10 北の辺境へ
パーティーがお開きになった後、ライラはクロードのに手を引かれ馬車へと乗り込んだ。
ライラは膝に乗せたフルートの入った鞄を撫で深くため息をついた。
先ほどはクロードのおかげで助かった。
もう少し遅ければ自分は公都の社交界に足を踏み入れられなくなっていたことだろう。
大公夫妻が手を尽くしてくれるかもしれないが、今でもよくしてもらっているのに申し訳ない。
公女のシャペロンでありながらアビゲイル公女にも迷惑をかけてしまった。
明日、お詫びの手紙を送らなければいけない。
「フルート、得意なのか?」
ライラの膝に乗っているフルートの入った鞄をみてクロードは質問してきた。
「兄たち程ではありませんが、一番好きです」
「そなたの演奏は素晴らしかったと兄たちが言っていた」
クロードは少し残念そうにつぶやいた。
「もう少し早くたどり着いていれば聞けたのかな」
折角ライラが最後の順番だった。あと30分早ければ聞けたかと思うと悔しい。
「よろしければ演奏しましょうか?」
「良いのか? その、疲れていないのか?」
何日も夜通し馬で移動していた男に言われる程ではない。
「あなたにお礼がしたいので」
館に戻ったら早速披露しようと言うと、クロードは窓を開けて御者に命じた。
「リタ修道院へ寄ってくれ。頼む」
まさかの寄り道にどうしたのだろうとライラは首を傾げた。
リタ修道院は公都の少し丘に建てられている。こじんまりとした建物で、シスターと身寄りのない孤児たちが住んでいる。
前辺境伯の時代から援助をしていたところである。
「さすがに子供たちは寝ているだろう」
建物の近くで馬車を止めた。クロードは馬車から降りて、ライラに手を差し伸べる。
動作のひとつひとつが荒々しくて扉が開くときの音が少し気になる。
それでもライラの為に紳士らしく振る舞おうとする姿は見ていて胸の奥がくすぐったくなる。
嬉しい。
そう思った。はじめの時はあまりに酷い扱いを受けて、嫌われていたのかと思った。
再び出会った彼は慣れないながらもライラの為にどうすればいいかと必死に考え動いてくれる。
今であれば彼と一緒に過ごせる自信がある。
クロードに誘われ、丘の頂上へと昇る。そこは壮大な星空が広がっていた。
公城での光景も素晴らしいものであったが、丘の上でみる光景は格別である。
公都にこのような場所があるとは思わなかった。
「曲は先ほど演奏したものでいいでしょうか?」
クロードはもちろんだと頷いた。
発表会とは別の心地でライラはフルートを構える。
彼の為に、自分の一番の演奏をみせたい。
星空の下、フルートを奏でるライラの姿をクロードはじっと眺めた。
音楽については軽く触れた程度しか知らない。幼少時に過ごした修道院で無理やり歌わされた讃美歌があるが、修道院を出てから一切歌わなくなった。
北の兵士らの呑気な鼻歌の方を好んでいた。
フルートなど聞いてもわからないだろう。
そう思ったのに、クロードは一生懸命ライラの奏でるひとつひとつの音を拾おうと必死であった。
「綺麗だ」
護竜はきっとこの光景を愛したのだろう。
今なら、伝承の護竜が笛の少女を愛した気持ちがわかる。
まどろむ護竜は、眠気をおしながらも少女の演奏を間近で聞こうと起きる。
その光景は脳裏に浮かんでくる。
演奏を終えた後、ライラは満足した。観客はクロードだけであるが、納得のいく形にできてうれしかった。
「どうでしょうか……」
感想を聞こうとクロードの方へ向くと、クロードが思った以上にそば近くまで来ていてライラは息を呑んだ。
クロードはライラの肩を引き寄せ、強く抱きしめた。
「とても綺麗だった」
「ありがとうございます。この星空に相応しい演奏だった、と考えていいですよね?」
少し自惚れてしまう。今この瞬間だけ許してもらえるだろう。
「そなたのことだ。勿論、演奏も素晴らしかった。そなたがとても綺麗だった」
突然の言葉にライラは顔を赤くした。このように男に綺麗と言われた経験は少ない。
