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滅界の花嫁  作者: アブ信者
第死話
1/11

001 振出しに戻る

 生きる意味とは何なのだろう。


 誰もが聞いたことのあるであろう有名な歌詞に、『何のために生まれて、何のために生きるのか』というものがある。


 たが──子供向け作品の主題歌の歌詞相手にこんなことを言うのも良くないのかもしれないが──何かのために生まれてくる人間なんていないし、何かのために生きている人間もいないというのが、個人的な考えである。


 強いて言うなら人は──否、全ての生物は、死ぬために生きているのだ。


 あるいは、種を残すため──未来に繋げるため。


 つまり、その個人が何を考えたところで、何を思ったところで、そこに意味などはない。人間は、人間という種全体をこの世界に保存するためにのみ生まれてくるのだ。


 なので当然、その人がその人である必要性などどこにもなく、今そこにいる人間は、今どこにもいない別の人間でも全く問題がない。


『お前の代わりはいくらでもいる』という言葉があるが、まさにそれだ。自分の生きる意味など考えたところで、その自分はそもそも自分である必要性がないのだ。


 だから、『自分がこの世界に生まれて来られたのは奇跡なんだ!』なんて、聞くだけで馬鹿馬鹿しいと思える。


 これについては、自身の両親である二人が出会い、そして交わり、受精をする過程が途轍もない確率に基づくものであるというところに由来する言葉だが、それは全てを都合よく解釈しただけのものでしかないのだ。


 確かに二人の、全く別の男女が出会うというのは奇跡のように思えるのかもしれないが、それは結局自分を基点にして考えているからに過ぎない──ただの偶然である。何かが違えば別の人間と結ばれていたかもしれない、そんな偶然なのだ。


 そして、そこから先は言うまでもないだろう。


 人は交わる際、数億の精を胎内に放つ。そしてそのうちの一つが受精卵となり、着床すれば子ができるという仕組みだ。


 今生きている人間は全員がそのうちの一つなわけで、確かにここだけ見れば数億分の一ということで、奇跡と持て囃すのもわからなくはない。上手いこと受精するかも、そしてそれが着床するかも運次第なわけだし、確かにそれは必ずしも間違いというわけではない。


 だが結局のところ、その人間がその人間である必要性なかったという点では、たとえどんな確率をすり抜けたところで同じことなのだ。


 数億分の一をすり抜けて生まれてきた?


 違う。どれでも良かったというだけだ。数億放った精の内、どれか一つでも当たっていればそれで良かったという、身も蓋も無い話でしかないのだ。


 親は子に『お前が生まれてきてくれて良かった』などと言うのかもしれないが、それだって全員に同じことを言うだけである。


 それはとても、考えるだけで残酷なことなのかもしれないが。


 やはり自分という存在は、いや、他人という存在さえ、それがそれである必要性はないのだ。今この世界にたまたま自分がいるだけで、周りの誰かがいるだけで、もしかしたら自分や周囲の人間が誰一人いない世界だってあるだろう。


 だが、そんな世界だっておそらく、何の問題もなく回っているに違いない──自分がいなくとも、皆がいなくとも。


 そんな人間は、どうして生きていられるのだろうか。


 こんなことを考えてみたとき、どうして絶望せず、今日も明日も生きていこうと思えるのだろうか。


 それは自分にしたってそうなのだが、何故これまで生きてこられたのだろうか。


 環境のおかげか、それとも死ぬ勇気すらない自分のせいか、これもまたたまたまというやつか、どれでもいいのだが──恐らく、いつか死ぬだろうという考えでしかなかったからだろう。


 昔から周囲に流されてばかりいた自分だから、死因もまた周囲が勝手に作るのだろうと、そう考えていたのかもしれない。


 だから──だから、目の前に迫る死を認識したとき、焦ることもなく、驚くこともなく、抗おうという気さえ起こさず、それをただあるがままとして受け入れたのかもしれなかった。


