五話〜ドライブ〜
*1*
イイロクはまた天国の自宅でゆっくりと眠っていた。
相変わらずのふかふかのベッドは非常に寝心地が良いので、横になるとすぐに寝てしまう。
そしてまた、朝になりイイロクは目を覚ました。
「う…う〜ん。」
今日もいつもと同じ小鳥のさえずり、カーテンを揺らす心地良いそよ風、その隙間から爽やかな日差しが差し込み、甲高いエキゾーストノート………
”フォォン!フォォォン!”
イイロクは、この天国には到底あり得る事のない爆音で、ふかふかのベッドから飛び起きた。
「な、なんだなんだ?なんなんだ?」
すぐさま部屋の窓の外を覗くと、そこには真っ赤なスポーツカーに乗ったカミヤがこちらに向かって手を振っていた。
「よぉ!起きたか?ちょっとこれから一緒に出かけようぜ!」
この長閑な田園風景には、全くと言って良いほど似つかない目の前の光景に、ただ呆然と見つめる事しか出来なかった。
「で、出かけるって、どこにですか?」
カミヤはニッと笑い、車のウインドウから手を出して手招きするだけだった。
僕は急いで顔を洗い、歯を磨いて、そして革のサンダルを履いて外に出た。
そこには田舎道を走ったせいで、埃まみれになった真っ赤なイタリア製のスポーツカーがあった。エンブレムの跳ね馬の様に、早く走り出したいと言っている様なエンジン音が全身に響いていた。
そして僕は、屈む様に腰を低くして車内のカミヤに声をかけた。
「お、おはようございます。今日はどうしたんですか?」
カミヤは無言のまま、”こっちに乗れ”の様なジェスチャーをしたので、仕方なく助手席に乗り込んだ。やたらと低かったので、乗るときに頭をぶつけた。
「す、すごい車ですね。こんな車に乗れるなんて、生きてて…あ、死んでて良かったです。」
するとカミヤが変な顔をして僕の方を見た。
「君、結構面白いこと言う子だね。やっぱり気に入ったよ。」
僕は少し複雑な気持ちになったが、褒められたので嬉しかった。
「あ、ありがとうございます。」
そしてカミヤはまたエンジンをふかし、一言だけ言って走り出した。
「さ、行きますか!」
*2*
カミヤのスポーツカーは砂埃を上げ、長閑な田舎町を疾走していた。
車高が低く足廻りが硬い為、ガタガタとした轟音が車内に響く。
だが、素晴らしいホールド性の上質なレザーシートのお陰で、さほど不快感は感じなかった。
「あの、今日はどこに…。」
カミヤにそう言うと、今度はちゃんと返事をしてくれた。
「今日はな、ショッピングだ!面白い所に連れてってやるよ。まぁ楽しみにしとけ。」
カミヤは何やらニヤニヤしながら運転をしている。
そして車はあろう事か、森の中へ入って行き、袋小路に出た。
「さ、着いたぜ。でもこれからがお楽しみだ。」
その時だった。目の前の草木の生えた地面が盛り上がり、トンネルの様な空洞が出来た。
「な、なんですか?…これ。」
カミヤはニコッと笑い、得意げに話した。
「なっ?ビックリしただろ?これからこのトンネルの中に入って、ある所へ行く。」
そしてカミヤのスポーツカーは、ゆっくりとそのトンネルに向かって動き出した。
そのトンネルの中は真っ暗で、全く先が見えない。一体どこへ繋がっているのだろうか。
不安と好奇心を抱え、僕はフロントガラスの先を見つめていた。
*3*
しばらくトンネルの中を走ると、薄っすらと先が明るいのに気付いた。
そしてその明かりは徐々に大きくなり、一気にトンネルの外に出た。
僕はいきなりの眩しさに目を細めた。そして目が慣れてきて、その光景を目にした時、心が躍った。
「こ、これって…?」
目の前には沢山のビルが建ち並び、そして人々が行き交う都会の風景が広がっていた。
「ビックリしただろ?ここが何処だか分かるか?」
僕は咄嗟に答えた。
「もしかして、僕は生き返ったんですか?」
カミヤはプッと吐き出し笑っていた。
「まさか!なんもして無いのに生き返るかっつーの!やっぱり面白いなキミは!」
しかしそんなカミヤの言葉も耳に入らないくらい、僕は目の前の光景にただ驚いていた。
そして、その後のカミヤの言葉が更に驚きと困惑を招いたのだ。
「ここ、地国なんだぜ?」
「えっ?ここが?」
何とも信じられない事だった。まさかあの”地獄”がこんな大都会だったなんて思ってもいなかったからだ。
そしてカミヤは難しい事を言う。
「あ、多分勘違いしてるね、君。ここは君の思う”地獄”じゃなくて”地国”なんだよ。って、分かるかなぁ?」
全く分からなかった。一体何を言ってるのかサッパリだ。
「ど、どういう事ですか?”じごく”じゃなくて”じごく”って。」
そしてカミヤは、この大都会を運転しながら”地国”について説明してくれた。
「…そう言う事だったんですか。」
僕はカミヤから”地獄”と”地国”の違いを教えてもらった。
「まぁ、そう言う訳で君のいたあっちが天国で、こっちが地国って事だ。」
つまり天国とは、怒りや憎しみ、争いや欲の無い平和な世界の事を言い、誰しもが皆思いやりや譲り合いを生活の基盤として過ごせる、言わば”何も無い”世界だ。
そして地国とは、殆ど現世と同じ暮らしを出来るが、平和や平穏という言葉はなく、いつも何処かで争いや憎しみ、そして欲に駆られて奪い合いなどが行われている世界だ。皮肉な事に、現世とさほど変わらない世界である。
だが、その怒りや憎しみ、争いや奪い合いがあるが為に、地国に住まう人々は永劫に安らぎを得られ無いでいる。そして極め付けは、強制就労の罰だ。
地国の住人は、この強制就労に日々苦しめられていたのだ。
では何故、カミヤと僕はこんな所にいるのか。カミヤは別として、天国の住人の僕が地国にいる事はおかしくないのか?
