二話〜天の階〜
*1*
彼はまたもや、ふかふかのベッドで目を覚ました。だが、先ほどとは少し…いや、まるで違う。とにかく広く、そしてフローリングのモダンな室内で、所々間接照明がその雰囲気を醸し出していた。
小鳥のさえずり、気持ちの良い陽射しもなく、何故かエレキギターのサウンドがやたらとうるさかった。そして彼はガバッと体を起こした。
ーーキュイーン〜〜ジャジャーン!
そこには見知らぬ男が大音量でエレキギターを弾いていた。声をかけようと思ったが、とても気持ち良さそうに弾いていたので、しばらくその様子を見ていた。
その男はおもむろに振り返り、ベッドから起き上がっている彼を見つけた。
「おわっ!びっくりした!起きたなら起きたよって言えよ!」
男は、意識を取り戻した彼を確認すると、アンプの電源を切ってギターをスタンドに置いた。
「あ、あの。俺は一体どうしたんですか。確か、あの泉で…。」
彼がそう言いかけた時、何かを思い出したかの様に彼はまた話し始めた。
「そうだ!猫です!俺の飼っていた猫を思い出したんです!」
その様子を見ていた男は、やれやれと言う仕草をして彼に歩み寄った。
「君みたいの、多いんだよねぇ。看板見なかった?」
彼はふと思い出したが、看板を見つつも無視して突き進んだ事を言うのが怖かった。何だか、すごく怒られそうだったからだ。
「す、すいません。つい…。」
男はそんな彼の様子を見て、ため息をついた。
「はぁ、まぁ良いんだけどね。君まだ若いから。で、名前は?」
その男の問いに答える様に、彼は口を開いた。が、口を開いたまま何も言葉が出て来なかった。
「俺は…えっと…。」
彼は自分の名前を思い出せなかった。年齢も、どこから来たのかも、自分が誰だか分からなくなっていたのだ。
その様子を見ていた男は、彼にとんでもない事を言った。
「君ね、死んじゃったんだよ。で、ここは簡単に言うと、天国ってワケ。」
彼は目を見開いた。その男の話は信じられなかったが、やけに真顔で言ってきたので信じる他なくなってしまった。
「あ、あの…死んだとか、天国とか…よくわかん無いんですけど…。」
そう言うと、男は手招きしてリビングの方へ招き入れた。
そして男は、背面にリンゴのマークがついているタブレットを取り出し、何か操作していた。
「えーっと、あったあった。君はね、なんか仕事の帰り道に心臓発作で倒れて、そのまま病院に運ばれて死んじゃったみたいだよ?ここに書いてある。」
その男はタブレットを見せてきた。確かに自分の顔と死因が載っていた。そして年齢は24歳だという事が分かったが、名前は載っていなかった。そして彼は、この事実を受け入れる覚悟をした。
「名前…載ってないんですね。」
「まぁな。天国に来る連中は、みんな名前が無くなっちまうんだ。その代わり、識別番号がある。その胸の数字だよ。」
男は彼の服にプリントされた数字を指差した。
「えーっと、1169だから、今年に死んじゃった人間で天国行きの1169番目って事だよ。」
「そ、そう言う事でしたか…ハハっ。」
そして男は、少し切ない雰囲気をした彼にこう言った。
「名前つけてやるよ。えーっと、”イイロク”でどうだ!君、1169番目だから”イイロク(1169)”って事。どぉ?いいだろ?」
彼はあまり良い表情をしなかっが、名前が無いよりはマシだったので、素直に頷いた。
*2*
ーー俺は新しい名前を貰った。その名も”イイロク”だ。
まさか死んだ後にこんな名前になるとは思ってもいなかったが、元の名前も思い出せ無いならばイイロクでもスゴロクでもなんでも良かった。
「あ、あなたは一体誰ですか?あなたも、死んじゃったんですか?」
するとその男は笑って俺に答えた。
「俺が?死んだって?ははははっ!俺が死んだら大変な事になるっつーの!」
男は笑いながらも、自己紹介をしてくれた。
「ごめんごめん!えっと、俺の名前は”カミヤ ホトケ”って言うんだ。そんで、この村の村長であって、尚且つここの世界を管理してる。つまり神様って所かな!ヨロシクっ!」
