010 魔神封印
オセロの方はエレインに合っていたのか、負けても特に不満を持ったりすることもなく楽しそうに遊んでいた。それにはやはりルールの単純さという物があるのだろう。何度か何も挟めないところに駒を打つようなことをしていたものの、それ以外には基本的に破るようなルールが無いので、エレインもその辺に思考を持っていかれることなく遊べていた。チェスの際は結局駒の動かし方やら何やらで頭がいっぱいいっぱいになってしまっていたから、その上で負け続ければ嫌にもなってしまうのだろう。
因みにそのオセロだが、父親には「今の仕事が落ち着いたらこれも商品にしたい」というようなことを言われた。なので今後また数日掛けて話を詰めていく作業があるのだろうが、しかし今回はそれほど難しいものでもないので、企画書のようなものを一つ仕上げておいて、後はそれを基に何とかしてもらえばいい。現在の仕事がいつ落ち着くのかは不明だが、商売自体は想像以上に順調らしいので、企画書一つ書き上げるだけの時間くらいはあるだろう。
「引っ繰り返し、返され、白黒をつける……、確かに単純なルールね。でもどうしてかしら、自力でこれを思いつける気がしない」
サクラが飲み物を用意しながら言う──少し前に風呂にでも入っていたのか、まだ少し髪の毛が濡れているようだった。
今日は何をしに来たのかと言えば、前回、何も言わずに数日程空けてしまっていたということがあったので、今回は前もってそういうことになるという話をしに来ていたのだ。出来る限りそうならないように企画書を書くつもりでいるのだが、それでも確認しなければならないことはあるだろう。こちらが当たり前だからと説明を省いてしまった事が、向こうにはまるで分らない未知の物事に映ることもあるのだ。勿論そういうことが無いようにはするつもりだが、染み付いた感覚というものはそう簡単には抜けてくれないので、多分いくつかはそういったことが質問として飛んでくることになる。なので、完全に丸投げをすることは出来ない。もし出来たとしても、その利益の一部を享受しようと考えている以上、完全な放棄は出来ないのだが。
「黒に挟まれれば黒に、白に挟まれれば白に……というのは、なかなかどうして、エルフや人のようだけれど」
「そこまで単純じゃないよ──とはならないか」
簡単に引っ繰り返ってしまうのが、人という存在だ──この世界においては、エルフや獣人も含むのだろうが。
「私もまたそういう存在だもの──いえ、皆そうと言うべきね。私達にとって、一番重要なのは本人の意志ではなく、周囲の環境。己の無力を環境の所為にするのは頂けないけれど、それでも、いい環境に身を置けなければ、何をしても意味がない」
「意味が無いとまで言うと話が変わると思うけど……」
しかし、その言葉も理解は出来た。
彼女にとって、サクラにとって、これまでの環境はいい環境ではなかったのだろう。
そしてそんな環境からついには放逐され、あわや野垂れ死に掛けた。
だったらあまり──分かったようなことは言うまい。
「そうね。なら、意味のあることが出来ないというべきかしら」
これまでやってきたことは、今の自分にとって何の意味もなかった──と、サクラは飲み物を差し出してきた。
それを受け取り、一口。
「それで? 前々からやっていた実験というのは順調なの?」
目の前の椅子を引き、サクラが座る。
コハクはやはりこの時間眠ってしまっているので、寝息が聞こえるだけである。
「かなり進んでるかな。まぁ、これでもダメだったらまた初めからになるから、何とも言えないんだけど。でも闇の魔法もそれはそれで使い道があるし……いや、危険なだけなんだけど、それでも何の成果も得れなかったってことにはならないと思う」
「危険……。そうなの。でも、せっかくだから教えてもらえると助かるわ。何かできるかもしれないし」
「それはいいんだけど──あ、そうだ」
