Harmony③
ふわっと落ちる感覚に抗おうと手を伸ばし、勢いよく上体を起こして手を掻く。
何かに掴まろうと必死に探すが、「ぷっ……あはははっ」と言う気の抜けるような笑い声が聞こえ、怖くて開けられなかった瞼を開いてみる。
目の前には鮮やかな臙脂色の長髪を揺らした少女が、椅子の背もたれに体重を預けて笑っていた。
自分の姿に恥ずかしくなって、突き出していた手を誤魔化すように引っ込めると、自動ドアの向こうから鋭い目付きの男が姿を現す。
「あの状態から生き残るのか、大したものだな乃音」
何故か俺の名前を知っている男は、自分の言葉に対して無反応なのを見ると、気に食わないと言う顔で頭を搔く。
「駄目だよシン、知らない人に名を知られてたらそりゃ驚くよ」
「これはお前の荷物だ、この中に情報の入っているものがいくつかあった」
男が普段学校に行く時などに使っている俺の鞄を投げた為、足に当たるのに備えて歯を食いしばるが、走る筈の痛みが全く無い。
手探りで足を探そうとするが、付いている筈の腕も動かない。
仕方無くここの誰かに聞こうとするが声も出ない、自分の体なのにこの見知らぬ人の方が知っていて、この体は本当に俺のものなのか疑わしくなる。
その様子を見てか、何かを思い出したようにこちらからは見えないASCを操作し、「忘れているなあいつ」と言って、操作を終えて私に向けてナイフを振り下ろす。
「うわぁ」
人間に予め組み込まれたプログラムによる防衛本能が働き、咄嗟に腕を顔の前に出して盾にし、驚きで声が裏返る。
だが痛みも熱も体を走ることは無く、恐る恐る目を開けた先に映ったのは、ナイフを下ろして去って行く後ろ姿だった。
「あの、誘拐と人のぷ……プライバシーを覗き見るのは、制府憲法の……」
「制府は国民を見捨てた、天皇を守る為に東京だけを急速に復旧して閉じ籠った。誰も入れない、誰も出ることが出来ない区域になった」
「それじゃあ、もうここは日本であって日本じゃないって事で、治外法権が成立してるって事に……」
「それくらいは分かるならもう良い、こいつに足を付けて追い出せ」
絶望した声で言葉を紡ぐ私にイライラしたのか、話を遮って物騒な冗談を言い捨て、誰の返事も聞かずに出ていった。
「追い出さないで、こんな所に放り出されたら……もう日本には昔の優しさなんてないんですよ、世代が変わるにつれ人がゴミになっていって……」
「ごめんねー、もう任務の時間だからさ。どうでも良い分かり切った正論を聞いてられないんだ」
笑顔のままの臙脂色の髪の少女に何かをされ、ふわふわと再び意識が遠退いていって、ベッドに背中から落ちた感覚が最後になった。