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滅界の花嫁  作者: アブ信者
第甦話
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「あはは──先程は挨拶もせずに失礼しました」


 戻ってきた模倣者は、木の幹に寄りかかるようにして、サクラとアイリスの両者を、にやにやとした表情を浮かべながら見据えていた。


「……何者? 少なくとも、人間ではないようだけれど」


 訊かれて、模倣者は寄りかかっていた幹から離れると、恭しく──否、慇懃無礼に頭を下げた。


 顔を上げながら、名乗る。


「私は真より真たる真の模倣者。人間ではありません。人間を模倣する事を目的として生み出された──ただそれだけの存在です。ですので、何者でもありません──何者でもあり、何者でもない。ですが、そうですね……もしあなた方の知る言葉で私を言い表すのだとすれば、私は──」


 そうですね──『災害』。


 とでも言うのでしょうか。


 あはは──。


 そう、模倣者は言う。


「『災害』……」


「尤も、当時はそのような呼ばれ方もしてはいませんでしたけどね。ですが言われてみると、正鵠を射ているとまでは言わずとも、それなりにそれらしくて、私としては気に入っていたりします。とは言え、災害という言葉の持つ本来の意味に近しい事が、果たしてその時の私に出来ていたのかと言われると、そうでもないような気もするのですが」


 模倣者が語るのを、サクラは意味が分からないと、ひとまず流すことにした。


 考えるのは後回し──先ずは情報を引き出し、目的を探る必要がある。


「何故、その姿をしているの」


「今の私はアイリスを模倣しているので、この姿をしています。何故アイリスを模倣しているのかと問われれば──いえ、あなたは私にわざわざそのようなことは問いませんよね」


 そうね、問うまでもないわ──サクラはそう言った。


「アイリスの姿でアジサイを傷付け、その場面を私に見せること──それがその姿を模倣した理由でしょう」


「あはは──御名答です。まぁ、それだけでもありませんが」


「……?」


「私は元来大した力を持たない存在ですので、アイリスの様な存在が持つ力を模倣しなければ、力を振るうことが出来ないのですよ」


 姿を模倣することで、その存在が持つ力なども盗み取ることが出来るのだろうと、サクラは解釈する。


 何の努力も苦労も無しに、何十年と研鑽を積んだ人間と同等の力を得られるのだとすれば──忌々しいものではある。


「それなら私なんてどうかしら。一度やってみたくはあるのよね──自分との戦い」


 しかし、力や能力はともかくとして、技術の方はどうなのだろうと、サクラは言外に尋ねる。


「……あなたもかなり強いようではありますが、アイリスの方が何かと便利なんです。人間じゃありませんから」


「…………」


 サクラではなくアイリスを選んだ理由が、肉体的な強靭さ──アレを強靭というのかは不明だが──なのだとすれば、技術までは模倣出来ないからアイリスを選んだ、ということではなくなるのだろうか。


 それを隠すためのハッタリの可能性も捨てきれないが、取り敢えずそう理解した。


 そして技術を盗み取れるということはつまり、知識や記憶といったものもまた、模倣されてしまうと見ていいだろう──技術は知識の上に成り立つものであるのだし、知識は記憶と切り離せない関係にあるのだから。


 だが、もしその盗み取った技術や知識をその場限りのものでなく、永久、半永久的に自分のものにしてしまえるのだとすれば──目の前の相手がどのようなこれまでを送ってきたかは不明なものの、そこに溜め込まれている技術や知識は並大抵のものではないと推測出来る。


 アイリスの、滅することの出来ない肉体に、身体能力──そしてそこに上乗せされる、模倣者自身の技術や知識。


 なるほど確かに、わざわざサクラの姿で相対することを選ぶ理由はない──情報を盗み取ることはしたとしても。


 しかしだとすると、現状でも問題だらけではあるのだが、更に次なる問題が、追い打ちをかけるようにして発生するのだった──サクラ達の計画が露呈しかねないという問題である。


 模倣者が果たして何を知っているかは分からないが、問題なのは事実ではない。その可能性が存在することの方だ。どんなに小さな可能性であれ、可能性の内に摘み取らねばならない。


 なので、アジサイを傷付けたという点で既にサクラの模倣者に対する態度というものは決定していたものの、そういう点からも、目の前の相手は今ここで、逃がすことなく見逃すことなく躊躇うことなく容赦なく──消し去らなければならない。


