表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
滅界の花嫁  作者: アブ信者
第謀話
55/70

055

 ニコレッタとは、あれから授業で会う度に話をするようになった──いや、授業外で会う度にも話をするようになったし、時折向こうからわざわざ会いに来ては話をするようにもなった。その度一方的に話しかけられているだけな様にも思うのだが、一応こちらからも話らしいものはしていたりするので、コミュニケーションとしては成立していると言っていいのだろう。


 まぁしかし、話の内容は相変わらずと言うか、それ以外の話題が無いだけなのかもしれないが、例の穴についての事ばかりであった。一言目には一緒に行かないかという勧誘に始まり、二言目には説得を試みて来る。


 他に誘う相手はいないのだろうか──まぁ、他でもない本人がいないと言っていたのだが──しかし、もし仮に彼女に友人がいようがいまいが、こうなることは避けられなかったのかもしれない。彼女視点では自分も、つまりはリュカ・リンカーネルもまたあの穴に興味を示している人間ということになるのだろうから、それも仕方がないのだった。


 とは言え、そうなのだとすれば、しくじったとしか言いようがない。


 しまったな、訳の分からない理由で穴の観察などしに行くんじゃなかった。ただでさえ見ても何も面白くないというのに、その挙句にこんなことで苛まれているのではもっと面白くない。彼女自体が嫌いだというわけではないが、それでも会う度会う度同じような話ばかりされれば気が滅入るというもの。完全に興味を失くしてあしらってしまえばいいのかもしれないが、それも出来ないし、したくはない。敵でもない人間を意味もなく傷つける趣味は、やはり持ち合わせてなどいない。


 だが。


 彼女の方から接触を図ってくること自体は、ある意味では好都合だとも言えた。


 話の流れで彼女の興味の対象を別の物へと逸らしてやるなり、警備を掻い潜って侵入を果たそうとしているのなら、その考えを改めさせるなり何なり、出来ることはあるだろうから──と、そう思っていたのは、愚かにも、そんなことが出来るだなどと淡い期待を抱いていたのは、初めの頃だけである。


 だから「言えた」と、過去形なのだ。


 自分を変えることは出来るのかもしれないし、環境を変えることも出来るのかもしれない──だが、相手を変えることは至難の業だ。


 不可能だと断言するようなことはしないが、少なくとも自分には無理なことだったのだ。


 まだ一週間と少ししか経っていないが、もう半分以上諦めている。四捨五入すれば、完全に諦めてしまっている。


 ニコレッタはあんな感じだが、その意志は固い。本当に揺るぎないのだ。


 ちょっとやそっとでは別のものに興味を示すこともないし、しかも、本人の中ではもう既に、いつかあの穴の中に這入ることは確定事項になっているらしかった。這入ることを前提に、自分を誘ってきているのである。


 かなり厄介だ。かなり面倒だ。


 どうにかしなければ。


 そんなことを考えていたのが魔法の授業中だったのだが、その最中、


「リュカ……訊きたいことがあるんだけど……。今度はあの子と仲良くしてるの?」


 と、エレインに尋ねられた。その横ではイリーナが、興味深そうに耳を傾けていた。


「あの子……って言うと……ニコレッタのこと?」


 心当たりもあったので、変にとぼけたりせず、そう返した。


 まぁ、心当たりがあったというか、それ以外に何があるのだという話でしかないのだが。


「そう。この前までは……その、王女様と仲良くしてたでしょ?」


 王女とは一応同じ授業なので──以前の様に近づいて来ることはなくなってもいたのだが──聞こえたりしないよう、エレインは小声で言った。


 仲良く。


 エレインはそう言ったが、流石に偽りとは言え恋人同士だったことを知らないわけもないので、敢えてぼかしたのだろう。そこにどのような意図があるのかは知らないが、その部分にそこまでの興味もないが、気を遣ったのだろうか──あるいは、単に照れただけといったところなのだろうか。どちらでもいいのだが、しかしそうすると、エレインは自分が今ニコレッタと付き合っていると、そう考えていたりするのかもしれない。


