027
「──チェックメイトです」
「ふぅ……やっぱり強いね、サンゴは──」
本日十敗目。
こうも歯が立たないといっそ清々しいとさえ思える今日この頃である。
十敗目とは言うものの、一試合ごとにかかる時間がそこまで長くないため──つまりはあっという間に詰められてしまうため、そこまでの時間は経過していない。しかし勿論のこと、具体的に何分程が経過したなどという情報を開示することはない。十試合しているという情報は既に表に出てしまっている関係上、具体的な時間を示そうものなら、そこから平均時間を割り出されてしまう。それはいけない。それは避けなければならない。なので、『それなりの時間』だとか、『そこまででもない』だとか、適当に、曖昧に、大雑把に濁して逃げることにする。
「──全く敵う気がしないよ」
「ご謙遜を。ですが、勉強になりました。安直すぎてつい思考から外してしまうような手が多く、改めて、自分の欠点のような物に気が付かされたような心地です」
「あ……安直……そっか。ま、まぁ、勉強になったのなら、いいんだけど」
「はい。例えば三試合目の二十四手目から三十二手目までの流れなどはもう、凡庸過ぎていっそ美しささえ感じられるほどでした」
「あぁ…………うん」
自分は一体何をしたんだろう。全く覚えていない。
「まぁでも、サンゴは初めから才覚があったからね。このままいけば、世界だって獲れるんじゃないの?」
この世界にチェス大会などという物は存在しない。
しかし、父親にそれとなくそんなことを言った覚えはある。
協会を立ち上げ、愛好家たちを集めて戦わせ、世界王者でも決めれば盛り上がるのではないか、そしてその大会を主催する側に回れば、いい感じに稼げるのではないか──云々と。
その時はまだまだ普及中だったこともあり、すぐさまそれに乗り出せるような状況でもなかったのだが、そろそろそれも可能になるかもしれない。その時はどうにかしてサンゴを出場させてやりたい。そういう、上手いこと権威付けのされた大会などで優勝することが出来れば、その先に繋げることも出来るだろうし。
そう言うと、サンゴは目を大きく見開き、それから小さく笑った。
「当然、そのつもりですよ。そのために、日々研鑽を続けているのですから」
「おぉ……」
真っ直ぐとこちらを見ての──まさに宣言であった。
アジサイといい、サンゴといい、既に将来が見通せているようで羨ましい限りである。
かく言う自分とて、全くもって将来が見通せていない訳ではないものの、しかし彼らの様に自信をもって断言することは出来ないでいる。出来れば商会長の跡を継がせてもらいたいなとは思うが、それだって、自分なんかよりも優秀な人間が出てくれば話は変わる。兄は王都で文官をしているので、そちらで順当に出世してくれればライバルにはならないで済むのだが、だからと言って自分がその席に座ることが決まったわけでもない以上、安心出来る要素は一つもない。
商会で働く人間の中にとんでもなく優秀な人間が現れれば、父親もそことの間で考えるだろう。親心が勝ればもしくは──と言ったところではあるが、そんなに甘い人間が仕事を上手く進められるはずもない。だとすれば、最後にものを言うのは商人としての魂となる。
まぁ、最悪、アイデアだけ売り払って細々と暮らせばいい──なんて、そんな考えが根底にあるのが悪いのだろうか。
「サンゴがその意気なんだとしたら──あの件、そろそろ本格的に動いた方がいいのかなぁ……」
「……! あの件……。主自ら──ですか?」
ぽつりと呟くと、サンゴは驚いたように顔を上げた。サンゴにもこの話はしたんだっけ。覚えていないが。
「え? いや、自らっていうか……。まぁでも、そうか……」
いざというときは自分も動く──そんな覚悟は必要か。