そこで思い出すと、コップを置き、サクラを見た。
「?」
「今日、その実験が終わって帰ってきたら、町が騒ぎになっててさ」
「騒ぎ? ……あぁ、なんだか騒然としていたわね。今日はあまり表には出ていなかったのだけれど」
「話を聞くに、魔神が現れたとかなんとか……。そういうお伽噺があったりするのかな?」
と、苦笑交じりに尋ねてみた。
まさかお伽噺を信じて騒いでいたとは思えないのだが、もしかしたら自分が知らないだけで、何かそれに纏わる話があったりするのかもしれないのだから。
すると、サクラも知らなかったのか、よく分からないといった顔をした。
「まぁ、元々は大したことのない噂話に、根も葉もない与太話に、いつの間にか尾ひれがついてたりすることはあるし……。その類でちょっとした騒ぎになってただけなのかな」
この世界はネットを使えばすぐに調べ物が出来るような環境ではないのだ。話の真偽を確認しようものなら相当の労力を要する。その代わり、SNSなどが無いので、まずそもそもおかしなデマが広まり難くもあるのだが。
それでもやはり町単位なら噂や話の伝達はすぐなのだろう、しばらくは外出をしないように親からは言われてしまったし、これからしばらくは夜中にしか実験が出来なくなってしまった。
痛い。これが痛い。
「かもしれないわね。皆で同じ話をしているときが一番楽しいもの。そこに共通の敵がいるとなお良し。要するに、なんだっていいんだと思うわ」
「なんだっていい……か」
「だから多分、誰かがそれらしい魔物でも倒して帰れば、それが正体だったんだって言って、騒ぎは収まると思う」
「……確かに、それが一番現実的かな」
それが本当かどうかはともかくとして、一度でもそういう現実的な話が出てくると、それまで飛躍に飛躍を重ねていた噂話やら都市伝説やら怪談やらが一気に白けて霧散するというのは、よくあることのように思えた。そういう話は『あり得ないこと』を『あり得たら』という体で話すから楽しいのであって、そこに一度でも現実的な話が持ち込まれると、それだけで面白味を失うのだ。
リアルとリアリティは違う。まるっきりリアリティの無い話は面白くないが、リアルの方が干渉してきたり否定してきたりするのもまた、違うのだ。
「でも、この辺にそんな魔物いたかな……」
一応、母親の授業内で、この辺りで確認されている魔物の種類や危険性などは解説されている──とは言っても基本的に魔物は危険な存在なので、見かけたら逃げろという言葉が毎度のごとく頭に付くのだが。しかし、この辺りに魔神だと言われても納得のいきそうな魔物がいたかと問われると、あまりそれらしい魔物がいたとは思えない。ただ、この場合において大事なのは、実際にそういう魔物が存在するかどうかではないのだろう。大事なのは、正体がただの魔物であったという、酷くつまらない真実の方だ。
「ま、そのうち収まるかな……」
と、残り少なくなっていたカップの中身を飲み干した。牛乳と、後は何を混ぜたのだろうか。なかなか飲みやすい味だった。
「あら、もう帰るの?」
「まぁね。子供の身体だし、ちゃんと寝ないと。サクラも、別に毎度起きてなくてもいいんだよ? 寝てたら静かに帰るから」
子供の身体だし、という言い方はマズかったかもしれない──などと考えながら、そんなことをわざとらしく付け加えると、サクラは首を横に振った。
「折角来てくれるんだもの、そうもいかないわ。それに……この時間が好きなのよ」
そう言ってくれるのは──普通に嬉しいが、こうも直接的だと、反応に困った。
「ふぅん……、無理はしないでよ。おやすみ」
なので、そう返して。
小屋の扉を閉じ、屋敷へと帰った。