「そうだね。たまに話すくらいには仲良くしてるけど」


 ただ、そう思っているのかなどと訊くわけにもいかないので、そう言うだけに留めた。


「どんな子なの?」


「どんな……」


 そこで少し、言葉に詰まった。


 個人的な感情として、現状のニコレッタにエレインを近付けたくないという思いがある。


 先ほども言った通り、別に彼女のことが嫌いだということではないが、不法侵入を企んでいるような人間に身内を近付けたくはない。当たり前だが。


 ただ、そんな自分の無言をどう受け取ったか、エレインは、


「もしかして……虐められてるの?」


 と言い、イリーナがそれに反応して、


「そうなの!?」


 と割合大きめの声で叫んだ。いくつかの視線が向けられた。


「え?」


「普段話しかけられてる時、リュカいっつも困ったような顔してたし、そうなんでしょ?」


「ううん。別にそういうんじゃないんだけど」


 しかし、困ったような顔はしていたのか。気を付けねば。


「ならどんな子なの?」


 と、イリーナ。


「まぁ……変わった子だよ」


「私より?」


「姉ちゃんは別に変わってないでしょ」そう言ってから、エレインが言いたかったであろうことに気が付く。「……あぁ、精霊魔法の話をしてるんだとすれば、そういう意味じゃないよ。そういう意味での変わってるじゃなく……考え方の面で変わってるって話」


「考え方……」


「まぁ、いずれか紹介するよ」


 いつになるかは分からないが。


 でもその時は、仲良くしてやってくれればと思う。


 しかし、そんな話をしていたからだろう、ふと、気になったことがあった。


「姉ちゃんとかイリーナは……友達出来たの?」


 なるようになるだろう、やるようにやるだろう──なんて、流石にそこまで自分が世話をすることはないだろうからと放置していたのだが、もうかれこれ一ヶ月は経過している。


 その間に出来た友人がゼロでないことは知っているのだが、それ以外──自分が知らないところではどうなのか、ちゃんとやれているのか──と、そのあたりが少し気になったのだった。


 何と言うか、これではまるで本当に保護者をやっているようだと、そう思いながら。


 自分の記憶がどうあれ、前世がどうあれ、今の自分はリュカ・リンカーネルでしかなく、エレインの弟でしかないのだから、ここまで心配するのもおかしな話ではあるのだ──いや、どうなのだろう。おかしいのだろうか。別にそうでもないのだろうか。別に他の例を見たわけでもないのだから、これくらいが存外普通であるという可能性もある。それどころか、むしろ自分が他より冷たいという可能性だってあるのだ。可能性の話をすればそれこそキリがないが、だからこそ断言は出来ない。


 というのは本題ではないから置いておくとして、エレインはその質問に、頷いて返した。


「出来たわ、何人か。まだそんなに多くないけど……」


「私も出来たわよ! 凄い?」


「凄い凄い」


 イリーナを撫でた。


 撫でながら、それならよかったと、胸を撫で下ろす。


 二人でよく一緒にいるので、それでいいやと考えて友達作りなんかを放棄してしまっていたりしたらどうしようなんて考えてもいたのだが、杞憂だったというわけだ。


 まぁ、基本的に明るい二人だから、その辺の心配は不要か。むしろ、自分の方が心配されていそうだ──と言うか、つい先ほど、虐められているのではないかという心配をされたばかりなのだった。心配されてどうする、される側に回ってはダメだろう。


 それからは、与えられた課題を二人がこなせるまで、アドバイスを続けた──以前ほどでもないが、他の生徒もそれなりに寄ってくるため、そちらへのアドバイスも並行してだが。


 彼らに関して、王女がいたから近付いてきているだけだと思っていたのだが、それだけではなかったということらしい。自分が王女と関わらなくなってからも、分からないことを訊きに来る人間はいたのだった。


 まぁ、中にはそういう人間もいるか。意味もなくひねくれるのは止めたほうがいいかもしれない。


 そんなこんなで授業が終わると、自分は一人で教室に戻った。もし道中に『誰か』がいた場合、一人の方がそれを回避しやすいと思ったからだ。


 だがそんな判断は間違っていたのだということを、自分は知った。


 この場合の正しい判断は、エレインやイリーナと一緒にいることだったのだろうと、少ししてから思い知った。


 厳密に言えばその二人でなくてもいいのだろうが、なんにせよ、一人でいるべきではなかったのだろうなと──廊下を歩き始めて少しして、何者かに物影に連れ込まれてから──そう思ったのだった。