その疑問も、カミヤの話で納得した。すんなりとはいかなかったが…。
「それって、どう言う事ですか!?僕がもう天国の住人じゃないって…。」
カミヤはハンドルを握りながら普通に話した。
「あぁ、そう言えばまだ言ってなかったな。ごめんごめん。」
つまりこう言う事だった。
生き返りゲームにエントリーした時から、天国と地国の住人はどちらにも属さない”無国人”となり、その生き返りゲームが終わるまでの間、天国と地国を自由に行き来できる様になっているのだ。
だが、最も重要なのがこの後のカミヤの話だった。
「でな、晴れて無国人となった訳だが、生き返りゲームが終わったらどうなると思う?」
「わ、わかりませんよ…そんな事。」
カミヤはハンドルを一度切り、タイヤを鳴かせながら交差点の曲り角を曲がった。そしてまた、話し始めた。
「生き返りゲームの勝者は、文字通り生き返る事が出来る。そしてその勝者以外の者、つまり無国人となった敗者はもう天国にも地国にも戻れない。」
「じゃあ、どこに…。」
「木になる。」
「え…えぇ、気になります。」
「いやだから、木になるの。」
「は…はい?」
「だーかーらー、木になるの!木っ!ツリーの木っ!」
僕は何がなんだか分からなかった。負けたら木になる?なんだそれ?
「な、なんですか?木になるって?」
その問いに答える前に、カミヤは左ウインカーを出して車を路肩に停めた。
そして一旦落ち着いて、また話し始めた。
「つまりな、この生き返りゲームにエントリーして無国人となった奴は、勝っても負けてもこの天国と地国にはいられないのよ。で、勝った者は晴れて生き返る事が出来て、負けた者は現世のどっかの木に転生するって訳だ。それがこのゲームの敗者に課せられるペナルティ。…どう?ちょっとビビってきた?」
カミヤは簡単に言うが、これは僕にとって凄まじく重要な事だ。負けたら木になる?そんなバカバカしい事があるか。
僕は少し怒った。そして気付いた。この怒りの感情、つまりもう”無国人”になっていた事に。
「はぁ…。」
僕は大きくため息をついて、やるせない気持ちになっていた。
だがカミヤはそんな事お構いなしと言わんばかりに明るく振舞った。
「まっ、勝てば言い訳だし!あんま気にすんなよ!なっ?ほら、着いたぜ。買い物でもしましょうかねぇ。」
そう言うと、カミヤは車を降りた。僕も渋々その後に続いた。
そして二人で目の前の店へ入る。ここは洋服屋のようだった。
「せっかく大舞台に出るんだから、少しくらい身嗜みを整えなきゃな!」
カミヤはそう言い、僕に服を選んでくれた。だが、それは何とも言えない服だった。
「ほら!君にピッタリだよ!すげー似合ってるーっ!」
カミヤが選んでくれた服…。
上から、赤系のチェックのネルシャツ、普通のストレートのジーンズ、そして黒いスニーカー。極め付けは、リュックサックだ。
「あ…あの、買ってくれたのは嬉しいんですが、なんか…僕の事バカにしてません?」
「いやいや!全然!す、すごく似合ってるよ、ホント!プフッ。」
それはまさしく、現世でよく見る”ヲタクファッション”であった。
確かに僕は、ネットやゲームやアニメやアイドルは好きだったが、生きてる時は洋服にも気を使っていた。だが、もうヤケになっていたのか、それともこの久しぶりの普通の洋服に満足していたのか分からないが、とりあえずこのファッションで生き返りゲームに参加する事にした。
「あ、ありがとうございます。」
「なになに!気にするなって!」
そしてカミヤと僕は、洋服屋を出た。
この後一時間ほど真っ赤なスポーツカーで大都会である地国をドライブして、またあのトンネルに戻っていった。
薄暗いトンネルを抜けて、カミヤは天国の僕の住まいへ送ってくれた。
「それじゃあ、またな!今日は楽しかったぜ!」
「こちらこそ、ありがとうございました。」
そう言って、カミヤのスポーツカーはまた砂埃を巻き上げ走り去っていった。