体育祭
グラウンドを照らす太陽と、時折吹く爽やかな風。そして響き渡る声。まさに運動日和という日に体育祭は開催された。
「あちぃ」
陽一郎は汗ばんだ体操着の首元をパタパタと仰ぎながら空を眺める。グラウンドから離れた校舎の一角。ちょうど日陰になっている場所に彼らは座っていた。
「本当に暑いよね〜。僕限界かも」
と、間延びした声でそう言ったのはクラスメイトで友達の沖沢直人だ。
「体育祭は運動部の花形だからな。俺たち帰宅部は噛ませ役さ」
午前の部の目玉であった騎馬戦であっけなくやられた陽一郎は皮肉っぽくそう言った。
「僕も玉入れとかなら活躍できるかもしれないのになあ」
「高校になって玉入れはないだろ。おっきー」
たしかに一メートル九十近くある彼の身長は玉入れなら活躍できるかもしれない。
「でも体育祭といえば、やっぱり主役は女の子だな」
「何で?運動部の男子じゃないの?」
「だって見てみろよ!このポニーテール率を!」
沖沢はそう言われて辺りを見回す。確かに運動するために適しているのか、髪の長い女子はポニーテールが多かった。
「陽一郎ってポニーテール好きだったんだ」
「好きだな。女の子の髪型で一番好きかもしれない。あーでも非日常感含めて好きなところもあるんだよなあ。ほら普段と違うから惹かれるというか」
そう言って熱く語り始めそうだった陽一郎に、沖沢はふと思い出したように話を切り出した。
「あ、そうだ。女の子といえば、陽一郎って平野さんと仲良かったんだね」
「ん?凛花?あーまあ仲良いかな。何で?」
「ほら、この前貸した漫画」
以前、陽一郎が凛花と朝まで読んだ少女漫画。あれは沖沢に借りたものだった。
「僕びっくりしたよ。陽一郎から電話がかかってきて、平野さんにも漫画貸してもいいか?なんて聞いてくるから」
「凛花に言われたからな。人に借りたものを勝手に読むのは気がひけるって」
「あはは。それは確かにそうだね。僕はあんまり気にしないけどなあ。漫画は読んでこそ意味があるからね!だからたくさんの人が読むのは良いことだと思うんだ」
「実際に、おっきーのオススメのおかげで色んなジャンルの漫画読むようになったしなあ」
陽一郎が、両手を少し後ろについて体を斜めにしながら言う。体育祭だというのに気合いの入らない姿勢で、やる気のかけらもない。すると、ちょうどそこに凛花がやってきた。
「何してんの?」
彼女もまた、長い髪を後ろでまとめてポニーテールにしていた。
「おう、凛花。真嗣の応援してたんだよ」
真嗣と言うのは、クラスメイトで、陽一郎は沖沢、真嗣の三人でいつもつるんでいる事が多い。彼らに共通するのは全員帰宅部である点だ。
凛花もそれを知っているから、「ああ。そうなんだ」と言った後で、
「でも真鍋君が出てた種目ってもう終わったよね」
「そう。だから今は休憩中」
「休憩って、サボりじゃん」
「違うぞ。これは青春を楽しんでるんだ。体育祭というイベントをあえてダラダラ過ごすことも楽しみ方の一つなんだよ」
「また始まった」
凛花は呆れた様子で答える。
「いつもこんななの?」
凛花がそう聞いた相手は沖沢だった。
「うん。陽一郎はいつもこんな感じだねー。まあ僕もダラダラしたかったからちょうど良かったんだけどね」
沖沢はあははと笑う。
「そうなんだ」と凛花は言いながら「騎馬戦おしかったね」と陽一郎は言った。
「見てたのか」
「うん。あと少しだったのに、横から狙わられちゃったね」
「まあ、簡単には行かねーな」
陽一郎は特に悔しそうにはせず答える。
ちょうどその時、遠くから凛花を呼ぶ声がした。
数人のクラスメイト達がそこにはいて、振り返って凛花は返事をする。
「じゃあ私行くね。あんまりサボらないように」
「うい」
凛花の一言に陽一郎が返事をすると凛花は小走りで去っていった。後ろで結んだ髪がそれに合わせてゆらゆらと揺れて、やっぱりポニーテールはいいなと陽一郎は思った。
「本当に仲が良いんだね」
様子を見ていた沖沢が驚いたように言う。
