表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
滅界の花嫁  作者: アブ信者
第死話
7/11

007 欠損した物

 流石に奴隷の入った檻を持ったまま買い物をするわけにもいかないということで、サクラには必要なものは次の機会に買うことにするからと言って、一度森の中にある小屋に帰還した。すると、檻の中で唸るだけだった獣人の子が、ある一点を見つめ始めた。視線を辿っていくと、そこにあったのはサクラが吊るしていた首の無い動物。アレは何のために吊るしているのかと尋ねれば、血抜きをしているのだそうだ。


「お腹が空いてるのでしょうね」


「でもあれ生だけど……解放したら今にも食らいつきそうだな……」


「ただであげたら意味がないでしょう。折角下僕として連れて来たのだから、躾けるためにもアレはお預けにするべきよ」


 下僕。


 護衛として育てるとか言ったのを真に受けているのだろうか。一応はサクラの同居人として連れて来たのだが、しかしある程度躾をしなければならないというのには同意だ。今の状態のまま解き放ってあちこち暴れまわられても仕方がないし、言うことを聞いてもらえないのも困る。最低限必要な教育は施さなくてはならないのだ。別に読み書き計算を叩き込むわけでもないが……いや、いっそその方向で試してみようか。


 獣人は頭が悪いと言われることがままある。けどそれは、周りの環境が生み出した負の連鎖に過ぎないのではないかと思うのだ。何も教わらずに育った子供が大人になり、子を持つ。その子もまた何を教わることも出来ずに育っていき、大人になる。それは前世でもあった貧困家庭や文化資本を持たない家庭の再生産と、同じことでしかないのではないか。教育次第できちんと知識を付けられるのなら、獣人が蛮族だという言葉は否定できる。


 そう考え始めた横で、サクラが檻を開けていた。


「え?」


 刹那、飛び出す獣人。枷をつけられているとは思えない速度で肉目掛けて飛び出していこうとして、サクラに引き戻された。


「な、何してるの?」


「躾けないとでしょう?」


 ガチャガチャと音を鳴らしながら暴れる獣人を片手で押さえながら、サクラは涼しげな顔で言う。そして一瞬の隙を突いて逃げ出そうとした獣人の背中に肘を落とし、地面に叩きつけた。


「アレが食べたいの?」


 サクラが取り押さえながら尋ねると、獣人は鋭い眼光を浴びせながら、吠えるように肯定した。


「そう。でもそれは後。まだ血抜きが終わっていないし、火も通していない。あのまま食べても美味しくないわ」


「…………」


 それに対し、息を荒くさせて威嚇し返す獣人。子供ながら気圧されそうな気迫の持ち主だ。気迫だけでなく、力もそうなのだが。


「それに、それよりも先にやるべきことがあるでしょう?」


 やるべきこと。そう言ってサクラはこちらを見た。


 何を指しているのだろう。やるべきことは山積みなのだが、むしろ山積み過ぎて何を適当に言っても当たっていそうなのだが、しかしまぁ、この状態でまず最初にやることが何かと問われれば、身なりを整えてやることだろうか。土やら何やらで汚れ過ぎているし、髪もボサボサだ。食事にしようかと言ったところで、この状態ではテーブルにつかせてやることは出来ない。それは二十一世紀の人間としてもそうなのだが、この世界基準でもそうだ。流石にここまで汚れた状態の人間を食卓に着かせたりはしない。


「じゃあ、大きめの浴槽を向こうに作ってくるから、サクラはちょっと様子見てて」


 サクラが普段使っている風呂もあるのだが、今回は相当汚れそうなので、いつでも破棄できる物を新しく作ってしまうことにした。


「分かったわ。格付けは済ませておく」


 そんなことは言っていないのだが。けれど、これから生活をするのだから、サクラが必要だと思ったのなら何も言うことはない。


 しかし、あの獣人の子もサクラの拘束を一度は抜け出せたのだから、格付けとは言ってもそう一筋縄ではいかないだろう。それも、あの子は片腕だけでそれをやって見せたというのだから、もし両腕があればどうなっていたか。


 両腕、か。


 義手でも作ってみようか。木を歯車のように加工するのはそれなりに骨が折れそうだが、今の自分にはウォータージェットカッターがあるのだから、加工自体は存外すんなりできるだろう。


 けど、材質が木というのは不安だ。かなり暴れるタイプだろうから、すぐに壊されそうで──いや、義手を作る必要はないのか?


