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滅界の花嫁  作者: アブ信者
第暴話
44/70

044

「それで、答えは決まったかしら?」


「選択授業だって一週間考える時間をくれるって言うのに、王女はたったの一日ですか?」


「たかが授業なんかと一緒にされては困るわ。私には時間がないんだもの」


「こっちは時間もあるので、出来ればゆっくり考えたいなと思ってたんですけど」


「出来ないからさっさと答えを出しなさい。まぁ、選択肢は一つしかないんだけど」


「…………」


 王女を前に、黙る。


 どうすればいいのかと、考える。


 いや、何も考えてはいない。本当に考えるつもりがあったのなら、昨日の夜にでも考えておけばよかっただけの話なので、それをしていない時点で自分にはそもそも考えるつもりがないのだった。


 と言うのも、今日の朝──この会話をしている今も朝ではあるので、ついさっきの事なのだが──教室に着くと、時間的には少し早かったのか、そこには誰もいなかったのだ。


 なので取り敢えず、前日と同じ席に荷物を置いて席を確保すると、しばらくは椅子に座ってボーっとしていたのだが、そのうち暇を持て余すと、教室内を意味もなく歩き始めた。


 その途中、ふと、空気の入れ替えでもしておくべきかと思い、窓の近くに寄ったのだが──その瞬間、外から伸びてきた腕に胸倉を掴まれ、そのまま窓の外に引き摺り出されたのだ。何が起こったのかと混乱し、咄嗟の判断で全方位に炎やら雷やらの魔法を放とうとしたのだが、それをした犯人の顔を見て、ギリギリのところでそれを止めた。本当に危なかった。


 その犯人は手を離し、手招きすると、昨日とは別の物陰に自分を案内した。


 そして開口一番、犯人──王女は「おはよう」と言った。


 一応頭を下げ、「おはようございます」と返した。


 すると。


「その顔を見るに、昨日はちゃんと眠れたみたいね。よかった」


 と、王女はよく分からないことを言った。


「……何がですか?」


「心配してたのよ? 私のした提案が魅力的過ぎるがあまり、夜も寝られないようなことになっていたらどうしようかと」


 ニヤニヤとした表情を浮かべながら、王女は言う。


「王女は、あの空がある日突然落ちてきて、僕らを圧し潰すかもしれないと考える側の人間ですか?」


「は? どういう意味よ」


「ありもしない事を心配するのだなと思いまして」


 そう言うと、王女は見るからに不機嫌そうな顔を浮かべて、溜息を吐いた。


「あなたがあなたでなければ、普通はこんな提案、二つ返事で呑み込むものだと思うんだけど」


 あなたがあなたでなければ。


 自分が自分でなければ。


「僕が別の誰かだったとしても、王女が別の誰かだったとしても、多分同じことだと思いますよ」


「同じではないと思うけど。……よく分からないことを言うのね」


「お互い様かと」


 そして彼女は言う。


 王女は、「それで?」と言う。


「答えは決まったかしら?」


 ──と、ここまで来て冒頭に戻る。


 問われて沈黙していると、「聞かせてくれない? どうしてそこまで頑なに渋るのか」と、向こうから声が掛かった。


「どうしても何も、そこまでの危険を冒してまで手に入れたいと思えないからですよ、その報酬を」


「国家権力を好き勝手出来ると言われても?」


「流石に限度があるでしょうし、そもそも、そういうことすると碌なことにならないということは知ってますので。下手をすれば国が滅びますよ」


「別に構わないわ、それならそれで──いっそ滅べばいいのよ、こんな国」


「…………」


「あ、でも出来るだけ穏便な滅び方がいいわね。革命起こされて首を斬られるのは嫌だし」


「……はぁ」


 何故この国で最も裕福な立場にいるであろう王女がここまで言ってのけるのかと言えば、それは彼女が昨日自分に突きつけた協力の申し出の内容が関係している──この流れで関係していなければそれこそなのだろうが。


 彼女のしてきた提案──それは。


「私の──婚約者になりなさい」


 というものである。


 どうにも彼女、既に婚約者候補となっている人間がいるのだそうだが──まだ正式に決定したわけではないので公表自体はされていないのだそうだが──その相手と婚姻を結ばされるのが物凄く嫌なのだそうで、だから別の相手を、それも親、つまりは現国王や周囲の人間を納得させられるだけの相手を探しているのだとか。


