和歌バトル 摩州麻呂への道
内輪ネタです
「さーあ!始まりました!摩州の国司権をかけた麻呂和歌バトル!視界はマイク麻呂と!」
「DJ:maroでお送りしていくぜ!」
ミラー鞠が燭台の明かりを七色に反射する歩路合。奥には御簾に身をお隠しになった帝の御シルエットが、背後のバック燭台の光に照らされて点滅なさっていた。
月に一度、帝が主催なされる和歌バトル。その恩賞が豪華であることは誰もが知るところであったが、此度のそれは、今までとレベルが違った。摩州。甘味の原料となる砂糖黍がよく育つその土地は、全ての貴族の憧れであった。その地を治めるものは皆から「摩州麻呂」と呼ばれ尊敬の眼差しを集めるのだ。その摩州が今宵の恩賞であった。仙台の摩州麻呂であった匣摩呂が島流しにされてから二年。空白の摩州麻呂の歴史に新たな一筆目を刻むことは、大変な名誉だ。
「はじめてでおじゃるな、こうして手合わせをするのは……」
毒麻呂は静かに、笏を構えた。桔梗をおもわせるような、衣と色を揃えた濃い紫の笏である。濃い紫は正一位の証である。
「そうでおじゃりますな……一度手合わせしたいと願っておりもうした。胸を借りさせていただきましょう」
焼麻呂は答え、一礼した。焼麻呂の衣は燃えるような深い緋色。正四位の証である。毒麻呂には遠く及ばないが、生まれも年齢も下ながらも実力でのし上がってきた彼には、毒麻呂も一目置いていた。
「舞台の上では、身分も生まれも無きもの故……遠慮はいりませぬ、全力でかかってくるでおじゃる!」
笙の音が鳴る。八卦の易(占い)により、毒麻呂が先攻になった。
「では、始めましょうか……」
笙(笛のやつ)と鼓(ポンって鳴るやつ)、そして琴の音が濁流のような激しさでビートを刻む。笏で顔を隠し佇む毒麻呂から、鬼神の如き気を焼麻呂は感じた。
「摩州麻呂の しろはひとえに つれもなし あかは白地に あたうまじける」
清流を思わせる、涼やかな声が歩路合に響いた。笙の音が勢いを増す。歩路合が沸き立つ。さすがの正一位である。不利な先攻でありながら、毒麻呂の名にふさわしい強烈な出偉擦り。焼麻呂では摩州を治めるには力不足である、と。
後攻の焼麻呂の返歌である。
「陽炎の さきはたしかに みえねども つとめておさむ よいひのでまで」
鼓の音が、張り裂けんばかりに高まる。歩路合はさらに沸き立つ。自分の未熟さを認めながらも、精一杯勤め上げるつもりだとの純朴な一首であった。
「見事」
毒麻呂は焼麻呂に歩み寄り、笏を手渡した。被づけ物である。見事な歌に対する褒美に、自らの着物の一部を与える──歌人に対する、最大限の賛辞である。
「そちらこそ」
焼麻呂はうやうやしく一礼し笏を受け取ると、遠慮がちに自分の緋色の笏を差し出した。相互被づけ物である。想像を遥かに超える展開に、歩路合の熱狂は最高潮に達した。舞台に冠や衣が投げ入れられ始める。被づけ物オベーションである。
二首目。地鳴りのような歓声にかき消されることなく、力強い笙と鼓、そして弦を引き切りながら琴が響く。一首目と同じく先攻は毒麻呂である。
「つとまれど あしの向くのは 近づけり せんだつものが つゆぞ払わむ」
見事な二首目であった。たとえ勤め上げるとしても、その地位を狙って近づくものは多い。また摩州は陸路が少なく、若い焼麻呂が土地に縛り付けられるのはよくないことであろうと、毒麻呂は思っていた。であるからして、先んじて毒麻呂が摩州麻呂となり、悪い芽を摘み、海路や陸路を整えておこう、と。
焼麻呂も負けじと返す。
「あしひきの 山路つづめる ことあれど 火に寄る虫は われが払わむ」
焼麻呂の覚悟も並ではなかった。摩州は父が、祖父が憧れた土地である。老い先短い祖父が存命のうちに、摩州麻呂となった姿を見せることか何よりの孝行であると確信していた。そのためにはどのような困難も、敵も自ら乗り越えるつもりであった。目の前の毒麻呂とて例外ではない。ここで彼を超えることがたとえどれほど困難であろうとも、それを成し遂げるのは、心に決めたことである。歩路合が限界を超えて沸き立つ。あまりの熱気に帝を覆う御簾すらも真上にそそり立ち、帝の御姿が露わになっていた。帝はペンギンであった。
「さあ……次で最後でおじゃるよ。これを」
毒麻呂は薄紫の衣を脱ぐと、焼麻呂に差し出した。被づけものアゲインである。
お返しにと衣を脱ごうとする焼麻呂を、毒麻呂は静かに押し止め、首を振った。
「とっておくでおじゃるよ」と。
焼麻呂は紫の着物に袖を通した。まだ温もりの残るそれは、スミレを思わせる香が焚き詰められていた。
三首目である。既に鼓打ちの手は折れ、琴の爪は剥がれ、それでもなおいっそう音を強めていた。笙吹きの肺も限界に近い。それでもこの戦いに華を添えんと、肺腑を張り裂かんばかりに吹き始めた。舞台は被づけものオベーションで投げ入れられた着物で溢れ、焚き詰められた香が混ざり合いなんともいえずよい香りを放っていた。毒麻呂は薄衣と冠だけの姿になりながらも、凛とした威厳は衰えず、むしろ増していた。透き通った、しかし今までのニ首とは比べ物にならぬほど凄みのある声が響く。