父親は優秀だが、万能でもない。その手のノウハウもないだろうし、ただ漠然とチェス大会などと言われても困ってしまうだろう。自分だってノウハウなぞ持ち合わせてはいないが、仕組みくらいなら知らないでもない。なので、それを伝えたりなんだったり、出来ることはするつもりでいなければ。
仕組みだけ知っていてもという話は核の時にも同じことを考えたが、これはそちらと違い、下地が既に出来ている。この国でだって、チェス以外では大会なんかも開かれているし、それにそのチェスの大会も、規模が小さいだけで、知られていないだけで、それらしいものは既にその辺にあるはずなのだ。なのであとはそれらの運営が出来る人材を集め、場所を用意し、組織を立ち上げて権威化させていけば──と、簡単な話ではないが、不可能でもない。
「では、我々に出来ることは何かございますでしょうか」
「ん? いや、どうだろう……。まぁ、その時になったら出てもらうことにはなるかもだけど……」
「承知いたしました。では、その時に備えて、手筈は整えておきます」
手筈を整えると言うと、なんだか計画的と言うか、チェス大会での優勝があたかも出来レースになるかのようだけれど、当然ながら、そんなことにはならない。不正の類はきちんと跳ね除けてもらわなければ。
「……と、そろそろいいか」
「そろそろ……と、申しますと?」
「サクラだよ。さっき会った時は掃除中だったから、後でっていう話をしててさ。もう流石に終わってるだろうから、そっちにも話をしに行こうかと」
「なるほど。そういうことですか」
「そういうこと。楽しかったよ。ありがと」
と、部屋を後にし、今度はサクラを探すことにした。
先程は書斎の辺りにいたので、取り敢えずそこまで戻ってみたのだが、姿は見当たらず。なら、書斎から持ち出した物を置いているであろう別室にいるのだろうか──そう考えてしばらく捜索するも、その姿は見えなかった。
「どこ行ったんだろう……休んでるのかな」
あの時持っていたのが最後だと言っていたし、もう作業は終えていて、後は自分が見回りを終えるのを待っているのだろうか。だったら道理で見当たらない訳である。
そんなわけで、サクラが休んでいるであろう場所に向かうことにした。
因みに因むと因めば因め。
ここで「サクラの私室に向かうことにした」と言わなかったのには、きちんと理由がある──それは当然、彼女の私室がこの屋敷に存在しないからなどという理由などではない。
今となってはそこそこ埋まってきているが、この屋敷を手に入れた時、まだ入居者は三人と一人だったのだから、部屋数は持て余すほどに有り余っていた。なので勿論、サクラも自分の部屋という物は持っている。
しかし、サクラはその部屋で休むことがあまりないのだ──私物は置いてあるし、ベッドも置いてあるし、ソファだって何だって、なんやかんやで色々と置いてあるというのに、サクラが休むのは自室ではなく、自分の、つまりはリュカの部屋なのである。
自分はほとんどその部屋を使っておらず、現状、『将来使うことになるかもしれないから念の為に取っておいてあるだけの部屋』でしかないので、始めから置かれていたもの以外はほとんど何もないと言っていいほどにすっからかん──そんな部屋。
なので別に、いつ誰が使っていようがそれをとやかく言うつもりもないのだが、サクラはその、元々は主寝室であった部屋の大きなベッドで休んでいることが殆どだ──というのが、自分がサクラの私室ではなく、サクラが休んでいるであろう場所に向かうことにした理由なのだった。
やはり大きいベッドの方が寝心地はいいのだろうか。サクラの部屋のベッドもそれなりの大きさはあったはずだが、主寝室のはそれよりもさらに大きい。ベッドを縦ではなく横に使えば、自分たち十人が並んで寝転がってなお余裕があるくらいには広々としている。まぁ、成長期でもあるので、そんなことを言っていられるのももうしばらくの間でしかないのだろうが。
