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それでも日本には"しき"があるから

作者: 飴色


春の夜、私は故郷の小さな神社の境内に座っていた。石畳に桜の花びらが散り、月明かりが淡く照らす。肺癌で余命わずかだった私は、 医師から「もう治療の意味がない」と言われ、最後にこの場所に戻ってきた。隣には母がいて、私の手を握っていた。彼女の手は温かく、少し震えていた。風が桜を揺らし、花びらが私の膝に落ちる。私は目を閉じ、母の温もりを胸に刻んだ。


新卒で看護師になった春、私は希望に溢れていた。初めての勤務先は小さな総合病院で、病棟はいつも慌ただしかった。そこにいた先輩の美咲は、私の憧れだった。彼女は白衣のポケットにいつもキャンディを忍ばせ、患者に配っていた。初日に私が注射器を落として慌てていると、「遥花、大丈夫。失敗は誰にでもあるよ」と笑ってくれた。休憩時間、病院の裏庭で桜を見ながら缶コーヒーを飲み、「私たち、いいチームになれるね」と言った。彼女の明るさが、私の緊張を溶かした。


それから5年、私は美咲と一緒に働いた。春には新入院患者に桜の枝を渡し、「もうすぐ退院できますよ」と励ました。夏には院内の花火大会を企画し、車椅子の患者さんと屋上で花火を見た。秋には病室で紅葉の絵を描き、冬にはクリスマスツリーを飾った。美咲は「遥花って優しいね。患者さん、みんな喜んでるよ」と言った。私は「美咲がそばにいてくれるから頑張れるよ」と笑った。患者さんからの「ありがとう」が、私の生きがいだった。あるおばあちゃんが退院時に編んだマフラーをくれた時、私は美咲と一緒に泣いた。あの春の日々は、私の人生の光だった。


2年前、異変が起きた。咳が止まらず、検査で肺癌が見つかった。ステージ4だった。美咲は目を真っ赤にして、「絶対治るよ、私がそばにいるから」と励ましてくれた。私は信じた。化学療法を受けながら、仕事も続けた。患者さんの笑顔が、私の痛みを和らげた。でも、去年の冬、癌が転移した。医師は「緩和ケアに切り替えましょう」と告げた。美咲は過労で倒れ、別の病院に転勤した。最後に会った時、彼女は「遥花、ごめんね、私じゃ力になれない」と泣いた。私は「そばにいてくれただけでいいよ」と笑った。でも、それ以来、彼女からの連絡は途絶えた。


病棟は私にとって孤独な場所になった。患者さんの笑顔も、私の咳で曇った。母は「遥花、休みなさい。家に帰ってきて」と言い、父は黙って私の手を握った。私は退職し、実家に戻った。夜、病室のような小さな部屋で咳き込みながら、ノートに「もう頑張れない」と書いた。母が作る味噌汁の味も、桜の香りも、心に届かなくなった。私は母に「最後に神社に行きたい」と言った。母は涙を堪えて、「一緒に行こう」と頷いた。


その夜、神社の石段を母に支えられて登った。桜が満開で、風に花びらが舞う。私は境内のベンチに座り、母の手を握った。「母さん、ありがとう。看護師になってよかったよ」と呟いた。母は「遥花が生きててくれれば、それでいい」と涙をこぼした。桜を見ながら、静かに話をした。母が子どもの頃、私をここで抱っこして桜を見せたこと。私が看護師の制服を初めて着た日に、母が泣きながら写真を撮ったこと。思い出が心を温めた。 突然、母が胸を押さえ、「遥花、ごめんね」と呟いた。顔が青ざめ、手が冷たくなった。私は「母さん!」と叫び、助けを呼ぼうとしたが、辺りは静かだった。母は私の腕の中で息を引き取った。心臓発作だった。桜の下で母を抱き、「母さん、行かないで」と泣いた。花びらが母の髪に落ち、月が彼女を照らした。私は母の手を握り続け、涙が石畳を濡らした。


私は生き残った。肺癌はまだ私を蝕んでいるけれど、母の死が心に大きな穴を空けた。あの春の夜、母の最後の言葉と笑顔が、私を生かす光になった。私は母の遺影に「ありがとう」と呟き、桜の下で決意した。残り少ない人生を懸命に生きようと。


---



夏の夕方、俺は海辺の小さな小屋に座っていた。波の音が響き、汗がTシャツに染みる。目の前には父の漁具が置かれ、網の匂いが鼻をついた。父と漁に出たが、嵐で船が沈んだ。俺は岸に泳ぎ着いたが、父は帰らなかった。小屋で父の帽子を握り、涙が溢れた。