 そしてめでたくもなくそのお相手に見事選ばれたのが自分でした──というのが、事の経緯である。


 因みに彼女の婚約者候補と言うのは、この学校の教頭を務めている人間らしい。当然、話を聞いた時点ではそれが誰なのかなど知りもしなかったのだが、昨日の授業の際に一度やって来ては教師と王女に話しかけていた小太りの中年男、それが件の相手なのだそうだ。


 まぁ確かに、それを聞かされてしまっては、彼女の嫌だと思う気持ちが微塵も、これっぽちも理解出来ないというわけではなかった。


 しかし。


「昨日も言いましたけど、王女の婚姻なんてそんな政治的なもの、本人が勝手にアレコレ出来るものではありませんよね?」


 少なくとも、その場の思いつきで何の意味もなく進めるようなものではないはずだ。


 それにそもそも、彼女は散々王族として不自由のない暮らしを享受し続けてきたのだ──尤も、それ自体は本人の意思とは関係もないのだろうが──そうである以上、彼女には王族としての務めを果たす義務がある。


 それは現代人からすればひたすらに理不尽でしかないのかもしれないが、この世界においてはごく普通の、ありふれた事柄でしかない。


 ありふれた不幸でしかない。


 いいじゃないか、ありふれた不幸なら──未だかつてない、想像を絶するような未知の不幸に見舞われる人間だって、どこかにはいるかもしれないのだから。


「そうでしょうね。父としてはこれを通じて王室の力をより強固にしたいと目論んでいるみたいだし」


「なら──」と自分が言いかけると、彼女はそれを遮るように言う。


「でも、出来ないからとやらないのは違うでしょう?」


「……その考え自体は否定しませんけど、大いに結構だとは思いますけど、でもこれに関しては結果が分かり切ってるじゃないですか。崖から飛び降りるのと一緒ですよ。崖から飛び降りろと言われたして、飛びますか? もしかしたら生き残る可能性が万に一つも無いわけじゃありませんけど、ほぼほぼ死ぬことは分かり切ってますよね?」


 取り敢えずやってみるべきだということには賛成も出来るが、しかしやる前からどうしようもなく結果が分かり切っているようなことまでわざわざやるべきだとは思わない。それに、挑戦することに意味があるのだとしても、そんなことに巻き込まれては敵わない。


「王女自身でさえ口出しの出来ない問題に、他の貴族だってそう簡単に口を出せないであろう問題に、どうしてそこに平民が割り込める余地があると思ったんですか?」


「あなたがただの平民ではないからよ」


「……どういう意味でしょう?」


「あなたの実家──リンカーネル商会は、数年前から、そして少し前から爆発的にその規模を拡大し、他の商会を圧倒している。このまま順当に行けば、国として、あなた達は決して無視出来ない存在になるに違いない」


「そこまで期待していただけるのは結構ですが、もしそうだとしても、貴族は貴族、平民は平民じゃないですか。ただの平民じゃなかったとしても、平民の域からは出ませんよ」


「そこよ。今後王位を継ぐことがほぼほぼ確定している第一王子──まぁ、私の兄様なのだけど、あの人はこの旧態依然とした仕組みそのものを変革しようとしているのよ」


「はぁ。血統……というよりは、能力重視の方針にしようと?」


 メリトクラシーとでもいうのだったか。


「そう。貴族だろうと平民だろうと、能力があれば重用し、そうでなければ切り捨てる……そういう社会よ。まぁ、一筋縄ではいかなさそうでもあるのだけど」


「でしょうね」


 切り捨てられる側からすればそんなもの、溜まったものではないだろう。しかし平民の側からすれば大いに歓迎されるものなのかもしれない。能力さえあればチャンスが巡ってくるかもしれないのだから。


「まぁ、正直なところ、私としてはどうだっていいんだけど……。でも、その兄様を味方に付けることが出来れば、私の問題も解決出来るかもしれないじゃない?」


「それで僕……ですか」


「そ。あなたの実家を優遇し、商会の規模を拡大させつつ、王家とも親密な関係を構築する。私とあなたがその大事な橋渡し役になって──という感じね」


「まぁ、やりたいことは分かりましたけど……どうせ優遇してしまうのなら、別にうちである必要はなくないですか?」


「そうもいかないわ。あなた自身の能力も評価対象にしてるのだから」王女は首を横に振った。「能力主義の兄様を納得させるのに、ただ優秀な商人の元に生まれただけの凡庸な人間を連れては行けないでしょう?」


