2
その頃高級宿屋の方では……。
「ちょぉっとぉ、せっかくなんだからもう少し休ませてもらえないかしらぁ」
巻き添えを食らって雀が鳴く前から起こされた南の魔女はお冠である。シルヴァンがごめんねと南の魔女に尻尾を振りながら擦り寄っていく。
「ォン!」
「もぅ、あんたって子はぁ。お腹が空いたのぉ?」
たらしこまれた南の魔女が目を細めてシルヴァンを可愛ぐりし始める。
「!ベルン殿が鍛錬されてるかもしれませんよ!朝食を差し入れるのはどうでしょう?」
さっさとベルンを生贄に出すあたり、さすがは帝国の頂点一族として生まれ育っただけはあるアルギス。兄が絡まなくなった途端、優秀さを発揮しているようだ。
「ちょ!はやくゆって!すぐに用意するから!」
「……クゥ」
「あははー」
お主も悪よのという目でシルヴァンに見つめられ、それほどでもと笑ってごまかしたアルギスだった。
二人と一匹は宿の食堂に向かい、持ち出し用の朝食を作ってもらえるのか交渉を始めた。
「持ち出しですか?」
対応したのは厨房の料理長と宿の支配人。
「そうよぉ。アイテムバスケットにこれくらいにスライスしたパンと後はそれに挟むようにハムやソーセージ、薄く切ったベーコンや肉を焼いたのを入れてほしいわねぇ。あ、後は野菜ねぇ!野菜は美容に大事!」
「薄くスライスしたパン?それに挟む?」
「んん、もうじれったいわねぇ。やってみせるから見ててぇ」
南の魔女は邪魔にならないように厨房の片隅に行き、パンをもらうと魔法であっという間にパンをスライスしてしまう。
「これぐらいの厚さに切ってほしいのよぉ。ああ、その焼いたベーコン良いかしら?」
宿の客用に焼いてあったベーコンを受け取って、薄切りしたパンで挟んで料理長に見せる。
「こうやって食べたいの。簡単で便利でしょ?自分の食べたい物をパンに挟んで食べるだけ。だからそうねぇ?ダフネがよく食べるからぁ十人分ぐらいのパンと中に挟めそうな具材。スクランブルエッグも作って欲しいわぁ。どう?できるかしらぁ」
「……初めて見ました」
「そりゃぁ、ここは高級な場所で、食べ物を手づかみで食べるなんてしないってのはわかってるわよぉ。そこをこらえてほしいのぉ」
「いえ、一口サイズにして手軽につまめるようにすれば、うちでも問題なく出せます!これはどこで食べられたのですか?帝国?他にはどんなものを挟むんです?」
矢継ぎ早に聞いてくる料理長に南の魔女がおっとり答える。
「そうねぇ、マヨネーズって言う卵のソースで和えた物かしらぁ?ジャガイモを潰したものとか茹でたエビとかゆで卵とか、刻んだハムとキャベツ、何でもありだったわよね、あのお芋ちゃんの作るもの」
「ええ。どれも美味しかったんです。旅の途中で食べるものですから食器があまり必要ない状態で食べやすいものと言ってよくサンドイッチを出してくれたんですよね」
「サンドイッチ?」
「このパンに具を挟んで食べるもののことよぉ」
「領都では一般的になってるとゲオルグ翁に伺ったのですが?」
首を傾げて言うアルギスに支配人がポンと手をたたく。
「!それならゲオルグ様に伺わなくては!」
「支配人、アマーリエに聞けばいいと思いますよ。あの子はここの新しいパン屋ですし」
「あ、そう言えば新しいパン屋さんが到着したんでしたねぇ」
「色々旅の道中で目新しくて美味しいものをいただきました。作ったのはアマーリエですから、作った本人に聞くのが一番ですよ」
美味しいものに目がなかったアマーリエに報いるためにもと、アルギスは目の前の料理人との間を取り持つことにした。
「それは確かに!あーでも、パン屋が落ち着いてからの方がいいですかね?支配人」
