存在 ~自分を失った少年の物語~
『ガチャ』
「ただいま。」
俺はいつも通り我が家の玄関を開けた。
俺の家は二階建てで住宅街の中に紛れている。
今日もなにも変わりのない一日だった。
朝は、いつも通りギリギリに家を出て自転車を全速力でこいで始業のベルと同時に着席。
いつも通りの仲間と、いつも通り高校生2年生をやり抜き、帰宅部の俺はどこへいくでもなく帰宅。
いつもなら、同じクラスの亮太と栄司とかとゲームセンターによって帰ったりもするけれど、今日は亮太はバイトで、栄司は先生に呼び出しを喰らっている。
栄司はこの前のテストで赤点を3つとったらしい。
恐らく次のテストで回復できなければ留年、または退学。
その事で先生にねちねち言われているのだろう。
俺はこの前までは彼女がいた。
ただし、この前までである。
先月、彼女とは別れてしまった。
原因は、俺にある。
高1の夏から付き合いだし先月で丁度一年だった。
一年も付き合っていたら、彼女の嫌なところも見えてくる。
何よりいちいちベタベタしてくることが鬱陶しくなった。
どうやら俺は、こういう男女の付き合いに向いていないみたいだ。
自分のことに、あまり干渉しすぎないで欲しい。
そして、適度な距離を保って欲しい。
が、そうなれば、付き合っているとは言いがたい。
俺は今後、恋愛という付き合いをしないかもしれない。
そんなことを考えながら、俺はいつも通りリビングへ向かった。
『ガタガタ』
リビングから、慌ただしい足音がした。
俺はその音に特に気にかけることなくリビングへ足を踏み入れた。
「誰?」
そこには、俺に怯えている母の姿があった。
「何言ってんだよ。今日は暇だから溜め込んだ録画でも見るよ。」
俺は母の冗談を無視して、荷物をそこら辺に放り投げ、ソファーに腰かけた。
そして、リモコンを手に取りテレビの電源を付けた。
「何してるんです?早く出ていってください!」
俺の右側で母はまだ冗談を言っている。
「もういいって。面白くないし、黙っててよ。」
俺はリモコンを操作し、録画一覧を見た。
「あれ?母さん俺が録画してたアニメ全部消したの?」
俺は言いながら、右側へ目線をやった。
「何やってんの?」
そこには、包丁を俺に向けている母の姿があった。
「どなたか知りませんが、警察呼びますよ。」
母の目は本気だ。
「いい加減にしろよ!俺はあんたの息子!野々口誠也だよ。」
「ノノグチマサヤ?私には息子はいません!いい加減なことを言うのはやめてください。」
「いい加減なこと言ってんのはそっちだろ。」
「わかりました。警察を呼びます。」
そう言うと、母は包丁を左手に持ったまま右手ですぐ横においてあった電話の受話器をあげ、目線を俺に向けたまま110を押した。
「本当にいい加減にしろよ。俺が何したって言うんだよ。」
俺はその場で抗議する。
しかし、母は聞く耳を持たない。
どうやら本当に警察に電話したようだ。
「あのー。家に変な少年が押し掛けてきて私の息子だとか言っているんですけど。」
母は視線を俺に向けたまま、冷静に警察に事情を説明している。
「やめろよ。」
俺は母に歩みより、包丁を取り上げようと試みた。
「近づかないで!!!」
母からかつて聞いたことのないような、悲鳴にも近い声を聞いた。
俺は驚きのあまり、立ち止まった。
受話器の向こうでは警察官であろうひとが
『大丈夫ですか?何があったのですか?』
と必死に声を荒げている。
「なんだよ?俺が何したんだよ?」
母の持つ包丁は震えている。
数秒の沈黙がリビングを包む。
テレビからこの場とは真逆の楽しげな笑い声が聞こえる。
その声がはっきりきこえるせいか、余計にこの場のはりつめた空気が際立つ。
「わかったよ。出ていくよ!出ていきゃいいんだろ!」
俺はやけになり、何も持たず家を飛び出した。
空はいやというほどの青空でまるで俺を焼き付くしてやろとしているのかというほどの日差しが俺に突き刺さる。
とりあえずどこかへ行かなければ。
俺はとりあえず栄司の家へいくことに決めた。
栄司の家は自転車で三分もかからないところにある。
亮太の家もすぐ近くにあり、俺たち三人は昔からの幼馴染みだ。
よく三人であそんだし、泊まりだって何度もした。
亮太は学校から直行でバイトにいっただろうから恐らく家にはいない。
そうなれば栄司を待った方がいいと俺は考えた。
俺は自転車にまたがり、栄司の家を目指した。
町並みはいつもと何一つ変わりなく、さっきの家での出来事は嘘のように思える。
一体母はどうしてしまったのか。