「……僕は凡庸の側ですよ」


 屋敷にいる彼らを見ていると、そう思わずにはいられない。


「そう? ならこの学園の新入生はそのほとんどが凡庸未満のゴミということね。なかなか言うじゃない」


「そんなことは言いませんけど……」


 誰かにでも聞かれれば総スカンを喰らいかねない危険な発言だ。やめていただきたい。


 訊きたいことがあるんですけど、と言うと、いいわよと返された。


「あの、王女は自由恋愛がしたいわけではないんですか?」


「何言ってるの。私に自由なんてあるわけないでしょ。ただあの男は嫌ってだけ」


「それ以外なら誰でもいいと?」


「誰でもいいとは思わないけど……。でもそうね、あなたみたいに、私に何の興味も持っていないような人間の方がいいとは思うわね」


 仮に自由があったとしても自由恋愛には興味を示さないのだろうなと、そう思った。


「僕以外に目星をつけてるような人っていうのはいるんですか?」


「現状ではいないわね。兄様を計画の一部にしている時点でほとんど足切りされてるから。だからそうね、あなたがどうしても断るのなら、その時は……」


「その時は?」


 エレインに何かしたりするのではないか、そう思い、構えた。


「卒業と同時に死ぬわ。その方がずっとマシだから」


「死ぬ……?」


 流石に聞き逃せないことを言われ、訊き返した。


「なるべく痛くない方法でね」


「……それは、よくないかと」


「え?」


「いえ。いくらなんでも死ぬっていうのはどうかと思いますよ」


「そんなの、あんなのと結婚させられるくらいならいっそその方が──」


「その気持ち自体は……まぁ、分からなくもないですけど、でも王女──フューリア殿下、当たり前ですけど、あなた死んだ事ないじゃないですか。何でそれで死ぬ方がマシだと思えるんですか?」


「……それ……は」


「これまで碌に辛い目に遭ったことがないから、辛いとか、悲しいとか、苦しいとか──そういうものが『死』くらいしか思いつかないんじゃないんですか?」


「…………でも、あんなのは嫌。アレと結婚させられたとして、向こうが死ぬのは早くても三、四十年後よ。その頃には私も四、五十代で、当然婚期なんかとっくに過ぎてて、そこから先は一人で生きていかなきゃいけない。そうなったらどうせ死ぬことを視野に入れるわよ。ならもう早いか遅いかだけのことじゃない」


 それまで浮かべていた表情を消して、彼女は言う。


「…………」


 そう言われれば、それもそうなのかもしれない。


 王女を前に、黙る。


 どうするべきかと、考える──今度は真面目に。


 この人を助けることに、個人的なメリットはほとんどないと言っていいだろう。


 実家としては一見いいようにも思えるが、下手をすれば王家に飲み込まれて経営権そのものを乗っ取られてしまいかねないのだから、王女自身にそのつもりがあろうがなかろうが、危険であることに変わりはない。


 下手に手を出せば火傷してしまいかねない案件であることは疑いようもないし、それに、彼女はうちを優遇してどうのこうのと策を練っているようだが、しかしそれだって所詮は彼女の頭の中の話で、全てが都合よく上手くいったらの話でしかない。


 そんなことをすれば他の商会からの反感を買わないわけが無いし、どれだけの妨害を今後彼らから受けることになるのかは見当もつかない。


 それにそもそも、王家や貴族と繋がれば税制面等での優遇を受けられ、より効率的に儲けられるというような仕組みにしてしまおうものなら、その後の流れには何となく予想が付く。癒着と腐敗だ。


 そして、それはきっと彼女の兄、第一王子の目指す国の形からはズレている。


 彼女の父、現国王が貴族との繋がりで以て王室の強化を図っている一方、彼女の兄、次期国王は個人の能力を重視し、重用するべき人間を重用することで、国全体の強化を図っていると窺える。


 しかしそんな彼女の兄ではあるが、国力の強化を図ってはいるものの、貴族という存在そのものを廃し、所謂絶対王政の方向にこの国を導こうとしているわけではないのだろう。切り捨てられた側からすれば廃されたも同然なのだろうが、あくまでも、優秀な人間には相応のポストを用意しようと考えているだけに過ぎないのだから。


