第一章 静寂の交番
初秋の夜風が古びた電柱を揺らし、チリンと音を立てた。午後十一時五十分。高城蒼は懐中電灯の光を頼りに旧街道沿いを歩いていた。新人警察官として赴任して一ヶ月。慣れぬ夜勤の巡回が続く日々だった。
「こんな場所に交番なんて……あっただろうか?」
光の輪の中に忽然と現れた木造平屋建て。剥げかけた看板には墨字で《忘れ物専門交番》と記されている。周囲には街灯一つなく、月明かりだけが不思議と建物を照らしていた。
「巡回確認しています。こちら高城巡査」
無線に告げながら、蒼は扉に手を伸ばした。ドアノブは想像以上に冷たく、触れた瞬間、背筋に冷たいものが走る。室内から漏れる古い木の香りと、かすかなインクの匂い。
「こんばんは」
奥から穏やかな声が響く。カウンター越しに立っていたのは、年齢不詳の男性だった。制服の襟元には「署長代理」と刺繍され、どこか現実離れした雰囲気を纏っている。
「新米さんですね。高城君でしょう? ようこそ我が交番へ」
自己紹介さえしていないのに、その男は正確に名前を呼んだ。蒼は思わず息を飲む。
「これは……派出所のリストにはない施設ですが」
「そうですよ。我々は誰にも認識されていない交番ですから」
署長代理は壁際の古い棚を示した。ガラスケースが整然と並び、それぞれに手書きのラベルが貼られている。「子どものころの夢」「言えなかった愛のことば」「忘れられた約束」——それらの多くは抽象的で、物理的な品物とはとても思えなかった。
「ここは形のないものを回収する場所です。あなたもいずれ探しに来るでしょうね。本当の意味での“忘れ物”を」
窓の外では、雲間から覗いた満月が妙に青白く輝いていた。蒼はなぜか立ち去ることができず、そのまま署長代理の誘いで受付の椅子に腰を下ろした。