と、そんな主寝室に、サクラはいた。
「やっぱりここにいた」
「やっぱり……?」
「いつもって程でもないけど、休むときは大概ここにいるからさ」
「言われてみれば……確かにそうね。でも、居心地がいいのよ、この部屋は」
「そうなの? だったら、部屋変える? 普段ここ使ってないんだし──」
「いいえ、その必要はないわ」
「でも、こっちのほうがいいんじゃ──」
「いいから。それに、今後は使うことになるかもしれないのだし」
だとしても、こんなに広々とした部屋である必要はないんだけど──とは言わず、素直に引き下がった。
サクラから発せられていた圧のような物を感じ取ったからである。
自分の部屋よりも他人の部屋の方が居心地がいいというのは、割と普通にあることなのだろうか。
前世での自分も、自宅や自室より、学校や図書館などの方が幾分か居心地も良かったような覚えがあるのだが、しかしそれとこれとでは全くもって別の事柄であるということは重々承知しているわけなので、比較対象には出来ない。
「それで、ここしばらく来られてなかったけど……特に問題はなし?」
「そうね……。問題らしい問題はないわ。勿論、全く無いというわけではなかったけれど、それらはもう既に解決済みよ」
「そっか。ならよかった。足りないものとかも特に無い?」
「強いて言うなら時間かしら。気がついたら一日が終わってるのよね、最近」
「大丈夫? あんまり一人で色々背負い込んだら──」
「それは大丈夫よ。能力に応じて出来ることをそれぞれ割り振ってるから。その上で皆、時間が無いのよ」
「そうなんだ……」
十人いたとて子供は子供。仕方のない部分はやはりあるのだろう。
「でも、今日は皆のんびりしてるように見えたけど」
「休みの日はきちんと設けているから。今日がその日よ」
よかった、月月火水木金金ではないんだ。
人手不足を休みを削ることで補っていたらどうしようかと思ったが、流石にそれはしていないようで安心した。
それからは、時間以外で足りないものが何かないか尋ねてみたり、取り留めのない雑談が続いた。そしてそれは自分が思っていたよりも長い時間続いていたらしく、ふと窓の外を見ると、空はすっかり茜色に染まっていたのだった。
コハク達は終ぞ帰ってこなかったので、よろしく伝えておくようにだけサクラに言い残すと、ゲートを開き、急いで町へと戻ることにした。
町へと戻り、裏路地を出て、家の近くまで小走りで向かっていき──そして。
△▼△▼△▼△
「全く、何で帰ってこないのよ……!」
エレインは周囲を見回しながら、呟く。
捜していたのは、夕暮れ時になっても一向に帰ってくる気配を見せないリュカ。
彼を家で待っていたエレインだったが、とうとう我慢出来ず、日暮れ以降は一人での外出を禁止するという言いつけを破り、外に出てきていたのだった。当然バレれば怒られるし、以降の外出が禁じられる可能性だってある。しかしそれでも、そんな時間になっても帰ってこないリュカが只々心配なのだった。
いや、彼は時折このくらいの時間に帰ってくることも度々あったので、別段心配するようなことではない──のかもしれなかったが、ここのところ毎日のようにやってくるフラウドという不気味な男──それに対する警戒心で、エレインの頭はいっぱいいっぱいだった。
アレは危険だ──弟を近づけさせるわけにはいかない。
エレインは一目見てそう判断した──否、目で見ずともそう判断出来ただろう。あの男から発せられる異様なまでの不気味さは、目で見なければ感じ取れないものなどではなかった。そんなものをとうに通り越し、ただただ不吉なのだった。
異様で、不気味で、不吉。
もし外にいるであろう弟が、そんなフラウドに出くわしたりでもしていたら。そう思えば、自然、エレインの足は自ずと外に向かっていた。
だが、帰ってくる気配はなく、近くにもその姿はない。