 サクラは動いた。


「──死になさい」


「死にません。生きていないので」


 両者は目にも留まらぬ速度で、それも更に加速していきながら、白刃と片手を打ち合わせる。


 一瞬のうちに、十も百もの火花が散り、百も千もの音が響く。


 どちらが攻めているのか、どちらがそれに合わせているのか──恐らく両方なのだろう、岸に寄せる波のように、押しては引いてを繰り返す。


 そんな中に、アイリスは割り込んだ。


「やぁぁああっ!」


 模倣者の顔面に、アイリスの貫手が突き刺さる──模倣者は距離を取り、自ら手刀で首を切断すると、穴の開いた顔面を切り離した。そして、首の断面に手を突っ込むと、そこから新しい首を引っ張り出す──アイリスがそうして腕を治したように。


 そこからは、サクラとアイリスによる猛攻が模倣者を襲い続けた。


 斬り裂き続け、斬り刻み続けた。


 だが、アイリスを模倣した存在が──そのような攻撃に晒されたところで死ぬ道理が無い。


 そのことに、アイリスと模倣者は内心、首を傾げる。


 模倣者からすればそれは当然のことながら──アイリスもアイリスで、動きこそサクラに合わせながらも、ここから果たしてどうするつもりでいるのかを読み取れないでいた。


 このまま斬り刻み続ければ、再生をさせ続ければ、魔力を消費させ続ければ、この存在をどうにかすることも出来るのだろうか──と。


「──……!」


 サクラが模倣者の攻撃を受け流し、アイリスがその身体を破壊する──アイリスの張り手だけで模倣者の半身が消し飛んだ。サクラは破壊された模倣者を天に打ち上げると、稲妻の如き動きで先回り──再び模倣者を地面に叩き落とす。その間も模倣者の肉体は再生を続けるが、落ちてきた模倣者をアイリスは殴りつけ、更に吹き飛ばした。


 サクラは剣を振るい──周囲の木々諸共、吹き飛ぶ模倣者を賽の目切りにする。賽の目切りにした模倣者の肉片を、サクラはありとあらゆる魔法を叩き込み、破壊しにかかった。一切の躊躇の無い、流れるような行動だった。


 しかしどこかに違和感がある──と、再生をしながら、模倣者は感じた。


 そして再生は終わる──その瞬間を狙ったように、アイリスによって全身が粉砕される。粉砕した全身を、更にサクラが斬り刻む。その繰り返しだった。


 繰り返し、繰り返し。


 同じことが繰り返し──続く。


 だが、全てが同じではない。


 同じではないのはこの場合、サクラやアイリスのコンディションか──否。


 模倣者を斬り刻む剣の速度か──否。


 サクラの魔法の威力か──否。


 アイリスの力か──否。


 否、否、否。


 否──場所だった。


 サクラとアイリスは、絶えず模倣者を特定の方向に誘導、あるいは吹き飛ばし続けているのである。


 アイリスはサクラがそうしようとしていることに、気が付いていた──分析と対処を本質とするアイリスだからこそ、学習、理解、そして再現を本質とする模倣者に先んじて、それを把握することが出来た。


 サクラとアイリス、そして模倣者はウォーマスの森を抜けると、その森の背にある山に突入した。サクラとアイリスは傾斜のやや激しいその山を駆け上がりながら、絶えず攻撃を浴びせ続ける。絶えず破壊を繰り返す。


