009 実験と事件
条件を変えると、これまでの失敗が何だったのかというようなスピード感で闇の魔法の開発に成功してしまった。それを、この段階で気が付くことが出来たのだからよかったではないかとプラスに受け取るか、どうしてこんなことに気が付くまでそれなりの時間を浪費していたのかと自虐的に受け取るか、それともこれまで失敗してきた時間を返せとするかで、その人の性格というのは大体分かるのだと思う。自分がそれを成功させたときにどんな反応をしたのかは──今更説明するまでもないのかもしれないが、闇の魔法を生み出せて以降、しばらくは何をすることも出来なかった。
そうして立ち直ると、辺りを見回す。
ここはいつも実験に使っている山からはそれなりに離れた別の場所だ。昨夜の実験が終ぞ上手くいかなかったことで、いつもの山とは別に、昼間でも使える実験場所を重い腰を上げて探すことにしたのだ。闇の魔法の開発だけであれば屋敷でも出来ないことはなかったのだが、自分の性格的に、闇の魔法が使えるようになったらそのままワームホールの実験に取り掛かりたいと考えただろうし、それにそもそも、闇の魔法がどのようなものなのかがよく分かっていなかった段階では、下手に実験場所を屋敷にすることもできなかったのだ。火の魔法や雷の魔法なんかに関しては庭に出られるようになるまでそれを実験したりはしてこなかったし、それと同じことである。実際にはそこまで危険なものでもなかったのだが、しかしこれからの事を考えればこの実験場所の確保は必要なことだったと思うので、それについては何も無駄だったなどと思うこともない。
いつもの山とはおよそ逆の方にある、別の山だ。山である必要はなかったのかもしれないが、実験場所の選定において、どうしてか山という選択肢が頭から離れることはなかった。その山にはいつもの山のような窪地は無かったのだが、頂上付近にはそれなりに開けた場所があったので、そこを使うことにしたのだ。当然その辺にも魔物はいたのだが、以前と同じようにして場所を開けてもらった。
そんなわけで、闇の魔法が生み出せたところで早速ワームホールの再現に取り掛かろうとしたのだが、今日はもう既にそれを満足に行えるだけの魔力が残っていないので、その実験自体は次に回すことにした。ただ、折角使えるようになった魔法を練習もせずにこのまま帰宅するのもどうかと思ったので、簡単な実験だけを闇の魔法の練習がてらやっていくことにした。何の実験をするのかと言えば、光の魔法と同様、別の魔法と混ぜれば混ぜれば何かしらの効果を持たせることが出来るのではないか、という実験である。
まずは火から始めていくべきだろうか。光の魔法と火の魔法を組み合わせた際はそれがどういう効果を持っているのかイマイチ理解できなかったのだが、闇の魔法とならまた違った効果を見せてくれるかもしれない。大きな岩の上に落ちていた小さめの丸太や小枝を載せていくと、少し距離を取り、闇を浮かべる。
こうして見ると、闇そのものは黒い靄の様で、あまり闇という感じはしないのだが、このままでも何かに使えたりするのだろうか。現状では吹けば消えそうな煙とも靄とも分からないものが浮いているだけである。
光の魔法は単体だと文字通り光るだけの魔法でしかなかったのだが、それでも闇よりは使い道があったのかもしれない。
「……こうして、こうして……」
闇と火を合わせる。すると、黒く燃える炎が出来上がった。感覚的にそれが自分に燃え移ったらマズいような気がして、すぐさま的の方へと炎を放った。
「……? ……!?」
黒い炎は丸太を一瞬で燃やし尽くすと、そのまま大岩を燃やし始めた。マズいと思い水を掛けていたのだが、まるで消える気配がない。
「…………」
これ、次は地面に引火してこの山ごと燃やし尽くしてしまうのではないだろうか──そんな考えが脳裏をよぎり、血の気が引いていく。
早く何とかしなければと、どうすべきかを考える。
その結果、地面に手をつき、土の魔法と光の魔法を組み合わせると、土を、植物を操作し、雑草を伸ばす。そして黒い炎をそれに引火させると根元から切断し、一気に空まで打ち上げた。黒い炎は雑草を燃やし尽くし、そこでようやく消えた。
ぜぇはぁと息を吐き、その場に崩れる。
「危な……」
見なかったことにしていたらどうなっていたことか、考えるだけで恐ろしい。
しばらく自分を落ち着けて、立ち上がった。気を取り直して、今度は水と混ぜてみようと考え──先程の光景がチラついた。火の魔法と組み合わせた時には次から次に引火して全てを燃やし尽くす炎になったのだ──それも、溶けた岩が流れ出たりすることもなく、完全に消滅していたのだ。
水と混ぜたらどうなるか、少し落ち着いて考えた方がいいだろう。
「光と混ぜた時には治癒の水が出来た……。ということは……」
考えられるのはその反対だが、治癒の対義語は何だ。考えられるのは発病や負傷と言ったところだが──発病の水や負傷の水といってもあまりそのまま意味が通るとは思えない。だとすればもっと単純に──毒?