「やすからむ 土におもむく 木綿化の 栄ゆるわたに おぼへ言わなむ」
歩路合がどよめく。出偉擦りがない。利すべく問う(リスペクト)の一首である。摩州を治めるにふさわしい、思いのたけをはっきりと示し給え、と。焼麻呂は毒麻呂を見据え、毒麻呂は静かに微笑む。
「さあ、読むでおじゃるよ」
焼麻呂は息を吸い込む。真っ直ぐな思いのたけを、そして今詠める精一杯を、この声に乗せて──
「摩州麻呂の 平らけし日は 遠かれど とりたて治む 安国の宮」
歩路合のどよめきは、たちまち大歓声に変わった。熱狂は地面を揺らし、屋敷の屋根は遙か天へ吹き飛んでいった。今宵は満月であった。たとえ摩州が治まる日が遠くとも、絶対に良い国にしてみせるという覚悟。そして元号である平安を歌に盛り込むという高度なテクニック。帝すらも手を、いや翼を打ち鳴らしながらタップダンスをお踊りになっていた。
やがて熱狂がおさまり、屋根も戻ってくると、帝が立ち上がり、おっしゃられた。
「此度の和歌バトル、見事であった。まずはこれを」
帝はおもむろに御くちばしをお引きちぎりになると、上御くちばしを焼麻呂に、下御くちばしを毒麻呂にお与えになった。帝の御くちばしは不老不死の妙薬であった。たとえどのように死のうとも、塵すら残らずとも、数日のうちには必ず五体満足に生き返る。そのくちばしを求めて争いが起きたこともあるが、その全てを帝一人の手によってご鎮圧なされていた。
「ありがたき幸せでおじゃります……」
「謹んで受け取らせていただきます」
焼麻呂と毒麻呂はまだ生暖かい御くちばしをうやうやしく受け取った。既に帝の御くちばしはご再生なさっていた。
「さて、どのような素晴らしい勝負にも決着は必要である。勝った者には摩州を与えよう。此度の勝負はまことに素晴らしきものであった、負けた方にも何か褒美を取らせねばな。では……」
帝はぺたぺたとお歩きになると、DJ:maroにお耳打ちをなされ、またぺたぺたと御簾の内側にお戻りになった。
「Ok~!それでは帝からご勝敗を賜ったので〜!発表していくぜ!この勝負を制し摩州を治めるのは〜……」
鼓ロールが鳴り響き、スポット篝火が二人を交互に照らす。一瞬の静寂が訪れ、次の瞬間照らされたのは──
焼麻呂であった。
「やーきーまろーー!!!!」
DJ:maroが叫び、歓声が響く。その喧騒が、焼麻呂には他人事かのようにどこか現実味がなかった。
──麻呂は、勝ったのでおじゃるか。
正一位の毒麻呂に。歌人の中でも五本の指に入るであろう毒麻呂に。ありえない、と思った。しかし耳をつんざくような歓声と、焚き詰めたスミレの香が鼻をくすぐるのは、明らかに現実であった。
──麻呂は、勝ったのでおじゃる。
歓声はやまない。焼麻呂は拳を握り締めた。夢に見た摩州麻呂も、最高の手合わせも、紫の衣も。全てが手の内に収まった。だがこれで終わりではない。これが、ここからが始まりなのだ。摩州を治め、摩州麻呂にふさわしい人間にならねば。
「いやはや、完敗でおじゃった」
毒麻呂は冠を脱ぎ、差し出した。脱帽被づけ物である。
「いえ、毒麻呂様も素晴らしい首でおじゃりました」
焼麻呂も冠を脱ぎ、差し出した。歩路合が沸き立ち、また屋根が飛んでいった。今宵はやはり満月であった。
数刻の後、貴族たちが引き上げた屋敷には帝と毒麻呂だけが残っていた。
「帝。一つお願い申し上げても良いでしょうか」
新しい紫の衣に着替え、正装に戻った毒麻呂に、帝は頷かれた。
「よい。何なりと申せ」
「感謝いたします。お願いというのは他でもありません。私を焼麻呂の下に置いて、彼の補佐をさせていただきたい」
「変わった願いであるな。それほどにあの若者は有望か」
「はい。あの真っ直ぐな心根を、育てることこそが老い先短い私の役目と存じます。それに摩州を狙う良からぬものも多い。手を汚すのは老いぼれの私だけで良いでしょう」
「ははは、わかった。そのように計らおう」
「ありがたき幸せ……」
毒麻呂は深々と頭を垂れた。満月に、かすかに薄雲がかかっていた。
「許せぬ……ゆるせぬでおじゃるなあ」
そしか和歌バトルから数カ月。焼麻呂の摩州への赴任も住んだ頃である。とある島、風の吹きすさぶあばら家で、ぼろぎぬのような衣を纏った男は歯ぎしりした。彼は匣摩呂。先代の摩州麻呂であった。島流しにされた先のこの町で、噂が流れていたのだ。焼麻呂が摩州麻呂になったと。
「あの若造如きに、摩州をくれてやるわけにはいかぬでおじゃるなぁ……」
匣摩呂は懐から、禍々しい文様が刻まれた呪符を取り出した。
「焼麻呂には、焼麻呂らしい最期をくれてやるでおじゃるよ……この、発火の呪言で……」
彼はじゃらりと、房の擦り切れた数珠を鳴らした。 三日月に、厚く黒い雲がかかっていた。