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それから二日ほど、魔神に関する騒ぎは始めに比べれば落ち着いたと言えるのだが、しかしそれでも終息したとは言えないような状況が続いていて、結局昼間の外出が認められるというようなことはなかったので、いつも通り夜の時間を使い、例の山にまでやってきていた──無論、魔神が出てきたらと思わないではなかったのだが、魔の神なる存在がいるのだとしたら畏れたところで意味もないだろうと、何か変なのが現れたらすぐに逃げ帰ることを念頭に置いて、おっかなびっくりやってきたというわけだった。
窪地へと降りたって、周囲を見回す。
特に何もおかしな様子はない。池の近くに、人が飲み食いをしたような痕跡が残されているだけだ。
そんな風に色々観察を続けながら思案する。
どうして『魔神が現れた』などと言う噂が立つようになったのか、その原因について。
どうしてというのはこの場合、初めはくだらない噂だったのがいつの間にか飛躍してしまったから、というような話ではなく、その勘違いの原因の方だ。町人達が騒然としていたのにはその噂という原因があるのだが、だとすれば当然、その噂の方にも発生に至った原因があって然るべきで、恐らく彼らは何かしらの現象を魔神というよく分からない存在に結び付けたはずなのだ──何の因果もなく、ただ魔神が現れたというような噂だけが独り歩きするはずもないのだから。
例を挙げるのなら、妖怪変化。アレは基本的に現代科学で説明できる事柄を当時の人間が勘違いした結果生まれた物が多かったりする。勿論完全に存在しないものを人々に対する恐怖として創り上げていたりもするのだが、『幽霊の正体見たり枯れ尾花』というのが、ああいった存在の正体だ。
だとすれば、その原因となった現象というのは一体何なんだろう、というようなことを、深夜の山中にて考え始めた。
そして少し考えて。
しばらく考えて。
かなり考えて。
ずっと脳の片隅にあった、「もしかして」という可能性に目を向けた。
「これ、まさか自分の所為か……?」
夜遅く、様々な魔法を使って実験を行っている関係上、勿論場所は選んでいるのだが、それでも人によってはその音や光が届いたりすることもあるのだろう。この世界では基本的に陽が沈んだら仕事は終わりで、暗くなったら電気をつけるのではなく寝るというような生活が一般的なので、勿論貴族や金持ちはその限りでもないのだが、自分が実験を開始する頃にはほとんど寝静まっているだろうと、だから例え遠くで変な音や光が起こっても気が付くことはそうそう無いだろうと、そう考えていたのだ。少なくとも、騒音問題に全く気を払っていなかったつもりはない。
だが、実際のところは分からないが、夜遅くまで仕事をしていたり、あるいは飲んだくれていたりする人達が、実験によって発生したその光を目撃してしまうというようなシチュエーションは普通に考えられる。そしてそんな時、山の方から聞こえてくる謎の重低音とその光を見て、何かは分からないが何かとんでもないことが起こっていると解釈した場合、そしてそれが飛躍に飛躍を重ねた場合、魔神に繋がることも──流石にないだろうと思いたいが、一度こう考え始めると、もうそうとしか考えられなくなってくる。
それに、何日かに一度という高頻度で実験を行っていたのもそれに拍車をかけているような気がしないでもない。というか、実験を行った次の日の昼頃にこの山に人がいたりしたのは、もしかしてその所為だったのだろうか。何かしらの異常現象が発生しているということで、専門家が派遣されたりしていたと、つまりはそういうことだったのだろうか。
だとしたら複雑だ。トラブルを生み出すと同時、雇用も生み出している。何の意味もない雇用だが。
しかしそう考えると辻褄が合うのが困りものだ。魔神騒動があってから二日は経過したわけだが、あの日自分がしていたことというのは、闇の魔法の実験である。当然、闇の魔法が生み出されるまでには少しばかり他の魔法を放ったりもしていたので、もしかしたらその光や音が聞こえていたのではという可能性は──かなり高い。
