星の降る夜
憎たらしいぐらいに澄んだ夜空の下。
これまた憎たらしいぐらいに澄んだ声が響く。
「君はさ、今この瞬間、幸せになってくれたかな?」
最期だと解っているのに、言葉が出てこない。世の中に蔓延るありきたりな言葉では言い表すこともできない。
いや、例えどんな言葉を選ぼうとも、この空の下では彼女に届くことはないだろう。
満天の星空を更に埋めるように降り注ぐ流星群達は、目に映ってはすぐさま消えてゆく。今の彼女を体現しているかのように。
「最後に誰かを幸せにして消える。それが私の……流れ星お仕事だったから」
前が、見えない。彼女の最期の姿すら、この目に映すことができない。次々に流れる流星群の光が、目の奥の涙に反射する。美しいはずのその光が今は鬱陶しく思える。
「だから、そんな顔しないで?私は君の笑った顔が好きだなぁ。だから、ね?最期ぐらい、精一杯の笑顔で抱きしめて欲しいかな」
今の俺は、一体どんな顔をしているだろうか、きっと酷い顔に違いない。が、それでも俺は、今できる精一杯の笑顔で、彼女をそっと抱きしめた。
例え声を出さずとも、この気持ちが彼女につたわっていれば良いと思う。
しかしその答えを知る者は既に、この世界から消え去っていた………
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人生は高校が勝負。
そう思って生きてきたが、結局のところ楽しければいいかと、気付けば友人の多くが受験していたごく普通の公立高校に入学していた。
時は9月中旬、月曜日
クラスメイト達は着々と新しい顔ぶれに馴染み、色恋に勉強に熱中しつつある時期だ。
この俺、三雲 連という男は大した恋愛やら勉強やら特に何もせずだが、一応学校生活を謳歌していた。
別に友達が居ないとか、悩みがあるとか、特別やりたいことがあるでもなく。色恋沙汰に関しても自分から無理に彼女を作ろうとは思わないのだが……いやだからこそなのか、何か物足りなく感じる今日このごろ。変わり映えの無い通学路を歩いていた。
そんな俺は、いつものように登校し、朝のホームルールを聞き流し、気付けば終わっていた午前の授業を気にもせずに流れ作業のようにコンビニか何処かで買っておいた菓子パンの袋を開く。すると……
「相っ変わらず退屈そうな顔面だなぁ」
そんな声が響いた。
そちらを見やると、そこには呆れ顔で佇む見知った顔があった。木下 佐久俺の親友であり、小学校時代からの腐れ縁だ。
「そうか?」
と短く返事をした。
三階の開いた窓から風がすっと吹き抜ける。秋の心地良い涼しさを纏ったそれは、少し眠気のある俺の身体には丁度いい。
半袖の夏服の袖をさらにたくし上げた姿のなんとも元気そうな声が、続けて頭上から降り注いだ。
「もう入学から半年超えたんだぜ?お前も彼女の一つや二つ作らねえのか?」
さも自分には居るというような言い草だが、それも含めて全く突っ込みどころの多い質問だ。
「も、じゃねぇよ、お前彼女居ねぇだろ?それと一つや二つってなんだよ、二つ作ったらダメだろ」
後者の問い返しに返答は無かったが、前者について、なんとも斜め上過ぎる回答がこいつの口から飛び出した。
「いやーそれがさぁ……」
その返答に、即座に状況を理解した俺は菓子パンの袋を開ける手を止め、眼の前の男を中秋の名月もびっくりするほどの開眼ぶりで見上げた。
「昨日告られたんだよ!」
不意打ちも不意打ちな告白に目を白黒させながらも、驚きを隠せない声色でなんとか質問を繰り出す。
「おいおい、冗談じゃないだろうな……誰だ?誰なんだよ、お前そんなモテるタイプじゃ無かったよな?」
俺の反応を見た佐久の顔には満面の笑みが浮かんでいた。
してやったりというコイツの顔に些かながら苛立ちを覚えないこともないが、それはそれとして衝撃の事実が発覚してしまった訳だ。佐久とはもう10年近い付き合いになるが、血気盛んなくせに無駄に大きいプライドのせいでクラスの女子とは口喧嘩ばかりしているような奴だったのだ。
そのような男に彼女ができたともなれば、考えうる筋としてはその彼女とやらが相当なもの好きなのか、単に佐久がその彼女の前でのみ別人のように振る舞っているのかだ。