「こんなところで会うなんて奇遇ね」


 と、高圧的な声で言う。


 連れ去った本人が抜け抜けと言う。


「こんなところに連れ込んでおいてよく言いますね」


 目の前にいるのは王女である。彼女は仁王立ちで、こちらを見ていた。


 王女は授業終了後、一人で教室に戻る自分を追いかけて、それかあるいは先回りをしていたのだろう。計画的犯行であり、偶然ではない。


「別れた後で堂々と近付くのはマズいから。こうするしかないのよ」


「何でマズいんですか? 振ったのは王女の側ということになってるんですよね?」


「そうだけど。いや、そうだからこそよ。袖にされたのが私なのだとすればまだ良かったんだけど、私の側から振っておいて、それでいてその後も近くにいたら、まるで私があなたをキープしてるみたいじゃない?」


「そうですかね?」首を傾げたが、すぐに納得した。「まぁ、そうなんでしょうね」


「そうよ。私にそのつもりがなくても、敵はそういう風に噂するのよ。『そういうこと』にするために」


「だから一人の時を狙って物陰に連れ込むんですね」


「その言い方は止めなさい」


「止めます。それで、何の用ですか?」


「あら。何か用がないとダメだっていうの? 薄情ね」


「はぁ。何の用もないのに連れ込んだんで──あぁ……連れ込んだんですか?」


 言い直そうとして、結局そのまま言った。


 別の言い方がすぐに思いつかなかったのだった。


「言い直しなさいよ」王女は呆れたように言い、そして切り替えた。「まぁその、用事っていうか……」


「…………」


「この間くれたお菓子……。アレのお礼を言ってなかったと思って」


「あぁ……」


 一週間以上前だが、確かに渡した。そういえばあの時、周囲からいくつか変な視線を受け取った覚えがあるが、先程の王女の話と照らし合わせると、アレはそういう視線だったということなのだろうか。


 振られて尚王女の気を引こうとする男──なんて、そんなふうに見られていたのか。何と言うか、色々通り越してただただ不快な気もする。


 表には出さないが。


「食べたんですか?」


「当り前じゃない。食べ物なんだし。美味しかったわよ」


「ならよかったです」


「因みに……アレは何かの賄賂だったの?」


「いや、賄賂じゃ……まぁ、賄賂みたいなもの……か」


 見返りを、それも物品的なものではなく、何かあった時の後ろ盾を期待しての贈り物なので、黄金色の菓子を仕込んだ覚えはないが、賄賂であるとも言える──少なくとも、そうでなくとも、純粋な贈り物でないことは確かだった。


「え、賄賂なの?」


「はい」


 生返事で返した。


「……そう……まぁいいけど」


 王女は小さく言う。


「用件というのはこれだけですか?」


「あぁ、いや、違うわよ。本題はまた別」


「そうですか。……では、手短にお願い出来ます?」


 分かった──と言い。


 そして続けた。


「例の地下通路、あるじゃない?」


「ありますね」


 少し心拍が早まった気がしたが、平静を崩したりはしなかった。


「あの後結局気になって、個人的に調べてみることにしたのよ。あの奥には何があったのかとか、そういうことを。勿論、近衛を引き連れてだけど」


「はぁ。どうだったんですか?」


「面白い結果に終わったわ。ま、面白いかどうかは人によるって、あなたは身も蓋もなく言うんでしょうけど」


「じゃあ言いません。……それで、何が出てきたんですか?」


「知りたい?」王女はわざとらしく首を傾げた。「私としては、ここで教えてあげても別にいいんだけど……」


「別にそこまでの興味もないんですけど」


「持ちなさいよ少しは」


「そう言われましても。それで、結局何の話がしたいんですか?」


 すげないわね──と王女は言って。


「何も出てこなかったのよ」


「は? じゃあ何が……あぁ」


 なるほど──と、言葉を切った。


 何も出てこなかったというのは、それはつまり、言葉通り何もなかったということなのだろう。


 しかしそれは明らかに──おかしい。


 だから──面白い。


 王女がそう言ったのは、そういうことの様だった。


「えぇ。通路の奥を探しても、何一つ出てこなかった。学園の地下にあるのは、どこにも繋がっていない通路だった……なんて、あるわけないじゃない?」


「……隠し通路があった……とか?」


「その可能性は高いけど、結局、その時はそれも含めて何も見つけられなかったのよね」


「それは残念でしたね。それで……あれですか、気になって一人で夜な夜な調べに行ってたんですか?」


「な、何で知って……」


 一週間ほど前──王女に菓子折りを渡した前の日の夜、寮の部屋から見えた何者かの影というのは、アレは王女のものだったのだろう。


 月の光に照らされて白く輝いていた髪の毛は、特徴的なものだった。


「んん……」王女は咳払いをして、目を逸らして言った。「そうよ。何も出てこなかった以上、そう何度も近衛を引っ張り出したりは出来ないから」


「それで一人で……危険では?」


「かもね。まぁどの道、私一人では這入れなかったから、危険も何も無かったわよ」


 這入れていなくとも、深夜にコソコソと動き回るのは危険なのだが……。しかしまぁ、当然だろう。相手が王女だからと、入れてしまえば大問題だ。時計塔とは違うのだし、付いて行くわけにもいかないのだから。