この”カミヤ ホトケ”と言う男は、何と言っても見た目がチャラい。程よく焼けた肌に、綺麗に剃られた口ひげ、そして開襟シャツの胸元にはドクロのタトゥーがちらりと見える。
例えるなら、あの肉食系男性パフォーマンスグループのメンバーの一人の様だ。
そんなカミヤは、またリンゴマークのタブレットを操作して何かを見てる。
「おぉ、君すごいな。生まれてから一度も悪事を働いて無いみたいだ。生まれ持っての善人って事か!そりゃ一発で天国行きだわ。」
俺は生前の事を、少しも思い出せなかった。だが、あの泉で見た二匹の猫だけは思い出せたのだ。
「あの、さっき泉で見たんですけど…。」
俺がそう言うと、カミヤは口を挟む様に話してきた。
「あの泉はな、現世に何か悔いや心配事がある奴だけが見える映像なんだ。だからな、せっかく天国に来て何も考えずゆっくりのんびり暮らせるのに、昔の事を思い出しちゃうと毎日つまんなくなっちまうだろ?それを見せない為に、あの看板を立てたんだよ。」
確かに、他の人々はすごく幸せそうに過ごしていた。何事にも捉われず、ただのんびりと気持ちの良い空気をすって、楽しく過ごしていた様だ。
だが、俺は思い出してしまった。あの二匹の猫の事を。
「あの、俺の猫達が…。」
その言葉を聞いたカミヤがびっくりした様に俺を見つめた。
「もしかして、お前が見たのは猫だって言うのか?普通、ほら、恋人とか家族とか、そうゆうのじゃね?」
確かにそうかもしれない。だが、俺にはあの二匹の猫がすごく心配なのだ。俺がいなくなったら、誰がごはんをやる?誰がトイレの砂を替える?そんな不安が俺の心を締め付けた。
「あの、何とかなりませんか…。猫が心配で…。」
俺がそう言うと、カミヤは少し考えた表情をしていた。が、何も言わなかった。
「まぁ、その事についてはまた後日。今日はとりあえず自分の家に戻りなよ。送ってやるからさ!」
俺は仕方なく、その言葉に従った。そしてカミヤの後についてこの部屋を出た。
玄関を出て、ふと後ろを振り返った。
「こ、これがカミヤさんの家ですか?」
俺は驚いた。その家は、三階建ての高級住宅だった。まさに田園調布などにある芸能人の家の様だった。
そしてガレージには、ドイツ製の高級セダンと、イタリア製のスポーツカー、そして軽トラが置いてあった。そしてカミヤは軽トラのドアを開けた。
「さっ、乗れよ!」
俺とカミヤは、白い軽トラでこれから俺が住むあの家へと向かった。
*3*
道中、色々とこの天国について教えてもらった。まぁ、憎しみや争いが無いので法律とかそう言うものは無かった。特に決まりもなく、自由に暮らせるのだが、一つだけ決まり事があった。
それは、初めて天国に来た者に、ここが天国だと教えてはいけないと言う事だ。何故なら、その役目をするのがカミヤだからである。死者は自ら死を悟ってはならない。また、死者からもその諸々を伝えてはならない。と、神様のガイドブックに書いてあったらしい。
そしてカミヤは、俺の飼っている二匹の猫の事を聞いてきた。
「君が飼ってる猫は、どうしたの?やっぱり拾ったの?」
俺は頷いて、少し微笑んだ。
「あ、はい。昔、近所の公園で二匹で弱ってたんです。多分、親猫に捨てられたんでしょうね。」
「そっかぁ。やっぱり天国行きの奴は違うねぇ。で、その猫の名前は?」
俺は自分の名前は思い出せなかったが、猫の名前はすんなり思い出せたのだ。
「えっと、ジャンとユーコです。」
そう言うと、カミヤは聞き直した。
「えっ?ジョンとヨーコ?」
「いえ、ジャンとユーコです。」
そう、イギリスの伝説的ロックバンドのボーカルギターの彼とその日本人妻の名前では無く、自分の好きなフランスの俳優と、あの40人以上いる女性アイドルグループのメンバーから取った名前だ。
「君、すごくいいセンスしてるね。」
カミヤはその後黙って運転をしていた。