 折角水の魔法と光の魔法で治癒が出来るようになったのだから、実験がてら試してみようか。人体の欠損が治るのか否か。治るのだとすれば、そこにはどれだけの魔力が必要となるのか。治らないのなら、それは何が原因なのか。完治が出来ないのなら、どこまで治してやれるのか。


 副作用とかが無いといいのだけれど。


 土を操作し、大きめに陥没させる。そこに魔力を込めて土を硬質化させると、周囲に落ちていた落ち葉などを風で吹き飛ばしていく。そして火と水でお湯を作ると、一度浴槽に流し込んでいく。温度が高くなりすぎていないかを指で確認すると、一つ頷き、サクラ達の元へと戻っていく。


 戻ると、再度獣人の子を抑え込むサクラがいた。体重を上手く掛けているのだろう、身動きこそしていたが、抜け出せなくなっているようだった。


「それで……格付け完了?」


「いえ、もう少しかかりそうね」


「そっか。じゃあ取り敢えず連れて行きたいんだけど……小屋から石鹸持って行っていい?」


「いいも何も、あなたが作ってくれたものじゃない」


 石鹸はこの世界にも当然存在する。しかしまだ少し質が悪い。なので牛脂を厨房から拝借し、魔法を駆使して精製水を作成し、それから木炭を用意することで手製の石鹸を作っていたのだ。そして今は、サクラがそこにアロマや何やらを混ぜていい感じにできないかを試している。もう少し道具などが用意できれば楽に良い物が作れると思うのだが、やることが多すぎて手が回っていない。


 因みに、屋敷に置いてあった石鹸は全てこれと交換している。交換したものは別の場所に置いているのだが、家の外に出られるようになったのだ。誰かにでも売りつけてやろうか。


 小屋の風呂から石鹸を持ち出すと、獣人を連れて浴槽へと向かうサクラに付いて行く。


「ねぇ、このまま服を剝いで叩き込めばいいのかしら?」


「まず洗わないと……いや、その前に。枷は外しても大丈夫そう?」


「抑え込めるかってこと? それなら心配いらないわ」


「そっか。じゃあ、動けないようにしてて」


 鍵は渡されている。無ければ無いで切断は出来たのだが、サクラがホールドしているうちにと、首輪やら何やらを外していった。


 すると案の定暴れ始めたので、サクラが抑えにかかった。しかし腕が振り回せるようになったからか、ブンブンと大きく振るった腕がサクラの顔に当たり、そこでとうとうキレた。彼女は獣人の子を一瞬で地面に叩きつけると、目にも留まらぬスピードで攻撃を加えていき、意識を刈り取ってしまったのだ。


「……まぁ、この方が洗いやすいか」


 怒らせたのだから仕方がない。


 髪が長く、子供なこともあって性別が分かりにくかったのだが、その子は男だった。意識を失っている今しか落ち着いて出来ないだろうと、石鹸で汚れを洗い流していき、そして髪をある程度の長さで揃え、大き目の服を着せてから寝かせることにした。満足に食事を与えられていなかったのだろうか、度々腹の音が鳴り響いていた。