 難病に罹り、余命宣告をされ、延命治療を提案され、それを拒否した。もういいだろうと、そこで抗うことを止めたのだ。


 死。


 しかして、自分という存在は、自分でなくとも構わなかったであろう存在は、そこで死んだ──終わりを迎えた。


 子供の頃から親や周囲の人間に言われたことをあれこれ体験してきた自分だったが、流されるままどんぶらこと生きてきた自分だったが、自分の意志で何かを選んだのは、思えばその時が初めてだったのだと思う。皮肉にも。


 そしてその時、考えた。


 生きる意味など無いのだとして、だとすれば、死ぬことにはどんな意味があるのだろう──と。


 人は何のために死ぬのか。何故死ぬのかは知っているが、何を目的として人は死ぬのだろうか。


 動物は死を恐れているように思える。病気になれば免疫が働き、怪我をすれば細胞が治癒を試みる。危険だと判断すればそれを回避しようという本能が働くし、脊髄反射で瞬間的に避けたりもする。


 勿論寿命で死ぬのとそれ以外の要因で死ぬのとでは何もかもが違うのだろうが、どちらにせよ、人間は、生物は、死にたいと思って生きているわけではない。それは意志ではなく、本能として。


 だとすれば、本来なら危険を回避したりそれをカバーしたりするのではなく、死そのものをなくすような進化をしてくるべきであったのではないか、と思うのだ。


 しかし実際、人は死ぬ。生物は死ぬ。万物には、終わりがある。


 だとすればそこには、何かしらの意味があって然るべきだろう。


 単に増えすぎてしまわないよう、数を適正に保つためなのだろうか。終わりを設けることで、生という呪縛から解放する為か。それとも、生物が老廃物を体外に放出するように、世界もまた同じようなことをしていて、その老廃物こそが老いた生物であるということなのか。


 それか、ただの考えすぎで、意味なんてものはやはり無いのか。


 願望なのかもしれない──自分の行動に意味を見出すのは、人生の意味を探すのは、死の意味を考えるのは。


 己が間違っていなかったと思いたいから、だからそんな事を思い、求めているのかもしれない。


 だが、死んでみて分かった。


 死を経て知った──死の意味を。


 そして、またも絶望することになった。


 いや、あるいは。


 △▼△▼△▼△


 結論から言えば、転生していたのだ。


 これまで無為に送ってきた人生というのは、つまりこの地での、新たな人生を生きていくためのチュートリアルのようなものであったらしい。


 別に誰にそう説明されたわけでもないのだが、誰もしてくれないのだからそう解釈するしかない。


 それにしても、気が付いたら身動きの取れない赤子になっていた時の己の感情を説明するのは難しい──だが、やっと終わったと思ったら再スタートをさせられることになったという点で、自分がどれだけ絶望したのかは説明するまでもない。


 人生ゲームというボードゲームに『振出しに戻る』というマスがあったと記憶しているのだが、アレを踏んだ時と同じ──などではない。あんなものではない。アレが許されるのはゲームだからだ。人生規模でやり直しを要求されるなど、たまったものではなかった。


 だが、どうしてこうなったのだろう。


 宗教的な問題なのだろうか。日本で生まれ育った自分は、特にどの宗教に属しているつもりもなかったのだが、年始には初詣に行くという点では神道だし、年末にお寺に行くという点では仏教徒でもあったと言えるのだから、もしかしたらそのあたりが影響していたりするのかもしれない。仏教の中には輪廻転生という概念があったはずで、この転生がどういうものかは未だ不明だが、その死生観に基づいたものになっているのだろう──と、答えが返ってくるはずもない、そんな推測をしてみた。


 というより、目が覚めてから数時間、それくらいしかできることが無かった。


 首くらいは動かせるのだが、身体はまだ満足に動かない。手足をジタバタとさせるくらいなら何とかといった程度で、立ち上がってどうこうといったことは出来そうにないのだ。そして不幸なことに、目線の先には何かが置かれている所為で視線が遮られてしまっていて、周囲に何があるのかを把握することができない。


 困った。


 いや、死んだと思ったら新たに生を受けていたという時点でもうほとほと困り果てているので、今更周りの状況が把握できない程度では動じもしないのだが、確認できないとなるとこれが気になって仕方ない──とは言っても見えないものは見えないので、それ以外に目を向けた。