小学6年の夏、俺は父と初めて漁に出た。小さな漁船に乗り、朝日が海を染める中、父が網を投げる姿を見た。俺は小さな手で網を引き、「海斗、力持ちだな!」と褒められた。港に戻ると、母が焼いた魚が待っていた。「海斗が獲った魚、最高だよ」と笑う母に、「もっと獲るよ!」と胸を張った。それ以来、夏休みは父と海に出るのが楽しみだった。船の軋む音、波の感触、父の「海は生きてるんだぞ」という言葉が、俺の心に刻まれた。


中学に入ってからも、父との時間を大切にした。夏には早朝から漁に出て、夕方には友達と海で泳いだ。タカシが「海斗、かっこいいな!」と褒められ、照れながら水をかけた。夜は小屋で父と缶ビールを飲んだ。父は「海斗が継いでくれたら、俺は安心だ」と言った。俺は「漁師になるよ。父ちゃんみたいに」と約束した。母が「二人ともそっくりね」と笑うと、小屋が温かくなった。父が教えてくれた魚のさばき方、船の操縦、星の見方、全てが俺の宝物だった。


この夏、受験勉強を始めた。父は「勉強も大事だぞ。海斗ならどっちもできる」と応援してくれた。でも、海に出る時間が減るのは嫌だった。ある朝、父が「今日は特別だ。遠くまで行こう」と言った。「やった!」と笑って船に飛び乗った。海は穏やかで、太陽が眩しかった。網を引きながら、「最高の夏だね」と言った。父は頷き、「お前がいてくれるからな」と笑った。父の横顔を見ながら、「ずっとこうやってたい」と呟いた。


その日、突然の嵐が来た。空が暗くなり、風が船を揺らした。父が「海斗、しっかり掴まれ!」と叫んだ。私はロープを握ったが、船が大きく傾いた。父が「海斗、逃げろ!」と叫び、俺を海に突き落とした。次の瞬間、船が波に飲まれた。俺は必死で泳ぎ、岸に打ち上げられた。波打ち際で「父ちゃん!」と叫んだが、返事はなかった。救助隊が来たが、父は見つからなかった。母が駆けつけ、「海斗、生きててくれてよかった」と泣いた。「父ちゃん、ごめん」と呟き、砂に拳を叩きつけた。


小屋に戻り、父の帽子を見つめた。父が被っていた姿、笑顔、声が脳裏に浮かんだ。父の漁具を手に持つたび、涙が止まらなかった。母がそばに座り、「海斗、お父さんはお前を助けたんだよ」と言った。俺は頷き、「父ちゃんの分まで生きる」と呟いた。あの夏の父との記憶が、私の心を埋めた。

俺は生き残った。父の死は重く、毎晩夢で父を探すが、あの笑顔が俺を生かす力になった。父の帽子を握り、「ありがとう」と呟いた。


---



秋乃は冷たいベンチに倒れていた。44歳、独身。心臓が止まり、息が途絶えた瞬間だった。紅葉が舞う公園の小道、コーヒーの香りが漂う喫茶店から出てきたばかり。彼女のコートに落ち葉が積もり、眼鏡が地面に落ちていた。手には原稿用紙が握られ、風に揺れていた。死の淵から、秋乃の人生がゆっくりと遡り始めた。


死ぬ前の瞬間、秋乃は公園を歩いていた。胸が締め付けられ、息が苦しくなった。足がもつれ、ベンチに倒れ込んだ。心臓が激しく鳴り、視界がぼやけた。「まだ死にたくない」と呟いたが、声は風に消えた。紅葉が目の前で舞い、秋乃は目を閉じた。心臓発作だった。

その前、秋乃は喫茶店にいた。カウンターに座り、コーヒーカップを手に持っていた。テーブルには原稿用紙とペンが置かれていたが、白いままだった。「もう一度書けるかもしれない」と自分を励まし、窓の外の紅葉を見つめた。燃えるような赤と黄色が目に焼きつき、秋乃は深呼吸した。目を閉じ、昔の自分を思い出した。


20代の秋、秋乃は夢に燃えていた。小説家になりたくて、大学を卒業した後、昼は事務のパートで働き、夜は原稿を書いた。アパートの小さな机でペンを走らせ、コーヒーを飲みながら朝を迎えた。ある年、短編が地方の文学賞を取った。授賞式の日、編集者に「君には才能がある」と言われ、秋乃は震える手で賞状を受け取った。会場を出て、恋人の健太と紅葉狩りに行った。落ち葉を踏みながら、「これから頑張るよ」と話した。健太は「俺、ずっと応援してる。秋乃なら絶対有名になれるよ」と笑った。紅葉が黄金色に輝き、秋乃は未来を信じた。あの夜、ワインを飲みながら原稿を書き、朝焼けを見た。幸せだった。