左を向く──買い物袋を下げた主婦らしき女性と、その夫と思われる男性の姿があった。
正面を見る──長い金髪を持つ男性とも女性とも判別しづらい三人が、まっすぐ歩いてきていた。
右に視線をやる──誰もいない、静かな道が伸びていた。
そして、再び正面に顔を戻し──そこに。
「よう──お嬢さん。迷子だったりするのかな」
さっきまではいなかったはずの、不吉な男が立っていた。
その姿を視認した瞬間、その声を聴いた瞬間、エレインは全身総毛立った。
そして、何も言わないでいると、フラウドは少し後ろを気にしたような素振りを見せて、もう一度エレインを見遣り、少し首を傾けてから、「それとも、弟でも探しているのかな」と言った。
確かに言った。
「リュカを……知ってるの……!? どこ……!」
エレインは掠れるような声で、しかし叫んだ。
「そう慌てるなよ。俺は推測を話しただけに過ぎないのだから」
フラウドはそれを意に介さず、落ち着けるように言う。
「知ら……ないの……?」
「さぁな。しかし、全く心当たりが無いわけではない」
「……! どこなの……」
「ふむ……。そうだな……。今から行って連れてこよう。だから、先に家に帰っているといい──と言って、納得したりはしないのだろうな」
「当たり前でしょ……!」
「……。なら、ついてくるといい。闇雲に捜すよりはずっといいだろうからな」
そう言って、フラウドは右手の、誰もいない道の方へと歩いていく。エレインもおっかなびっくりそれについて行き、リュカを迎えに行くのだった。
△▼△▼△▼△
「……は? エレ──姉ちゃんがいない……?」
家に帰って来てみれば、大騒ぎであった。なんでも、エレインがいないのだという。この時間に外に出たとも考えづらいが、しかし外出用の靴が消えていることからも、エレインが外に出ていることは明々白々だろう。恐らくだが、帰りの遅くなった自分を捜しにでも行ったのではなかろうか。そういう性格をしているエレインだし、そうでもなければ、他に何の意味もなく言いつけを破ったりはしない──いや、理由があったところで破るのだろうか。
破る程の理由があった──ということか。
なら──それは一体。
しかしそう言われて黙っているわけにも、家で座って待っているわけにもいかないと、そのことを教えてくれたセシリアの制止を振り切り、再度家を飛び出していった。自分を引き留められなかったセシリアは後で怒られてしまうのかもしれないが、残念ながら、そんなことにまで構っている余裕は、その時の自分にはなかったのだった。
家を離れ、町に出て、しばらく辺りを駆け回った。
だが、エレインは見当たらない。
どこまで行ったというのだ。
「──少しいいか」
そこで──そんな風に声を掛けられて──ようやく足を止めた。気付けば随分と家から離れてきてしまっていた。まさかこんな場所でエレインに会える訳もないであろうことは初めから分かっていたのだが、しかし他の場所に姿が見えないのだから仕方がないとここまでやってきていたのだが、そんな場所にまで来て声を掛けてきたのは、エレインでもなければ知り合いでもない、この街で見かけることもなければ、そもそも人間でさえない、そんな三人組であった。
エルフ。
揃いも揃って金髪で、揃いも揃って似たような美形である。そんな彼らには一定の不気味ささえ覚えてしまいそうなものだが、不気味さでいえばあのフラウドという男に勝てる者もそうそういないだろう。だがまぁ、この二つの不気味さという物は同じ不気味でも意味合いが大きく異なっているわけで、フラウドの不気味さが不吉さ故だとしたら、彼らの不気味はそのどことない作り物感故で、全くではないにしろ、別の方を向いているのだ。