「普通じゃないか?」
「いやいや!ただのクラスメイトって感じじゃないよ」
「付き合いが長いからかな」
「そうなの?」
「家が近いからほんと小さい頃からお互い知ってんだ。幼馴染ってやつだな」
「へぇ」
と納得したように沖沢が肯く。
「あっ、だから」
と何かに納得したかのように彼が声を上げた。
「どうした?」
「いやなんでもないよ」
とニコニコ笑う彼に陽一郎は怪訝そうな顔をした。
*
体育祭が終わり、陽一郎はクラスで行われている打ち上げに参加していた。場所はファミレスで、ほぼ貸し切りに近い状態だった。だからだろう、クラスメイト達は楽しそうに話している。
陽一郎は端っこのボックス席でオレンジジュースをストローで吸っていた。対面には沖沢がいる。いつもはここに真嗣がいるのだが彼は今日の体育祭でかなり活躍をしたから、さっきから色んな席に呼ばれては話の中心になっているようだった。
このクラスは基本的に良い人が多いと陽一郎は思っている。自分のような体育祭をサボっていた人間を打ち上げに誘うくらいには心が広い。けれど、グループは存在するし、そこにカーストは多少なりとも生まれてくる。基本的にスポーツ系の活発な男子達を中心にクラスは成り立っていた。
そこに空気を読まずに入っていくほど馬鹿じゃないし、立場は弁えているつもりだ。陽一郎は遠い世界を見るようにそのクラスの中心人物達が賑やかに話している席を眺めていた。
「なんつう顔してんだよ」
そんな遠い世界に足を踏み入れることを許可された友人、真鍋真嗣が席に戻ってきた。
「おかえり〜」
沖沢が笑顔で迎える。
これでいつもの三人だ。
「ふっ、俺は背景に徹しているのさ」
「何だよそれ」
「お前には分からんだろうな!体育祭で活躍してヒーローになった奴は!」
「別にヒーローにはなってねえよ。優勝した訳でもないし」
陽一郎の高校はクラス別に順位があり、一位は大体三年生のクラスか男子クラスになる。みんな本気で目指している訳ではないが、獲れれば良い思い出として残るくらいには価値がある。
「ていうかさ」真嗣はそう言いながら席に座る。
「それにしたっていつもより静かだろお前」
「確かに」と沖沢も頷く。
「いやーなんていうかこういうところであんま騒げないんだわ。どうしても店側の気持ちで考えちゃうというか。迷惑じゃないかなって」
「なるほど。確かにあんま騒ぎすぎるのは良くないけど、そんな事気にするタイプだったっけ?」
「まあ、ほら店をやってる人を知ってるとさ」
「あー。平野の事か」
真嗣は納得したように頷いた。
「あれ、真嗣は平野さんと陽一郎の事知ってたの?」
「おう。ほら俺とこいつ地元近いからさ、一年の時、何度か平野の親がやってる店に行ったことあるんだよ。おっきーは知らなかったのか」
「うん。僕は今日知ったよ」
「こいつら学校じゃあんまし話さないからな。何でか知らないけど」
「何でだろう」
とわざとらしく二人が陽一郎を見た。何となく居心地が悪くなって、陽一郎は「トイレ!」と言うと席を立った。
「あ、逃げた」と二人は声を揃えて言った。
*
こういう時、どうしてもお店の人間がどう思っているのか気になってしまう。そしてそのせいで中々楽しめないのがいつもの事だと、凛花は知っている。
打ち上げのファミレス、大きなボックス席での会話は盛り上がっているのか、どんどん声量が大きくなっている気がする。
凛花も一応、そこに座ってはいるが、話に入る気にはなれなかった。何か話題を振られれば返す程度で、後はオレンジジュースをちまちまと飲む事を繰り返していた。
さらに気になりことがもう一つ。何故か端っこでひっそりと座る陽一郎の事だ。
凛花はタイミングを見計らってトイレへ向かった。
鏡の前で疲れたように息を吐く。大人しくしているにしてもせめてつまらなさそうには見えないようにしないとと無理して笑顔を作っていたせいか顔が強張っている気がした。
少し落ち着いたところでトイレを出て席に戻ろうとしたところで
