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最終章 未来への手紙

雨上がりの午後、交番の窓に差し込む陽光が埃を煌めかせていた。高城蒼はカウンターの傍らで深く息を吸い込んだ。彼の目の前には一通の封筒が置かれている。宛名のない、かすかに湿った感触の便箋。署長代理が差し出したものだ。


「これは……?」

「今日、届きました」代理はいつもの穏やかな笑みを浮かべている。「おそらく高城君宛てです」


蒼は慎重に封を切った。中から現れたのは一冊の小さな日記帳だった。表紙には何も書かれていない。ただページを捲ると、幼い字で書かれた言葉が目に飛び込んできた。


> 『おぼえておくものリスト』

> ・はじめて食べたアイスクリームの味

> ・おとうさんとのやくそく

> ・こうえんで見つけたきれいな石

> ・しょうらいのゆめ


蒼の胸が締め付けられるような感覚に襲われた。この筆跡—間違いなく幼い頃の自分だ。そして最後のページには、別の誰かの字で書かれたメッセージがあった。


> 『おまえはぜったいにわすれないだろう』

> 『だからぼくもわすれない』

> 『いつかまたあえるそのひまで』


彼は震える手でページを閉じた。顔を上げると、窓越しに見慣れた人影が立っている。雨粒を払いながら扉を開けて入ってきたのは彩乃だった。


「調査結果が出たわ」彼女は鞄から分厚いファイルを取り出した。「ムネモシュネ・コーポレーションの全貌について」


蒼は日記帳をポケットにしまい、ファイルを受け取った。彩乃の顔には疲労の色が濃い。


「どうだった?」

「予想通り……いや、それ以上だった」彩乃は肩を竦めた。「記憶操作技術は軍事利用だけでなく、選挙操作にも使われていたわ」


ページを捲る度に衝撃的な事実が並んでいる。特定の候補者に対する支持率操作、反対派の記憶抹消、さらには世論調査の偽装まで。ムネモシュネの影響力は想像以上に広範囲に及んでいた。


「これを公表すれば……」

「大規模な混乱が起きるでしょうね」彩乃はため息をついた。「でも遅かれ早かれ露呈する問題だわ」


蒼はファイルを閉じ、ポケットの中の日記帳をそっと押さえた。

「公表する。ただし、一つ条件を付けたい」

「条件?」

「記憶の専門家たちを集めて、一般人向けの説明会を開催してほしい。記憶の価値と危険性、そして自分で管理する大切さを伝える場が必要だと思う」


彩乃は目を見開いた後、満足げに頷いた。

「いい考えね。交番の活動としても意義深いわ」

「それだけじゃない」蒼は続けた。「俺自身、もっと知りたいんだ。記憶とは何なのか……そして『忘れ物』を預かる意味を」


彩乃の携帯電話が鳴った。彼女は慌てて応対する。

「彩乃です……えっ!?もう発表準備が完了したの?……分かったわ、すぐ行く」


電話を切った彩乃は蒼に向かって手を振った。

「準備完了の知らせよ。テレビ局の特別番組で公表するわ」

「分かった。同行させてくれ」


二人が交番を出ようとした時、代理が呼び止めた。

「高城君」


「はい?」

「これを」

代理の掌に載せられていたのは、一枚の古い写真だった。若い頃の自分と悠斗が笑顔で映っている。

「これは……!」

「忘れていたでしょう?」代理は微笑んだ。「記憶は常に更新されるもの。しかし大事なものは何度でも取り戻せるのです」


蒼は写真を大切そうに受け取った。心の中で何かが解けていくような感覚があった。


「行ってきます」

「ええ。そして戻ってきてください。あなたの居場所はここにもありますから」


---


夜のニューススタジオ。多くの報道陣が待ち構える中、蒼と彩乃は静かに中央のテーブルに着いた。カメラのレンズが一斉に向けられる。


「皆さん、本日は衝撃的な報告があります」彩乃がマイクを握る。「ムネモシュネ・コーポレーションによる記憶操作計画の全容についてです」


番組が始まると同時に、蒼はポケットから日記帳を取り出した。視聴者に向けて彼の半生を語り始める。


「幼い頃、私は大切な友人と約束しました。共に社会を良くすると。その約束こそが、私をここに導いてくれたのです」


画面の向こうでは啓介が緊張した面持ちで見守っている。彼の隣には他の元被験者たちも座っていた。皆、自分の記憶を取り戻した人たちだ。


「ムネモシュネの行為は許されません。しかし罰を与えるよりも大切なことがあります。それは一人ひとりが自分の記憶と向き合うこと。過ちも、悲しみも、喜びも—すべて自分だけの宝物なのですから」


画面が切り替わり、データの詳細が表示される。視聴者のコメント欄には様々な反応が溢れている。恐怖、怒り、疑問—そして少しずつ共感の声も増えてきた。


「最後に」彩乃が締めくくる。「私たちは専門家の協力を得て『記憶フォーラム』を設立します。誰もが自分の記憶と向き合える場所を作るためです」


番組終了の合図が出された後も、スタジオには沈黙が流れていた。蒼は立ち上がり、カメラに向かって一礼した。



翌日の交番。代理が紅茶を淹れていると、扉が開く音がした。蒼が戻ってきたのだ。


「おかえりなさい」

「ただいま戻りました」蒼は少し疲れた様子でカウンターに腰掛けた。「昨日の反応は……思ったより大きかったですね」

「当然です」代理は紅茶を差し出した。「真実を知る権利は誰にでもあります」


蒼は紅茶を一口啜り、ポケットからあの日記帳を取り出した。

「代理さん。これから何をすべきでしょうか?」

「あなたが決めることです」代理は微笑んだ。「ただし、これだけは言えます」


「何ですか?」

「忘れたものを大切にするのではなく、これから出会う『思い出』を大切にしてください」


蒼は窓の外を見た。雨上がりの空に虹がかかっている。交番前の通りでは子供たちが遊んでいる声が聞こえる。


「分かりました」彼は立ち上がった。「これからも交番で『忘れ物』の相談を受け続けます。そして……」


「そして?」

「私自身の『思い出』も大切にしていきます」


代理は満足げに頷いた。

「素晴らしい選択です。それでは、今日の業務を始めましょうか」


蒼は笑顔で応じた。交番の鐘が軽やかに鳴り、新たな一日の始まりを告げている。外では子供たちの歓声が続き、遠くで誰かが何かを落とした音がした。


「いらっしゃいませ」蒼は静かに呟いた。「忘れ物専門交番へようこそ」


(完)

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