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第二章 遺失物台帳

以降の一週間、蒼の夜勤は奇妙な形で始まった。彼は巡回の最後に必ず例の交番を訪れた。表向きは「不審施設の監視」と称していたが、本音は好奇心——そして、あの非現実的な空間に安堵感を抱いている自分に戸惑っていた。


「今日はどんな忘れ物ですか?」


署長代理は薄茶色の革装丁の台帳を広げる。ページには古代文字のような符号と、時折手書きの記述が散らばっていた。「幼馴染への嫉妬心」「別れ際に見せた笑顔」「母が亡くなる前に残した詩」……それらはすべて記憶の断片、あるいは心の奥底に沈んだ感情だった。


最初にその交番を訪れたのは若い女性だった。二十六歳の美咲という名の会社員。彼女は涙を堪えながら尋ねた。


「大切なものを失くした気がするんです。でもそれが何かわからないんです……」


署長代理は台帳をめくり、赤いマーカーで記された項目に指を置いた。


「これですね。“伝えるべきことば”」


棚から取り出した小さな木箱を開けると、一滴の銀色の液体が零れ落ちた。美咲がそれを見つめた瞬間、彼女の表情が凍りつく。


「……ありがとう、って言いたかったの」


美咲は嗚咽を漏らした。昨年末、最愛の祖父が突然他界した際に言いそびれた最後のことば。それ以来、ずっと胸のつかえが晴れなかったという。


数時間後、美咲は別人のように穏やかな表情で交番を後にした。蒼はその姿を眺めながら考え込んだ——忘れたものを受け取るのは本当に救済なのだろうか?


別の夜、七十過ぎの老人が杖を突いて現れた。彼はただぼんやりと窓の外を見つめていた。


「昔、画家を目指していたんですよ。だけど戦争で……」


老人の言葉に続きはない。署長代理は「夢の残滓」とラベルされた箱を取り出した。蓋を開くと、微かな絵具の匂いと共に色彩の粒子が宙に舞った。


老人はしばし呆然としていたが、やがて目を輝かせた。


「……絵筆を取り戻そう」


翌日、近所の公民館で始まった「シルバー世代の絵画教室」の新聞記事で、蒼はその老人が講師として復活したことを知った。


蒼は業務記録をつけるために小さな日誌を用意した。形のない忘れ物に関する記述と、それを受け取った人々の変化。ページを綴るにつれ、彼のペン先は僅かに震えることが増えた。


「どうして僕には何も……」

蒼は独り言ちながら夜空を見上げた。都会の喧騒を離れた山あいの空は驚くほど星が多く、自分が小さな存在であることを改めて感じさせた。


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