だとすれば実験のしようが無い。
まさかここら一帯に毒を散布してどうなるかを試すわけにもいかないし、毒の種類が分からない現状、自身の身体で試すわけにもいかない。魔物にでも試そうかと思ったが、先程片付けてしまった事もあり、試そうと思えば魔物を探しに行かなくてはならなくなる。それは少し面倒だ。
「水はまたの機会に回すとして……。次は土かな」
土。これも少し嫌な予想はしているのだが、試さないことには次に進むことが出来ないと、試すことにした。
しかし──目の前の地面がだんだんと変色していくのを見て、すぐに止めた。見てみれば、周辺の雑草が腐り始めている。魔力を流すことを止めてもなおその浸食はしばらく続き、いよいよマズいかと焦り始めた頃にようやく止まった。
「止めるべきかな……」
だが、ここまで来たら最後までやるしかない。
次は風だ──次は風なのだが。
「…………」
持ち上げかけた腕を下ろし、考える。
今までの三つ──厳密には二つを見て、流石に傾向は理解できた。闇を混ぜると、大抵碌でもない方向に魔法が変質する。そしてこの場合、風の魔法に闇の魔法を混ぜればどうなるのか、断言はできないがなんとなく予想は出来てしまう。下手をすれば瘴気を発生させてしまうのではないか、あるいは毒霧のようなものでも起こしてしまうのではないか、そしてそれを止められなかった場合、山から流れたその風はどこへ向かうのだろうか、と。
光の魔法を混ぜた時には蜃気楼を発生させていたわけだから、もしかしたらそれと似た方向に変質してくれる可能性もあるのだが、そうじゃなかった場合取り返しがつかない。実験するにしても何にしても、場所は選ぶべきだろう。
なのでこれも先に回すことにした。
「次は雷か……」
光を混ぜた際には火の魔法同様効果が分かりにくかったのだが、闇なら分かるだろうか。やはり嫌な予感はしているのだが、しかし雷の魔法なら放つ方向さえ間違えなければ制御もしやすい。大空に打ち上げてしまえば環境汚染や環境破壊を引き起こすことも、恐らくないだろう。
そう自分を頷かせると、二つを混ぜ、放った。
しかし、特に何も起こらない。
黒い雷が天を穿っただけである。
「雷はダメなのかな」
他に色々試していけばやりようもあるのかもしれない。撃つ相手を魔物などにしてみれば、効果も分かり易くなったりするかもしれない。しかし、試そうにも気軽に出来ることでないのは先の二つが証明しているので、現段階では特に目立った効果なしとするしかない。
となると次は満を持しての氷なのだが、光を混ぜた際にはキラキラ光るミラーボールにしかならなかった氷なのだが、闇を混ぜたら一体どうなるのだろうか。普通の氷に関しては、普段から涼みたい時などにコソコソと使用していたりもするのだが、何か使えるものが出来たりするのだろうか。
試してみようにも氷なので、何かを凍らせる形で試した方がいいのだろうが、水溜りでも作ってそれを凍らせてみよう。
闇と氷を合わせ、そして自分で作った水溜りに向けて放った。
「……?」
普通に凍ったのだが、それだけだった。他の魔法に効果が出たからと、何でもかんでも合わせてみればいいという話でもないのかもしれない。発想が安直だったか、もしかしたら掛け合わせる方法に問題があるのかもしれない。闇の魔法を開発することにはこの通り成功したのだから、光の魔法と比較しながら試していくのがいいだろう。
ただ何にせよ、ここまでの実験でそれなりに魔力も減ってきていたので、帰りの分の魔力まで使い果たしてしまう前に帰ることにした。周囲を少しばかり腐らせたりしてしまったが、被害がこの程度で抑えられたのだから、不幸中の幸いとしておこう。
「まぁ、仕方ない。これから気を付けよう」
風の魔法を使い、いつものように飛び上がった。
△▼△▼△▼△
「おい! 戻ったぞ!」
