夏の始まり①
期末テストも終わり夏休みまであと少しとなった一学期の学校は皆どこか浮き足立っていた。短縮授業が増えてくるといよいよ夏休みが始まるのだと実感が湧いてくる。
「あっついな」
陽一郎はだらしなく机に突っ伏している。
「三十度超えるって話だもんな」
隣でうちわを仰ぎながら、そう答えたのは友人の真嗣だ。
「アイス食べたいなあ」
もう一人目の前にいた、沖沢が呟く。
時間はちょうど昼時で一番暑い時間だった。教室の他の生徒も皆暑そうにしている。
クーラーは一応付いているが、設定温度が高いのか人の多い教室では暑さの方が勝っていた。
「早く夏休みになって家でゴロゴロしたいな」
陽一郎はクーラーでひんやり冷えた部屋を想像する。
「二人は何か予定あるの?」
そう尋ねると、
「俺はバイト」
と真嗣は答える。
「僕は溜まってたアニメ見て、後は同じようにゴロゴロしてるかなあ」
「そっかあ」
二人ともらしい答えが返ってくる。
「そう言うお前は何もないのか?」
今後は陽一郎が聞かれ、
「今のところ決まった予定はないな」
と答えながら、そういえば陽毬が夏祭りに行きたいと言っていたなと思い出す。
お盆に帰ってくるらしくその時期はどこか外へ連れ出されるかもしれないが予定というほどではないなと思った。
「意外だなぁ。陽一郎は遊びに行くものだと思ったよ」
「俺が?何で?」
「だって、夏休みこそ青春の一ページって感じがするじゃん?」
沖沢にそう言われて「確かに」と陽一郎は呟く。
「まあこいつには無理だろ」
真嗣に言われ、「どういう意味だよ」と不服そうに聞く。
「肝心なところで気を使うからな」
「……いや、本当どういう意味だよ」
真嗣の発言に困惑する陽一郎。
「もうちょっと我儘になっても良いんじゃねえのって事」
「え?俺って我儘じゃないのか?」
むしろ我儘な方だと思っていたためか陽一郎は沖沢に聞く。
「うーん。どうだろ」
沖沢は困ったように笑う。
「よし決めた!」
陽一郎は体を起こして拳を握る。
「この夏俺は一皮剥けてやる!」
「おおー!」と拍手をする沖沢と呆れたような顔をしたのは真嗣だった。
「そこでまず、このゴミをあのゴミ箱に投げ入れたいと思います」
「いつの間に」
陽一郎がグシャグシャに丸めたのは、真嗣がさっき食べたパンのゴミ袋だった。
「それ何か意味あるのか?」
と真嗣に言われ、
「意味なんかないけど願掛けみたいなもんだ!」
と勢いで陽一郎は答える。テスト明けでテンションがおかしいという理由もあるのだろう。
「行くぞー」
陽一郎は目を凝らして狙いを定める。そして上手く投げれるイメージが頭に浮かび、ヒョイっとゴミを放り投げる。ゴミは放物線を描いてゴミ箱へ吸い込まれるように入る……かと思われたが、ちょうど横切った生徒に当たってしまった。
「え?」
ゴミが当たった生徒はそれを拾い、グシャグシャになった袋を広げる。
「やべ!」
陽一郎は慌てて立ち上がる。知っている生徒ならともかくそこに立っているのは話した事もない、他クラスの女子生徒だった。昼休みだから用事があってきたのだろう。何にしてもいきなりゴミが飛んできたら誰だって戸惑うだろうし、怒ったとしてもおかしくない。
「すんません!」
陽一郎はその女子生徒の元へ向かい謝る。
そして、内心で陽一郎は驚いた。そこに立っていたのは、男子生徒の中でも人気の高い女子生徒で、それは噂がクラスの男子の話題に度々上がる程度の人気を誇る。
名前は旭川結衣。陽一郎はそこまで思い出していた。しかし彼女と直接関係がある訳じゃなく、陽一郎は彼女がどんな反応をするのかヒヤリとしていた。