「お前、今なんかとてつもなく失礼なこと考えてないか?まぁいい、そうだな、お前も知ってる人だよ」
心を読むのは辞めていただきたいものだが、そんなことより彼女については見当もつかない。俺に生まれつき備わっているコミュニケーション能力の全てを駆使して作った女友達というのは、決して少なくはない。
「そんなニコニコで言われても分からねぇよ、でもこれでお前も晴れてリア充デビューって訳だ……爆破されないように気を付けろよ?」
そんなこんなでいつも通り他愛もない軽口を叩き合っているわと、佐久からも質問が投げかけられる。
「てかさ、なんでお前は彼女作らないんだ?確かにお前もモテる方じゃ無いが、顔とか悪くないし、以外といけるんじゃねぇか?」
佐久はそういうが、俺自体自分で恋愛をするというのはあまり興味が無かったというのが本音だ。
アニメや漫画も然り、他人の恋愛を見守るのが楽しいと思っている人間なのだが、改めて言われてみれば、確かに彼女を作るのも悪くないかもしれない。
何より、コイツに負けたままでいるというのもなんだか癪に触る。
「ま、気が向いたらな。」
そんな事を言いながら菓子パンを食べ終え、午後の授業に突入した。
今日の授業は全て終了。部活も特にしていない俺は、そそくさと荷物をまとめ、歩きだす。
一直線に向う先は佐久の机。 コイツが昼食後の眠気に弱いのもいつものこと。うとうとしている佐久の頬を引っ叩いて今日も二人で下校でもしよう。そう考えていた。しかし。
「全くもぅ、佐久ったらまた寝ぼけちゃって。早く起きて、帰るわよ?」
俺が佐久の元にたどり着くより先に、一人の少女が佐久に声を掛けた。
前に進む足が止まる。瞬時に昼頃の出来事が、俺の脳内を駆け巡った。
そう、そうなのだ。コイツにはもう俺よりも大切な人間ができた。まさかここまで早くにそのことを実感するとは思いもしなかったが、佐久の言っていた事は冗談でも何でも無かったらしい。
佐久は、なにやらモゴモゴ言いながら立ち上がると、すぐさま表情を変え、硬直する俺には目もくれずにその少女と二人で教室を出ていった。
「冗談キツいぜ、俺ってば、時代にでも乗り遅れてんのかよ?」
教室に一人……ではないが取り残されてしまった俺は、これからの帰りはどうしようかと悩みつつ、隣が寂しいまま学校を後にした。
家に入る。殆ど無意識に発したただいまという声に、返事が返ることはない。俺には兄弟なんて居ないし、両親は海外で仕事をしている。
もう高校生なんだから、一人で生きていく練習をしなさい。とかいう建前の下急に出ていってしまったので、俺の頭には疑問符が浮かぶばかりで何一つ質問できなかった。
俺には料理のセンスなんて無いし、大好きな余り自力で作り方を覚えたフレンチトーストぐらいしか料理と呼べる料理はできないので親が残していった通帳の金でなんとかコンビニ弁当生活をしているという訳だ。
玄関に荷物を放り捨てたら、リビングに向かうなり着替えもせずにソファにダイブした。 テレビを付ければ、ニュースでは今日は中秋の名月という事で盛り上がっていた。
そういえば、そんな季節だ。学校でも、特に話題にしている人はいなかったので完全に忘れていたが、9月と言えば月見の季節。某ハンバーガー店でもそれに際したメニューが発売されていたっけ。
とは言っても、昔からなにかと親は自分に冷たかったので、家族で一緒に満月を見上げなくなって久しい俺からすればどうでもいい話……のはずだ。
テレビに映し出されていた親子で仲良く天体望遠鏡を持ち出し、月が出るのを今か今かと待ち侘びている家族をモニター越しにどことなく羨みながら、ふと思い立った。
「見に、行ってみるか…」
特に理由は無い。なぜいきなりそんな考えが湧いてきたのかも分からない。今この瞬間までは月見など縁の無い話だと思っていたのだから。
ただ、思い立ったが吉日という言葉もあることだ。この頃感じる妙な焦りというのか、人生で最も楽しみにしていたはずの高校生活になんの進展も無いという焦燥感を晴らす、良いきっかけになるかもしれない。
丁度、明日の昼飯も無くなったところだ。コンビニか何処かに買い物に出かけるついでに見るぐらいでも悪くは無いだろう。