 自分が今いる揺り籠らしきものはかなり古めの木製で、祖父母の家にさえあるかどうかといったアンティークさとやらが感じられた。天井も同じく木製で、そして視界の端に、ランタンのようなものが吊り下げられているのが分かった。照明だろうか。


 それ以外には特に何も見えない。強いて挙げるのなら、壁紙が地味といった程度だろう。


 察するに、ここはかなり古い家なのだろうか。大正時代を描いた連続ドラマか何かに出てきそうな家を彷彿とさせるものであった。もしかしたら古くからある良家にでも生まれたのかもしれない。だとすれば、今度の人生もまた同じことの繰り返しになってしまうのだろうか。しかし、所謂前世の記憶というものがあるのだから、前よりはずっと要領よく生きていけるのではないだろうか。


 なら、今度は──今世は。


 自分の生きたいように──悔いのないように生きていけるようにしたい。


 己の小さな手を握り締めてそんな決心をしてみたのも束の間、何やら音が聞こえてきた。ドタバタと何かが駆ける音と、そして、声のような何か。声のようなと言ったのは、それが自分の記憶にある物のどれとも合致しなかったためである。これでも高校、大学時代にはそれこそいくつもの外国語を学習してきたのだ──勿論それも親や周囲に言われてのことでしかなかったのだが、勉強自体があまり苦ではなかったこともあり、取れるだけのものを取っていたので、少なくともその範囲内であれば間違えることもない。だとすれば、自分の知らない言語を公用語とする国ということになるのだろうか。


 この時点で日本でないことが殆ど確定的になっていることに軽く絶望しているのだが、その上で自分が言語を知らない国だということも重なり、先行きの不透明さに不安を覚えた。


 そんな風に状況把握を続ける自分の耳には、尚も何者かの声と、それから椅子を引き摺るかのような物音が聞こえていた。声の方は甲高く、少女のそれかと推測できる。


 この家の人間なのだろうか。自分もまたこの家の人間なのだとすれば、身内ということになるのだろうが。


 と、待つこと数分。揺り籠の上にひょっこりと、顔が出て来た。それは幼女の顔であった。三歳か四歳あたりだろう。


 髪は金色で肌は白と、アングロサクソンに似た顔立ちをしていた。もうどこの国なのかが分からないのだが、その幼女はニコニコとした表情で、こちらに語りかけてくる。


 何を言っているのかはよく分からないが、こちらも取り敢えず笑顔で会釈をしてみた──上手く出来ていたのかは分からないが、向こうは満足そうな表情を浮かべると、短い腕を伸ばし、頭を撫でようと試み始めた。


 しかし届かない。


 幼女はだんだんと前のめりになっていき、このままでは自分めがけて落ちてくるのでは無いかという可能性が浮上してきた──が、間一髪。姿勢を崩しかけたところを、後ろから来た別の誰かに持ち上げられていた。


 現れたのは、その幼女とどこか似た雰囲気を持つ大人の女性──母親だろうか。多分自分の母親でもあるのだろうが、おっとりとした雰囲気の人だった。母親というと、前世では厳しく口うるさく、そして教育熱心な人だったのだが、揺り籠の中にダイブしそうになった幼女を諭すようにするその人からは、特にそういったものは感じられなかった。


 別に前世での親というものに特別怒りや恨みを持っていたわけではない。過干渉な親ではあったけれど、それが何も自分をイジメてやろうという意志の下で行われていたわけでないことは分かるし、幼いころから通わせてもらっていた様々な習い事や塾なんかも、当時は気にしてもいなかったが、かなりの金銭がつぎ込まれていたはずなのだ──別に掛けた金額の大きさこそが親の愛だと言うつもりはないが。


 しかしまた、そういった教育があったからこそ自由意志の薄弱な人間が出来上がったという点は事実だ。周囲に何かを言われるのが当たり前で、他人に何かを決められるのが当たり前で、自分で選んだりすることが殆どない──そんな人間。だから、それについて、何も思う所が無いわけではなかったのだ。