「これ貴方の?」
パンのゴミを見て旭川は陽一郎に尋ねる。
「うん」
頷く陽一郎。旭川は陽一郎が座っていた方を一瞥する。
「捨てて良いの?」
「うん」
少したじろぎながら陽一郎は頷く。
旭川はそのゴミを隣にあったゴミ箱へと捨てた。
「えっと、大丈夫?」
陽一郎が恐る恐る聞く。
「え?大丈夫だよ。ちょっとびっくりしたけど……」
「本当ごめんなさい」
「いいよいいよ。そんな気にしないで。私もたまに面倒だとやっちゃうし」
そう言いながら笑う彼女に陽一郎は感謝しかなかった。
「えっと……それじゃあ次は気をつけてね?」
「はい。気をつけます!」
元気の良い陽一郎の返事に、「ふふ」と笑いながら彼女は用のあった友達の方へと駆け寄って行った。
陽一郎も自分の席に戻り安堵する。
「良かったね」
沖沢に言われて、陽一郎は頷く。
「良い人だった」
「旭川さんだよね」
沖沢も知っているようで、あの旭川さんと言いたげな雰囲気だ。
「ああ。モテる理由が分かった気がする」
陽一郎が感心していると、
「単純だな」
真嗣はそう答えた。
*
「とは言ったもののどうするかな」
帰り道ふと呟いた陽一郎は悩みながら歩いていた。
一皮剥けると言ったが、具体的に何をすれば良いのか分からなかった。
「凛花に聞いてみようかな」
とスマホを開いてメッセージを送ろうとするところで手を止める。そういえば今日は帰りに友達と買い物に行くと聞いていたのを思い出したのだ。
後でにしようと、スマホをポケットに戻し、青になった信号を見てまた歩き出す。すると前を歩く人物を見て、陽一郎は声をかけた。
「あれ、拓人!久しぶりじゃん!」
拓人と呼ばれたその男子は後ろを振り返り、少し驚いた様子で答える。
「陽一郎先輩。お久しぶりです」
彼の名前は、喜多川拓人。陽一郎と凛花の幼馴染でもある。歳は一つ下で今は別の高校へ通っている。眼鏡の奥に見える目は相変わらず感情の色が薄い。
「最近忙しいん?」
陽一郎が聞くと、
「いえ。期末が終わったのでそれほどでも」
と拓人は答えた。
「今日は塾?」
「今日は帰って勉強しようかと」
「ならちょっと付き合ってくれよ。飯奢るからさ!」
陽一郎は半ば強引に拓人を誘うと駅前のファミレスに向かった。
「いや〜本当に久しぶりだな」
ファミレスに着くと陽一郎は、冷たい空気をパタパタと仰ぎながらそう言った。
「卒業以来ですから、三ヶ月ぶりくらいですよね?そんな久しぶりですかね」
「ほら、俺と凛花が高校上がる前は頻繁に顔は合わせてただろ?」
「まあ同じ中学にいればそうですよね。凛花先輩は元気にしてますか?」
「元気にしてるぜ。あ、そうだ今拓人と飯食ってるって送っとこ」
「相変わらず仲が良いんですね」
「仲か」
陽一郎がポツリと呟くと、拓人は「何かあったんですか?」と尋ねた。
「いや、何も無いんだけど。一年の頃はあんまり話さなかったからさ」
「え?そうなんですか。意外ですね」
「高校って生徒の数が多いだろ?他クラスになるとあんまり関わりがなくてさ」
「今は同じクラスなんですか?」
「うん。だからまあ最近は学校でも話すし、相変わらず凛花んちのカフェに行ったりしてるな」
「そうなんですね」
「拓人は学校の方どう?県内屈指の進学校はやっぱ大変なのか?」
「そうですね。毎日勉強しないとあっという間に置いてかれそうです」
「拓人でもかよ」
「僕なんて全然ですよ」
「いや〜拓人で無理なら俺は一週間で置いてかれる自信があるね。って、そもそも入学できるレベルじゃねえか」