 ならば、王女が今やろうとしていることがどういうことなのかが分からないはずはないし、それを聞かされて頷くとは思えない。


 詰めが甘いというか、そもそも詰めてすらいないというか、第一王子を味方に付けさえすれば後は勝手に上手くいくとでも思っているのだろう。結局のところ、彼女はそれなりに賢くはあるのだろうが、やはり世間知らずの温室育ちであることには違いないということだ。


 こんな泥舟に乗るかどうかなど、考えるまでもない。


 考えるまでも、ないのだろうなぁ。


「やっぱり、婚姻云々のお話はお断りさせていただきます」


 ややあって、自分はそう言った。


「……そう」


「──ですが、時間稼ぎに協力するくらいのことは出来なくもありません」


「時間……稼ぎ?」


「まぁ、婚約の話を白紙に戻すだけなら、別にそこまでする必要もないと思いますし」


「……助けてくれるの?」


 その問いに、首を横に振った。


「助けられなんかしませんよ」


 自分に出来ることがあるとすれば、その場凌ぎの手伝いくらいだ。


 根本的な部分で、自分は彼女を助けるということが出来ない。


 全て彼女の言う通り作戦通りにすればそれも可能なのかもしれないが、それは出来ないし、したくない。


 彼女がどうこうという話ではなく、リスクの問題で。


「なので、自分で頑張って助かってください。死ぬことを択ばなくて済むように」


 △▼△▼△▼△


 扉が開く音がすると、サクラは顔を上げる。ドアが閉じられると、学園の制服を着た茶髪の少女が、恐る恐るといった様子で近づいてきた。


「ただいま戻りました」


「おかえりなさい。やっぱり似合ってるわね、それ」


 サクラは目の前の少女の着ている制服を見て言った。


 王立魔法学園では、去年まで、学年ごとに色が違うだけのシンプルな、言ってしまえば地味なデザインのローブが使用されていたのだが、クロユリとスズランが中心となって経営しているハナゾノ商会がリンカーネル商会を通じて学園に手を回し、リュカの進学を前に、制服やら何やらを一新させることに成功している。


 無論一筋縄ではいかず、当初は伝統を重んじる保守的な層の反発を受けたそうだが、クロユリが機転を利かせ、学園に通う大貴族の子女らに試着をさせてみて取り込むことで、その方向から見事ねじ込んだのだった。


 そんな学生受けを狙ったデザインの制服は、それを気に入った生徒自身が王都を歩くことで宣伝してくれる仕組みなので、その甲斐もあり、既に王立魔法学園以外の学園からも大きな注目を浴びている。


 なので今後、それらの学園にも要望に応じて新たな制服を用意していく予定だ──つまり、活動資金を稼ぐと同時、それらの学園内に潜入するための衣装を好きに用意することが出来るのである。


 正に一石二鳥であった。


「それで、どうしたの? シャクヤクがこの時間に来るということは、何かあったということで間違いないのでしょうけれど」


「はい。急ぎ報告しなければならないことがありまして。ユリから上げられた報告なのですが」


 シャクヤクと呼ばれた少女はこくりと頷き、サクラの前まで近づいて行った。


 彼女は以前、イカンテ派の重鎮ベイケによる『災害』を作り出す実験において被験体として利用されていた被害者の一人で、リュカに救出されて以降は、少しの療養の後、自分にあんなことをした『教会』に復讐してやるのだと、サクラの下で動くことを選んだのだった。


 そして現在は、同じく救出されたボタンとユリと共に学園に潜入し、情報収集や身辺警護を行っている二人をサポートしつつ、そこから上げられた報告をサクラ達に報せる役割を担っている。


 それ以外では、学園内を散策したり、他の生徒と交流をしたり、意味もなく授業を受けてみたりと、比較的自由に行動している。


 しかし学園内は、学年が違えば、教室が違えば、受けている授業が違えば、基本的には知らない人間ばかりで構成されている場所なので、同じ制服を着てさえいれば、それが本当に学園内の生徒ではなかったとしても、気が付かれることはまずない──それも、彼女はこれと言って特徴のない顔つきをしているため、人の記憶に残りづらく、メイクや髪形などを変えてしまえば、それを同定することは出来ないのである。