「それで。もう既に嫌な気しかしないんですが……用件というのは」


「察しがいいのは好きよ──」王女はいたずらっぽく笑った。「そ。改めて何があるか調べてみないか……って、そういう提案」


「何があるか……ですか」


 何か違う気がした──何が違うのかがよく分からないが、しかし明らかに、王女は別の目的を持ってこの話をしている。


 その地下通路に何が隠されているのか、それが判明しようがしまいが、彼女としてはどうでも良さそうだった──少なくとも自分には、そう思えた。


 だが、何を狙っているのかなど、尋ねたところで答えはしないのだろう。


 そして恐らく、こちらに拒否権を与えるつもりも、彼女にはない。


 無論、全力で抵抗すれば流石に諦めてはくれるのだろうが──しかしそれは、エレインやイリーナのことをよろしくしているこちらとしては、選び難い選択肢でもある。


 考える。


 拒否権がないのはもう仕方がないとして、この件に関わった際のメリットデメリットはどのようなものになるのか、を。


 メリットらしいものは思いつきそうにないので、まずデメリットの方から考える。


 これは言うまでもなく、見つかってしまい、何らかのペナルティを受ける可能性がある、ということだろう──王女の口ぶりからして、地下通路の再調査をする上での何か具体的な策があるのではなく、とりあえず自分を引き込んで協力させようという魂胆なのだろう。その場合、選べる手段は不法侵入くらいのもの。協力するとしたら最後、そのリスクを背負わなければならなくなる。王女がいる以上、バレてもそこまで悪いようにはされないと思うが、リスクはリスクだ。


 今は思いつかないが、この件にメリットがあったとして、このデメリットと釣り合いが取れるとは思えない。不法侵入など、ニコレッタでもあるまいし──いや、ニコレッタか。メリットを見出すとしたら、そこにあるのか──むしろ、そこにしかないのか。


 嘆息し、顔を上げる。


「分かりました。行きましょう」


「ほ、本当に?」


「はい。ただ、一人連れて行きたい人がいるんですけど、いいですか?」


「え」数秒硬直し、王女はやがて解放された。「…………つ、連れて行きたい人?」


「はい」


「えっと、エレインのことかしら?」


「まさか。こんな碌でもない話に巻き込みませんよ。同じく美術の授業をとってる、別のクラスの人です」


「碌でもないって……。えっと、どうして?」


「その人がやけにあの大穴に這入りたがっていたので。このまま放置して、一人夜な夜な侵入してお縄になるくらいなら、この際一緒に連れて行くのがいいかなと思いまして」


「はぁ。あの大穴に? 変わってるわね」


「まぁ、色んな意味で変わった人ではありますよ。悪い子じゃないとは思うんですけど──」


 と、自分はニコレッタという少女の事と、それから事の経緯を伝えた。


 そして、そんな彼女を適当なところで納得させるため、一芝居打って欲しいというような話をした。


 勿論、そこまで直接的な物言いをしたわけでもない。


 ニコレッタがこれ以上暴走してしまわないか心配なのですがというようなところから話を始めて、それなりに遠回りをし──この際、例の事件に関するつまらない真相をこちらで捏造してしまって、彼女の中にあるこの世の闇だとかという物への期待を粉砕してしまいたいのですが──という、こちらの考えを王女に伝えたのだった。そもそもあの件は王女の命令でもあったのだからというような話を挟み、断り難い空気を作ることも忘れずに。


 尤も、そんなことをせずとも、交換条件ということにしてしまえばよかったのだろうが。


「……まぁ、仕方ないわね」話し終えると王女はそう言って、「……でも、それだと地下通路の調査は出来なくならない?」と、首を傾げた。「もし何か見つかったら、それこそその子の妄想に火が付くわけでしょ?」