夜とは違って皆が起きているのだ。昼の空が光ったところでそれが目立つとは思えないが、しかし、音は聞こえていてもおかしくないはずだ。もしその時の雷や炎の音が大きな唸り声などのようにして響いていたのだとすれば、あの騒動が起こった理由としては納得がいく。寧ろ、その上で平然としていたのだとしたらその方が問題とさえ言える。いや、これは勿論、先日新たに実験場所として構えるに至った山で起こした音があの街にまで聞こえていたら、の話なのだが、それがそうなのだとすれば、説明としてこれ以上納得のいくものを出せる自信がない。
冷や汗が止まらなかった。
しかし。
「犯人がバレたわけじゃない……よな」
と、思考を転換する。
基本的に荷物などは最小限で実験を行っていたし、何かを置き忘れたりしたというようなこともないはずだ。いつからこのような噂が存在していたのかは分からないけれど、もし予想が正しいのであれば、自分がこの場所で実験を開始した結構初期の頃から存在していたという可能性がある。勿論その頃は数人の内で語られているだけのものだったのだろうし、そうでなければ屋敷にその話が入ってきていないとおかしいということになるのだから、それについては間違いも無いと思うのだが、だとすると、それだけの積み重ねの上にある噂は、一体どうやったら消すことが出来るのだろうか。
「とは言っても、別の噂で塗りつぶすこともできないしな……」
一つの噂が長続きするのは、SNSなどが無いからこそなのだろうか。前世ではどんなニュースもコンテンツも消費期限短めの消耗品でしかなかったのだが、あまり大した娯楽もないこの世界だ、井戸端会議で出てくるような噂話が一大コンテンツを張っているのだろう。最近は父親がチェスの販売をこの町から初めて各地へと広げているが、それが出て来たからといってこれまでの楽しみが急速に消えて無くなったりはしない。前世の現代社会でさえあれだったのだから、それは考えるまでもないだろう。
「いや、むしろ利用できるか……?」
窪地を見回す。
半月状の岩壁に囲まれた、池があるだけの場所。
ここになにかメッセージでも残しておけば、それで噂が収束したりしないだろうか。看板でも立てておいて、「魔神じゃないよ」とでも書いておけば当然のように悪ふざけとして処理されるだけなので、何かそれ以外の、直接的ではないメッセージを残しておけば。
果たしてそんなものがあるだろうかと考えて、しばらくの後、一つだけ、これはいいのではないかと思えるようなものを思いついた。
岩壁に近付き、ペタペタと触る。魔力を腕に通し、軽く殴りつける。岩の強度は申し分ない。
そして次に、池の位置を確認し、池の中心から真っ直ぐ行った場所にある壁の前に立つと、土の魔法を発動させた。岩壁の一部分を大きくへこませていき、大きめの洞窟を作りだすと、中に這入り、奥行きを出す。そうしてしばらく掘り進むと、そこにやや広めの空間を作っていく。
大きめの通路を通って来た先に、ドーム状の空間がある状態だ。初めからこういう空間を作って実験をしていればよかったのだろうなと思うのだが、そんなことを言っても後の祭り。これからはそうするとして、取り敢えず偽装工作を続けよう。
地面に手をつき、闇の魔法と土の魔法を合わせると、広い空間の地面を腐らせた。
そこからは装飾に取り掛かった。通路の壁を少し弄り、柱を浮かび上がらせたり、模様を掘ったり、凹凸を付けてそれらしく見えるようにしていく。本当なら燭台でも付けておきたかったのだが、当然そんなものはないので諦めた。
この時点で少し楽しくなってきている自分がいるのだが、更に土の魔法を使っていき、装飾を進めていく。
奥の空間に行くと、その中央の土を迫り上げ、台座を作る。これは多少形を崩しておき、その台座の上に棺を模した箱を作り出す。当然、中身は無い。