調査から帰ってきた男達の中の一人が、乱暴な声音で怒鳴りつけるように言った。組合の建物の中に、怒号が響き渡る。しかしその声すら周囲の雑踏に紛れてしまう程、状況は混乱を極めていた。装備を整える者に、武器等の数を確認する者、そしてそれらに指示を出す者など、いかにも物々しい雰囲気であった。
「何……何の準備だこれは……」
これではまるで、今から何かと戦いにでも向かうかの様だった。そしてそれが、その相手が何なのかを、彼らは確認するまでもなく知っている。しかしリーダーの男はそれでもと、慌ただしく走り回る小柄な男を捕まえ、事情を尋ねた。小柄な男は突然腕を掴まれて悲鳴を上げたが、それが自分も知っている相手であったことを把握すると、一つ息を吐いてから話し始めた。
「先程、例の光が別の場所で確認されまして」
「それはなんとなくだが把握している。それで、今度はどこだ?」
「えっと、目撃者達の証言を統合するに、西の方の……あぁ、ほら、麓に赤い花の咲いている山ですよ」
「……なるほど、あそこか」
この辺は元々野山の多い場所ということもあり、遠くからでも見える規模の大きな山でもなければ基本的に名前はついていないのだ。そして、その山も小さめの山だったということで、皆の共通認識としての名前を持ってはいなかった──勿論、それでは不便だと言って仲間内で名前を付けておくことはあるが。
しかし、精製すれば香料になる『ジャジー』と呼ばれる赤い花の群生地帯でもあったので、そう言われればどの山を指しているのかはすぐに分かった。
「えぇ。光と──それから、これについては彼らが錯乱していただけだと思うのですが、黒い雷を見たという者もいまして」
「黒い……雷……?」
聞いたことが無い──と、そう言いかけて、リーダーの男は、小柄な男の言う通り、音や光で混乱していた人間が何か別なものを見間違えただけなのだろうと、そう思うことにした。
「それで……。そこまでは分かったが、これは何だ?」
「まぁ、これまでは夜中にしか確認されていなかったわけですが、こうして昼の時間にまで光が確認されたことで、とうとう上が討伐隊を派遣することになりまして……」
「……まだ相手が何なのかもわかっていない現状でか? 上は現場を知らんとは思っていたが、流石にそこまで馬鹿じゃないだろう?」
「そう信じたいですが……これはその上からの命令だそうです。ですので恐らく、こうして多数の戦力を派遣することを大々的にアピールし、そして何もなかったと、あるいはその原因を討ち取ることに成功したと、町民に示すことが主な目的なんでしょうね」
小柄な男が、額の横を掻きながら言う。
「まぁ、そういうことなら理解出来ないでもないが……。魔神の噂を消したいってところか?」
「それで間違いないかと。夜中に人を動かすことは流石に諦めてくれたみたいですが、こうして昼に現れた以上は、今が好機だと思ったんじゃないですかね。人を動かすための大義名分が出来ましたし」
小柄な男は周囲を見回し、苦笑しながら言う。
リーダーの男もそれに釣られて周囲の面々を軽く見まわしていく。知り合いもいれば、名前だけは知っていた者もいる。普段は見かけない人物の姿もちらほらと確認できた。前に出て戦うような者もいれば、後方支援を担当する人間の姿もある。集められるだけの戦力をとにかく集めたのだろうなということが見て取れた。
「だが、短い時間でよくこれだけの数を集められたな。今回は金もそこから出てんのか?」
「はい。それと、今回この件で目に見える成果を持ち帰った者には別途多額の褒賞が出るという話もありまして。それが結構な額だったということで、皆やる気になってるようです」
「そこまでするか……。いや、そこまでしないと人が集まらねぇのか?」
「ははは……、まぁ、言うまでもなく後者でしょうね」
「にしても、目に見える成果か……」
目的は、市井に対する安心材料と言ったところだろう。ただ口先で原因を討ち取ったなどと言われても、誰もそれを鵜呑みにしたりはしない。何かしらの物的証拠を示せなければ、ここで大勢を派遣しても噂の抹消にまでは至らないと考えたのだろう。