「あ、出てきた」
と声をかけてきたのはクラスメイトの男子だった。
「どうしたの?」
と凛花が尋ねると
「平野、もしかしてこういうの苦手?」と彼は言った。
こういうのが打ち上げを指すのか、店で騒いでしまうことを言うのか分からなかったが、それを深く聞くのも面倒だったから「得意ではないかな」と答えた。
「ちょっと外でない?」
それは突然の誘いで、予想していなかった。断る理由もなかったし、席を離れられるなら丁度良いかと思い凛花はついていく事にした。
彼は近くの公園に歩いて行った。店の前で話す程度だと思っていた凛花は少しだけ気が引けたが、外の空気を吸いたかったとも思っていたし、そのまま何も言わず後を歩いた。
「いやー体育祭疲れたね」
と彼が言う。他に何か言いたいことがあるように感じ、
「頑張ってたよね。騎馬戦も結構活躍してた」
凛花は相槌を打つように答える。
「うん。俺体動かすの好きだからさ。てか結構見てくれてるもんだね」
と彼は少し嬉しそうに答える。
「まあ、クラスメイトだから」
本当はたまたま目に映ったのを見ただけだったが、その事をあえて言う必要もなく凛花は頷く。
「あのさ、ちょっと話があるんだけど……」
そう言って彼は少し真剣な表情で言葉を切り出した。
*
夜の公園から見える空は別に特別、星が綺麗というわけでもなく、街の明かりにかき消されず残った星の光だけが点々と映っていた。
そんなどうでもいいことを思いながら、少しだけ罪悪感を覚えていた。
何となく彼と二人で戻るのは気まずくて話が終わった後は先に一人で戻ってもらった。けれど結局戻ったらまた同じ席に座らなければならないし、ある程度の気まずさは避けられない事に変わりはなかった。
いつまでも席を外していたら心配されるだろうと思い、凛花はゆっくり歩き出した。
すると公園の入り口にあるポールに人影が見えた。
「よお」
そこに座り込んでいたのは陽一郎で、凛花は驚いて「聞いてた?」と尋ねる。
「いや、声は聞こえてないよ。盗み聞きは良くないし」
「着いてきたの?」
「まあ心配で……言っておくけどたまたまだからな!トイレに立ったら外に行く凛花が見えたからさ」
「そっか」
凛花は無表情で答える。
「楽しめた?」
陽一郎が話題を晒すかのように質問をした。
「そっちは?」
凛花は答えず、逆に彼の気持ちを尋ねた。
「俺はどうしても気になっちゃって、ほらみんな楽しいのは分かるんだけどさ、やっぱり店の人に迷惑じゃないかなーって、でもそれ言って水刺すのも悪いしさあ」
「お互い考えることは同じだね」
凛花はクスリと笑った。
「凛花も?やっぱそうだよなー!」
陽一郎は共感された事が嬉しかったのか声が少し大きくなる。
夜風は冷たくて心地よさが二人を包む。
「打ち上げってさ、青春系イベントの醍醐味であるはずなのに、こればっかりは性格が出るよなあ」
「仕方ないよ」
「おじさんの店で騒ぎすぎて怒られた事もあったよなあ」
「あったね。昔からあんたはヒートアップしたら声大きくなるもんね」
「そ、それは否定できない」
だからクラスメイトたちの盛り上がる様子に共感できる部分もあるわけで。
「ねえ。陽一郎」
「ん?」
「……ううん。何でもない」
少し思い詰めたような顔で凛花はそう言った。彼女が何を言おうとしたのか陽一郎には分からない。
ただそれが、いつもとは違う彼女の様子から先程クラスメイトと話してた内容と関係があるのだろうと思った。
それは陽一郎でも何となく察しがつくし、彼女も多分それに気がついている。けれどお互い何も言わないのは幼馴染という関係にも時にはあえて踏み込まない方がいいこともあるからだ。いや、むしろ幼馴染だからこそ何も言えないのかもしれない。
「そうか。戻ろうぜ。みんな心配してるかも」
だから陽一郎は少し優しくそう言った。
「うん」
彼女はいつも通り頷いた。
生温い夜風が吹き抜けていって、これからもっと暑くなっていくんだろうなと凛花は思った。