そして台座や棺に改めて細かい凹凸を付けていくと、空間の壁にも通路同様装飾を施す。その一部分には、『武神ここに眠る』とだけ文字を掘っておいた。レグナムで書いているので、調査隊の中の誰かしらが見つけて読んでくれるだろう。そうすれば、ここにいるのは魔神ではなく武神となるのだ。恐れるべき魔神ではなく、畏怖すべき武神、崇めるべき武神だ。
そう、ここは忘れ去られた武神の遺跡。
天井にはいつか見たことのあるようなマークでも刻んでおくことにした。少し適当だったが、それらしさが肝要だ。
そしてある程度の所でそれを止めると、洞窟内全体を氷の魔法で冷やし始める。完全に凍り付かせてもよかったのだが、少し冷やすだけでもそれなりに寒かったので、過度なことはしない事にした。
外に出ると、今度は入り口の横に像を作り始めた。形は、二対の像を作るということで、阿形と吽形の姿をうろ覚えながら再現していき、それをこちらの世界に合わせてアレンジし、武神が配下にしていてもおかしくなさそうな感じの像を完成させた。よく見るとあまり似ていない様な気がするのだが、雰囲気が出ていればそれでいいのだ。それに入口よりも大きい象なので、細部のデティールにはそこまで拘らなくとも、見た者に迫力を与えることは可能だろう。
これ以外にももう少し何かを用意したほうがいいのかもしれないだとか、もう少し古びた感じを出した方がいいのではないかと思ったのだが、これ以上やると却って怪しい。なのでそこで切り上げると、最後の仕上げに入ることに。
仕上げとは言っても、やることはいつものことだ。
要するに明日ここに人が来てくれればそれでいいので、ここからはいつもの通り実験を進めることにした。
結局、瞬間移動の魔法を生み出すことは出来なかったが、それでもムシャクシャとしていた感情を発露するが如く、全力で頑張った。
△▼△▼△▼△
数日程が経過して、外出禁止は解除された。
出掛けた町は町で何やら異様な雰囲気だったのだが、それがこの地を守護する武神の為の祭りなのだと父親に説明されて、「へぇ~」と言うことしか出来なかった。どうやらその祭りには父親も噛んでいたみたいで、この機会を利用して上手いこと儲けたらしいことを誇らしげに語られた。それは別に我が家の利益なので構わないのだが……。
フットワークはなかなか軽いらしい。
しかし、それはそれとして、ありもしない信仰を作り出してしまったのではと考えると、自分でしたこととはいえ、罪悪感にも似た何かに苛まれることになった。渦中の場所にあんなものを作って置いておけば、後はそれを見た人達が勝手にこれまでの事なんかを都合よく解釈して、魔神の存在を別のモノに塗り替えてくれるのではないかという目論見の下で制作していたので、確かにそれ自体は上手くいっているのだが──ここまでとは。
少し歩いてみると、町中には、阿吽の像擬きに影響を受けたのか、上半身裸の男が散見された。
阿吽の像スタイルのファッションとでも言うのだろうか、上半身裸で肩にタオルのようなものを掛けている。なまじガタイがいいので様になってはいるのだが、個人的には異様としか言えなかった。とは言え、元より己の強さ、即ち筋肉を誇示する男の多いのがこの世界なので、受け入れられているのはそういう面もあるのだろう。前世でも似たようなことはあったが、それでも彼らは時と場所を選んでいたので、町中で堂々と脱ぐことを自分が異様なものとして受け取っているのは、やはり前世での意識が強いからだろうか。
それと、実験用の山の方にも様子を見に──行こうかと思ってはいたのだ、家を出て少しするまでは。しかし町の異様な雰囲気で何かを察し、そして父親から説明を受けた後は、流石に様子を見に行く気にもなれず、またいつか見に行くことにして、その日は街を少し散策するだけに留めていた。そしてある程度町を歩き回ると、そのまま庭の森に向かい、サクラとコハクの所へ顔を出しに行くことにした。