「しかし、相手はゲアルージャをいとも容易く屠るような怪物だぞ? そう簡単にいくのか? 下手すりゃ全滅なんて線もあり得るだろう」
「勿論、全員を向かわせるつもりは無いようです。ただ言う通り、相手が正体不明である以上、戦力は多いに越したこともありませんから」
リーダーの男は唸る。これは、山に向かうにしろそうでないにしろ、一筋縄ではいかないだろう。町に残るという選択をすれば、大いなる存在や、これから山に向かう彼らを恐れた魔物が山から飛び出してきた際、それが間違っても町の中に這入ってこないように戦わなくてはならなくなる。しかしそれを嫌って山に向かえば、何が出てくるのかは未知数だ。無論、山にそんな大いなる存在がいたのだとすれば、その時は死なずとも、結果としては同じことなのだろうが。
「まぁしかし、俺達は現地入りだろうな」
と、思案してから呟く。
「だと思いますよ。これまで何度も調査に出向いてもらってるわけですし、まさか町に残すこともしないでしょう」
「……こういうことになるから均等に割り振った方がいいって、何度か言ったはずなんだがな」
男は溜息を吐き、うなじを掻き毟る。そこで小柄な男は自身が仕事の途中であったことを思い出すと、「くれぐれもお気を付けて」とだけ言い残し、また忙しそうに走っていった。それを見送ったリーダーの男は、仲間たちを集め、出来る限りの準備をすぐに済ませるようにと、深刻な面持ちでいう。その表情は、初めて山の調査を命じられた日と同じか、あるいはそれ以上に強張っていた。
その男の言葉を聞き、彼らは概ね否定的な反応を示した。
「噓だろ、マジで言ってんのか?」
「勝算もねぇのにただ行かせんのかよ。半分くらい死ねって言ってるのと何も変わらないだろうが」
「アピールが目的ったって……そんなもんが果たして効果あんのかね」
「やっぱりツイてねぇよ……。とんだ貧乏くじ引かされてんじゃねぇかよ……」
しかし、リーダーの男はその様子を見、その上で言う。
安心しろ──と。
その様子を見て、一人が懐疑的な目線を向けた。
「なんだよ。策でもあんのか?」
「確かに上には碌な策もねぇ。討伐隊とは言うが、実際のところは調査隊と何も変わらん。だが俺達はあの山に何度登った? 何度無事で降りてきた? 何度吞気に飯を食ってきた? そんな俺の勘が言ってやがる──今回も生きて戻れるってな」
「勘かよ……。この状況でよりにもよって勘かよ……」
「ま、まぁ、勘も時には大事だが……。それでも今それに頼るのはマズいんじゃねぇのか?」
「分かってる。だが実のところ、俺は今回も収穫は無いと思ってんだ。いつも通り、これまで通り、俺達が向かう頃には何もいなくて、誰もいない」
リーダーの男はそこに加えて、「それに」と言う。
「それに、俺達に拒否権があると思うのか?」
その言葉で、彼らが反論を止めた。
男の言う通り、上が絡んでいるという時点で、この件は組合に所属する者には最早断ることが出来ないものとなっているのだ。余程の理由でもあれば話は別だろうし、勿論、逃げるなりなんなりすればこの件から降りることは不可能ではないだろう。しかしその場合、この地でこれまで通りに仕事をすることはほぼ不可能だと言っていい。上からは睨まれ、周囲からは危険な任務を自分達に押し付けて逃げたのだと謗られることとなる。こういった強制力を伴う仕事から降りるのであれば、その覚悟が必要だ。もし別の町などに移ったとしても、そこで新たに人脈を作り、信用を得ていくとなると、相当の時間が掛かる。それに、そういった噂がその町にまで流れてくれば、結局は同じことの繰り返しでしかない。
だとすれば、危険を承知でもそれに従う方がいい場合もあるのだ──この場合がどうなのかは別として。
「何かが出たところで必ずしも戦わなきゃいけないってわけでもないからな。周りを見りゃわかるだろうが、今回は相当の腕利きもいる。最悪の展開にさえならなきゃ、この任務自体に危険はない」
リーダーの男はそう断言した。