もしかして認知症か何かになって、俺のことを忘れてしまったのではないか。
その場合俺はどうすればいいのだろう。
とりあえず、栄司たちと相談しよう。
そんなことを考えていると、すぐに栄司の家へ着いた。
俺はためらうことなく栄司の家のインターホンをならした。
『ピンポーン』
聞きなれた音が耳に届く。
「はい。」
インターホンから、栄司のお母さんの声がした。
「野々口ですけど、栄司くんはいますか?」
俺は言い慣れた台詞をインターホンへ吹き込む。
「あら?栄司のお友達?栄司はまだ帰ってませんが?」
俺は違和感を覚えた。
栄司のお母さんとは昔からの知り合いだからいつもなら、「あら?誠也くん。あがってあがって。」と言って栄司かいなくても家へ入れてくれたりするのに今日はどこかよそよそしい。
しかし、俺はそれ以上何も言うことができず「わかりました。」と一言残しその場を収めた。
俺はその場で少し立ち止まった。
何かがおかしい。
母も栄司のお母さんも俺をまるで知らない人みたいな扱いをする。
一体母たちに何があったのか。
俺は不安で心が一杯になった。
とりあえず栄司に会わなければ。
そんな思いが俺の中から沸き立った。
俺は栄司が帰ってくるだろう道を自転車で走り出した。
すると、一分もたたないうちに栄司と出会った。
「栄司!大変なんだ!!」
俺は栄司の目の前で自転車を止めた。
栄司は、俺の存在に気づいていなかったのか、俺が自転車を止めると驚いた様子で自転車を止めた。
「え?え?」
栄司は、混乱している。
「誰?ってか何で俺の名前知ってんの?」
俺は言葉を失った。
栄司もだ。
栄司も俺を他人のように言っている。
「栄司。俺だよ!野々口誠也だよ!思い出してくれ。」
俺は自転車をその場に倒し栄司の肩を揺すった。
「やめろよ!何なんだよあんた!気持ちわりぃ。どっか行け。」
栄司は、そう言うと自転車を走らせ俺がさっき来た道へ消えていった。
どうなっているんだ。
つい、1時間前まで一緒にしゃべっていたはずの栄司まで俺のことを忘れている。
まさか、亮太は?
俺は僅かな希望を込めて亮太がバイトをしているコンビニまで自転車を走らせた。
栄司や亮太が俺を忘れるはずがない。
俺たちが築いてきたこの17年はそんなに簡単に消えるわけがない。
きっと何かの間違いだ。
俺は自転車を走らせている間そういい聞かせた。
そして、亮太がバイトをしているコンビニまでたどり着いた。
「亮太!」
俺はレジにいる亮太を見つけるとすぐにそこへ駆け寄った。
亮太は俺を見るや否や数歩下がって見せた。
「亮太!俺がわかるか?」
俺は必死に亮太に訴えかけた。
「誰すか?」
亮太の声が俺の鼓膜を震わせた。
「冗談だろ?なぁ?冗談だって言ってくれよ!」
俺は必死に亮太に手を伸ばした。
「おい!とりおさえろ!」
どこかで男の声がした。
コンビニにいた店員か誰かだろう。
しかし俺はそれどころではなかった。
「亮太!思い出せ!野々口誠也だ!お前の親友の野々口誠也だよ!」
俺の後ろから誰かが俺を羽交い締めにした。
俺は取り押さえられてもなお、亮太に叫び続けた。
「亮太!頼むよ!俺だよ!」
俺はコンビニから追い出された。
追い出された衝撃で背中を強く打ち付けた。
「いってぇ。どうなってんだよ?」
俺は力なく呟いた。
俺はその場で座り込み最後の望みをかけて携帯電話を取り出した。
俺は、電話帳から『坂口佳奈子』を見つけ出し電話を掛けた。
佳奈子は1ヶ月前まで付き合っていた彼女。
佳奈子との一年間は確かなものだったはずだ。
俺は佳奈子に最後の希望を込めた。
何度かのコールのあと、ガチャという音がなり、佳奈子の声がした。
「もしもし坂口ですが?」
「佳奈子か?俺だよ!野々口誠也だよ!俺がわかるか?」
「え?どちら様ですか?」
「…そうか。…何でも…ないです。」
俺は諦めて電話を切った。
俺は自転車をその場に残し歩き出した。
俺は一体何者なんだろう?
なぜ突然母も栄司も亮太も佳奈子も俺を認識しなくなったんだ。
あいつらの記憶が書き換えられたのだろうか?
そんなことが現実に出来るのだろうか?
もしかしたら俺の方が間違っているのではないだろうか?
俺はもともと存在していなくて、ついさっき作られたロボットか何かで、今までの記憶がねつ造されているのではないか?
そんなことはあり得ない。
ちゃんとこの17年間のことをはっきり覚えている。
これが、作られた記憶のわけがない。
じゃあどうして?
何で俺だけがこんなことに?