父・兄はよく言ってくれるが、それとは別の感情がこみあげてきそうだ。
「あ、ありがとうございます」
「そなたには色々苦労をかけた。結婚後に一人過ごさせて……オズから聞かされたが、女としては肩身が狭い思いをすると」
具体的に何を聞かされたかわからないが、クロードは結婚式の夜にライラを放置して辺境伯領へ戻ったことを悔やんでいるようであった。
「でも、おかげでアルベルは救われたのでしょう」
夫としては残念なことであるが、英雄としては間違ったことではない。きっと彼のおかげで助かった命はたくさんあるだろう。
「その、まだアルベルは危険地帯だ。だいぶ落ち着いたが……魔物があちこち出没して、外敵がいつ押し寄せて来るかわからない」
改めて聞かされる内容にライラは頷いた。噂と手紙で理解しているつもりだ。
「まだ、そなたの安全を確保できていない。だが、私が守る……だから」
一緒にアルベルへ来て欲しい。
顔を赤くしてライラをみつめるクロードの瞳はとても綺麗であった。
まるで少年のような無垢さを持っている。
英雄の姿を持ち、恐ろしい顔を持つというのにこのような姿を持つというのは反則である。
「足手まといにならないよう頑張ります」
ライラはにこりと微笑んで、クロードの申し出を受け入れた。
よかったとクロードはずるずるとしゃがみこんだ。
嫌だと言われるかもしれないと怖かったようだ。かなり緊張していたと告白されライラは思わず笑った。
「そんな緊張しなくても」
「好きな女相手だとこんなに緊張するとは思わなかったんだ」
好きという言葉を聞いたような気がする。
しばらくしてライラは顔を真っ赤にした。
「そなたのこと、一目惚れだったんだ」
いつからと聞くまでもなく、クロードが語る。
あの公城で出会った時のおかしな様子は、自分の感情に慌てどうしていいかわからなかったようだ。
何とかアプローチをかけられないものかと馬車の中で考え、迷走してライラにマンティコアの首を披露してしまった。
後で公妃から怒られ、オズワルドからあきれ果てられた。
「これからも私は至らないことをするだろう」
しないようにするではなくする前提なのか。
「だが、そなたの夫として頑張るから……だから」
次第に弱弱しい声になっていく。英雄の姿とは思えない程である。
「わかりました。私もまだまだ未熟なものです。お互いさまで頑張っていきましょう」
ライラは膝をつき視線をクロードに合わせて微笑んだ。
クロードはライラの頬に触れて、髪を撫でる。
優しい手つきであるが、指も、手の平も硬く感じる。
きっと彼は長く剣をとり戦い続けてきたのだろう。
クロードの顔が近づいてくる。ライラは胸を高鳴らせながら、彼から逃げず彼の口づけを受け入れた。
はじめてのキスではないが、今まで感じたことがない程に甘く切なく感じた。
きっと愛しいという感情が芽生え始めているのだ。
別館に戻った後、二人は初めて一緒に寝所へ入り夜を迎えた。
何カ月も遅れた初夜であるが、ライラは今迎えられたことを嬉しいと思った。クロードも気持ちは同じである。
◆◆◆
翌日、ライラの元にヴィノ伯爵家から手紙と宝石箱が届けられた。
手紙はアルジェノ・ヴィノの差出となっている。内容は先日の無礼への謝罪であった。
宝石箱を開けてみると、ごてごてとした耳飾りと指輪が入っている。
石は悪くないのだろうが、デザインはライラの趣味ではない。
クロードが贈ってくれたネックレスと比べてしまうからよくないのかもしれない。
「直接頭を下げるわけではなく、代筆の手紙に不要な宝石を送り届けて来るとは」
クロードの表情は不満マックスである。
手紙が代筆であるとすぐに気づいたのか。
宝石が不要のものかはわからないが。
「やはり決闘だな。バート、日時と場所を手紙に書くから適当な便箋を寄越せ!」
傍に控えていた執事にクロードは指示を出す。ライラは慌てて止めた。
公国の英雄と放蕩息子。決闘は始まる前から相手が不憫極まりない。
「やめましょう! クロード様がわざわざ手を出す必要はありません」