二人は熟練の武闘家のような動きで戦いを繰り広げていたのだが、こちらの様子に気が付くとそれを一時中断し、コハクは敬礼で、サクラは微笑で出迎えた。コハクに敬礼を教え込んだのはサクラなのだろう。
その後は、サクラに連れられ小屋の中へと入り、飲み物を飲みながら近況報告を受けた。とは言っても、数日前に来たばかりなので、それほど大きく変わったことがあったというわけでもないのだが、問題なさそうだったので良しとした。
ただ、日用品で少し足りないものがあるという話だったので、それだけメモを取り、町を散策する前にこっちに寄っておくべきだったなどと思いつつ、わざわざ報告するまでもなさそうな些細なことをいくつか尋ねていった。
主にコハクの勉強についてだったのだが、これも割と順調とのことで、能力自体は問題ないとのこと。しかしやる気の面に難があるようで、これはまだ子供なのだから仕方もないだろうとは思っているのだが、後で様子を見て欲しいと言われたので、時間を取ることにした。
コハクはその間外で走り回っていたらしく、お昼頃になると、「昼!」と言って小屋の中に這入って来て、先に風呂に入るようサクラに注意を受けていた。当然一度目は文句を垂れ、二度目でやや室温が下がるのを感じ取るや否や、風呂場へと直行していた。子供の割には聞き分けがいい子だとは思うのだが、年の割にはよすぎるような気もするのだが、サクラ的には一度で従わないのが癪とのこと。もう少しのびのびさせてあげてもいいとは思うのだが、まぁしかし、汗だくの状態で食卓に上がるのはよくないので、その辺の衛生面に関してはきちんと躾けておくべきか。
などと言いつつ昼を摂ると、午後からは小屋を飛び出て行こうとしたコハクを引き留め、勉強を見ることとなった。
コハクの勉強を見るの自体は結構久しぶりで、今はどの辺を勉強しているのだろうかなどと、少し成長を見るのを楽しみにしていたのだが、既に前世の子供が中学で習うような範囲にまで突入しているのを見て絶句した。エレインが必死に九九を覚えている横で、恐らくエレインより年下であろうコハクが関数の勉強をしているのを見せられて、それでも取り乱さずに「今はここなんだ」と平静を保てた自分を褒めたい。サクラに関しては優秀なことが分かった上でどんどん先の勉強を叩き込んでいたから良かったのだが──いや、良くはなかったのかもしれないが、コハクもここまでとは思っていなかった。
これはコハクの知能が高いのか、サクラの教える能力が高いのか──恐らくその両方なのだろうが、しかしだとすると、サクラの言う「コハクにはやる気がない」という言葉は、もしかしたら自分が思っているのとは意味が違っているのかもしれない。
「まだここなのよ」
と、サクラ。
まだ不満があるのか。勉強とは言ってもこれだけでなく、国語や歴史、科学に社会常識やその他の勉強に加え、格闘や剣術、魔法に戦術の勉強もやった上でこれなのだから、ハッキリ言って今のこれは進み過ぎと表現するしかないのだが、教えている側としてはまだまだらしい。
「でもまぁ、今ここまで出来てるんだったら十分なんじゃないかな……?」
やんわりとペースを落としてもいいのではないかと提案してみるも、サクラは首を横に振る。
「全然ね。これでもゆっくり教えているつもりなんだけど」
曰く、賢くなければまた元の場所に戻ってしまうから、とのこと。サクラなりにコハクの為になると信じてやっているようだし、それにそもそもこの辺の事をサクラに丸投げしてしまっている時点で文句を言う権利はないのだが、お互い余りを無理をしないようにとだけは念を押しておいた。
そして、コハクの勉強を見ていった。