 そして、しばらくして。


「んぅ……、……?」


 目をぱちぱちと開閉させると、バッと起き上がった。


 そして、言葉を発するより先に腹を鳴らした。そんなに空腹なのか。


「話せる? 訊きたいことがあるんだけど」


「……ん」


「ならまず……そうだな……名前は?」


「……無い」


「無いの? 覚えてないとかじゃなくて?」


 そう訊くと頷いた。


 寝て起きたら落ち着いたのか、暴れ出す様子はない。


 後ろでサクラが立ち尽くしていることがもしかしたら関係しているのかもしれないが、気にしない事にする。


 空気がビリビリと震えているような気がするのだが、気にしない事にする。


 刃物の音が聞こえるが、気にしない事にする。


「無いんだ……」


 自分の名前を知るよりも先に奴隷として捕まってしまったのかもしれない。それか名前を付ける文化が無いのか、いや、それは流石に無いと思うのだが。


「なら、付けてあげればいいんじゃない?」


 後ろからサクラが言う。無いなら付ければいいというのは確かにそうだが、サクラの場合は色々と事情があったとは言え、勝手に付けてしまっていいものなのだろうか。


「じゃあ名前つけるけど……それでいいの?」


「あ……あぁ、うん」


 そう言われ、改めて容姿を見る。


 髪は黒く、肌も少し浅黒い。初めは汚れ故かと思っていたが、元からだった。眼は琥珀色で、落ち着いた今もその眼付きには鋭さを感じる。


 サクラの名前を目の色で付けたのだから、こっちも同じ感じでいいのだろうか。だとすればそのままコハクあたりになるのだが。


 確認してみると許可が出たので、彼の事はコハクと呼ぶことにした。


「じゃあ次は……腕か」


「腕……?」


 コハクは首を傾げた。


「片腕しかないでしょ。それを治せるかどうか試してみたいんだけど、いい?」


「……待って、何を言っているの?」


 少し慌てた様子のサクラにそう言われた。


 水と光の魔法の合わせ技で怪我を治せることはサクラにも理解してもらっているので、そこから腕の欠損も治せるのではないか、それを試してみたいという旨を、出来るだけコハクにも理解しやすいように説明していった。


「出来るの?」


「出来るか出来ないかじゃない──出来たか出来なかったかだよ。……とは言え、出来れば御の字ってことで試してみるだけだから、あんまり期待されても困るんだけどね」


 説明を終えると、サクラがイマイチ吞み込めていないような顔で尋ねてきたので、保険を掛けた。


 コハクはまだほとんど理解出来ていないような顔をしていた。取り敢えず腕を治そうとしているのだということは伝わったと思うのだが、それも少し怪しい。


「百聞は一見に如かずか。取り敢えずやってみるから、痛かったりしたらすぐに言って」


 寝ているうちにやってしまってもいいかとは思ったのだ。ただ、もし体内で何かマズいことが起こっている場合、それが分からないというのは危険。なので起きてからにすることにしたのだが、大丈夫だろうか。変に強がって我慢したりしないといいのだけれど。


 そうして人体実験──ならぬ、人体修復実験が開始された。


 まずどこから手を付けてくか。


 治癒の水を腕の辺りにつければいいのかと思ったのだが、既に傷は閉じている。やってみないことにはと、一度上を脱がせて水をつけてもみたのだが、反応は無し。垂れた水で周囲にあった切り傷が治っていくことは確認できたのだが、腕が生えてきたりはしなかった。


「しかし、古傷でも治るんだな……」


 次にどうするかと言えば、内側からのアプローチだ。サクラにコップを用意してもらうと、それに特製の水を注いでいき、淡く光を放つそれを一気に飲んでもらった。若干の抵抗を受けたが、サクラの協力を得て何とか飲み込んでもらったという感じだ。先程の攻撃が効いているのだろう、初めに比べれば従順と言える。


 しかし反応がない。


「っ、もう一回……!」


 だが、何も得られなかったわけではなく、それを確かめるためにもと、もう一度飲んでもらった。


 そして水が喉を通っていく瞬間に、その水を魔力で捉え直した。一度体内に入った水が腕の方へと集まるように操作する。だが、体内に入り込んだ水を操作するというようなことをこれまでにしてこなかった所為か、掴み損ねてしまった。


「もう一回!」


 水を飲ませ、もう一度やり直す。


「あぁもう、もう一回!」


 しかし、失敗。


 失敗、失敗、失敗、失敗、失敗、失敗、失敗、失敗、失敗、失敗、失敗、失敗、失敗、失敗。


 そして、それまである程度従順に水を飲んでくれていたコハクが青い顔で首を横に振り始めた頃、ようやくコツを掴み始めた。


「これで最後だから。これで成功させるから。……ね?」


「う……ぅ……うぅ……、い、嫌だ……!」


 水を差しだすも、飲んでくれない。掴み損ねた水はそのまま落ちていくので、今頃胃の中はちゃぽちゃぽなのだろう。あまり水を飲ませすぎるのもよくないので、ここらで区切って切り上げるべきなのだろうが、折角感覚を掴めてきたのだ。明日もこれを覚えていられるかは不明なのだから、今やってしまいたい。