という話は今はどうでもよく、問題にしなければならないのはこの場合、何故彼らが自分に声を掛けて来たのか、何故この街にエルフがいるのか──の方であると言えよう。別にエルフだからと人種差別をするつもりもないが、人間の町にエルフがいるというのは、それも王都などではなくこんな田舎町にいるというのは、それはもうそれだけで異様なのだ。
「この辺りで、お前と同じくらいの子供を探しているのだが──何か知らないか」
何をどうすればいいか分からず、硬直したままでいた自分に対して、そのエルフ三人衆の真ん中の男が言った。全くもって年齢が読めない。
「同じくらい……?」
同じくらいの子供。
同じくらいの。
子供。
エレインのことか? そう思ったが、相手はエルフだ。
エルフがエレインに何の用事がある──人間の区別など付けられないはずのエルフが。
区別など付けられないはずの──と言うのには、きちんと理由がある。
今屋敷にはアザミという名のエルフの少女がいるのだが、彼女は初めのころ、サクラ以外の全員の区別がまるでついていなかった時期がある。
アザミは最後の方に来たこともあり、彼女があの屋敷に踏み入った頃には既に他の面々がいた。そんな中で、彼女は顔が分からないだとか声が分からないだとかではなく、エルフ以外の個を個として識別出来なかったのだ。
それは何も彼女がそういう特異な存在だったという話などではなく、単純に種族の違いだった。
一応色々試していって解決はしたのだが、それでもやはり注意しないと、知らない人間は区別出来なくなる時があるとのこと。
因みに、サクラがそうならなかったのは、小さい頃から自分やコハク、アジサイと暮らしていたからだろう──と、本人は言っていた。対して、アザミはそれまでずっとエルフと一緒に生活していたことで、その辺の感覚が麻痺していたのだ。
とは言え、自分も先程このエルフ三人衆を似たような美形などと考え不気味がっていたので、要するにそれと似たようなものなのだと思う。前世でだって、例えばドイツ人やフランス人の区別など出来てはいなかったし、何なら、五十人弱のアイドルグループのメンバーや、韓流アイドルのユニットメンバー、ロボットアニメの人型兵器などの区別だって、出来ない人にはとことん出来ないものなのだ。興味のあるなしではなく、恐らく単純に、それに触れてきた年月の違いなのだろう。
なのでそこから推察するに、今ここにいるエルフ達も、自分に話しかけてきているとは言えども、自分を認識出来ているわけではないだろう。取り敢えず人っぽい生物を見つけたから話しかけているだけに過ぎないのだ。だからそんな彼らが人間であるエレインを捜しているとは思えない。
なら──いや、考えるまでもない。
自分と同じくらいの子供で、そしてこの金髪のエルフ達が識別出来る個体──そんなの、一人二人しかいないではないか。
「知りませんが……今忙しいんで、他の人に当たってくれます?」
「そうか……。お前と同じ金色の髪なのだが、本当に知らないか?」
つまりサクラか。
「っ、知りません」
と、やや強引に話を終わらせて立ち去ろうとすると、後ろからヒソヒソと声が聞こえた。
「今のは何か知ってる反応だった」「今の人間……は怪しい」「一応話は聞き出すべきだろう」「どうする? 捕らえるか?」「そうするしかないだろう」「だが余計な騒ぎを起こすのはマズい」「一時的に姿をくらませればいいだろう」「もし違ったらどうする? 上に何を言われるか分からないぞ」「その時はその時だ」「それではダメだろう」「だがこのままでは何の収穫もなかったことになる」「それもそうだが、しかしだな」「いや、俺はコイツに賛成だ」「お前までそう言うか」「ただ逃したとするよりかはその方がいい」「あぁ、手ぶらで帰るよりかは幾分かマシだ」「……なら、捕らえるか。しかし、大声を出されたらどうする?」「手際よくやればいい。お前はすぐに口を塞げ」「分かった」「お前がそのうちに捕縛だ。俺は逃走経路を確保する。その後はすぐに町を出よう」「いや、明るいうちはマズい」「そうだな、暗くなるまでどこかに潜伏するのがいい」「ならそれはあそこにしよう。西にあった……」「あぁ、あそこか。確かに潜伏にはうってつけだな」「なら早速、合図したら一斉に行くぞ」「「了解」」