気付けば時刻は8時代。制服から部屋着に着替え、薄手の上着だけを羽織って玄関を開けると、少し肌寒い風が吹き込んで来る。季節は9月中旬、季節の変わり目というのはどうも落ち着かない。俺は身震いを一つした後、特段コンビニへの近道という訳でも無いのだが、見晴らしが良いからという理由で近くの堤防の上を歩いていくことにした。
住宅街のど真ん中を突っ切り、堤防に登る。街灯が少ないのに、やけに明るいと思って空を見上げると、そこには今までに見たことの無いぐらいに限りなく澄み渡り、明るい夜空の姿があった。
ここは現実世界なのか、そう疑ってしまう程に美しい夜空の中には、文字通り無数の星たちが所狭しと敷き詰められている。中秋の名月などもはや忘れる程に俺は色とりどりの星空に夢中になってしまっていた。
ふと前を向き直ると、今まで全く気付かなかったが、堤防の斜面に腰掛ける一人の少女がこちらを満足気に眺めていた。
俺が歩いていた時には誰も居なかったはずなのだが、間違いなく、その少女はこちらを見ている。
完全に子供っぽいところを見られてしまったなと思いつつ、全力で目を逸らしながらその場から退散しようとしていたところで少女は俺に声を掛けて来た。
「ちょっと君、君もこっちおいでよ。一緒に星見ない?」
まさか話し掛けられるとは思っていなかったので一瞬どきりとしたが、そのお誘いに、俺は彼女に振り返った。
年齢は同じぐらいだろうか?
生憎学校では見たことのない顔だったが、偶然こんな道を通った時に偶然出会った謎の少女である。少し巡り合わせのようなものを感じつつ、俺からも彼女に近づいた。
「そうだな、俺も丁度それ目当てだったところだ。せっかくならご一緒させて貰おう」
見た事も無い少女だが、不思議と警戒心は感じなかった。俺は自然に彼女の隣に座り込むと、鼻歌まじりに微笑むその顔に向き直る。
腰まである黒髪を夜風に晒しつつ、彼女は急かすように俺に告げた。
「ほら、もっと上向いてみてよ!」
言われるままに、もう一度空を見上げると、先程と変わらない神秘的な絶景が広がっていた。
しかしこれは、何度見ても圧倒されてしまう。都市部ではないとは言え、街の灯りも少なからずあるはずなのだが、ここまで夜空が綺麗に見えるものなのだろうか、やはりどこか現実離れした雰囲気を感じてしまう。
「こりゃ凄いな……今までこんな星空は見たこと無いよ」
何か大した感想を言おうと思ったのだが、全く思いつく気配もなかったので、とりあえず言葉を発した。
すると、少女は俺の意図を汲み取ったのか、微笑んで口を開く。
「ふふっ、感動してくれたみたいだね。良かった良かった。これならここに来た意味もあったというものよ。」
どこか不思議な言い回しだが、彼女は得意気にそう告げた。
少しの間沈黙が流れる。
互いに何を考えているのかは分からないが、今はただ、二人とも眼の前に広がる星空に目を奪われていた。
「ねえ、君はさ、星座とか、こういう夜の空とかって、好き?」
唐突に聞かれ、俺は考えるが、彼女は俺の返答を待たずに続けた。
「私はさ、この景色が大好きなんだ。どこまでも広がって、どうしようも無いぐらい美しいこんな星空が。実際はちょっと窮屈なところだけどね」
窮屈?どういう事だろうか。単に星の数が多いという意味では無いような気がするが、俺にはよく分からない。
彼女はひょいと立ち上がると一、二歩前に出て、それからくるりとこちらに振り返った。
「君、名前はなんていうの?」
「えっ……?三雲 連だけど」
彼女は嬉しそうな表情をする。
「連くんかぁ〜、私の名前は柚乃、奈琉星 柚乃だよ!」
柚乃と名乗った少女はこの星空に負けないぐらい満面の笑みで笑い、その真っ直ぐな瞳で俺を見据える。
目が合った。どこまでも吸い込まれそうな黒い瞳は、月や星々の光を反射してキラキラと煌めく。その瞳は何もかもを見通しているようにも思えるし、まるで子供のような純真さを併せ持っているような気さえしてくる。
柚乃はこちらに近寄り、そのまま俺の手を取った。
「連くん。突然なんだけど……さ」
彼女は一瞬、迷うような仕草をした後、決心したかのような顔になり、俺にこう言い放った。
「私の、生きる意味になってくれないかな?」
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