 すると、後ろで見ていたサクラがコップを引っ手繰り、コハクに詰め寄った。


「飲みなさい」


「…………やだ」


「拒否権があると思っているの? 飲めと言っているのだから飲みなさい」


「ぅ…………」


「少し優しくされたら自分の身分さえ忘れたのかしら」


「……いぃぃ……」


 確かに奴隷を買ったのだが、別にここでも奴隷として扱うつもりはない。同居人として暮らしてもらうつもりでいるということは、改めてサクラには伝えておくべきか。


 それともそんなことは分かっていて、その上でこの態度なのだろうか。だとしたらそれはそれで問題なのだが、まだ子供なのだし、いくらでも軌道修正は可能か。出来なければ自分の責任ということで頑張ろう。


「の……飲む……、飲む……」


 真っ青な顔でサクラが突き出したコップを受け取るコハク。一度深呼吸をすると、こちらを一度見てから飲んだ。一瞬の罪悪感に襲われつつも、これで成功させるためにと水を捉える。そしてそれを肩に持っていき、右腕の再生を試みる。


 すると。


 右肩の辺りの皮膚がブクブクと蠢き始めた。この機を逃すまいと操作を続け、ありったけの魔力を叩き込んでいき、治癒を加速させていく。


 そうしてしばらく。


 コハクの腕の再生に成功した。腕の生え変わる瞬間と言うのがこれまた夢に出てきそうな気持ち悪さがあったのだが、しかし普通に生きていればお目に掛かれない光景を見ることが出来たと思うことにしよう。


「……はぁ、上手くいった……。疲れた……」


 かなりの時間集中していたせいか、全身汗だくになっていた。緊張から解放された反動か、息が荒く、脚や腕が震えている。


「動く……」


 コハクは生えた腕を動かしていた。目の前の光景をまだ信じ切れていないのか、ペタペタと触っては動かしてを繰り返している。そしてそれが現実だと理解し納得したのか、キラキラとした目をこちらに向けた。


「すげぇ……! 神様みたいだ……!」


「っ、見せて!」


 サクラも遅れてそれを確認する。動かしてみたり、抓ってみたり、引っ張ってみたりして、それが見かけだけのモノでないことを確認していた。コハクは少し痛がっていたが、腕が生えたことによる興奮の方が強かったのか、暴れ出したり怒ったりはしなかった。


「……治ってる。あなた、本当に……」


 サクラが何かを言おうとした──その時、もう何度目かも分からぬ腹の音が鳴った。


 かなりの時間じっとさせていたわけなので、そろそろ何か食べさせてやらないといけないのだろうが、たらふく水を飲ませてしまった直後でもあるので、多分今食べさせたら盛大に吐く。


 それにどちらにせよ今は食べさせられるものが無いので、それこそ外に吊るしている肉を調理するなりなんなりしなければならないのだが……シチューにでもしようか。アレなら一度に多めに作れて、しばらくはそれを食べられる。カレーなんかも食べたいのだが、スパイスが無い。


「よし、外の肉使って料理でもしようか」


「……!」


 その言葉に、コハクが尻尾を振り乱し始めた。分かり易い尻尾をしている。


 その後、サクラと共に肉を捌いていくと、シチューを作り上げた。自分は家での食事があるので味見程度でしか食べていないのだが、それなりに美味しく仕上がったと思う。その証拠かは分からないが、コハクがとんでもない速度でシチューを消費していた。途中でサクラに止められていたが、もし止めなければ鍋を空にされていたかもしれない。


 これが今まで満足に食べられなかったことの反動ならそれでいいのだが、常となると色々と考え物だな。肉自体はサクラがどこかから調達してくるとは言え、野菜などを育てたりはしていないのだから、それ自体は家から持ち出したものなのだ。


