第4話 苦々
「どうしますよこれ」
「民間人を守るには深域の処理が不可欠だろう」
「んでもさっさと甲龍会行かないと雲隠れってこともあるかもよ」
「その通りだ⋯うーん」
逼迫した課題が2つ同時に現れる。しかしどちらも社会に害を与える悪性腫瘍。どちらかを放置するなんて俺達にはできない。そんな事はここにいる全員が分かっている。あちらを立てればこちらが立たぬといった苦しい状況で、杉原さんが結論を出すのにはそんなに時間がかからなかった。
「朝霧君は深域を、7課は甲龍会を相手しよう」
「いいんですか?」
「どちらも直ぐに対処しなくちゃならない。それに、油断する訳じゃないけど、こっちは複数だから。甲龍会の方は人手がいるし、この状況ならこれが最善だと思う」
「確かにその通りです。わかりました。でも気を付けてくださいね。本来は俺がメインで戦うはずだったんですから。いくら精鋭といえど、緋縁相手は死ぬかもしれません」
「もちろんそのつもりさ。さ、じゃあみんな頑張っていこう。」
⋯
「人型の魔獣⋯?」
見慣れない存在が視界に入る。人型の魔獣。しかし人間の形をしているだけで、人間ではない事は、その3〜4mほどある巨躯と、本来顔があるべき頭部に何もないことから直ぐに分かる。
先程発生した深域は、入った時の魔力の濃さからも察せられたが、並外れた危険度のものであった。ここまでくる道中出会った魔獣も、普段の深域ならば『核』レベルなものばかり。目の前の光景も含めて、何かがおかしいと言わざるを得ない。
妙な胸騒ぎがする。このタイミングでの深域の発生も、この異様な強さも、決して単なる偶然ではないような、そんな気がした。
「となると、さっさと甲龍会の方に加わらないといけないな」
足に力を込め、近づこうとしたその時。人型が俺の存在に気づく。その上――
「っと」
一瞬の間に距離を詰め、俺の腹にその岩のように巨大な拳を入れようとする。まともに喰らえばそこそこのダメージだったかもしれないそれを、寸前で回避。伸び切った腕に乗せた手を支点に、人型の頬に回し蹴りを叩き込む。
鈍い衝撃音と共に人型は吹き飛ぶが、直ぐに体勢を立て直し反撃に移る。大きく踏み込んだ後、先程よりも更に速く、俺を殴るべく接近する。
「【重力】」
俺の重力操作は2つ。一つは任意の空間内の重力自体を操るもの。条件無く使えるが精密性に欠けるため対象の操作なんかには向かない。そしてもう一つ、これは手で触れた対象に作用する重力を操るもの。極めて精密に操作できる上、少ない消耗で高出力を引き出すことができる。
先程の攻撃時に『手で触れる』を満たしたため、人型は操作対象に登録済み。今は単に、奴に作用する重力を数十倍に強化する。超重力に縛られて、まるで空間そのものに固定されたかのようにその場で動きを止める。
「潰れないどころか立ったまんまか。やっぱ強化されてるな」
「人型の魔獣、興味深いが今は一分一秒を争う。そうだな⋯首を落とせば人間様と同じように死ぬのかな」
取り出した短刀とそれを持つ右腕に魔力を流す。攻撃力や速度は目を見張るものがあるが、防御力は強いと言えど、倒せぬほどでないことが先程の一撃で感じ取れた。俺が本気で強化した腕力と切れ味なら、奴の首を切り落とすことは可能であろう。そう考えて、人型のもとに近づいた時だった。
「し゛⋯【沙落】」
こちらの予想を一瞬でいくつも上回る。口がないにも関わらず、拘束された窮地で人型はあろうことかソレを紡ぐ。同時に、人型の体表が爆発する。爆炎と粉塵で視界を奪われたと認識した瞬間には、俺の頭部を上から潰さんと腕を振り下ろしていた。スレスレで回避し、後方に跳躍。距離を取る。しかしその振り下ろした腕が地面を砕いた瞬間、大地が爆ぜた。