「本当に……大丈夫なんだよな?」
不安げな男がなおも尋ねる。
「どんな仕事にだって絶対はない。だが敢えて言うなら──俺の判断を信じろ」
△▼△▼△▼△
せっかくだから何か買い物でもしてから帰ろうかと思っていたのだが、町へと戻ると、何やら騒然としていた。たまに聞こえてくる単語を繋ぎ合わせるに、どこかに魔神とやらが現れたということらしいのだが、魔神とは何のことを言っているのだろうか。そういったお伽噺でもあるのかと思ったのだが、書斎には無かったので記憶にない。とにかく、どうにも落ち着いて買い物などをしていられるような雰囲気ではなかったので、そのまま急ぎ足で屋敷へと帰ることにした。
屋敷へと戻ると、町での騒ぎは伝わっていたのか、開口一番に何事もなかったのかと尋ねられてしまった。何が何だか分からなかったということもあり、あまり下手なことを言って現在の騒ぎと齟齬が起きてもマズいだろうと、「うん、大丈夫だったよ」とだけ返し、そそくさとエレインのいる部屋に向かった。エレインの部屋に向かったのは、一人でいると余計な質問をされたりする可能性があったので、取り込み中だということを分かり易くアピールする為である。そうしてある程度時間が経過してしまえば、後は「よく覚えていない」という言い訳や誤魔化しが使えるのだ。
それにしても、魔神とは本当に何なのか。それはもしかしたら『災害』の別名だったりするのではないだろうか──とも思ったのだが、そんなのが現れていたら騒ぎは今よりも大きかったのだろうから、流石に違うと思いたい。しかし、『災害』ではないにせよ、そんな訳の分からない存在が現れたという話はあるのだから、勿論それも噂でしかないのかもしれないが、もしもの時の為にも瞬間移動の魔法の制作は加速させなくてはならないだろう。日程的に今夜は無理そうなのだが、明日以降、隙を見つけては開発を進めていこうと思う。
それはそれとして、エレインだ。
エレインは先日チェスを教えて以降、頑張って強くなろうと努力はしているのだが、先日とうとうセシリア以外の全員に敗北してしまい、それ以降しばらく機嫌が悪い。それについてはどちらかというと八歳児に負けるセシリアが何なのかという話でしかないのだが、とにかくここ最近はチェスの話をされたくないのだそうで、自分に商品としてのチェスの話をしに来た父親に対して激しく怒っていた。父親は何が起こったのか理解できずに呆然としていたが、これは早いうちに何とかしなくてはならないだろう。
ということで、おままごとの代わりとして用意したはずのチェスが封じられたので、今度は別のモノにしようと思う。思えば、チェスはまだ難しかったのだ。エレインもまだ八歳だし、もうすぐ九歳を迎えるとは言え、これくらいの子供にはもう少し簡単なゲームの方がいいだろう。
紙と鋏を取り出すと、小さい丸の形に切り出し始める。
「何してるの?」
「オセロを作ろうと思って」
「オセロ……?」
エレインは首を傾げた。
そう言えば、オセロという名前は商標登録もされているが、本来とは違う名前なのだったか。
元々はリバースという単語をもじったリバーシという名前で知られていたものを、直接の関係はなかった戯曲から名前だけ拝借したものだったと記憶している。それまでは碁にも似ていたことから源平碁などとも呼ばれていたようだが、それが広まってからはオセロという名前がそれ一色に染め上げていき、今に至るのだ。しかし実際、上記の通り商標登録済みなので、オセロという名前の知名度の割に、そこらへんで売っているものを見ると、大抵そこにはリバーシと書かれている。
チェスなどよりもルールは単純明快で、どんな人間でもとは言い切れないが、大抵一分もあれば覚えることが可能なゲームだ。
覚えるのに一分、極めるのに一生とは、よく言ったものである。