 コハクはただ肉を焼いただけのものでも食べるのかもしれないが、折角食べさせるのなら健康にいいものを食べさせるべきで、だからこれからもそれは変わらないのだろうが──いや、家の外に出られるようになったのだから、野菜などは自分で買えばいいのだろうか。


 しかしこんな小さな町だ。その辺の店で野菜などを買っていれば、それは遅かれ早かれ買い出しにでも出た家政婦辺りの耳に届く。ならその野菜を使って何をしているのかという疑問も当然出てくる。これは避けなくては。


 だからと言ってこの森の中に畑を作ることができるとは思っていないし、いずれ解決しなければならない課題ではあるのだろうけど、今は放置するしかないのだろうか。しかし、いつ持ち出していることがバレないとも限らないからな。


 いや、別の街に買い出しに行けるようになれば、つまりは瞬間移動の開発を今以上の速度で進めていけば、この問題は解決するのか。光の魔法に関する進展が思いのほか大きかったからそれで満足しかけていたのだけれど、最終的な目標は闇の魔法を作り上げ、そしてそれで以てワームホールの再現をすることだ。


 闇の魔法も別の魔法と混ぜたら何かしらの効果を見せてくれるかもしれないし、その辺が気になるという意味でも、実験の頻度を上げるべきか。外に出られるようになったのだし、町だけでなく例の山にも昼の内から向かうことができるのだ。


 相も変わらずやることが多い。そんでもってやりたいことが多い。


 けどこれが、俗に言う『充実している』というやつなのだろうか。


 コソコソとおかわりをしようとしてサクラに殴り飛ばされたコハクを見ながら、そんなことを思った。


 △▼△▼△▼△


 コハクの事は取り敢えずサクラに任せ、自分は家に戻ることにした。あの様子なら特に問題もないだろう。


 なので次は、二人が問題なく暮らせるような家を別の場所に用意したいのだが、これはなかなか壁が大きい。金銭的な問題は解決する気がしないし、こんな子供には家を売ってくれる相手がいない。なら自分たちで建ててしまえばいいのではないかと思いかけたが、流石に家の立て方までは知らない。部分部分の知識なら見たこともあるのだが、それだけでチャレンジするのは無謀だろう。それに、結局材料費がないのだから、お金の問題を解決しなければならないことには何も進まない。


 お金も稼げて、信用も得られて──なんて、こればかりは成長を待つしかないのだろうか。だが、いつバレるか分からないから取り急ぎそれらを用意したいというのが話の発端なのだ。


「しかしまぁ……焦ったところでどうしようもないか……」


 今の自分は生活を送る傍ら、サクラとコハクに勉強などを叩き込んでいき、魔法の開発も進めつつ──そして。


「やっと帰ってきたのね!」


 エレインの相手もしなくてはならない、と。


「ただいま。姉ちゃん」


「おかえり! ……じゃなくて、何でもっと早く帰ってこないのよ!」


「何でって……。散歩してたから」


「むぅ。リュカが帰ってこないからずっと暇だったのよ!」


「そうなんだ……。勉強は? 暇だった間ちゃんと勉強してた?」


「うぐっ……、リュカがお母さんと同じこと言う……」


 それはそうかもしれない。こうして接するとどうしても親目線になってしまうのだ。


「で、でも今日はちゃんとやったのよ! リュカが言ってた……あの……アレもちょっと覚えたんだから!」


 アレ。多分九九の事を言っているのだろう。そうでなかったら心当たりがない。


「覚えたんだ。なら、二×九は?」


「えっ……と……、十八よ!」


「お、正解。姉ちゃん凄い」


 少し間があったが、ここは誉めておく。


「えへへ……じゃなくて!」


「じゃなかったら何。汗かいたからお風呂入ろうと思ってたんだけど」


「え? あ、そうなの。なら、出たら私の部屋に来なさい! いいわね!」


「分かったよ」


 小走りで部屋へと戻っていったエレインを見送り、風呂場へ向かった。


 もう五歳ということで、一人での入浴も許可されている。それまでは必ず誰かが付くようにされていたのだが、もうそろそろいいだろうとのこと。


 たまにエレインが一緒に入ってくることはあるのだが、一人で、それも自由なタイミングで風呂に入れるようになったのがいい。それまでは誰かが入る時に合わせなければ好きに風呂にも入れなかったのだ。何たることか。


