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第六章 忘れ物の行方

秋も深まった十月の夜、交番の窓辺で紅葉が風に舞っていた。署長代理は珍しくパイプをくゆらせていた。


「高城君、君はどう思いますか? 私たちは『忘れ物』を集めていますが、実は返せるのはほんの一握りなんですよ」


蒼は台帳を閉じながら首を傾げた。

「どういう意味ですか?」


「例えば……」代理が棚の一番上の段を指さす。そこには埃を被った箱が幾つも積み重なっていた。「これは『思い出せない記憶』のカテゴリー。持ち主が自ら忘れたことを選んだものたちです」


「取り戻そうとしないんですか?」


「必要ないと判断したのでしょう」代理は静かに言った。「完全に忘れたことすら忘れているのですから」


その夜、三十代の女性が訪れた。痩せこけた頬に深い隈がある。彼女はカウンターに置かれた紙切れを握りしめていた。


「夫が……事故で亡くなりました。でも彼との思い出が急に……何も」


署長代理は紙切れを見て眉をひそめた。「これは……危険です」


女性の腕には無数の注射痕が浮かんでいた。


「違法薬物による記憶喪失です。この状態で『忘れ物』に触れれば、心が崩壊しかねない」


蒼は咄嗟に女性の肩を掴んだ。

「医療機関に行きましょう。ここで取り戻せなくても、生きることはできます」


女性は虚ろな目で二人を見つめた後、静かに頷いた。


警察病院の特別室で、女性は治療を受けている。意識が戻るかどうかは五分五分だと医師は言った。


「時に忘れ物を取り戻すことは、人にとって死よりも辛い選択になるのです」署長代理が溜息交じりに述べた。


蒼は窓越しに夜空を見上げた。星々の輝きは美しくもあり、残酷でもある。自分もまた、あの青い箱を開けた時、命を削る覚悟があったのだと思い知る。


「僕は……取り戻して良かったです」

「ええ、君の場合はね。でも世の中には、取り戻さないことで初めて幸せを掴む人もいるのですよ」


帰り道、蒼はポケットの中の小さな石を弄んだ。署長代理から渡された「忘れ物」の一部だという。それはかつて悠斗がくれた水晶玉の破片だった。少年の日に彼が偶然見つけ、二人で分け合った宝物。


「高城さん、少しいいですか」


翌朝、警備員が蒼を呼び止めた。夜勤中に不可解な幽霊話が相次いでいるらしい。署員たちが噂していた「夜中に消える交番」の噂も広まっていた。


蒼は内心焦った。まさか同僚までが交番を訪れるのか? それとも単なる錯覚なのか?


「何かあったら言ってください」

警備員の言葉に曖昧に頷きながら、蒼は胸の内で不安を押さえつけた。


夜、交番に着いた蒼は扉を開けるのを躊躇した。もし同僚たちがやってきたら? この場所の秘密が暴かれたら?


署長代理は何も言わずに立ち上がり、戸棚から赤い蝋燭を取り出して火をつけた。

「大丈夫。この場所は“招かれた者”にしか見えません。だから心配しないで」


蝋燭の炎が揺れると、遠くでサイレンの音がした。警官隊が夜回りをしているのだろう。それでも交番の中は静寂に包まれている。


「なぜあなたは……こんな力を持っているんです?」蒼の問いに代理は微笑んだ。

「私が『忘れ物』を取り戻した一人だからですよ」


彼の右手には、蒼と同じく水晶玉の破片が握られていた。もっとも彼のものは小さく、ほとんど透明に近い。


「私はかつて警察官でした。でも重大な過ちで退職し、長い間自分を見失っていました。そんな時にこの交番に導かれたんです」


彼は語った。自分の忘れ物が「良心」であったこと。それを取り戻す過程で、記憶の大半を犠牲にしたこと。そして償いの為に「形のない忘れ物」の回収を始めたこと。


「だから私は常に『招かれた者』を探すんです。君のようなね」


蒼は胸が締め付けられる思いで聞いた。代理もまた、深い傷を負ってここにいるのだ。忘れたいのに忘れられず、取り戻すべきものを必死で探している。


「教えてください」蒼は立ち上がった。「僕は何ができるでしょうか?」


代理は優しく笑った。

「今は見て学んでください。いずれ時が来たら、君も『案内役』になるかもしれません」


夜風が窓を揺らす中、代理の言葉は予言のように響いた。

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