 不当なものなのだろうか。それならそれで構わないのだが──その時、母親らしき人の手が伸びてきた。そのまま持ち上げられると、抱えられた。こうして赤子目線で見てみると、大人というのは本当に巨人か何かのように思える。恐怖を感じたわけではないにしろ、このまま首をひねられれば抵抗も出来ずに死ぬのだなと言うのが肌で分かった。


 それにしても、説明が欲しい。自分は果たして本当に転生したのか、それとも死後の世界というやつなのか、あるいはどちらでもなくて、死の間際に夢を見ているだけなのか。しかし思えば、生まれたばかりの赤子に、その場所や周囲の人間についての説明などはされないのだった。人は成長する過程でそういった物が果たして何なのか、自分にとってどういうものなのかを知るのであって、この時点であれが何、これが何と説明を受けるのではないのだ。


 とすればまずは何をすべきか。考えるまでもなく言葉を覚えるところから始めるべきなのだろうが、既に複数の言語を習得してしまっているのが痛い。あくまでも日本語を基準に学習をしてしまうのだ。教材などがあればいざ知らず、それを耳だけでこなそうというのは困難だろう。しかし、どうせやれることなど他にはないのだから、無駄口を叩かず──否、無駄口でも何でも叩けるようになるまで頑張るしかない。


 △▼△▼△▼△


 揺り籠から墓場まで。


 それはかつて英国で掲げられていた社会福祉政策のスローガンだが、まさかそれをそのまま引っ繰り返して墓場の方から揺り籠まで逆戻りさせられることになるとは思っていなかった自分の数奇な生活も、初日から幾日かが経過した。


 眠くなったら寝るという赤子スタイルの生活なので、実際にどれくらいの日数が経過したのかは不明だ。きちんと夜まで起きていようと心では思っているのだが、やらなければならないことが明確に定まった関係上、起きていたいという気持ちは強いのだが、身体の方が眠気に抗えていないのだ。


 しかし少なくとも、一カ月と少しは経過したであろうと思っている。勿論その間、初めに決めた言語学習の方も進めていて、とりあえず自分の名前がベンジャミンでないことは理解した。名はリュカというらしい。もしかしたら愛称かもしれないが、何の愛称かは分からない。


 因みに、自分の行っていた独自の言語学習法──と言えるかどうかも微妙だが、取り敢えずその方法としては、暇さえあればとにかく声を出して人を呼び、何でもいいから言葉を引き出していくということだった。


 大抵、赤子が騒ぎ出した際に人が掛ける言葉というものは共通しているはずで、まず『どうしたの?』に始まり、『お腹が空いたの?』だとか、『遊んで欲しいの?』だとか、そういった言葉しか掛からない。なのでまずはそこからコンプリートしていくことにし、それらしい単語を抽出することに成功したのだ。それが出来れば自ずとそれ以外の言葉が何なのかも推測できるようになるので、助詞だとか形容詞だとか名詞だとかを大まかに分類分けしていくという作業に入ったのだ。


 しかし、そんな情報はもはやどうでもよかった。いや、どうでもよくはないのだろうし、自分的にも結構大事なことだとは思っているのだが、どうでもいいと言っても問題ないくらいには小さなことでしかなかったのだ。


 まず第一に、ここは地球ではない。


 そのことに気が付けたのには、幾つかの理由がある。


 一日の中には時折、抱きかかえられるようにして揺り籠から外に出ることができるタイミングがあるのだが、無論その際もあれこれ指差しては単語を引き出してもいたのだが、部屋の壁際、そこに置かれたタンスの上の花瓶に植えられた植物を見て、違和感を覚えた。そして、何とか母親を誘導して窓の方に近付き、そこからの景色を見て、それを確信に変えた。


 当初、この場所を欧州のどこかだとばかり思ってた自分がいたのだが、窓からの光景を見て、同じ事を思えなかったからだ。まず始めに、周囲にある建物の建築様式が違っていた。そして周囲の植生も合致しなかった。たまに見える動物も、まるっきり記憶にないものだったのだ。