「あ……。それもそうですね」そんなことにも気が付かなかったのかと、自嘲気味に言う。「なら、一芝居打った上で、改めて調べるというのではどうですか?」


「それは……ふ、二人でってこと?」


「別に誰か呼ぶのなら呼んでもらって構いませんけど」


「いないわよそんな相手。というか、あまり人に知られない内に動いた方がいいのよね……」


 後半は独り言の様だったので、反応もしなかった。


「まぁでも、そういうことならいいわ。あなたはあなたで厄介事を片付けて、私は私で知りたいことを調べる──そういう取引にしましょう」


 王女が片手を差し伸べて来たので、その手を取り、握手をした。


 取引だなどと言われると途端に悪い事でも企んでいるかのように思えてしまうのだが、不法侵入をしようという話をしているだけなので、別にその認識で間違いもないのか。


 これまで同じことをニコレッタに何度誘われても断り続けて来たのに、どうして今になってと思われるかもしれないが、これはやはり、王女が随伴するというのが大きい──もし見つかっても、バレてしまっても、その後ろに隠れてしまえば何とかなるだろうという安心感のような物があるのだ。


 それに、先にも言ったが、王女は断らせるつもりがない。ならばここは一つ乗っておいて、憂い事をなくしてしまった方がいい。


 予定がいつになるのかは不明だが、それまでに警備の目を掻い潜るための手をいくつか考えておかなくては。今の時点でいくつか取れる手はあるのだが、より万全な方を選びたいし。


「じゃあ、また日にちが決まったら教えて下さい。今度は物陰に連れ込んだりせず、穏当な方法でお願いしたいですが」


「これでも十分穏当でしょう。他にどうしろっていうのよ」


「メモをどこかに仕込んでおくとか、エレインにメッセンジャーを頼むとか、色々あるじゃないですか」


「…………まぁ、そうかもしれないわね。でも、直接言わないと、本当に言いたいことが思うように伝わらない可能性だって……あるわけじゃない?」


「かもしれませんが……。それならそれで、待ち合わせの場所だけ伝えておくなり、やりようはありますよ」


「待ち合わせね……。呼んだら来てくれるの?」


「行けそうなら行きますよ。王族からの呼び出しですし」


「…………そう。ならそうするけど」


 王女はどこかつまらなさそうに言うのだった。


「そうしてください」


「待ち合わせ場所だけ暗号にしてやるから」


「それはやめてください。どうせ「来なかったら承知しない」とか言うんでしょうし」


「あら。私のことよく分かってるじゃない」


「性格が悪いことだけは知ってます」


「可愛げってやつよ」


「はいはい。そうですね。……じゃあ、そういうことで、先に失礼しますね」


 と、適当に切り上げると、踵を返し、教室へと戻ることにした。王女は後ろで何かを言いかけた様だったが、結局何も言わなかったので、そのまま去った。


 教室へ戻ると、先に戻っていたらしいエレインから何をしていたのかと尋ねられたので、腹を下していたと嘘を吐いた。一瞬の間を置くこともなく、それがさも事実であったかの如き滑らかさで嘘が出て来る口だった。


 詐欺師にでも向いているんじゃないだろうか。


 詐欺師……やっぱりやめておこう。不快な人物を思い出してしまった。


 そうしてその日も全ての授業を終えると、寮へと戻って行ったのだった。


 △▼△▼△▼△


 放課後、少女は意を決して、そこへやって来ていた。本来であればあまり人の多い場所が得意ではない彼女だったが、今も尚逃げ出したい気持ちでいっぱいだったが、そうもいかない──逃げ出すわけにはいかない事情があった。


 やって来ていたのはナゾノハ百貨店。その入り口からずらりと並んだ長蛇の列に加わり、待つこと一時間ほど。


 ようやく店内へと這入ることが出来ると、彼女──ニコレッタはまず、入り口付近に置かれていた案内板を見に行った。何がどこにあって、何がどの階にあるのか、それを店員に尋ねずともよいというのは、彼女の様な人間にとっては大助かりなものだった。


 そして、どうやら自分の求めているものが一階に置いてあるらしい事を確認すると、店の奥へと進んでいった。売り場でも、天井から吊り下げられた看板によって、商品の分類が分かりやすく示されていたので、彼女がその陳列棚を見つけるまでには、それほど時間も掛からなかった。