 尤も、本人はそれを少し悲しく思っていたりするのだが。


「急ぎの報告……というと、彼が動いたの?」


 サクラがそう言って立ち上がろうとすると、シャクヤクはそれを慌てたように手で制した。


「あ、いえ! ……違うんです、そういう意味の急ぎではないんです」


「そう……」サクラは座り直し、カップに手を伸ばす。そしてもう既に空になっていたことを確認すると、手を戻した。「それで、何の報告?」


 問われて、シャクヤクは黙り込んでしまった。


 非常に言い辛そうな顔を浮かべているのを見て、サクラは何かあったのではないかと考える。


 不穏な考えが脳裏をよぎった。


「ボタンかユリに何かあった……とかではないわよね?」


「え? あ、はい。アレは多分いつも通り元気にやっていると思いますが……」


「ならいいのだけど……何があったの?」


 サクラが再び問うと、シャクヤクは覚悟を決めたように一度深呼吸をし、そして口を開いた。


「ご報告します。主様に恋人が出来たようです」


 サクラは少しの沈黙の後、


「……私達はまだそういう関係じゃないわよ?」


 と、まるで慌てる子供を宥める親のような表情を浮かべて、そう言った。


「……? はい。知っています」


「…………」


「…………」


 サクラの纏う空気が変わり、部屋全体が冷え込んでいく。シャクヤクは完全に気圧され、そして冷気から身を守るようにして、自分を抱きしめた。


「そう……なら訊くのだけど、それはどこの女?」


「どこ……というか、その、第五王女です」


「は……? 第五王女……?」


 一瞬抱きかけた激情もどこへやら、サクラは呆けたような顔を浮かべ、固まった。


「第五王女って、あの……?」


「はい。既に学園内では大きな話題になっているようです」


「それは……そうでしょうね……。だって、だって……」


 と、勢いに任せてフューリア第五王女への罵詈雑言を吐き散らそうとしたサクラだったが、そこで言葉を止めると、考え込むように俯いた。


 そして思い出し、徐に顔を上げる。


「いや、第五王女って、確か……」


「あ、はい。既に婚約者……正確には婚約者候補が一人います。候補とは言え、もうこれで決まったようなものだそうですが」


「そうよね。だとすれば……」


 だとすればこれは、ただ二人が恋人関係になりましたという話ではないのだろうということは容易に推測が出来る──いや、そうでもなければ、彼にはあの程度の人間を恋人にして横に置く理由がない。そうに決まっている。顔立ちだってサクラの方が上のはずだし、リュカの好みや性格をこの世で一番理解しているのもサクラのはず。体つきに関しては年齢的なものがあるため今はまだ何とも言えないにしても、既に成長の兆しは見えている──はずだ。そんなサクラを差し置いて第五王女なぞを選ぶとは考えられない。


 無論、王女という立場に目を向けるのであれば、全く理由がないと言うわけではない。しかしだとすれば、第五王女などという中途半端な立場の人間に目をつけずとも、他にやりようはいくらでもあるはずなのだ。


 そう考え、サクラは一先ず自分を落ち着けた。


「いくらなんでもあの女と恋仲になることそのものが目的だとは考えられない。あり得ない──とすると彼は、そうすることで何かが動くと考えたからそうしたのでしょうけど……」


「何か……と言いましても、これで動きそうなのは件の婚約者候補しかいないと思うのですが……」


「相手は確かロンダリン伯爵……」サクラは顔を上げ、尋ねる。「で、合っていたかしら?」


「はい。北方に領地を持つ有力貴族の一人です。王立魔法学園の教頭を務めている関係上、領地の経営は代官や息子に任せているようですが」


 シャクヤクは簡潔にそう説明した。


「……それが『教会』の人間である可能性は?」


「どうでしょうか……黒い噂には事欠きませんが、そこまでは」そう言って否定し、しかし「ですが……」と言った。


「何?」


「『教会』が表に抱える手駒の一つであるという可能性……これはまだ否定出来ません──裏社会、スラム、あるいは他国の犯罪組織……そう言ったところから汚い金銭が流れてくるのは日常茶飯事なわけですから、そこに『教会』の資金が流れていたとしても、不思議ではありません。寧ろ、黒い噂が多すぎるが故に、どこと繋がっていてもそれが分かりづらいと言いますか」