「ああ、そうだな。パン屋が休みの日にでもこちらに招待して、色々話を聞こうじゃないか」
「なら、お二方がアマーリエに話を聞きたいと言っていたと伝えておきますよ」
「おお、申し訳ありませんが、お願いできますか?」
「ええ。任せてください」
「それでは、ご注文いただいたものをご用意しますね」
ウキウキと厨房の料理人に指示を出し始めた料理長だった。支配人は二人と一匹を一階の受付に通して、待つ間のお茶を用意した。
出来上がった朝食をアイテムバスケットに用意してもらい、二人と一匹は冒険者ギルドへ行く。ギルドについた二人は宿側の受付で銀の鷹の所在を確認すると地下の鍛錬場へと足を向ける。
「おっはよう!ダリウスぅ。あぁら?ベルンはぁ?」
南の魔女の朝から高いテンションにちょっぴり腰が引けたダリウスだった。
「あいつなら二日酔いと夢見が悪かったせいで部屋でくたばってますよ」
どうやら南の魔女は夢での逢瀬を完遂したようだった。
「んまぁ、大変!看病しなくっちゃぁ!はいこれ、朝食。皆で食べてね。ちょっとの間、アルギスさんとシルヴァンよろしく!ベ~ル~ン~今行くわよぉ~」
「いや、貴女、仕事は……」
朝食の入ったアイテムバスケットを押し付けられ、ダリウスの引き止める手も虚しく空を掻き、極楽鳥は恋しい男に会うべく飛んでった。
「アハハ、よろしくお願いします」
「ご飯!」
「ゥオン!」
「神官殿……。ダフネにシルヴァンまで……」
ダフネとシルヴァンに朝食の催促をされたダリウスがぼやく。
「父親の立場としては腹をすかせた子供に飯の用意をするのは致し方ないか。はぁ、おりゃまだ独身だってのに……」
「ああ、そうだ。シルヴァンをアマーリエのところに連れて行こうと思うんですが」
暗にアマーリエのところで食事にしようとそそのかすアルギスに、ニヤリと笑って答えるダリウス。
「ふむ、ベルンを残して皆でこの朝食を持ってアマーリエのところに行くか」
ベルンをまるっきり助ける気のないダリウスだった。
「ファルとマリエッタを起こしてくるよ、お父さん!フッ」
笑うのをこらえて、腹筋がヒクヒクしているグレゴールを睨んでダリウスが言う。
「頼んだぞ、真ん中長男」
「それやめて!」
グレゴールが真顔で否定して鍛錬場を後にする。
「ご飯、ご飯」
ちゃっかり、バスケットの中身を確認し始めるダフネに、ダリウスはため息を吐いて注意する。
「とりあえず、ここを片付けてからだ」
南の魔女から手渡されたバスケットをいったん鍛錬場の端にあるカウンターにおいて、ダフネと一緒に片付け始めるダリウス。シルヴァンは護衛よろしくアルギスのそばで待機中。
「さて、こんなもんか。お待たせしました。んじゃ、受付のあたりで待ってるか」
そう言ってアイテムバスケットを持つとダリウス達は冒険者ギルドの受付に向かう。受付にはすでにどんよりしたベルンと心配そうな南の魔女、髪が少し焦げたグレゴールと寝ぼけ眼のファルと不機嫌そうなマリエッタが待っていた。
「ベルン大丈夫か?寝てて良いんだぞ?」
「……行くに決まってるだろう」
唸るように言うベルンに南の魔女以外が苦笑を浮かべる。
「あらぁ、本当に大丈夫ぅ?」
「ええ。南の魔女様も護衛に戻ってください」
「そうぉ?」
ベルンは色々削られる思いで、アマーリエからどうしようもなくなったら使えと言われた魔法の言葉を唱えた。
「ええ、仕事をなさってる貴女はステキですから」
「!がんばっちゃうわぁん!」
「ええ、しっかり護衛お願いします」
ようやっと南の魔女と距離が置くことができたベルンは安堵のため息を漏らしたのであった。
「しかしこんな朝早いなんて、珍しいですね、南の魔女様」