 それについては母親としての心配も理解は出来るので、文句も言えないのだが。


 風呂に入ると、身体を流していきながら、頭の中では別なことを考えていた。


 エレインだ。


 部屋に来いと言われていたが、今度は何をするつもりなのだろうか。また終わりの見えないおままごとを始める気なのだろうか。流石にエレインももう八つなので、そろそろおままごとからは離れて欲しいのだが、しかしこれについては仕方がない部分もある。それ以外にやることがほとんどないのだ。外に出ればボール遊びだとか色々とやれることもあるのだが、部屋の中でするようなことがとかく少ない。


「小さい時って何してたんだっけ……」


 お絵描きや粘土遊びだろうか。幼稚園児の頃はそんなことをした覚えもある──だがエレインは幼稚園児じゃない、八歳児だ。


 なら、自分が八歳児の頃は何をしていたのだろうか。八歳なので、小学二年生の頃ということになるのだが……ダメだ。勉強くらいしかしていた記憶がない。これに関しては自分の経験を辿るだけ時間の無駄だな。周りの子が何をしていたのかを思い出さなくては。


 となると。


「ゲームとか、か……」


 この世界で再現することのできないものが真っ先に思い浮かんだ。けれど当時はアレらが社会現象を巻き起こすほどの一大ブームになっていたのだ。思い返せば懐かしいが、今はこれしか出てこないのが恨めしい。


 だったらそれ以外に、何か八歳児に相応しい遊びがないか考えてみるか。八歳児に相応しいというのが一体どういうものなのかはよく分からないが。


「出来れば知育になるものの方がいいのか……。ただ漫然と遊ぶよりは……」


 計算だとか、物の考え方だとか、そう言ったものが遊びながら身につけられるものがいいのだろうが、そればかりに特化してしまうと面白みがない。子供の遊びなのだからあくまで楽しさメインで、それでいて遊ぶだけで終わらないものを……。


 それと、二人で遊べる物の方がいいのか。一人遊びに帰結してしまうと、高確率でエレインは満足しない。アレでいてお姉さんしたがる子なので、弟と遊んでやっているのだという感覚がないといけないのだ。


 それが一人でもできるお絵描きなどをエレインがあまりしないことの原因でもある。何かを一緒に作るという方向性ならいいのかもしれないが、二人で絵を描くというのもな。庭の土で何かを作るのだとして、そもそも庭に出ているなら他にやれることは多い。部屋に土を持ち込むわけにもいかないから、粘土遊びをするなら粘土を別で採取してこなければならない。


 いや、土自体は魔法でも出せるのか。これで何か作れないだろうか。


 一度体を洗う手を止め、土を出した。


 魔法で出した土はある程度自由に形を整えることができる。初めの頃はそれにも苦戦したが、今では結構すんなりと出来るようになったのだ。


 人形……は、作ったところで茶色だからな。絵の具を使って彩色すればいい感じになるかもしれないが、美術的なセンスには自信がない。


 それにそもそも、人形は自分が作らなくても普通に売っているのだ──あまり可愛くないが。リアルすぎて気持ち悪いが。たまにエレインが部屋に置き忘れた人形がこっちを見ていたりするが。


 だったら何があるだろうか。売っていなくて、それでいて自分でも作れる物で、色を付けるにしても単純な何か。


「うぅん……」


 素っ裸のまましばらく考えて、チェスなんかは簡単に作れるのかもしれないと、そう思った。形はよく覚えていないが、要はそれっぽければいいのだし、彩色も白と黒で単純だ。ルールをエレインが覚えられるかが心配だが、それが無理ならもう出来ることはない。母親に言い付けて後は何とかしてもらうとしよう。