 模倣者は山に入った段階でようやく、自身をどこかへと連れて行くことがサクラの目的なのだということを理解したが──遅い。


 頂上まで辿り着くと、サクラはそこから空を駆け上がり、ひたすら剣を振るい続け、模倣者を遥か上空にまで連れて行く。


 白い稲光が──天に昇る龍の如く。


「何を……っ」


 模倣者の身体が白い雲を打ち抜く──衝撃で雲に穴が開くと同時、真昼の太陽の輝きが襲い掛かった。


 そして、声が聞こえた。


「──ごめんねサクラ、危険な真似させて」


 その少年は太陽を背にし、冷たく模倣者を見下ろしていた。


「リュカ……」


 呟いた途端、模倣者の身体が絡め捕られる。


「っ、わ、私はアイリスです! 偽物はまだ下にいます!」


 ジタバタと。


 模倣者は大きな声で叫んだが、ぱたりと動きを止めると、声の調子を戻した。


「……というような噓が通じる相手ではありませんよね。目の前でそうしているのがアジサイであれば、もしかすると抜け出せた可能性もあったとは思うのですが」


「いや。そもそも、アイリスを模倣しきれてないからね、君は。アジサイも騙されてくれはしないよ」


「そうでしたか。……あはは──まぁ、私は人間を模倣する存在ですから、人間でない、人型であるだけの存在は模倣しきれません」


「ふぅん……。まぁ、君のことはよく分からないけど。でも──分かるよね?」


「えぇ。言うなれば、年貢の納め時というやつでしょうか。まぁ、私は人ではありませんので、税なんて、生まれてこの方払ったこともありませんが──あはは」


 模倣者は「そうだ──これは遺言……でもないのですが」と言って、続けた。


 この時点である程度察していたのか、抵抗は薄かった。


「アイリスには言っておいてください。あなたは人間にはなれないと。そしていつか、己を見つめ直す時が来るはずだ、と」


「人間にはなれない……か」


「えぇ。どんなに人間の真似をしたところで、人間の真似をする人外が、ただそこに在るだけです。それは変わりません。変えようがありません」


 例えば私のように──。


 あるいはあなたのように──。


「僕の……何か知ってるの? 僕の事」


「いいえ。私は大したことは知りません──彼女ら以上の事は何も」


 模倣者は言う。


 リュカは少し考えこむような素振りを見せてから、口を開いた。


「…………僕の姿は模倣しないんだね。サクラが君をここまで連れてきたということは、多分、"そういうこと"のはずだと思うんだけど」


 その問いに対し、模倣者は首を横に振った。


「あなたにはなれませんでした、何故か。こんなことはないはずなんですが、どうやってもなれませんでした。なので恐らくこれは、なるならないではなく、なれるなれないでもなく、なってはいけないという話なのだと思います。私はあなたを模倣してはいけない──私はあなたを知ってはいけない──そういう話なのでしょう」


 それか単に、あなたがアイリス以上の化物なだけかもしれませんが──あはは。


 模倣者は口の端を吊り上げて、不気味な笑みを湛えて言った。


「まぁなんにせよ、私がここから打てそうな手はなさそうです。所詮私は誰かの真似をするだけなので、その誰もが陥ったことのない問題への対処能力は極端に低いわけです──低いとは言え、知能は高いので、対処がまるで出来なくなるという意味でもありませんが」


 しかしこれは無理ですね──。


 模倣者は己を拘束する正体不明の鎖を見ながら付け加えた。


「ですので……私がここからそれでも出来ることを探すのであれば──それこそあなたのよく知る人間の姿を模倣し、その顔で、その声で、悲惨に凄惨に陰惨に無惨にひたすら悲痛に痛い痛いと泣き叫んで、あなたの精神を削るくらいの事でしょうか」


「性格が悪いね」


「あはは──私は集合知ですから。人間の嫌な部分はよく知っています。理解しています。まぁですが、それもやめておきましょう。意味がなさそうですし。意味の無いことは、人間がやっていればそれでいいのです──なので、アイリスにはそれも、改めて伝えておいてください。それが遺言です」


「伝えるかどうかは別として、まぁ、受け取っておくよ」


「ありがとうございます。それならもう一つ、アジサイに対する謝罪もしておくとしましょうか。すみませんでした。あの時点では特に殺害する意味もなかったので、初めからそうするつもりはなかったのですが」


「意味があったらやっていたわけか」


「当然です。意味があると分かっていながらそれをしないのは怠惰です──意味がないと分かっていながらそれをするのと同じくらいに怠惰です。それこそ無意味な行動です──いえ、無意味な無行動です」


「……同意はしないよ」


「理解はしていただけたようで何よりです」


 模倣者は一度目を閉じ。


 さて──と言った。


「……そろそろあなたの魔力も整った頃合いでしょうか。であれば最後くらいは私自身の姿で、終焉を迎えるとしましょう」


 模倣者は──艶のない灰色の石像へと、己の姿を変えた。


 それが模倣者の、真の姿だった。


「私は真より真たる真の模倣者──お墓を作る予定があったら、そう刻んでおいてくださいね」


 △▼△▼△▼△


 こうして、この日起こった事件は幕を閉じた。


 完全に破壊された模倣者の残骸はサクラによって回収され、ヒスイへと回されることとなり、分析が進められることになった。


 復活してまたぞろ暴れ出すのではという可能性を考えれば、その残骸も木っ端微塵に破壊して、それぞれ方々の遠く離れた地にでも埋めにいくべきだったのだろうが、リスクばかり取ってもいられない──それに、相手が自ら『災害』を名乗った以上、もはやサクラ達にとって、あの模倣者という存在はどうあっても無視出来ないものとなってしまった。


