命されておりジーヴルの社交界から追放され行き場所などない。
祖父の子爵の力で何とかなりそうであるが、父のお叱りと、父の騎士の称号剥奪の危機で己の行動を反省し自ら志願したという。
リディアはアルベルを出て、アルベル以外の地方へ移った。
母の実家の商家は元から顧客と他商人の不信感を抱かれ事業が滞り始めたという。
リディアの治療院での評判が致命的になり、アルベルで商売できなくなってしまった。
別地方で再起をはかるために商家自体の移動を余儀なくされた。
この時に、父母は離婚したと言われている。
クレアとアンは別地区の治療院分院で働くこととなった。
巡回中のリーゼロッテの元へ転がり込み、今までの自分の行動を反省してやり直したいと泣きついてきた。
ジーヴルの治療院で働かせるのは避け、信頼できる部下が管理する分院へと預けた。
今のところは令嬢が嫌がりそうな仕事を進んで行い、真面目にしているそうだ。
カレンの場合は他の令嬢たちと異なる。
ジーヴル城に滞在していたカレンは偽物であり、本物は被害者といってもいい。
命に別状はないが、彼女の現状を知ればライラは心を痛めることであろう。
令嬢たちの行方について詳しく聞かれなかったためリーゼロッテは安心した。
「今回、私があなたに会ったのは挨拶とお願いがあってきました」
お願いと聞きライラは緊張した。
彼女のお願いといえば、きっとアルベルの医療現場についてのことだろう。
自分に果たしてできるだろうかと不安があるが、できる限り勉強して力になるつもりである。
「まだ計画は途中ですが医看養成学校を作る予定です」
資金援助のお願いだ。ライラは頭の中で自分が寄付できそうな額をざっくりと思い浮かべる。
他にも公都の貴族たちに声をかけてみよう。アリサ夫人にも相談した方がよさそうだ。
頭の中でぐるぐると先日考えていたことを思い出す。
「夫人には是非初代学長になっていただきたいのです」
思わぬ内容にライラは首を傾げた。
「学長? 私がでしょうか」
ライラの問いにリーゼロッテはこくりと頷いた。
「私は学位を持っていませんよ」
とてもじゃないが、学生たちを教える知識はない。
「それは専門の教員を雇うので問題ありません。夫人には彼らに目標を掲げさせてほしいのです」
アルベルの為に力を貸してほしいとお願いしてほしい。
リーゼロッテの言葉にライラはしばらく考え込んだ。
それだけでも力になると言われれば、受けたいという気持ちはある。
だが、学校の学長というのは未経験であり自信が持てないのも事実である。
「クロード様に相談してからと、少し勉強してから答えてよいですか?」
「もちろんです」
再来年の春に仮校舎が出来上がり、夏にカリキュラムを始める予定であるという。
時間に余裕があるのでじっくりと考えてほしいとリーゼロッテは願った。