 それから風呂に入っていることを忘れ、チェスの駒を土で作り続けた。


 △▼△▼△▼△


「遅い!」


「ごめん……」


 風呂から上がる頃にはそれなりの時間が経過しており、エレインとの約束を思い出すなりすぐに部屋に向かったのだが、部屋に入るなり、そこで仁王立ちしていた膨れっ面のエレインから至極真っ当な怒りをぶつけられてしまった。怒りとは言っても、そこまで怒っているというわけではなかったのだが。


「遊べる時間が減っちゃうじゃない。リュカはそれでもいいっていうの?」


「よくない」


「なら今度からは私を待たせないことね。いいわね?」


「うん」


 今度は誰に、あるいは何に影響を受けたのだろう。面倒臭い彼女みたいなこと言い出してる。あまり本を読んでいる場面を見ないのだが、恋愛小説でも読んでいたりするのだろうか。


 適当に適当な返事をしつつエレインを落ち着けると、先ほど作っていた土の駒を取り出した。まだ色は付けていないが、今はいいだろう。


「姉ちゃんと遊びたかったからこれ持ってきたんだ」


「何それ? もしかして──」


「違うよ? 駒だよ。遊ぶための駒」


「駒? それで何するの?」


 説明するよりも先に必要なものがあると、紙を取り出してはそこに線を引いていく。将棋は九×九の八十一マスだが、チェスは八×八だ。


「姉ちゃん、八×八は?」


「え? ……えっと、一、二、三……」


 唐突に九九を振ると、マス目を一つ一つ数え始めてしまった。まだそこまでは覚えていなかったか。少し悪いことをしたかもしれない。


「……六十三よ!」


 どっかで数え間違えたなこの人。


「六十四だよ。数え間違えたでしょ」


「え……あ、いや、い、言い間違えただけよ! 六十四でしょ! 分かってるに決まってるじゃない!」


 多分だが、六十五だよと訂正しても同じことを言ったのだと思う。


 そして改めて、エレインにチェスというゲームの遊び方を説明することにした。まずはどこから説明したものかと思ったのだが、最終目標から言っておくのがいいだろう。


「これはこの、王冠を被った駒を取れば勝ちなんだよ」


 と、キングの駒を摘みながら言う。


「それを取ったら勝ちなの?」


「うん。それ以外にもルールはあるけどね」


 それ以外の駒もとりあえず並べていきながら、そう返す。


「ルール?」


「駒の動かし方とか、そういうの」


「へぇ……。なら、これは?」


 と、ポーンやルーク、ビショップにクイーンなど、それぞれの駒の動き──制約を説明し、それを一度別の紙に書き出していった。そして、忘れた時はこれを見てと言って、横に置いておくことにした。


 一度で覚え切るのは無理だ。サクラがいるので忘れがちだが、普通人間とはそういうもので、一度で全部を理解したりはできないのだ。


 それに、その道のプロでもあれば話は別かもしれないが、将棋にしろチェスにしろ、駒の動き方を全てきちんと把握している人というのはそう多くない。


 かく言う自分も風呂場でうろ覚えだった部分を何とか思い出していたくらいなのだから。将棋の駒の動きは覚えていたのだが、チェスになるとそれが一気に怪しくなったのだ。チェスは時折エキセントリックな動きをし始めることがあるので、そのせいかもしれないが。


 そして説明を終えると、紙で作った即席の盤を挟んで向かい合う。それ以外にも細かいルールは色々とあるが、今そんなことを説明してもパンクするだけだ。それに、変なルールはない方がいい。


「結構簡単じゃない! 見てなさい、私が勝っちゃうんだから」


 そうしてゲームは始まったのだが、問題が起こった。


「これで勝ちよ!」


 そう言われたときの自分の気持ちを説明するのは難しい。なので、ありのままの事実だけを記そうと思う。


 相手は初心者なのだからと先手を譲ったのだが、その直後、つまりは一ターン目に、エレインは自分のキングをクイーンに取らせ、高々と勝利宣言をしてのけたのだ。


 確かにキングを取れば勝ちとは言ったが、こんなプログラミング上のエラーのようなことをするとは思っていなかった。


「僕の負けだよ」


 大きく溜息を吐き、一から説明し直したのだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