30代になると、夢は色褪せた。受賞後も作品は売れず、編集者からの連絡が途絶えた。原稿を送っても返事はなく、秋乃は自分の才能を疑った。健太は別の女性と付き合い始め、ある日「ごめん、俺、結婚する」とだけ言った。秋乃は笑って「幸せになってね」と答えたが、家に帰って泣いた。原稿用紙に「もう無理」と書き、ペンを置いた。フルタイムの事務職に就き、毎日同じ書類を処理した。夢は埃をかぶり、心は乾いた。


40代に入り、秋乃はひとりで生きていた。アパートに帰っても誰もおらず、テレビの音だけが響いた。健太の結婚式の写真をSNSで見て、秋乃はワインを飲みながら泣いた。自分が何を失ったのか、分からなかった。友人は減り、家族とは疎遠になり、秋乃は自分の人生を振り返った。「あの賞さえなければ、期待しなかったのに」と呟いた。でも、心の奥で、あの秋の日々が秋乃を生かしていたことは分かっていた。


死ぬ前の朝、秋乃は喫茶店で原稿用紙を広げた。紅葉を見ながら、「最後に何か残したい」とペンを握った。健太と歩いた紅葉の道。賞を取った夜の拍手。徹夜で書いた朝焼け。あの輝きが、秋乃の命だった。だが、言葉は出てこなかった。涙が原稿に落ち、秋乃は立ち上がった。コートを羽織り、公園へ向かった。そして、倒れた。


死の瞬間、秋乃は思った。「あの秋があれば、人生は悪くなかった」と。紅葉が視界に舞い、健太の笑顔が浮かんだ。涙が頬を伝い、意識が消えた。あの夢の日々が、秋乃を最後まで抱きしめていた。


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冬の朝、私は山小屋の縁側に座っていた。62歳、元教師。雪が積もり、暖炉の火が揺れる。肺炎で体が弱り、咳が止まらなかった。娘の雪乃が「お父さん、元気でね」と電話で言った声が耳に残っていた。隣には老犬のハナがいて、私の膝に頭を乗せていた。彼女の毛は白く、目は濁っていた。私はハナを撫で、「お前、頑張ったな」と呟いた。


若い頃、私は教師だった。都会の中学校で歴史を教え、生徒の笑顔が好きだった。妻の結衣と結婚し、娘の雪乃が生まれた。冬の夜、家族で雪だるまを作った。結衣が「氷太って子供みたいね」と笑い、私は「家族がいるから頑張れるよ」と返した。雪乃が「お父さん、大好き」と言うと、私は抱きしめた。学校では生徒に「先生の授業、面白い!」と言われ、誇らしかった。週末には結衣と雪乃と雪山へ行き、ソリで遊んだ。結衣が作る豚汁の味、雪乃の笑い声が、私の幸せだった。


20年前、結衣が事故で死んだ。雪の日に車がスリップし、病院で彼女の手を握った。「雪乃を頼むね」と呟かれ、私は泣いた。教師を辞め、山小屋に移り住んだ。雪乃は大学に行き、結婚して遠くに引っ越した。私はハナと暮らし、結衣の写真に「寂しいよ」と呟いた。ハナは結衣が飼い始めた犬で、私の唯一の家族だった。雪を見ながら酒を飲み、結衣と雪乃を思い出した。肺炎が悪化し、医者に「入院を」と言われたが、私は「ハナとここにいる」と断った。


この冬、雪乃に会おうとした。電話で「今度帰るよ」と言われたが、私の体は限界だった。ある朝、ハナが膝で静かに息を引き取った。老衰だった。私はハナを抱き、「お前までか」と泣いた。彼女の体が冷たくなるのを感じ、涙が止まらなかった。雪が降り積もる中、小屋の裏に穴を掘り、ハナを埋めた。土に触れる手が震え、「ありがとう、ハナ」と呟いた。雪がハナの墓を覆い、私は縁側で膝を抱えた。


私は生き残った。ハナの死が孤独を深め、肺炎は私を蝕む。でも、結衣と雪乃とハナとの冬の日々が、私を支えた。私は家族写真を握り、「みんな、ありがとう」と呟いた。雪が降り続き、私は生きる力を探した。


春夏秋冬、それぞれの「しき」が訪れた。幸せな時間は確かにあった。けれど、それは永遠ではない。そして死は平等に訪れる。遠い未来かもしれないし、次の瞬間かもしれない。

それでも日本に"しき"はあるから、その一瞬の輝きが、人生を意味あるものにするのだ。


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