良い天気
放課後の教室。凛花は誰もいない教室で、窓の外を眺めていた。
友達に付き添い少し学校に残っていたら急に降り出した雨に帰れなくなった。予報では雨が降ると言っていなかったから、おそらくにわか雨だろうとぼんやり空を見ながら考えていた。
友達は部活へ行ってしまったし、やる事もなく厚い雲に覆われた空を頬杖をついて眺めていた。
「お、やっぱり残ってた」
そう声をかけてきたのは教室に入ってきた陽一郎だった。
凛花は振り向いて、歩いてくる陽一郎に向かって、
「まだ帰ってなかったんだ」
と答えた。
ドサっと隣の席に座ると陽一郎は、
「図書室にいたら、急に雨降ってきてさあ、本格的に降る前に走って帰ろうと思ったんだけど」と言いながら窓の外の空を見上げる。
「めっちゃ降ってて諦めた」
「だよね」
「凛花も残ってるって事は傘忘れたのか」
「忘れたっていうか、予報じゃ降らないって言ってたから持ってきてない」
「そうなのか」
「にわか雨だと思うよ。すぐ止むでしょ」
「それなら良いな」
「ていうか、やっぱりって言ってたけど何で分かったの?」
「ん?ああ。下駄箱に靴が残ってたからな」
「ああ。そういう事」
「珍しいな。用事でもあったのか?」
「まあ、そんなところ」
陽一郎は立ち上がって窓の近くまで行って外を観察する。
「こんな雨の中、部活やってて大変だなあ」
グラウンドの隅で雨が止むのを待つ運動部の生徒たちが見える。
「あんたも昔はやってたじゃん」
「そうだった。でも今は無理だな。この前の体育祭で痛感したね」
「サボってなかったっけ?」
「そうなんだよ。サボったはずなのに筋肉痛が酷かった」
「普段運動しないから」
「そういう凛花は?」
「私はそこまで」
「若いなあ」
「同じ年じゃん」
しみじみと言う陽一郎に突っ込む凛花。
「俺はもうダメだね。すっかりインドア派だよ」
「インドアねえ。図書室で何してたの?」
「漫画読んでた。知ってるか?図書室って漫画あるんだぜ」
「へぇ。そうなんだ」
「最近知ってさ、ちょっとずつ読んでんだ。あんまり読み込むと帰るの面倒になるからな」
「じゃあ今日なんか逆にゆっくり読むチャンスだったんじゃない?どうせ帰れないんだし」
「確かにそれもそうか」
「まだ止みそうにないしね」
陽一郎も空を見上げる。分厚い雲は遠くの方まで広がっていて雨はまだ止みそうにない。
「まあ今日はいいよ」
彼がそう呟くと、
「そっか」
凛花も小さくそう呟いた。
*
雨は思ったよりも長く降り、帰る頃には外は暗くなっていた。
「この雨が降った後の匂いって何か良いよな」
帰り道の途中、陽一郎が不意にそう言った。
「名前あったよね。確か」
「え?そうなの?」
「うん。調べてみたら出るんじゃない?」
凛花にそう言われて、陽一郎は早速スマホを取り出し検索する。
「本当だ。へえ。雨の降り始めの匂いにも名前があるんだ。言われてみればどっちも好きかもしれない」
陽一郎は興味深そうにスマホを見ている。
「私も雨上がりの少し肌寒い感じは好きだなあ」
「良い天気って必ずしも晴れとは限らないよな」
ふと陽一郎が呟く。
「どういう事?」
「快晴の空って、確かに良い天気って言えるじゃん?太陽の光が気持ちよくて風が心地よくてさ。でもその反対の今の天気が悪い天気かって言われるとそうとは思えないんだよな。俺はこの匂いが好きだし、凛花はこの感じが好きなんだろ?」
「そうだね」
言われてみればカラカラに晴れた空も良いが、暗くて鬱蒼とした空、その場の匂い、感じる温度や湿度は心地がいいと凛花は思った。
「良い天気か」
凛花も空を見上げて声に出す。
陽一郎にしては確かに納得できる考え方だと思った。
「何か雨の後ってしんみりするよな」
陽一郎が呟く。
「それも含めていい天気なのかもね」
二人はそろって雨上がりの空を見上げた。
*
ブーッとスマホが鳴って凛花は手を伸ばした。
お風呂に入ろうとしていたところに陽一郎から連絡があった。
『今暇か?』
それだけ書かれていて、凛花は返事を返す。
『お風呂に入ろうとしてた。どうかした?』
それから間をおかず返信が来る。
『散歩に誘おうと思ってた』
それを見て凛花は部屋に戻り、上着を羽織った。
『今から行く』
それだけ返すと誰もいない家を後にした。
陽一郎の家に着くと、家の前で彼は待っていた。
「おっす」
「うん」
「無理に来なくても良かったんだぞ?」
と少し申し訳なさそうに言う、陽一郎に、
「いいよ。私も何か退屈だったし」
と凛花は答えた。
「ならちょっと散歩に行くか」
そう言って陽一郎は歩き始めた。凛花も横に並んで歩いた。
二人が学校から家に帰った後で雨がもう一度降った。そのためまた雨の匂いがしていた。
