かわいいって、人によりますよね?
「おい、間違いなく赤毛の女だったんだな?」
ロベルトの低い声が、アビスゲイルの城壁の下を通る秘密通路に響く。そのあまりの迫力に、マシューと一緒に女がらみのしのぎをしている、ガンゾとクラムは互いに顔を見合わせた。
「はい。確かに赤毛でした」
「見栄えはどうだった?」
真顔で聞いてきたロベルトに、ガンゾとクラムは再び顔を見合わせる。どうして自分たちのような下っ端のしのぎに、ロベルトみたいな男が出てくるのか、さっぱり訳が分からない。
『もしかしたら、ロベルトの好みは赤毛なのだろうか?』
たとえそうだとしても、他の上と違って、ロベルトは女がらみの話に口を挟んで来たことは一度もなかった。ガンゾとクラムはロベルトの背後に立つ、マシューへ助けを求めて視線を向ける。
だが肝心のマシューはと言うと、まるで母親に怒鳴られた子供みたいに、しゃくりあげるだけで、こちらへ視線を合わせようともしない。
「さっさと答えろ!」
痺れを切らしたロベルトが、二人を怒鳴りつけた。
「み、見かけは町娘みたいなんですが、冒険者だと言い張っていて……」
ガンゾは慌てて答えたが、ロベルトがいきなりその胸倉を掴む。
「誰もそんなことは聞いちゃいない。かわいかったかどうか、それだけを答えろ!」
ガンゾは目を白黒させつつ、暗がりだったとはいえ、何故か赤毛だったこと以外、はっきりとしない娘の姿を必死に思い出した。確かに言われてみれば、絶世の美人という訳ではないが、かわいいとは言えそうな容姿だった気がする。
「か、かわいかったと思います」
「姐さんが連れてこいと言った娘に違いない。誰かに後を追わせたんだろうな?」
そう問いかけるロベルトの目は、すぐにでも誰かを遠いところへ送りそうなぐらいに真剣だ。
「は、はい。ジグルドのやつに追わせました。ダウン街の海鳥荘へ入ったそうです」
息が出来ないらしく、顔を紫色にしたガンゾに代わって、クラムが答えた。それを聞いたロベルトは、ガンゾの体を床へ放り投げると、何かを考え込む仕草をする。
ガンゾは荒い息をしながら、その姿を見上げた。どうやらすぐに消されることはなさそうだが、未だにロベルトがその娘にこだわる理由が、さっぱり分からない。
ロベルトは元冒険者だ。もしかしたら、その娘か、その知り合いに遺恨があるのかもしれない。だとすれば、自分たちにとっては好都合だ。あの娘に存分に仕返しが出来る。
「ロベルトの兄貴、その娘を捕まえたら、私らにも回させてください。そうでもしないと、腹の虫が――」
ドン!
そう声を上げたガンゾの腹に、ロベルトの拳がめり込む。ロベルトは再びガンゾの襟首をつかむと、苦痛にゆがむその顔を、目の前へ引きずり上げた。その目は先ほどよりもさらに真剣で、殺気立っている。
「てめえ、何をふざけた事を言っているんだ?」
「す、すいません」
ガンゾは壊れた首振り人形みたいに、ぺこぺこと頭を下げ続ける。ロベルトはガンゾの体を持ち上げたまま、今度はクラムの方へ視線を向けた。
「すぐに海鳥荘へ行け。あそこの支配人には、女遊びが過ぎた件で貸しがある。そのお嬢さんをこちらへ引き渡すように言うんだ」
それを聞いたクラムは当惑した。タウン街は自分たちのシマではないし、そのシマを仕切っている別の組がケツ持ちをしている。断りなしに横槍を入れたりすれば、ただ事では済まない。
「蒼生組の連中に泣きつかれたらどうします?」
「文句を言うやつはもういない。それよりも、そのお嬢さんの髪の毛一本、薄皮一枚だって傷をつけるな。お前たちの汚い手で、肌へ触れるのも禁止だ。もしやったやつがいたら、全員遠いところへ送られる」
ロベルトはそう告げると、ガンゾとクラムを睨みつけた。
「分かったか!」
「は、はい!」
ガンゾとクラムの二人は、ずっとすすり泣くマシューへ視線を向けたが、すぐに地下通路の奥へと、放たれた矢の如く走り出した。
「ハマスウェルの実験室だなんて、一体いつぶりかしら? こんな初期の試作品でも、まだ存在していたのね」