「表の駒にしては裏過ぎる気もするけど……所詮は駒の一つに過ぎないのなら、こういう人間がいても不思議ではないわね。でもそう考えると、『教会』は手駒を彼女と結ぶことで、その力を増そうとしている……ということになるのかしら?」


「第五王女との婚姻がそこまでの影響力を持つとは思えませんが……」


 シャクヤクが疑問符を浮かべると、サクラは「そうでもないわ」と首を横に振った。。


「第五王女はそれなりに優秀よ。まぁ、あくまでそれなりでしかないけど。だから今後、能力主義……と言うよりは、能力でしか他人を判断することの出来ないかの王太子が玉座に着けば、彼女は政治上の要職に付けられる可能性も高いわ……。身内で、後継者争のライバルというわけでもなく、それでいて能力を必要とする仕事に据えられる人間なんて、そう多くないもの」


「それを見越して……ということですか。ですが、もっと他に良い駒がいたのでは?」


「かもしれない──けど、ロンダリン伯爵は派閥には属していなかったわよね?」


「はい。学園に勤めている貴族は、基本的に派閥への所属を禁じられていますから」


 王派閥の教師が貴族派閥の生徒に対して不利益を被らせたり、貴族派閥の教師が貴族派閥の生徒に対して贔屓をしてしまうというようなことがあっては、優秀な人材を輩出させたい王国としては問題である。なので公平性の担保の為、表立って特定の派閥に属することを学園は禁じている。無論、裏では様々な取引が行われていたりもするものだが、少なくとも、派閥間の対立が学園での成績に影響を及ぼすことはない──ということになっているのである。


 なので、ロンダリン伯爵も当然、派閥には属していない。


「だからこそ、力を増したい現王室としては都合がいい──まぁ、『教会』はそういう人選をせざるを得なかったということよ」


「なるほど。派閥間のバランスを思えば、貴族派閥の人間を取り込むわけにもいかず、かと言って、王派閥の人間と婚姻をさせても意味はない……だからこそ無派閥の有力貴族が適任だということですか」


 サクラは頷く。


「多分だけど、彼女の卒業と同時に公表されることになっていて、ロンダリン伯爵はその時点で学園から去ることになっているんじゃないかしら」


「かもしれません。改めて調査しますか?」


「えぇ。とは言え、それは別の誰かを送り込んで調べさせるつもりでいるから、あなたは引き続き二人のフォローをお願い」


「は、はい……」


 シャクヤクは見るからに嫌そうな顔をして、頷いた。


「嫌そうな顔ね」


「すみません……」シャクヤクは表情を戻し、頭を下げた。「ですが、あの二人を制御するのは……その、骨が折れると言いますか」


「そう? コハクの手綱を握るよりは、ヒスイに家事を手伝わせるよりは、ルリに良心を説くよりは、ずっと易しいでしょう?」


 そう言われては、シャクヤクは黙るしかなかった。


 ボタンやユリの面倒を見るのも大概骨が折れるが、しかし折れるとしても精々一、二本。


 全身の骨が折れるようなことはないのだから、ずっと易しいことであると言うことそれ自体は事実であった。


 尤も、サクラだからこそ折れる程度で済んでいるのであり、シャクヤクが同じことをしようと思えば折れる程度では済まないのだろうが。


「……しかし、今の推測が正しいとすると、主様はそれにいち早く気付き、対処に乗り出たということになるのでしょうか」


「そうでしょうね。彼は第五王女と近付くことで、ロンダリン伯爵を手駒とする『教会』幹部の焦りを誘い、奴らを表に引き摺り出そうとしている──以前様子見を命じたのも、あの時には既にこの計画が彼の脳内にあったから……」


「なるほど……今ここで大規模に木っ端を叩けば、引き摺り出すどころか、余計に警戒させてしまう……。だからこそこのような手法を……」


 やれやれ──と、サクラは肩を竦めた。


「全く。そういうことならちゃんと言っておいてもらいたいものよね……」


 彼女は心底安堵したように息を吐くと、椅子の背に全身を預ける。そして椅子を半回転させると、シャクヤクに背を向け、窓の外に視線を送る。


 天高く浮かんでいたのは、燦々と輝く太陽。


 快晴の空の中心で、黄金色に煌いていた。


 眩い光──直視は出来ず、目を細める。


「本当に、あなたの頭の中にはどれだけの策が張り巡らせるているというの──」

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