 自分が知らないだけならまだよかったのだ。自分の無知だということにして納得ができるから。しかし、自分が知っているものが殆ど──否、全く無いとなると、これは話が変わってくるだろう。そう、知っているものの中に時折知らないものが混じっている程度であれば、恐らくこの段階でそのことに気が付くことは出来なかったはずなのだ。


 しかし出来てしまった。出来てしまうくらいに、この場所は──この世界は、異様なものとして映った。


 ただ、極めつけがあった。全てを吹き飛ばすような、そんな決定的なことが。


 それは──魔法である。


 母親がなんてことない顔で掌の上に水を顕現させている姿を見て、驚いた勢いで引っ繰り返りそうになった。それについては生憎と姉──エレインによって抑えられたのだが。因みに、母親の名前はまだ分からない。母親を意味する単語は理解できたのだが、名前が出てこないのだ。しかしこれについては仕方もあるまい。母親を名前で呼ぶ家庭もあるというのは聞いたこともあるが、ここはそうではないらしい。


 それはそれとして、魔法。これは初めて見た時には驚きもしたのだが、落ち着いて考えれば──いや、落ち着いて考えてもやはり理解のできないものであった。どういう原理なのか、皆目見当がつかないのである。


 しかしそれ以上に、心躍るものであった。前世では言われるがままに勉強をしてきた自分だったのだが、学ぶという行為自体は好きだったのだ。それについては、嫌々でもやってきたからこそという部分もあるのだろう──やっていくうちに出来るようになってくると、どんなものもそれが面白さや楽しさに繋がってくるものなのだ。そんな自分だから、魔法という未知の存在には興味を惹かれた。


 自分もああいうのが使えるのだろうか、と。


 使えたらいいなぁ、と。


 そう思うだけでは何も変わらないので、言語学習の傍ら、自分も魔法が使えるようになれまいかとあれこれ試していくことにした──はずだったのだが、一週間ほど経過しても、手から水が出てきたりはしなかった。


 これは現状誰に教わることもできないので、本当にコツコツやっていくしかないのだが、だからこそ自分が今やっていることがどれくらい正しいのかすら分からないのが困る。


 何か特別な道具が無ければならないのだとすれば骨折り損のくたびれ儲けでしかないし、人それぞれ適性があったりして、例えば血液型がB型の人間にしか使えないとかであるとするならば、まずそもそも自分にその適性があるのかどうかも分からないのだ。


 この状況で、果たしてこの行為に意味はあるのだろうか。


 ただ、やはりそれ以外にやることもないので、今の生活に併せるような形で、魔法の勉強──というよりは鍛錬を開始することにした。


 △▼△▼△▼△


 半年ほどだろうか。


 簡潔に結論から述べるのであれば、魔法は未だに使えるようになってはいない。


 言語学習と同時並行で魔法の鍛錬を開始し始めたのだが、言葉の方はだいぶ余裕が出て来たというか、相手から引き出せそうな言葉はあらかた引き出し尽くしたので、一日の内に使える時間が増えたのだ──などと言うと、やや事実とは乖離する部分がある。


 実のところ、半年間毎日わーわー喚き続ければそれが日常になってしまい、始めほど人が寄って来てくれなくなってしまったのだ。母親や家に何人かいる家政婦的な人たちは、一応様子を確認するだけで、すぐにどこかへと行ってしまうようになってしまった。姉は時折相手をしてくれるのだが、三歳児か四歳児ほどの子供の語彙力などたかが知れているので、申し訳ないがこちらはあてにしていない。


 ただ実際、もう引き出せそうな言葉が無くなっているというのは事実でもあったので、これまで言語学習に当てていた時間をフルに使って、日々ああでもないこうでもないと魔法の鍛錬をするようになったのだが──これが上手くいかない。


 しかし、全くと言っていい程──ではないのが唯一の救いだろうか。


 というのも、体内に何かがあるのである。


 何か。


 まだそれをハッキリと認識することは出来ず、時折フッと感じるかどうか程度のものでしかないのだが、少なくとも前世では感じたことのない感覚が体の中にあったのだ。なので最近はそれをきちんと認識できるようにしようということを目標として頑張っている──これが魔法を使うための手掛かりだと信じて。