 あまり多くの情報を引き出せたとは言えないが、ヒスイの分析結果と、あれらの会話の中で最大限引き出せた情報から、何かしらを推理するほかないだろう──あまりに唐突でまるで意味不明ではあったので、模倣者自身の性格の悪さも相まって、どこまでまともに取り合うべきなのかという話でもあるのだが。


 しかし、それはそれとして。


 一先ずそれは、今後の話であるとして。


 屋敷に戻ったサクラは、リュカと、それからアイリスを連れて、アジサイの部屋にまで戻ってきていた。


「サクラ様……主様……アイリス」


 ベッドの上で上半身を起こし、アジサイは三人の名を呼んだ。


 するとアイリスは駆け出し、アジサイのベッドに飛び込んで行った。


「アジサイ──っ!」


「うわっ……と。よかった、無事に戻って来てくれて」


「アジサイは大丈夫でしたか?」


「えぇ、大丈夫ですよ。本気でやられていたら分かりませんでしたけど、あれくらいなら」


 アジサイはアイリスの頭を撫でながらそう言って、やや興奮状態にあったアイリスを宥めた。


「あれくらいならって……」


 サクラは顔を顰めて二人に近付こうとしたが、「サクラ」と、リュカに引き留められると、この場では引っ込んだ。アイリスを安心させたいというアジサイの想いも、決して分からないではない──実際にはどうあれ、その強がりで、アイリスは落ち着いた。


 それからリュカもアイリス同様にアジサイに調子を尋ね、呼吸に問題がないか、他にどこか痛むところがあったりしないかなどを尋ねた。


「いえ、特には」言ってから、アジサイは何かを思いついたような顔をした。「あ、でも私が分かってないだけの可能性もありますし、よろしければ主様が全身くまなく余すとこなくじっくりじっとり確認していただければと思うんですけど──」


「後で私が診てあげるから」


「……いやでも主様じゃないと分からないこともあるかも──」


「アジサイ」


「あ、はい。サクラ様にお願いします」


 アイリスはそんな二人の会話をよく分からないながらに聞いていたが、「それで、アイリス」とサクラに声を掛けられると、勢いよく立ち上がった。


「はい!」


「……、その……」


「……?」


 サクラは何かを言い淀んでいる──そこまでは分かったが、何を言おうとしているのか。


「……悪かったわね、疑ったりしてしまって。だからその、ごめんなさい」


 サクラは頭を下げた。


 アイリスはアジサイとリュカの顔を見る──アイリスから視線を向けられた二人は、こくりと頷いて返した。


 それを受け、アイリスはサクラを見る。


「アイリスは、サクラを許します」


 と、アイリスはサクラに手を差し出した。


「……ありがと」


 サクラはアイリスの手を取り、それから握手をすると、リュカに近寄り、抱き着くようにして顔を隠した。気恥ずかしさや照れくささ、バツの悪さなどはやはりあったらしい。リュカはそんなサクラの頭を優しく撫でながら、アイリスに視線を送り、微笑んだ。


「──人間にとって大切なのは、失敗しないことじゃないもの」


 するとアイリスはどこから引用したのか、そんなことを言った。


「……人間、か」


「どうかしたの?」


「ん……いや、さっき色々と言われてさ。アイリスは人間にはなれないとか、無意味なことはするなとか」


 それはリュカだけでなく、アイリス自身もまた、直接言われていたことだった。


 そして、アイリスもそれを自覚していないわけではない──しょぼくれたような顔をして、アイリスは俯いた。


 考えたところでどうにもならないような模倣者の言葉が、グルグルと、アイリスの中でとぐろを巻く。


「アイリスが……」


「…………」


「アイリスが今していることは、意味の無い事なんでしょうか」


 アジサイでもなくサクラでもなく、アイリスはリュカに尋ねた。


「まぁ、それについては視点によるとしか言いようがないんだろうけど──見る人によっては、そう映ったりもするんじゃない? でも、意味があるかないかと、それが善いか悪いかはまた別だよ」