「陽一郎先輩の学校だって、進学校ですよね」
「自称な自称。頭の良いやつもいるけど、意外とそうでも無いやつもいるぜ。俺とかな!」
と少し自虐的に笑う。
「そんなものですか」
「そんなもんよ。そういえばさ、拓人は夏休み予定あるのか?」
「夏休みですか?勉強くらいですかね」
さも当然のようにノータイムで答える拓人。驚きもするが彼らしいなと陽一郎は思う。
「マジかよ。でも暇な時間くらいあるんだろ?」
「それはそうですね」
「八月にさ陽毬が帰ってくるんだけど、久しぶり凛花も含めて四人で遊びたいんだとよ」
「ああ。その話ですか」
「え?聞いてんの?」
「随分前に連絡が来てたんで」
「嘘。俺なんて昨日だぞ。知ったの」
驚いて陽一郎の口が開く。「まあ良いんだけどさ」と言いながらジュースを啜る。
「相変わらずですね」
「ん?」
「いつも楽しそうというか」
「悩みなんてなさそうだなって思ってるのか?」
「いえ、そんなつもりじゃ」
陽一郎が少し意地悪く言うと、拓人は少し慌てて否定する。
「分かってるよ。でも俺だって色々考えてるんだぜ?」
それを見て陽一郎は冗談だよと表情を戻す。
「考えですか」
「……そうか。拓人なら分かるかな」
「何がですか?」
「なあ、一皮剥けるってどういう事だと思う?」
「一皮ですか?」
「そうそう」
「ちょっとよく分からないです」
困ったように言う拓人に陽一郎も困った顔で答える。
「拓人でも分からないか」
「一皮剥けるって意味だけで考えるなら、今の陽一郎先輩から何か変わるって事ですよね。具体的なイメージはあるんですか?」
「そう言うのは考えてなかった!ただ、夏休みを何もせず終わらせたくなくてさー」
「そういうことですか」
「拓人は夏の目標とかあるの?」
「僕は、英語力を高めようかと」
「うお。流石だ。そういう目標は予想してなかった」
そこで、陽一郎のスマホがブーっと鳴った。
「あ、凛花来るって」
「え?凛花先輩が?」
「そう。拓人といるってさっき送ったんだけど」
「そうなんですね」
「あれ、時間やばかった?」
「いえ、大丈夫ですよ」
「じゃあもうちょっと話そうぜ」
それからしばらくして凛花はやって来た。
「おっす。お疲れ〜」
陽一郎が凛花に言うと、
「うん」と答えながら「久しぶりだね。拓人君」と凛花は拓人に向けて言った。
「お久しぶりです」と拓人は答える。
「陽一郎、そっち詰めて」
凛花は陽一郎の隣に座ると、「あっつー」と一息つく。
「とりあえずドリンクバー頼む?」
「そうする。アイス食べようかな」
メニューを開いて凛花は悩む。
「あ、このアイス美味そう」
陽一郎が指を刺すと凛花もそれを見る。
「本当だ。これにしようかな……。ていうかどうせ一口食べたいんでしょ?」
「あ、バレた?」
「ばればれ」
と呆れたように言う凛花と笑う陽一郎を見て、拓人は、
「相変わらずですね」
と言った。
「拓人君も元気そうだね」
凛花が答える。
「はい。何とか」
と拓人も答えた。
ちょうどそこで店員がやって来て、凛花はアイスを頼んだ。
「この三人で集まるのも久しぶりだよね」
「だよな。なのに拓人はそんな気がしないって言うんだぜ」
「そういう風には言ってないですよ。ただ三ヶ月って時間はそれほどかなって思っただけで」
「三ヶ月あったらアニメの一クールが終わるんだぞ?」
「何ですかその例え。っていうか陽一郎先輩そんなアニメ好きでしたっけ?」
「最近はまったのよ」
凛花が代わりに答える。
「へえ。まあ趣味は自由ですけど」