エレインが可哀想になるレベルの理解力の高さで、サクラの言う通り、やる気が無いと思われるような発言もたびたび見受けられたのだが、しかしそれはどちらかと言うとやる気ではなく集中力の問題でもあったので、十五分に一度、五分休憩を入れてみることにした。その休憩時間は好きにしていいと言い、身体を動かさせた。なのでこちらもそれに合わせ、十五分で一つのテーマを教え切れるようにしなくてはならなかったのだが、コハクにだけ頑張らせるわけにはいかないと、そこは頑張った。
後は、甘いものをその度に補給させることだ。たらふく食べた食事を一瞬で燃やし尽くすように、糖分も一瞬で燃やし尽くしている可能性がある。だとすれば、その勉強は回数を重ねるごとに効率が落ちていく。エンゲル係数がマズいことになりそうだったが、しかし結果として、コハクの抱える問題は少しばかり改善された。
そして、まだ陽は沈んでいなかったが、疲れ果てたコハクが眠りについた頃。
「はぁ、疲れた……」
床に座り込み、息を吐いた。
「大丈夫?」
サクラがその横に行儀良く座り、肩に手を乗せた。時折こうして距離が近いことがある。
「うん、大丈夫……じゃないかも。ここ数日、色々とあってさ」
「色々……?」
「まぁ、うん。魔神が出たっていう噂があったでしょ? アレをどうにかするために頑張ったんだけど、その疲労がいまだに抜けて無くてさ」
あの日は結局かなり時間がかかり──ムシャクシャして実験に熱が入ってしまったのが主な原因のような気もするのだが──帰る頃には陽が登り始めていたのだ。その寝不足を数日引き摺ってしまい、そこに追い打ちをかけるように今日の事があったので、正直色々と限界だった。こうしてこの小屋を訪れていること自体は楽しくもあるのだが、精神的疲労は隠せない。
「魔神……」
「そう。まぁ、アレを封印してきたんだよ」
封印。魔神は二度と出て来てはいけない存在だ。これからは実験場所を変え、その上で光や音などが極力漏れないようにし、二度と復活させないと誓おう。
「……っ、魔神を……?」
「え? あぁ、まぁ、うん。正体が分かってさ。ははは……、かなり馬鹿な魔神だったよ」
それはもう馬鹿な自分だった。
びっくりするほど。
「そして魔神を封印して、それを武神に作り替えたの」
「そんな……ことが……」
「だけど町ではそれが信仰されちゃってて……。だからどうしようかなぁって感じで……。まぁ、魔神を恐れてるよりはいいんだけどね」
「…………」
サクラは言葉を失い、こちらをじっと見て。
「大変だったのね」
そう言って抱擁してきた。
大変も何も、自分がいなければそもそもこんなことにはなっていなかったという自覚があるので、それに対して何かを言うことはできなかったのだった。
さっさと忘れてしまおう。
△▼△▼△▼△
辺りは暗く、月明りが無ければ何も見ることは叶わなかったであろうその山を、怪しげな集団が杖を片手に進んでいく。彼らは白いローブを身に纏っていて、首には銀色のネックレスが時折白い光を照り返しては輝いていた。そのチェーンの先に繋がれた小さな丸い円盤のような物には、彼らの所属を表す印が刻まれている。
カツカツと、杖を突く音が不規則に響く。
しばらくして、開けた場所に出ると、全員が足を止めた。
「ふむ。ここが……例の遺跡とやらか」
しわがれた声の主が呟く。すると彼の高弟が頷き、それを肯定する。同時に鞄を開き、大き目の魔道具を取り出した。高弟は他の面々に命じ、その魔道具に魔力を込めていく。すると、少し心もとない光ではあったが、その魔道具が周囲を照らした。
途端、闇夜に浮かび上がる二体の像。その姿は勇ましくも恐ろしい、この世ならざる者の姿であった。
突然そのようなものが浮かび上がってきた所為か、誰かが小さく悲鳴を漏らすのが聞こえた。高弟もまた、少し前であれば同じような反応をしていたのだろうと、その姿に目を瞑る。
「この近辺では以前から原因不明の現象が何度も目撃されていたようなのですが、少し前、これまでは何度確認しても見つからなかったこの遺跡が突如現れたのだそうです」