陽一郎は静かに空を見上げながら歩いている。
凛花は何も言わずにただ、歩く。
雨上がりのせいかまたしんみりした空気が流れていて、辺りも心なしか静かだった。
「物語はハッピーエンドであるべきだと思うんだ」
そんな中、真面目な顔で陽一郎が突然そんな事を言い出すものだから、凛花は眉を顰めた。
「どうしたの?」
「凛花はバッドエンドってどう思う?」
「どうって、ものによるとしか。また何か漫画の話?」
「おっきーに泣けるってオススメされたアニメをさっき見終わったんだけどさ、ヒロインが最後死んじゃって」
「ああ。それは悲しいね」
「そう。悲しいんだよ。そんで何か色々考えちゃってさ。話自体はすごく面白かったし、良いアニメだったと思うんだけど」
「けど?」
「俺はハッピーエンドが良かったなあって」
「そればっかりは好みの問題だもんね」
「何でバッドエンドってあるんだろうな。全部ハッピーエンドじゃダメなのか?」
「うーん。現実だって必ずしも幸せになれるとは限らないんだし、物語だってそうなんじゃないの?」
「だからこそだよ。現実が幸せとは限らないからこそ物語はハッピーエンドであるべきだと思うんだよ!」
「逆に物語の結末が悲しかったり辛かったりするからこそ、現実で頑張ろうって思えるんじゃない?陽一郎はどう思ったの?」
「俺は……確かにそうだな。友達とか大切にしたいって思ったよ」
「ほら。それを伝えたいんじゃない?現実で悲しい事が起こってからじゃ遅いでしょ?物語を通して経験する事で優しくなれるためにあるんじゃないかな?」
「そう言われると確かに納得できなくもない」
凛花の言っている事は一理あると陽一郎は思った。
「でもさ」陽一郎はポツリと呟く。
「やっぱり、俺はハッピーエンドが良いなって思っちゃうよ」
「そうだね」
凛花も頷いた。
「それで、今日の話したかった事は終わり?」
「ん?ああ。まぁそうなんだけど」
歯切れの悪い回答に凛花は首を傾げる。
「何か、話したいっていうか、ただ会いたくなったというか」
「何それ」
「いや、俺もよく分からないんだけどさ!何か凛花はどうしてるかなって」
「……もしかして私とそのヒロインを重ねちゃったとか?」
「うっ。いやどうなんだろうな……はは」
思わず図星をつかれた陽一郎は咄嗟に誤魔化す。
「私は、いつも通りだよ。いつもの日常」
「いつも通りか。そう考えると俺たちってあんま代わり映えしない人生を送ってるよな」
「人生って、まだ十何年しか生きてないんだよ」
「それでも、何かこうあるじゃん!もっとこう!何かさ!せっかくの高校生活だぜ!」
「青春?」
「そう!青春!」
「青春か。私は今のままでも十分楽しいけど。あんたは楽しくないの?」
「楽しいけど」
真っ直ぐ見つめてくる凛花に少し照れながら陽一郎は答える。
「あんまり欲張ると全部無くなっちゃうかもよ」
「全部って?」
「さあ。それこそ、その漫画みたいな結末になっちゃうかもね」
陽一郎はさっき読んだ漫画の中であったヒロインとの離別のシーンを思い出し身震いする。
「え?まさか実は不治の病に罹ってたりしないよな?」
「え?私が?何で?」
「何でって、何かそんな儚い感じ出してたぞ!今!」
「えーそうかな?」
と納得いかない様子で凛花は答える。
「そうだよ!」
「何でかな?」
凛花が首を傾げると、陽一郎はしばらく考えてから、
「この天気のせいかもな」
と答える。
「ほら、何か少し寂しい感じがすると言うか」
「言いたい事は分からなくもないけど」
そう言ってから凛花は続ける。
「でも良い天気なんでしょ?」
それは陽一郎が帰り道に言った言葉。
「まあ……な」
だから陽一郎は頷くしかない。
「今くらいがちょうど良いんだよ」
凛花が呟く。
「こうやって代わり映えしないように見えてもきっといつか大事だったって思える日が来るよ」
「凛花……まさかタイムリープでもしてる?」
「え、何?タイムリープ?」
「実は未来から来た凛花だったりしない?」
「何でそうなるの」
「いや、だって、何か今すごい大人な発言だったぞ」
「そんな事ないでしょ」
「いや、今のは完全にそうだった!」
「何でそうなるかなあ」
と呆れた様子で凛花が呟く。
「天気の……」「それは違うと思う」
陽一郎が言おうとすると、今度は凛花に憚られた。
「ぐっ」
とわざとらしく声を漏らす陽一郎。
「良い天気だね」
そんな彼の様子を見て笑って凛花が言った。
空を見上げるといつもよりは端が見える気がしたが綺麗な星空と呼ぶには程遠い。
でも、それくらいがちょうどいいと彼女は思った。
そんな彼女の様子を見て、陽一郎も
「本当に良い天気だな」
と笑って答えた。