「了解──じゃあないんだよ」
全部聞こえているんだよ。
さっさと逃げればよかったのかもしれないが、これはここで対処しておかなければマズいだろう。
「なっ……」
「関係ない、やれ!」
と、向こうは騒ぎにされることを嫌がったか、魔法や刃物などを取り出すこともなく、飛び掛かってきた。普通の子供であればそれで十分なのだから、確かにその手自体が悪手というわけではないが、しかしこの場合においてはそれが油断であり、慢心であり、付け入る隙なのだという純然たる事実を突きつけざるを得ない。
「頭を──冷やせっ!」
大量の水を生成し、三人に正面からぶつけ──その質量によって押し返されるようにして姿勢を崩した三人に、すかさず冷気を浴びせつけた。パキパキと音を立てて凍っていくと、彼らの動きはそこで止まった。氷漬けにはしたが、死んではいないだろう。
しかしどうしたものか。普通ならこれを誰かしらに引き渡すべきなのだろうが、しかし今はエレインを探している最中なので、そんなことをしている時間も余裕もない。エレインが見つかったら、その後にでも引き渡せばいいだろうか。組合にはちょこちょこ顔を見せたりもしているし、何だかんだ親切にもしてもらってはいるのだから、その辺にでも突き出せば対処はしてくれるだろう。
と、そんなことを考えていたところで、真後ろでシュタっと、何かが着地したような音がした。氷に封じられたエルフ達の視線がそれに集まる。
自分も振り返ると、そこにはサクラがいた。崩れた前髪を手櫛で整える彼女の顔には、表情というべきものを感じられない。しかしそれも一瞬の事で、微笑むような表情をそこに浮かべると、「大丈夫?」と、そう尋ねてきた。
どちらかといえばそれを問いたかったのはこちらだったが、向こうからそんな質問が出てくる時点で、サクラの方には何も無かったということなのだろう。一人の所を狙われたりしていなくてよかった。
「まぁ、何とか。取り敢えず動けなくはしたんだけど……」
「なら、後は私に任せて」
「サクラに? うぅん……」
凍らせているし、彼らがここから動けるとは思えないが、流石に任せるわけにはいかないような。とは言え、任せられたら助かるというのはその通りでもあったので、即座に断ることも出来なかった。
「急いでるんでしょう?」
「……そうだね。なら、任せてもいい?」
「えぇ。きちんと処理しておくから、安心して」
急いでいることを見抜かれると、これ以上この場で押し問答をしていても仕方がないと判断し、自分はサクラに後のことを任せ、エレインの捜索に戻った。
△▼△▼△▼△
リュカの姿が無くなると、サクラは再び表情を消し、三体の氷像に目を向ける。その瞳に宿っていたのは明確な殺意。しかし口角は、それとは反対に吊り上げられていた。夜空に浮かぶ細い三日月か何かを思わせるような、凄惨に陰惨な笑みを浮かべていたのだった。
「久しぶりね──お父さん」
サクラがそう言うと、動けない上、声も出せないようだったが、氷像の内の一体が、微かに驚いた様子を見せた。
「とは言っても、あれから数年が経過したわけなのだから、覚えていないかもしれないけど」
サクラは氷像に少しずつ近付いて行く。
「いえ、例えそうだったとしても別に構わないのよ。最近まで、私もほとんど忘れていたようなものなのだし」
そう──最近まではね。
サクラは言う。
「だというのに──」
そしてまた一歩、近寄る。
「よくもまぁ不愉快な形で思い出させてくれたわよね……。それに意味の無い恥まで……!」
完全に激昂した様子で、サクラは氷像の前に立つ。握り締められた拳は、小刻みに震えていた。