「…………」


「アイリスはどう思うの? アレはそういう意味の無いことを悪いものだと考えていたようだけれど、意味の無いことはするべきじゃない、悪いことだって、そう思う?」


「……分かりません。アイリスはまだ、それを理解出来る段階にありません」


「ならそれでいいと思うよ。無駄だと思ったらやらなければいいし、やりたいと思ったら無意味でもやればいいし。そもそも、世の中そんなに意味のあることで満ちているわけでもないからね。意味のある事だけをしようとして、それを探すために時間を浪費することの方が、僕としては無意味だと思うし」


「したいことをすればいいということですか?」


「やっていいこととそうでないことの区別は付けないと駄目だけどね。でもどのみち、本人の意志に関わらず、生きていれば無駄なこともしなきゃいけなかったりするわけだから、一々そこに意味があるだの無いだの考えても仕方がないんだよ」


「考えても……仕方がない……」


「そうやって色々考えることも、どちらかと言えば人間のすることなんだろうけどさ」


「人間の……」


 人間のすること。


 人間の──すること。


 その言葉にアイリスは反応し、顔を上げ、尋ねた。


「アイリスは、人間にはなれませんか?」


 それは質問というよりは、願望だったのだろう──なれると言って欲しいという、アイリスの願望。


 あの模倣者の言葉など、正面から否定してほしいという、願望。


 しかしリュカは、首を横に振った。


「……なれないと思うよ。それはどうしたって覆らない。変えようがない」


「…………」


「けどもまぁ、人間になんかなれなくても、アイリスはアイリスとして、なりたいものになればいい。人間になったところで、それは別にゴールじゃないからね。寧ろスタートラインでしかない。だったら……、そこはすっ飛ばしてしまってもいいんじゃないかな」


「なりたいもの……」


 リュカは頷き、続ける。


「人間にしろ、何にしろ──生まれは選べない。途中で他の何かや誰かとして生きていくことも出来ない。だから、皆死ぬまで、自分として生きるしかない──自分としてしか生きられない。けどその上で何をするか、何になるのかを選ぶのは、決めるのは、自分自身だ。少なくともアイリスにはその自由がある」


 アイリスは静かに目を閉じる。


 そして考える──深く考える。


「──なら」


 目を開き、アイリスは。


「アイリスは……」


 アイリスは言う。


「アイリスはもっと色んな事をしたいです! 今はまだ何になりたいかは分かりません。だから、アジサイと、サクラと、リュカリュカと、それ以外の皆と、いっぱい話して、いっぱい遊んで、色んなことをして──なりたい何かを、見つけたいです」


「いいと思いますよ」横から、アジサイが言った。「アイリスはまだ何も知らないようなものなんですから、これからどんどん色んな物事を知っていくべきです。……まずは、そうですね──」


 私が出した課題の方から終わらせましょうか──と。


 アジサイはそう言った。


 アイリスが思い出したような顔をすると、アジサイはそれを見て、「忘れてましたか?」と、小さく笑った。


 △▼△▼△▼△


 それから数日ほどして、アイリスは、物語を指定されていた文量で一本書き上げた──無論、その間ずっと原稿用紙とのみ向き合っていたというわけではなく、色々なことを経験してみながらではあったので、その分だけ時間は掛かってしまったのだが──アジサイからの指導を受けたりもしつつ、幾度となくやり直しを重ね、試行錯誤の結果として、それはアジサイに提出された。


 読み終えたアジサイは、緊張した面持ちのアイリスを前に、一息吐く。


「……なるほど」


「ど、どうでしたか?」


「まず訊きたいのですが……世界を滅ぼすのはやめたんですか?」


 アジサイは講評をするでもなく、感想を述べるでもなく、始めにそう尋ねた。


 世界を滅ぼすというのは勿論、物語の終わりに際しての話である──今回アイリスが書き上げた話では、これまでさんざん行われてきた世界を終わらせるための展開や人物が一切出てこなかったのだ。敵がいなかったというわけでもないのだが、そういう無理矢理さを感じさせるものは無かった。見ようによってはこれも成長なのかもしれなかったが、アジサイとしては少しばかり、気になるところでもあったのだった。