 と、それについては時間をかけて着実に進めていくしかないのでいいとして、それ以外にも、半年も掛ければ分かるようになることはいくつかあった。


 まず、この家の事だ。この家には普段母親がいて、姉がいて、そして先述の通り、家政婦らしき人が何人かいる。それ以外にも何人かいそうな気配はあるのだが、まだ会ったことはない。そんな家なので、恐らく一般庶民の家庭ではないのだろうということは容易に理解できた。ある程度裕福な家庭に生まれたということは、目が覚めたばかりの頃にした予想とそこまで違わなかった。


 そんな家で、母親は基本的に子育てをしていて、家政婦が家の事をしている。父親は一応存在することは分かっているのだが、この半年間顔を合わせた記憶がない。多分生活リズムが噛み合っていないからだろう。日中言葉の勉強と鍛錬に精神を使い尽している自分は夜に目が覚めることが無いし、起きた頃には陽が天高く昇ってしまっているのだ。なので当然、会うことはない。そしてその上、恐らく父親には休日というものが無い。土日は休みだなどと言う感覚は、この地において異質そのものなのである。


 ただ、どんな顔かは知っている。これは家族写真──でもないが、家族四人を描いた絵が飾ってあったのを見て知った。そしてそれを見た時、もう一つの事実も知ることになった。


 この家にはもう一人子供がいる──いたと言うべきなのだろうが、それについてだ。


 別に死んでしまったとかそういう話ではなく、今現在は別の場所で生活をしているのだろうという意味で、だ。その家族の絵に自分の姿はなく、凡そ中学生くらいかと思われる少年が一人と、それから両親と、今より少し幼い姉の姿があったことで、少なくとも数年前まではこの家で生活をしていたということが見て取れたのだ。


 どこに行ってしまったのだろうか。もう働いていたりするのだろうか。父親と同じく、生活リズムがあっていないだけなのだろうか。


 それから、この生活環境全体についても、幾つか分かったことがあった。


 初めは家の雰囲気や町並みからのイメージで、どうにも前時代的な、自分の生活していた時代から百年二百年ほど巻き戻してみたような場所を想像していたのだが、魔法の存在もあり、思ったほど不便そうな生活はしていないようだった、ということである。


 安心した。勿論前世の日本の都会生活に比べてしまえば不便極まりないと言えたが、生憎とここは町中の様だったし、生活必需品がすぐ手に入るという点では、向こうの田舎よりもずっと便利かもしれない。


 ただ、家に剣や槍などの武器が常備されているのには、思わず顔が引き攣ってしまった。まさかあれが熊退治用とは思えないし、治安の程度によるものなのだろうが、それも考慮すると、今はまだどうしようもないが、少し大きくなったら護身術を学ぶことも視野に入れなくてはならないかもしれない。前世でだって、日本から出れば割と危険な思いをすることは少なくなかったのだから、それはここでだって同じことだ。


 それ以外にもやらねばならないことは多くある。


 今行っているのは言語学習と魔法の鍛錬だが、言語学習の方もそろそろリスニング以外の所に手を伸ばしたいと思っているのだ。発話はそのうち出来るとして、読み書きの、主に読みの方。


 しかしこれはもう少し大きくならなければ出来そうにない。ペンが握れないし、本を読もうにも持てそうにない。母親辺りに読み聞かせてもらえないかと期待しているのだが、よく考えてみれば、夜になると勝手に寝落ちするような相手に本を読み聞かせる必要性はどこにもなかった──前世の記憶のある自分からすれば、本は積極的に読み聞かせるべきだとも思うのだが、しかしそういう研究結果が広まっているわけでもないのだろうから、仕方がない。


 となると自ずと、これは成長を待つことになりそうだった。


 それからこの地での学業もそうだ。計算はここでも通じるとして、国語や歴史、それから生物学に関してはほとんど何も知らないようなものなのだ。まさか物理法則まで違うとは思っていないが、知りたいことは、知らなければならないことは山ほどある。


 自由に動き回ることができないというのはこんなにももどかしい事だったのかと、初めてそんなことを思い知らされた──前世で病床に臥せっていた時はそんなことも思わなかったというのに。

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