朝はゆっくりするのよと言っていた南の魔女が、夜も明けぬうちに来たのを不思議に思ってグレゴールが話を振る。
「……シルヴァンに起こされちゃったのよぉ」
「ああ、お腹が空いたんですね。それでみんな起こしに来たのかい?子供の頃飼ってたうちの犬も、朝早くに起こしにきてたなぁ」
グレゴールに聞かれて、頷くシルヴァン。
「犬を飼ってたんですか?」
「ええ、私が住んでた村は魔物が近くに居て、家の中で犬を飼って魔物が来るのを先に察知してもらってたんですよ」
「そうなんですね」
「ええ、うちも田舎でしたから」
「田舎の神殿でも犬や猫を飼ってますよ」
ファルがグレゴールとアルギスの会話に口を挟む。
「そうなんですか?」
「犬は魔物の察知、猫はネズミよけです」
「なるほど。この村の神殿も何か飼ってるのかなぁ?」
「犬も猫も鶏も鳩もいますよ」
「そんなに!」
「ええ、鶏は卵、鳩は砦とのやり取りに昔は使ってましたけど、今は魔法紙の鳥に替わってしまいましたけど」
ニコニコとファルがアルギスに説明する。
「魔法紙の鳥?」
「ええ、魔法紙に伝言と宛先を書いて鳥の形に折ったのを魔力を込めて飛ばすんです」
「そんな魔法があるんですか?」
「ええ、確かバルシュティンの魔法騎士の方が始めたとか。伺ってみてはいかがですか?」
「そうします。念話もいいですが、それなら昼間に兄のもとに手紙を届けられそうです」
「……念話を覚えられたのですか?」
「ええ!昨日アマーリエに教えてもらったのです。昨日の晩は兄上と久しぶりにいっぱいお話ができました」
幸せそうなアルギスに皆生暖かい視線を向けるだけだった。
「パンの匂い!……と変な気配?」
広場に出たあたりで、ダフネの耳と尻尾がピンと立つ。
「……相変わらず食べ物にも鋭いな。って変な気配ってなんだ?」
ベルンが立ち止まったダフネに確認するとダフネが周囲に気配察知のスキルを展開する。
「うーん。消えた。危ない感じはしなかった」
「お前がわからんなら、このメンバーじゃ探しようがないな。ダフネ、一応気に留めといてくれ」
首をかしげるダフネにベルンが肩をすくめて指示を出す。
「わかった。リエのところに急ごう!焼きたてのパン!」
小走りになるダフネの襟首をダリウスが引っ掴む。
「あの子も相変わらず早起きねぇ」
「パン屋ですから!だったな」
「シルヴァンの早起きもそのせいじゃないのか?」
「主が起きてて従魔がぐーすかって話は聞かないわね」
「アマーリエは従魔が寝てても気にしそうもないけどな」
「確かに!」
村の中の小鳥がさえずり始める。
「あ、日が昇り始めましたよ」
「今日も晴れそうだな」
「美味しい匂いがいっぱいする~」
「はいはい」
「食べすぎるなよ、ダフネ?」
「大丈夫!」
「ちょぉっと、ダフネぇ。あんたもいい年なんだから色気を身に着けなさいなぁ」
「獣人は繁殖期がある!」
「あ~それでもよぉ。色気ってのはねぇ、日頃からにじみ出るもんなのぉ」
「大丈夫!いつも選ぶの困ってるからこのままで」
「クッ」
「……天然無双」
ぼそっとマリエッタがこぼす。
「なんか言った!?」
「いえ。着きましたよ、リエのパン屋」
「あらぁ、昔っから変わらないわねぇ、ここもぉ」
「そんなにかわらないんですか?」
「あたしが、駆出しの頃もこのままよぉ」
「それはいつとお伺いしたいところですが……まだ、死にたくないので聞きません」
うっかり地雷を踏みそうになったアルギスが回避行動を取る。
「それは賢明な判断ねぇ、アルギスさん」
ぎろりと南の魔女に睨まれてアルギスはごまかし笑いをする。
「とにかく、店の入口に回りましょう」
「そうねっ、ベルン」
ぞろぞろと店の入口までたどり着いた、ベルン達だった。