六十四個分切り抜き終えると、それの片側だけを黒く塗っていく。これは流石に一人ではやっていられないと、エレインにも頼んでやってもらうことにした。とは言え、どちらかが裏であることが見て分かればいいので、塗り自体は雑でもいいと言っておいてある。グチャグチャと、適当にペンを走らせては、次に移っていく。
「なるほど……。負けないから!」
別にそういう勝負ではないのだが、やる気になってくれたのだから黙っておこう。
そうして塗り終えると、試作品のチェス盤を自室から運んできた。そしてそれを見た途端、エレインの顔が見るからに不機嫌になっていく。
「リュカ……」
「チェスじゃないよ」
升目が同じだから流用できるだろうと持ってきただけだ。本当は白黒の盤ではなく緑の方がいいのだが、わざわざ用意するのも面倒である。
「じゃなかったら何よ」
「今作ってるでしょ? それを使うの」
「この丸? これで戦うの?」
「戦うのはそうだけど、簡単だよ」
疑わしげな眼を向けてくるが、相手の駒をひっくり返せない場所には置けない、多くとった方が勝ちということを説明し、本当に簡単だということが分かると、エレインは手のひらを返したようにやる気になった。
「初めに四つ置いておくの?」
「そうしないと好きなところから始められちゃうから」
「好きなところから始めたらだめなの?」
「ダメ……でもないと思うけど、でもそうすると、さっき説明したルールを破ることになるから」
相手の駒をひっくり返せない場所には置けないのだから、始めに四つ置くのはそういう理由だろう。これまであまり深くも考えなかったが。ただ、昔はオセロの盤の升目も定まっていなかったそうだから、その頃であれば存外好きな場所から始めていたりもしたのかもしれない。
「……? ……あ、そ、そうよね」
「じゃあ、姉ちゃんからでいいよ」
そうして、戦いは始まったのだった。
△▼△▼△▼△
「なんだ……こりゃ……」
男は目の前の光景に、何とか声を絞り出す。入山してしばらく、手分けをして探索を試みていた彼らであったが、それを見て、他の面々を呼ぶことさえ忘れていた。一部とはいえ、地面が腐り果てていたのだ。
「ここだけ見せて魔神が復活したって言ったら、それなりに信じてもらえそうだよな」
「冗談言ってる場合か」
「冗談じゃねぇよ。それに、あっち見てみろ」
と、リーダーの男は話しかけてきた男が指を差した方を見た。そこには、以前見たゲアルージャの死体の山を彷彿とさせるような、魔物の死体の山があった。その数は目算で三十匹以上。ゲアルージャ同様、邪魔なものを端に寄せるようにして集められている。それはゲアルージャほど強力な魔物でもないが、群れとしての連携力は高く、そして危機を察知すると一斉に逃げ出してしまう魔物でもある。なので一匹単位で囲い込んでさえしまえば倒すこと自体は難しくないのだが、これだけの数を逃さずに倒しきることは至難の業だ。
「それも、前と同じ殺され方をしてやがる」
「同じ奴……ってことか」
「あぁ。相変わらず、何が目的なのかも分からん。目的なんか無いのかもしれないけどな。現状被害らしい被害もないし、別にいいんじゃねぇのか?」
「被害が無いからいいって話でもないだろ」
「まぁ、そうだけどよ」
男は腐った地面に視線を遣りながら言う。
「……ここから、上が納得するような結果を持ち帰るとして、お前ならどうする?」
「あ? ……俺なら、そうだな。ここらを縄張りにしてる魔物の首でも持って帰るとかじゃないか? 骨が折れそうだが、そこまですりゃ頷くしかねぇだろ」
それも手ではあるのだろう──と、リーダーの男は考える。しかし、今後も同じように光が目撃されたら、それに意味はなくなる。どころか、適当な魔物の死体で手打ちにしようとしていたことが露見すれば、今流れている噂話にもより一層火が付いてしまうだろう。それならいっそ、「調査したが何も出てこなかった」ということだけ明かしておき、現状を維持する方がマシではある。
上がそれで納得するとは思えないが、頷かせるしかない。
「一旦、全員を集めて話し合いだな」
これからの事を思い、男は溜息を吐いた。