その破裂は、まるで数珠のように連鎖的に発生し、一瞬の内に俺の元までやっていた。――回避は間に合わなかった。だが回避を諦め受けに転じたことが功を奏し、重症は避けられた。
「おいおい冗談だろ。見た目だけじゃなく能力まで人間仕様ってか」
本当に、今日は異常事態ばかりが起こる。目の前の魔獣は今確かに、俺の【重力】のような固有の『能力』を使って見せたのだ。
⋯
『甲龍会』、かつては一流の極道として裏社会に確かな影響力を持っていたものの、魔力産業分野において他の組に出し抜かれた事を発端にその勢力は衰える。勢力争いでは年々苦境に立たされ、以前持っていた『誇り』は見る影もなくなった。
今の甲龍会ははっきり言ってクソだ。下っ端は腑抜けたチンピラしかおらず、親父も残された微かな甘い汁に縋ってる。それがすぐに無くなるって分かってるはずなのに、再び返り咲くことを諦めてやがる。もはやマトモな気概があるのは俺だけだ。俺が、三嶽鳴人が甲龍会の若頭として、この組を立て直す。かつての俺が憧れた甲龍会を再興させる。
『この猛薬は、従来の物とは違ってな。より強力な作用がある』
手段は自ずから舞い込んできた。そのリスクに気づかなかった訳じゃない。だがローリスク・ハイリターンなんて、この世には滅多に無い。再び躍進を遂げるなら、そのリスクを飲み込み、それさえも操ってみせるつもりだった。
『実験に協力してくれりゃ、これをお前らに流してやるらしい。どうだ悪い話じゃないだろ?』
緋縁と名乗った男が、絶対に勝てない強者であることは明白だった。裏社会を生きる者として、俺だって戦闘経験が幾度となくある。その佇まいから分かる。この男は、かの『怪物』と謳われる第1課にさえ匹敵するかも知れない。そんな確信だけが俺の全身をジワジワと刺した。
『協力感謝するよ』
目の前の男に逆らえば、死ぬ。簡単な話だ。この力量差は、甲龍会の数を持ってしても覆せない。だがそんな問題も見方を変えれば利点に変わる。この提案を飲んで、この男と、そしてその背後の『降墓』とコネクションを作ればより簡単に、より確かな力を得られる。――お前らに利用されるのは構わない。いいぜ、こっちも利用してやる。⋯⋯そんなはずだったのに。
「⋯クソ」
⋯
甲龍会本部、その大屋敷にて現在甲龍会組員と第7課の戦闘が行われていた。しかし方やゴロツキ、方や精鋭能力者。甲龍会にも数人能力者はいるが、それを含めても、全体の人数差がもはや意味をなさないくらいに押されていた。
「【結表】」
「あったか?」
「見つけた。奥の部屋に地下室への入口。その先に猛薬を大量に保管してる」
結城の能力、【結表】は魔力感知の力。能力者ならその得意不得意に差異があれど、全員魔力を感知することができる。結城の【結表】はその延長。魔力の強度、位置、種類を詳細に知覚できる。さらに一度『触れた』魔力ならば妨害を受け付けることなく感知できる。深域調査の際に猛薬の魔力に触れたため、今の結城には猛薬の位置が透けて見えていた。
「よし、だそうだ鳶田!奥まで道を開こう」
「おうよ!【鬼剛】」
刀や銃で武装した組員が複数人、あらゆる方向から大波のように押し寄せる。しかし所詮は有象無象の群れであり、魔力による強化、【鬼剛】による更なる補強を受けた鳶田の、鋼のような肉体には敵わない。圧倒的物量が一箇所に集まるも、鳶田の脚の一薙ぎで散らされる。次々に湧いて現れた組員ももはや底をつき始め、最も守りの硬かった奥の部屋への扉も、周囲の警備を打ち破られる。
「だいたい突破したぞ!巻未そっちは」
「鳶田ナイス、こっちも雑魚処理終わったよー」
「この先に猛薬がある。早く回収しよう」
杉原が扉に手をかけた瞬間。
「オイオイこんなに酷く荒らされちまって⋯⋯全くしっかりしてくれよ」
現れたのは刀を携えた燃えるような魔力の男。緋縁であった。