俺は絶望した。
気づくと日は暮れ辺りは暗くなっていた
そして、俺は交番の前にいた。
「あのー。すいません。」
俺は恐る恐る中を覗いた。
「どうかしました?」
中には感じの良さそうな若いお巡りさんがいた。
「俺、行くところがないんです。」
お巡りさんは優しい笑顔で
「とりあえず中へどうぞ。」
と俺を中へ招いた。
俺はお巡りさんの言う通り中へ入りそこにある椅子に腰かけた。
「お名前と住所をお聞きしてよろしいですか?」
相変わらずの笑顔でお巡りさんは話しかける。
「わかりません。」
俺の呟きにお巡りさんの動きが一瞬静止した。
「名前もわからないんですか?」
お巡りさんは俺の目を見て問いかける。
「俺の記憶が正しいなら、多分野々口誠也です。」
その言葉を確認するとお巡りさんは紙に何かを書き出した。
「身分を証明するものはお持ちですか?」
「身分、証明?」
「はい。生徒手帳とか、免許証とか。」
俺は俺自身のポケット等を確認した。
しかしポケットのなかにあったのは携帯とiPodだけだった。
財布や、生徒手帳は鞄のなかにおきっぱなしだ。
「ないです。」
俺は力なく呟いた。
お巡りさんは少し考えて、
「電話番号は?」
と、聞いてきた。
「家に電話を掛けても無駄です。」
俺は呟く。
「どうして?」
「俺はなぜか忘れられてしまってますから。」
お巡りさんは困惑の表情を浮かべた。
理解することができていないのだろう。
「とりあえず、電話番号を聞いてもいいかな?」
俺はお巡りさんの言う通りに電話番号を教えた。
お巡りさんはその番号に電話をかける。
しかし、案の定俺の名前を出した時点で電話を切られたようだ。
「家族と何かあったの?」
今のやり取りから、俺が家族と問題があったとお巡りさんは考えたようだ。
「今朝はいつもと変わらなかったんです。高校もいつも通りで、でも家に帰ると俺は俺じゃなくて色々当たったけどみんな俺のことは知らないって。お前は誰だって。ねぇ?俺は誰なの?」
「落ち着いて。誠也くん。一旦落ち着こう。」
久しぶりに誠也と呼ばれ俺は少し冷静なった。
「高校は桜庭高校だよね?」
お巡りさんは俺の制服を見て尋ねる。
俺は黙ったまま首を立てにふった。
「クラスと出席番号を教えてくれる?」
俺はうつむいたまま「2年2組18番」と短く答えた。
「ちょっと待っててね。」
お巡りさんはそう言うと、どこかへ電話をかけた。
恐らく桜庭高校だろう。
しかし、結果は俺は2年2組18番ではなかったようだ。
2年2組18番は、橋本みゆきだそうだ。
本来なら俺の後の19番のはずのみゆきが、18番になっている。
俺はいないことになっている。
「ねぇ。」
お巡りさんがさっきまでの表情とは一変して真剣な表情でこちらを見る。
俺も視線を上げ、お巡りさんと目をあわす。
「君は一体誰なんだ?」
「くっくっくっくっ。ハハハハハハハ。」
俺は笑うしかなかった。
「何がおかしい?」
「ねぇ。俺は一体誰なの?どうすればそれがわかるの?俺の親は俺を殺そうとした。
俺の親友は俺を忘れた。俺の大切な人はみんな俺のことなんて覚えてないんだ。
学校は、俺の存在をなかったことにして存在を抹消した。
ねぇ。俺はどうして消えてしまったの?
俺が一体なにをしたっていうの?
何で当たり前の日々かが消えるんだよ。
記憶ってなんだよ。
俺を俺だと理解してもらうためにはなにがいるんだよ?
身分証明書が俺なのかよ。
俺は存在しているのに存在してないのかよ?
そうか。わかったよ。
俺はそこら辺を歩いているありと何ら変わらないと言うことか。
誰かに踏み潰されたって誰もなんとも思わないと言うことか。
もういい。
もう俺の存在価値はなくなった。
せめて最後にあんたの記憶に、
あんたの脳裏に俺の存在を焼き付けてやるよ。」
俺はお巡りさんの方へ回りお巡りさんの腰につけてある銃を奪った。
俺は銃口を自分のこめかみに当てた。
「落ち着いて。誠也くん。」
お巡りさんが俺をなだめる。
「誰だよ。誠也って。結局名前なんてのもただの飾りでしかなかったんだな。」
「やめろ!」
俺は笑顔で引き金を引いた。
「おい。今、銃声がしなかったか?」
年配のお巡りさんが交番に帰ってきた。
「何いってるんですか。僕が銃を撃つわけないじゃないですか。」
そこには若いお巡りさんがいた。
「そらそうだわな。空耳か。」
そこにはいつもと何ら変わらない風景があった。