38.某国の聖女様 その2
それは聖女様にだけは聞こえたようで、その時彼女の背中が小さく動きました。
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聖女様は長い長い時間泣き続けました。
この世界に連れて来られてから半年余り。
それだけの期間の中で溜まりに溜まったものを全部吐き出すかのように。
ですが永遠に続くかと思ったそれも、やがて終わりが訪れます。
涙を出すだけ出した聖女様は私の顔をじっと見つめます。
「ごめんなさい……。私……」
その時でした。
聖女様のお腹から"グゥゥゥゥゥゥゥ"そんな音が部屋に響き渡ったのは。
「うっ……。ご、ごめんなさい……」
思いがけずそうなってしまった聖女様の顔は真っ赤です。
お腹を押さえて今度は別の意味で泣きそうになっていますが、これは自然現象ですし、長い間まともに食事を摂れていないのでしょうから仕方ないことでしょう。
「簡単なものになりますが、お腹に入れますか?」
聖女様に出来るだけ優しく微笑み、それから私は空間からクッキーを取り出します。
彼女に差し出すと騎士が「リューゲ様、待ってください。毒見を」などと慌てて止めようとしますが、聖女様は気にもせずにそのクッキーを口に入れます。
「美味しい……。美味しいです……」
クッキーを齧りながらまたボロボロと泣き始める聖女様。
私はその頭を撫で、その後、彼女が使っているらしいテーブルの上に並んでいる茶器に視線を向けて、それらを全て魔法で宙に浮かせて粉微塵にしてから空間から取り出した私たちが普段使っている茶器を並べていきます。
「紅茶もどうですか?」
「……ひっ、くっ。ありがとう、ございます」
椅子を引き、聖女様を手招きして座らせます。
紅茶を淹れてテーブルの上にクッキーの他にサンドイッチなど並べると幸せそうな顔をして食べ始める聖女様。
「どうして……。リューゲ様は普段は小食な方なのに、あんなに沢山召し上がるなんて」
騎士のその声を聴いて私は聖女様の前に立ち、平坦な声でここに至ってもまだ何一つ分かっていない彼に質問を投げかけます。
「本当に分からないのですか?」
「え?」
「世界に一人きり。自分のことを知っている人は誰もいない。
その環境で出された物を貴方はこれまでと同じように口に出来るのですか?
……毒が入れられているかもしれないのに」
「なっ!」
騎士は私の言葉で唖然とします。
しかしすぐに顔を赤くして反論して来ました。
「リューゲ様の口に入れる物に毒など入れる筈ないだろう。
それに聖女様だぞ? あり得ない」
「………」
私はさり気なく聖女様の胸元を見つめます。
そこに光るは[銀]の十字架。
彼女はこれまでこれのおかげで助かっていたのでしょう。
もしこれがなかったら、彼女は食事を何一つ口に出来なかったかもしれません。
「銀は毒に反応します」
「は?」
「聖女様が少しでも食事を口に出来たのはそれのおかげでしょう」
「……貴女は何を言って?」
「聖女様、貴女に出される食事には毒が含まれたものがあったのではないですか?」
「だからそんなこと!!」
「静かにしてください。私は聖女様に聞いています。
間違っているでしょうか? 聖女様」
聖女様が食べるのを辞めて胸元の十字架を見ます。
騎士は悔しそうにしていますが、口を挟むことはありません。
聖女様が十字架から私に視線を移し、少しして騎士に移し、くすくすと笑い始めます。
「はい。私に出される料理のどれか一品には必ず毒が含まれていましたよ。
あははっ、聖女だから毒を入れられることはないだろうって、逆でしょう。
聖女だから毒を入れられるんですよ。それすら分からないなんて本当におめでたい頭してますよね」
「そんな……。何故……」
「何故? 例えば他国の間者にとって聖女は邪魔な存在じゃないですか。
自分では実感ないですけど、私がこの国にいるだけで結界が自動で張られるんですよね?
魔獣避けでしたっけ? 後、この国に敵対する者を避ける結界。
私が来る前からこの国にいる人には無効みたいですけど。
他に国に特別扱いされる人に対しての嫉妬、異世界からの異物を駆除しようという歪んだ正義感。などなど。
私を殺そうとする理由なんて幾らでも思いつきます。
子供でもこれだけ思いつくんだから、大人ならもっと思いつくんじゃないかな。
でっちあげのための理由だってそう。私の毒殺が成功したら私には持病があったとか、異世界の空気が合わなかったとかで処理されると思うよ。異世界から人を誘拐しておきながらへらへら笑ってる連中だもん。それくらい笑ってするでしょ」
心の底から楽しそうな聖女様の様子に絶句する騎士。
聖女様は私が出したサンドイッチを手に取って騎士からそちらに視線を移します。
「このサンドイッチには毒なんて入ってないって分かる。
白亜の魔女様のことを夢で教えてくれたのが女神様だからっていうのもあるけど、それ以上に白亜の魔女様は私のことを濁った眼で見ないから。この国の連中と違って――――」
*
そう言ってちらりと俺を見てからサンドイッチを口にするリューゲ様を見て、俺は俺が思っている以上に彼女に信用されていなかったのだと理解した。
白亜の魔女様に微笑むリューゲ様。
彼女はこの国の者ではないからそんな顔を見せるのか?