まずクロードが彼の為に剣をとることが勿体ないと感じる。
なかなか怒りを収めようとしないクロードにライラは頭を抱えた。
兄が怒ったときはどうやって気を静めただろうか。
助けて義姉様。私に知恵を貸して。
必死に考えあぐね、ライラは立ち上がろうとするクロードの腕を掴んだ。
「そんなことよりも私は乗馬がしたいです。クロード様と一緒に、野山を駆けたいなぁ」
ライラの言葉にクロードは頬を染めて、ぽすんとソファに座り直した。
「そうか。ちなみにライラは乗馬の経験は?」
「あります。ですがあまりにつたないので、クロード様の足を引っ張るかもしれません」
「そんなの私が教えるから心配ない」
クロードはすぐに乗馬の為の馬を用意するようにバートに指示を出した。
なるべく大人しい馬にしろと注文をつけながら。
リリーに用意してもらったランチボックスを手に、ライラとクロードは公都の郊外の野山へピクニックに出かけた。
ライラの乗馬が思いのほかうまかったのでクロードは感心した。
同時に手取り足取り教えようと思っていたので残念であった。
公都で1週間一緒に過ごしながらライラは荷造りを始めた。北へと向かう為に必要なものを荷物にまとめる。
ほとんどが義姉から贈られた衣装なのであるが。
バートに頼みフルートの調整用の道具のストックをたくさん仕入れてもらった。北の方にもフルートのお店はあるかもしれないが、すぐに見つからなかった時の為である。
出発の前日にライラとクロードは大公夫妻に挨拶を述べに参った。
夫婦としてうまくやっていけそうな雰囲気に大公は安心し、まだ信用できないと公妃は時々鋭い視線をクロードに向けていた。
アビゲイル公女にも挨拶をと思うと、彼女はライラの裾を掴み駄々をこね始めた。
「北は危険なのよ。冬はとっても寒いし。そんなところより公都にいればいいじゃないの。前辺境伯夫人はずっと公都にいたのだし」
問題はないはずだとアビゲイル公女はいう。ライラはそれでも北に行きたいのだと言った。
「クロ叔父様の馬鹿」
アビゲイル公女はぶすーっとクロードを睨みつけた。姪に弱いのか、クロードは強く応えられなかった。ようやく「それでもライラと一緒にいたいのだ」と呟く。
ようやくリオン公子の手伝いあってアビゲイル公女はライラの裾を放してくれた。
「手紙書くわ。絶対返事を書くのよ」
アビゲイル公女はくすんと残念そうにしていた。
そういえばとアビゲイル公女は以前見せた絵画をライラに見せた。まだ途中であるが、ようやく護竜の絵を着手しようとしているところだった。
「来年に公都へ戻ってきたときに見せてください」
「もちろんよ。絶対に来るのよ!」
公都に戻った時の楽しみを胸にライラは公城を後にした。
その夜は二人でお酒を飲んで過ごし、一緒に眠った。まだ一緒に寝るのは照れ臭いが、そのうち慣れていくはずだ。
クロードの後を追いかけて来たクロードの配下の騎士たちが朝の準備をしていた。彼らが来たのはクロードが到着した翌日の夕方だったと思う。かなりへとへとに疲れ果てていたと思うが、大丈夫だろうか。
遠出用の馬車が用意され、ライラはクロードに委ねるように馬車へと乗った。クロードは馬で移動するので、馬車はライラとリリーの二人だけの空間である。
馬車の座り心地はよく、これであれば長時間の移動に耐えられそうだ。
「これよりアルベルへ戻る!」
クロードの掛け声に騎士たちは応じ、一行は公都の外へと出た。
早朝で、まだ人の往来がそれほどない時である。
北の前知識を思い出しながらライラは早めに北の生活に慣れようと拳を握った。
ふと窓の外を見ると傍近くにクロードがいる。
馬を操る騎士の姿の彼は、思わず見とれてしまいそうだ。
ライラの視線に気づいたのか、クロードは顔をライラの方へ向けて笑いかけてくれた。
予定より遅れてしまったが、ライラはようやくクロードとともに北の辺境へと向かったのである。
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