第五章 朝陽と新たな頁
翌朝、蒼が駐在所に戻ると、机の上に小さなメモが置いてあった。署長代理の流麗な筆跡でこう記されていた。
『記憶は再生可能ですが、時間が経過すれば完全には戻りません。それでも取り戻す価値はあるはずです ——忘却という名の逃避は、生きることそのものを停止させるから』
蒼は日誌を取り出し、最後のページに書き込んだ。
> 「今日、私は十年越しの忘れ物を受け取り直しました。傷は消えないけど、それも含めて“生きた証”だと知りました。次の夜もあの交番に行きます。今度は“形のない忘れ物”を集める者として、ではなく、自分自身が忘れかけていた感情を取り戻した者として」
夕刻、蒼は再度訪れた悠斗の墓前で、初めて自分の気持ちを素直に吐露した。
「君を永遠に忘れない。約束するよ」
風が吹き抜け、木々の葉が擦れる音がする。まるであの日の谷川の水音のように、優しく澄んだ音色だった。
警察署に戻った蒼は、いつものように制服を正し、無線機をチェックした。表情には微かな余裕が宿り、かつての硬質な仮面がわずかに和らいで見える。
「高城巡査、お疲れ様です」
同僚の婦警が明るい声をかける。
「最近、なんだか柔らかくなりましたよね」
「そうかな」
蒼は微笑んだ。
「……思い出したことがあるんです。忘れちゃいけないことって、意外と多いんですよ」
夜の巡回が始まる。蒼は懐中電灯の光を旧街道へ向けた。道の先には、きっとあの交番が待っている。そしてそこには、今日も誰かの忘れ物と、それを取り戻す覚悟を持った人たちがいる。
「行ってきます」
蒼は小さく呟き、闇の中へ歩みを進めた。懐中電灯の輪が照らす道筋は、かつてないほど鮮明に見えている気がした。
——こうして高城蒼は、夜ごとに現れては消える交番の常連となった。そこで出会う「形のない忘れ物」は、ときに残酷で、ときに優しく、訪れる人々の心を解き放つ。
誰も知らない交番。しかしそこで行われる営みは確かに存在し、少なくとも一人の青年の人生を変えたのだ。そしてこれからも、星屑のように散らばった記憶の欠片を集める夜が続いていく。