 しかし。


 陳列棚を前にして、彼女はほとほと困り果てた。何せ、種類が多すぎるのだ。どれを選んだらいいのか、それが全く分からない。見ればそれがなんであるのかまでは理解出来ても、それが何に使用されるものなのかが分からない。自分が求めているものはこのうちの果たしてどれなのか、それが分からなかった。


 そんな折。


「お困りでしょうか?」


 と、声が掛った。ニコレッタは飛び上がりそうになるのを既の所で抑えると、ゆっくりと振り返り、声の主の方に目を向けた。そこにいたのは店員らしかった。綺麗な黒い髪の少女で、歳はニコレッタと同じか少し下くらいに見えた。だがどちらにしても、自分よりよっぽどしっかりしていそうだと、彼女は素直に感じた。


「あ……えっと……」


 やがて、絞り出したように、細い声が出て来た。


「お菓子作りの材料をお求めでしょうか?」


 店員は言う。上手く言葉の出てこないニコレッタを見ても、変わらず微笑んだままだった。


「は、はい……でも、わ、分からなくて……」


「こういった物をお作りになるのは初めてで?」


「え? あ、はい……」


「であれば、三階にあります書店にて、お菓子づくりについて纏めた本なども置いてありますので、そちらをまずご購入いただくことをお勧めします。そちらには当店で取り揃えております材料などについても記載がございますので、参考になるかと。よろしければ、ご案内いたしましょうか?」


 川の流れのように、言葉が出てくる。


 ニコレッタはその押しに負けて、ぎこちない動きで頷いた。


 すると店員は「こちらへどうぞ」と言って、ニコレッタを案内した。階段を上がり、書店へ。そこにはかなりの数の本が並んでいたが、その店員は迷うことなく、目的の場所へと歩いていく。


「どうしてお菓子を作ろうと思われたのですか?」


 店員が尋ねてきた。


「えっと……わ、渡したい人がいて……」


 ニコレッタは答えた。頑張った。


 しかし話はそこでは終わらず、店員は畳みかけた。


「それはそれは。お友達へのプレゼントでしょうか?」


「あ……はい。そう……です」


「…………なるほど。相手は殿方でしょうか?」


「え……!? ……あ、はい。最近仲良くなった人で……」


「やはりそうですか──」


 話しているうちに、目当ての本棚まで到着したらしい。店員は「こちらです」と言って、それを手で指す。


 ニコレッタがそれを手に取ると、店員はすらすらとした口調で値段を言った。安いとまでは言えなかったが、しかしその本の通りにすれば素人でも簡単なものが作れると言うのなら、その値段も高いとは思えなかった。


 そして、店員は続けて言った。


「──現在レシピ本をご購入いただきましたお客様に限り、一部食品が会計時に値引きされるクーポンをお配りしておりますので、会計時、担当の者にお見せください」


「え、あ、は、はい……」


 クーポンというのはよく分からなかったが、言いたいことは理解出来たので、取り敢えず頷いた。


 ニコレッタはそのレシピ本を持って会計に向かう。その間も店員は少し後ろをついてきていた。監視されているようでわけもなくハラハラとした気持ちにさせられたが、何かあったらこの人が助けてくれるのだと思うと、少しだけ安心出来た。


 金銭を支払うと、先程の話通り、色々書かれた小さな紙を渡される。使用期限は本日限りだそうで、忘れないよう念押しされた。


「では、戻りましょうか」


 店員が言う。


 そして階段を降り、再び先程の陳列棚の前まで戻ってきた。ニコレッタが本を開くと、店員は少し距離を詰め、「どれに致しましょうか」と言った。


「私でも作れそうなのって……えっと、えっと……」


 ニコレッタはペラペラとページを捲る。頭の中が真っ白になっていくのを感じた。


「後ろに行くほど難易度が高くなっていきますから、不慣れなのであれば、まずは初めの方に載っています物の内からお選びいただければと」


 店員はそんなニコレッタの手を止め、落ち着かせるような口調で言った。


「じゃ、じゃあ……これに……します」


 と、ニコレッタはページを前の方に戻すと、そこにあったものを指差した。すると店員はそれをちらと見て、必要なものを棚から素早く見繕っていった。どこに何があるのか、全て把握しているようだった。


 それから会計を済ませると、ニコレッタは震える脚で帰っていった。


「本当なら邪魔してやるべきなんでしょうけど……。スズランを見てるみたい」


 ニコレッタを送り返したクロユリは、業務へと戻って行きながら呟いた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