しかし解せない。長きに渡り最も傍にいた俺よりも昨日今日会ったばかりの白亜の魔女に心を許すなんて。
「……どうして、ですか?」
俺はつい、聞いていた。
その応えで自分が傷つくことは分かっているのに止められなかった。
リューゲ様が先程までと違って一切の表情を抜け落としたお顔で俺を見る。
「自分が私に何したか忘れたの?」
俺が? 何を。分からない。
俺は王やメイドと違ってリューゲ様のことを思ってきた。
俺は彼女にそんな顔をされる理由はない筈だ。
なんだ? 分からない。俺がどうして?
「ふふっ、そうだよね。偽善に酔ってる人に分かるわけないよね」
リューゲ様が笑う。
肩を震わせて笑い、直後俺に向かって彼女は叫ぶ。
「ふざけんな!!!
あんたは私に今着ている服より自分が買ってきた服の方が似合うからって、私の服をメイドたちに指示して無理矢理着替えさせて処分した。私の本当の世界の服をだ!! 私の心の拠り所を……。
それだけじゃない。あんたは私の持ち物も処分した。
私が部屋を離れて、この離宮の庭に行っている間に。勝手に。
あの鞄には教科書に加えて私の親友からもらった大切なプレゼントも着いてた。
それが失われて泣き叫ぶ私にあんたは代わりの物なら買ってあるって自分の物を押し付けた。
……あんたは」
リューゲ様が"ギリッ"と歯を噛み締める。
テーブルを叩きつけ、無言となるリューゲ様にそっと寄り添う白亜の魔女様。
それを受け、リューゲ様は先程よりも静かに語りだす。
「……あんたは拒否する私を無理矢理外に連れ出したこともあった。気分転換になるからって。
でも私はいつ殺されるか気が気じゃなかった。外にいる間ずっと怯えてた。
あんたは私といることで町の人に称賛されて気持ち良かったみたいだけど。
あんたは私のためって言いながら私のことなんて見てない。
あんたにとって私はアクセサリー。あんたのための道具。
………死ねよ」
リューゲ様が今度こそ口を閉ざす。
何かを悩むかのようなお顔をされた後、白亜の魔女様にお顔を向けて小さく呟く。
「……ごめんなさい」
許しを乞う呟き。
それは俺に死ねと言った罪悪感から来たものだろうか。
そっとリューゲ様の頭を抱き締める白亜の魔女様。
彼女はそうしながら俺を見るが、その目はゴミを見るかのように俺のことをどうでもいい奴だと思っていることが現れていて非道く冷たい。
「リューゲ様、俺は……」
彼女に一歩、近寄ろうとする。
それを遮るように言葉を零す白亜の魔女様。
「今更ですが、リューゲ……ですか」
『……?』
「聖女様の世界のとある国ではそれは「嘘」という意味らしいですね。
名前まで偽られていたなんて、この国の人々は何処までも聖女様に信用されていなかったのですね」
俺の足が止まった。
まさか、そんな……。聖女様の名前が偽り?
聖女様が驚いたお顔で白亜の魔女様を見ている。
聖女様にとって見破られたことは予想外の出来事だったのだろうか。
「どうして、それを……」
「これまでのお話の中でですが聖女様は聡い方だということが明らかです。
意味不明な世界で真名を明かすことは危険だと感じて咄嗟に偽名を名乗ったのではないですか?
リューゲ、ドイツ語で[嘘]。日本人にカタカナの名前の人はそんなにいません。
私の知り合いに転生者がいますし、だから真名ではないことはすぐに分かりましたよ」
てん、せいしゃ? 白亜の魔女様は一体何を言って……?
俺が困惑を隠せない中、聖女様は逆に何かを察したように白亜の魔女様に笑顔を零される。
「さて、聖女様。もう一度誘拐されてみるつもりはありますか?」
「はい! はいっ」
聖女様が白亜の魔女様の首に手を回してしがみつく。
まさか白亜の魔女様は聖女様を攫って行くつもりなのか?
彼女の足元に現れる黄金色の魔方陣。
光り輝き、発動して今にもここから消えてしまいそうな聖女様に俺は手を伸ばす。
「待ってくれ。待て、行くな! 俺は貴女のことを愛して……」
「さようなら。私はあんたのことなんか大嫌いよ!!」
魔法が発動する。聖女様はあっという間にここから消えた。
最後の最後まで俺は……、俺たちは……、聖女様に好かれることはなかった。
俺は聖女様が消えた場所を呆然と見つめ、暫くして膝から崩れ落ちた。