「……アイリスは、今回の事で思わされました──世界が終わるのは、何もかもが無くなるのは、それは想像しただけで、凄く悲しいことだということを」


 サクラに拒絶された時、アジサイとはもう一緒にいられないのではと考えた時、そんな感情に、アイリスは襲われた。


 狭い狭い世界だが、それでも自分が一等大切にしているその世界に罅が入っただけで、そんな感情に襲われたのだ。


 ならそれは──物語にもきっと同じことが言えるのだろう。


「だから、世界は終わらせません」


「……そうですか。そうですよね」


「それでアジサイ、どうですか?」


「そうですね……まず構成としての話ですが、これは合格です。起承転結が入れ替わるようなことも起こってはいませんし、前後で矛盾している箇所もありませんし。はい。改善点が無いわけではありませんが、十分問題の無いレベルに達しています」


「本当ですか!」


「噓は吐きませんよ。それから物語全体の話ですが……これ、今回あったことをモデルにしてますよね?」


「はい。でもそのままにはしてません。アイリスは『おりじなりてぃ』を重視しました」


「えぇ、それはちゃんと出来ていると思います。なのでこの辺についても、まぁ文字数の関係でやや巻きな展開に思えなくもありませんが、十分でしょう。キャラクターに関しては少しばかりモデルがそのままな感じも否めませんが」


「じゃ、じゃあ……」


「合格です。よく出来ました、アイリス」


「──!」


 アジサイはアイリスの頭を撫でる──よりも先に、アイリスがアジサイに抱き着いた。アジサイは勢いで倒れそうになるのを踏ん張って堪えると、そんなアイリスを改めて撫でる。


 アイリスは嬉しそうに、アジサイの胸の中で笑った。


「アジサイのお陰です」


「そんなことはありませんよ。アイリスが頑張ったからです」


「むぅ。違います!」アイリスは顔を上げ、強く言った。「アジサイが力を貸してくれたからです!」


「そこ、そんなに大事ですか?」


「大事です。アイリスはアジサイに感謝しています。何かしてほしいことはありませんか? アイリスはお礼がしたいです」


「お礼……ですか。うーん」


 そう言われても、パッと出て来るものではない。それに実際、アジサイは大したことはしていない──少なくとも本人はそう考えている。


「今は思いつきませんね」


「そうですか?」


「急に言われてもですから。まぁ、また今度、力を借りたい場面があったら、その時にお願いしますね」


 また今度家事でも手伝ってもらって、それでお返しということにしてもらおう──そんなことを考えながら、アジサイはアイリスを下ろし、その場から立ち上がる。


 そして少し部屋の中を歩き──その瞬間、ふと、妙な感覚に襲われた。


 背中を何かが奔り抜けていくような、そんな感覚。


 アイリスが悪戯でもしたのではないかと思い振り返るも、そんなことはなく。アイリスは自分の原稿用紙を広げ、それを読んでいるようだった。


 だとすれば、これは何なのか。


「いや……」


 これは少し前にも感じたものだ──と、アジサイは思い返していく。


 これは──そう、何かを忘れている時のものだったはず。


 何かを忘れているということなのだろうか──自分は。


 アジサイはその場で立ち尽くし、しかしなかなかそれを思い出せないことに焦れると、その場から離れ、普段生活スペースとしている狭い空間へと戻った──そして。


 そして、机の上に残されたまるで進んでいない原稿用紙の束を見て、固まった。


 そもそもあの日──つまりはアイリスと初めて顔を合わせたあの日、アジサイは締め切り間近の原稿を片付けるぞと意気込んで、朝からこの部屋に閉じこもっていたのだ。


 書き出しに躓いていたとは言え、締め切りまであと数日までしかないとは言え、話は既に固まっていたし、本気を出せば遅れることはないだろうと考えて。


 しかし、アイリスが部屋にやってきて、そこから何だかんだしているうちについつい頭からすっぽ抜け、事件があったことでいよいよ完全に忘却の彼方へと追いやられ──そして今に至る。


 アジサイは今日の日付を思い出し、締切日がいつだったかを思い出し──当然の結果として、顔面を蒼白させる。


 マズい──というのは、わざわざ再確認するまでもないほど明白な事実だった。


 ここからだと、どう考えても執筆スピードが間に合わない。


 どんなに順調に文字を書き連ねたところで、腕が追い付かない──と、そこまで考えて、アジサイはアイリスの下へ駆け寄った。


 アイリスのあの尋常ならざる執筆速度なら──!


「──アイリス! 私に力を貸してくださいっ!」


 それに対し、顔を上げたアイリスは一も二もなく、


「はい! アイリスが力になります!」


 と。


 笑顔で言ったのだった。

ストックが無くなったので一先ずここまでとなります

よければ評価、拡散等よろしくお願いします

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