エミリアはそう告げると、瓦礫の山に埋もれた周囲を見回した。エミリアの手の上で白い光を放つ球が、折れ曲がった黒い柱や、崩れた石壁の影を映し出している。
その向こうで、ピンク色をした巨大な肉の塊、いや巨大な肉で出来た膜が、ゆっくりと脈動しているのが見えた。内部に何らかの発光体があるのか、膜の内側からぼんやりとした光を放っている。
その淡い光が、内部にいる者の姿を、影絵のように映し出していた。エミリアの存在に気付いたのか、それがゆっくりと膜の表面へ近づいてくる。
一見すると、それは人の様に思えたが、完全ではなかった。足の一部や腕の一部が欠けており、あちらこちらで白い骨や未発達の筋肉、血管などの体組織が露わになっている。そしてまぶたのない瞳で、膜の向こう側にいるエミリアを虚ろに眺めた。
「ここがまだ動くことは、十分に確かめられただろう?」
エミリアの背後に立つ、黒い服を着た少女が声を上げた。そして小さく指を鳴らして見せる。その乾いた音と共に、膜の中にいた者の体が崩れ落ちた。最後はまるで砂糖が湯に溶けるみたいに、膜を満たす液体へと完全に消える。
「しかしまだ動くかどうかの確認に、アルとフリーダを使ったのは、流石にやりすぎじゃないのか?」
「あら、リリスちゃんの口から、やりすぎなんて言葉を聞くとはね……」
「我を何だと思っているのだ!?」
「アイシャお姉さんがとっても大好きな、いたいけな少女のリリスちゃんでしょう?」
エミリアの答えに、リリスがフンと鼻を鳴らす。
「それにあの二人よ。新鮮な死体なんて話を、真に受けるぐらいだから何の問題もなしね」
「だが器の定着に、あの娘に憑りついていた魂の残滓を使うのは、あまりいい趣味とは言えんぞ」
「そう? 個人的にああいうぶりっ子って大嫌いなの。何の罪もありませんと言う顔をして、アイシャへ近づくだなんて、絶対に許せないと思わない?」
「あの偽善者と同じだな。魂の創造の禁止などと言う、己に都合のいいルールだけを作って、後はほったらかしだ」
「でも、パールバーネルとリリスちゃんって、実際は同じ……」
「何だと! 我があの役立たずと同じと言うつもりなら、エミリア、お前でも許さん!」
「ごめんなさい。つい口が滑っただけよ。でもアル君が手を出すなって言うから、これぐらいの嫌味は許してもらわないと……」
「そんな事より、問題はこっちだ」
リリスが目の前にある肉の塊を指さす。
「まさかアイシャ自身が、結界を破りに来るだなんて、想像もしなかったわね。迷宮なんかに隠すより、完全に壊しておけば良かった。これも私の犯した過ちの一つよ」
それを聞いたリリスが、エミリアへ首を横に振って見せる。
「お前の過ちではない。我らの過ちだ。過ちとは存在と同義なのだ。たとえ神でも、それから逃れる事は出来ない」
「でも私たち以外に、誰もここを使えるとは思えないのだけど、どうしてここが動いたのかしら?」
「考えるのは後でいい。ここを破壊するのが先だ」
「そうね。もうアイシャは取り戻したし……」
エミリアがそうつぶやいた時だ。
ガシャン!
何かがはじけるような音が辺りに響いた。同時に床に描かれた魔法陣が、まるで生き物みたいに形を変える。それを見たエミリアが、素早く呪文を唱え始めた。
しかしそれを唱え終える前に、床の魔法陣が先ほどとは全く違う模様へ書き変わってしまう。次の瞬間、辺りはピンク色に染まり、二人の足元が生暖かい液体によって満たされ始める。
「やられたな。我々の方が中へ捕らえられた」
リリスの台詞に、呪文を唱えるのをやめたエミリアも頷く。周りは巨大な肉の膜に覆われ、瓦礫の山がその向こうに透けて見えている。
「反魂術ね。元になっているのは、私の術だけじゃないわよ」
「その通りだ。この迷宮を作る際に我の唱えた術も含めて、二重に張られている」
「つまりは……」
「互いの術を、それぞれ力技で抜かないとだめだな。それも我らが、これに吸収されない内にだ」
エミリアとリリスは互いに肩をすくめると、腕を前に掲げて、次々と複雑な幾何学模様を空中に描き始めた。