「何の意味もなく生きているだけの、生きている意味さえないような連中が、よりにもよって害悪な塵芥共と一緒になって彼の邪魔立てをしようというのだから、全くふざけた話よね。誰がそれを許したの。誰がそれを認めたの。決めるのは──彼よ」
それをなんとか落ち着かせるようにして、サクラは嘆息した。
「まぁでも、そうよね。ゴミが一か所に纏まったのだから、掃除がしやすくなった──抹殺しやすくなったと考えれば、そう悪い話でもないのかもしれないわね」
それに──と、サクラは言う。
「けじめをつけなければ、前へは進めないもの──覚悟を決めやすくて、殺しやすくて助かるわ」
軽く微笑んでいたが、その目は少しも笑っておらず、ただただ鋭く睨みつけられていたのだった。
彼女から発せられ吹き荒れる魔力が、人気のないその路地を染め上げていく。
「けれど、彼に直接手を出そうとして──ただで死ねると思わない事ね」
殺す。殺す。
殺して。殺す。
死にたいと言わせてやる。懇願させてやる。
その上で、生かして殺す。
殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺そう。殺そう。殺そう。殺そう。殺そう。殺そう。殺そう。殺そう。殺そう。殺そう。殺そう。殺そう。殺そう。殺そう。殺そう。殺そう。殺そう。殺そう。殺そう。殺そう。殺そう。殺そう。殺さねば。殺さねば。殺さねば。殺さねば。殺さねば。殺さねば。殺さねば。殺さねば。殺さねば。殺さねば。殺さねば。殺さねば。殺さねば。殺さねば。殺さねば。殺さねば。殺さねば。殺さねば。殺さねば。殺さねば。殺さねば。殺さねば。殺さねば。
今ここで殺──そうとして、氷像の手前、その拳を止めた。
「ふぅ……」息を吐き、拳を解く。「今ここで殺したら情報が引き出せないわよね……」そう言って振り返る。「……ルリ!」
そこにいるんでしょ──と、その名を呼んだ。
すると、ルリが物陰から出て来た。
「はいは~い。……これと遊んでろ……って話でしょ? ……先に連れて帰って、皆で遊んでるよ」
軽い口調での挨拶だったが、いつものような明るさはない。深く淀み、沈んだ口調だった。
「えぇ。だけど、取り敢えずは保存よ。情報を引き出すのはあの件が終わってから」
「動くの?」
「えぇ。後は任せたっていう、リュカからの合図があったから」
「あぁ、アレ、これを片付けろっていうだけじゃなかったんだ」
「当たり前でしょ。まぁ尤も、私でもなければ分からないでしょうけど」
サクラは若干、自慢げに言う。
先程まで不愉快ここに極まれりな彼女だったが、リュカの話をしているからか、その表情は明るかった。
「へぇ……、自分だけはちゃんと理解してるってこと? 自意識過剰なんじゃないのぉ?」
そんなサクラの態度に、ルリは苛立ったような声音で答える。
「……は?」サクラは鋭い目つきでルリを睨みつけ、威圧し、恫喝した。「……とにかく、あなたはこれを片付けてきたら、ついでに残っている皆に伝えて来て。決行はこの後すぐになる、と」
「はぁ……了解。リュカ様はいいの?」
「えぇ、少しの間は彼女の側にいたほうがいいでしょうし、私達だけで片を付けるわよ」
「残念だなぁ……」
「手を煩わせなくて済んだと考えなさい。元より、彼が自ら動くこと自体、私達にしてみれば恥ずべきことなのよ」
「はいはい……分かったよ。でもそれを言うなら、お迎えだってリュカ様が行くことなくない?」
「私達では行ったところで面識がないでしょう? だからどのみち、彼が行った方が話は早いわ。警戒はしておくべきかと思ってたあの不吉な男も、不吉なだけみたいだったし」
ルリは、それもそうかと頷いて、それから氷像を軽く持ち上げた。サクラがゲートを作り出すと、それを一個二個三個と放り込み、彼もまた溶けるようにして、ゲートの中へと消えていったのだった。