「自由ねえ」
「何だよ。凛花」
「別に、周りを巻き込まなきゃいいのにって思っただけ」
「巻き込んでないだろ?」
「私を変な部活の一員にしようとしたじゃん」
「変な部活ですか?」
「青春部は変じゃないだろ!」
「青春部……」
「どう思う?」
「変ですね」
「だよね」
「嘘だろ!?拓人は青春に憧れないのか!?」
「学生の本文は勉強ですし」
「な、学校の先生みたいなことを言うな」
「まあ、部活や遊びも大事ですけど、青春部はちょっとどうかと思います」
「最近ずっとこんな感じなんだよね。クラスでもそういう話ばっかしてるし」
「クラスでは凛花にあんま話かけないだろ!」
「そうだけど聞こえるんだよね。今日も一皮剥けるとか言ってたじゃん」
「あ、その話につながるんですね」
「え?拓人君なんか言われたの?」
「いえさっき、一皮剥けるにはどうしたらいいかなって聞かれたので」
「陽一郎……あんた久しぶりにあったのにに話す内容がそれなの?」
はぁ。とため息をつく凛花。
「うっ。なんだよ!それは別に良いだろ!そんな事より!夏休みの予定立てようぜ!」
立場が怪しくなって来た陽一郎は無理矢理に話題を変える。
「夏休みの予定?」
「そう。陽毬が帰ってくるからみんなで遊びたいんだとよ」
「あ。そういえばそう言ってたね」
「え?誰が」
「陽毬ちゃんが。一週間前くらいに連絡きたよ」
「な、何……。何で俺にだけ来てなかったんだよ」
「多分忘れてたんだと思います」
「そっちの方が悲しいんだが。まあとにかく夏休みに帰ってくるって言ってたから祭りに行きたいって言ってたぞ」
「お祭りですか」
「二日間あるだろ?まあどっちでも良いよな。拓人は予定ある?」
「いえ、僕は特にないです」
「あ、ごめん。私、どっちかしかいけない」
「え?予定あるのか?」
「うん。クラスの子に誘われてるんだ」
「マジ?」
「ていうかあんたはいつものメンバーで行ったりしないの?」
「特に予定はない……っすね」
「ま、そう言う事だから私はクラスの子達の予定次第かな」
「そっか。まあでもどっちかは行けるんだもんな」
「うん。それは予定空けとくよ」
「じゃあそう言う事で陽毬には連絡しておく」
「分かった」
それから少しだけ話をしてから三人は店を後にした。
家に帰る途中、陽一郎は少しだけ思い詰めるような顔をしていた。
凛花が夏祭りの予定を入れているのに驚いた自分に驚いたのだ。
考えてみれば凛花はクラスでも良く友達と仲良く話しているし、自分に比べれば友達が多い。
自分の知らないところで彼女が他のクラスメイトと予定を入れている事は当然の事だ。
けれど、普段の学校生活ではそれを側から見る事はできる。しかし夏休みになれば会う機会も減るだろうし、お互い違う事をしていても同じ空間にいると言う事はなくなる。
だからこそ、そんな夏休みに遊べば仲は深まるだろうし、きっとたくさんのクラスメイトが親睦を深めるのだろう。部活動に入っている生徒は絆が深まるかもしれないし、拓人のように共に勉学に励むものもいるだろう。
陽一郎のように予定がなければただ過ぎていく日々で……。
誰かにとって、何も変わらずに終わる夏休みがあれば、誰かにとっては大きく変わるチャンスである。
陽一郎が何もせずとも周りは少しずつ変わって行く。それは小さくても確かに。
そして、凛花もきっと少しずつ変わっていき、それは二人の関係に関わっていく。最初は小さな変化も段々と大きくなり、夏が終わる頃には二人の間には決定的な差が生まれていく。
そんな夏休みが始まろうとしていた……。