「ふむ。……それは当然、あの遺跡だけを指しておるのだな?」
「はい。この場所自体には何度も人が調査に訪れていたそうなのですが、その日より前にあのような物は存在しなかったと」
改めてその報告を聞き、しわがれた声の持ち主は唸る。その報告に噓がないのであれば、通常ではあり得ないことが起こっていることは明白である。
「中に這入る分には、問題もないのだな?」
「えぇ。特に目ぼしいものがあったわけでもないそうで、罠なども警戒していたそうですが、最奥へはすぐに辿り着けたと聞いています」
高弟は数人に指示を出し、先に遺跡へと潜入させる。そして内部に問題が無いと分かると、改めて全員が遺跡へと入り込んでいく。壁には精巧な模様が刻まれており、触れると少しひんやりとした感触があった。柱や装飾などは洞窟の壁をそのまま利用することで制作したのだということは分かったが、その様式は、彼らには見覚えの無いものであった。
「いつ頃造られたものなのでしょうか……」
「さてな。もしかすると、我々が確認している最古の遺跡よりも古いものやも知れん」
「とすると……」
「うむ。場合によっては歴史的発見になる可能性もある。それを我々が先んじて確認することが出来れば、他派閥への牽制としては十分だろう。イカンテ様も、きっとお喜びになられる」
「ですが、そこにはレグナムが刻まれていたという話もありましたが……」
「そこが分からぬところなのだが、しかしあの文字にも謎が多い。もしかすると、レグナムが誕生した背景には……」
と、そこで彼らは足を止めた。
広めの通路を進んだ先の、広い空間に出たのだ。
彼らは中央にある台座にまず目を向ける。やはりそれは自分たちの知識には無いものである、ということを認識すると、数人が記録を取る作業に取り掛かった。それ以外の面々は、壁に刻まれた文様をスケッチし始める。
空間の奥の壁には、『武神ここに眠る』と刻まれた文字が。
「ふむ……これだけの部屋か」
それを確認すると、しわがれた声が言う。
「他の遺跡はもう少し複雑な構造をしていたというのに……。本当に武神の墓なのでしょうか?」
高弟が顎に手を当て、唸るようにして呟いた。
「と、いうと?」
「いえ、この場所が現れたこと自体はひとまず置いておくとしてですが、武神の墓だというこの文言を刻んだのは、単に誰かの悪戯であるという可能性もあるのではないかと思いまして」
「確かにな。それは十分考えられよう。調べた話に噓が無かったとしても、この地を調査していた彼らより先に誰かしらが入り込み、そのような許されざる悪戯をしたという可能性は、十分考慮すべきだ──が、お主。もしそうだとして、そこに何の意味がある?」
「……何の……ですか?」
「うむ。調査隊を攪乱してやろうと考えた愚か者がいたとして、ではどうして、よりにもよって武神などと記したのだ?」
「言われてみれば……確かにその通りですね……。なにも武神である必要性はないはず……」
「あの像や内部の空間を見て咄嗟に思い浮かんだのが武神だったというのは、話としては無理も無いかもしれんが、しかしそう考えて断じてしまうのも脳が無い話よ。まぁ、レグナムが生まれた頃には、まだこの遺跡が普通に存在していたという可能性もある。だとすれば、同じことは可能なのだがな」
と、その時。
壁を調べていたうちの一人が天井を指差しながら騒ぎ始めた。大声は空間内にキンキンと響き、高弟はそれを怒鳴りつけてやろうとしたが、指差された場所──つまりは天井を見て、言葉を失う。
「っ、何をしておる! 寄越さんか!」
しわがれた声がその高弟を叱咤し、持っていた魔道具を奪い取った。
そして、天井がより見やすくなるように魔道具を置きなおす。
「おぉ……、おぉ……!」
天井に大きく刻まれた印を見て、歓喜の声を漏らす。その内涙まで流し始め、両手を大きく広げた。
「実在したのか……! 古の帝国は……!」




