ただより高くつくものはないですよ!
港町アビスゲイルへ続く街道筋は、多くの馬車や人々が行きかっていた。それらの人々を、少年と少女が建物の陰からじっと見つめている。その顔立ちはよく似ていた。
少女の方が少年よりも年上で、姉と弟らしいが、辺りに両親らしき人物は見えない。では近所に住む者かというと、こざっぱりとした服を着ており、城壁の外に住む住人の様にも思えなかった。
「変なにおいはしていないだろうな?」
まだ子供の面影を残す少年は、そう声を上げると、自分の腕へ鼻を近づけて、クンクンと匂いを嗅いで見せる。それを見た少女がうんざりした顔をした。
「そんなに匂いを嗅がなくても、エミリアが山ほど防腐剤を突っ込んだと言っていたから、大丈夫だろう」
少女の答えに、少年がさらに疑わしそうな顔をする。
「それはそうと、俺の体はどうなっている?」
「そちらも、防腐剤を山ほど入れたから大丈夫だと言っていた」
「おい、まだ生きている俺の体に、どうして防腐剤が必要なんだ?」
「私にそんな小難しいことを聞くな。そもそもアルが坊主にするのが嫌だと騒ぐから、エミリアがわざわざ生きのいい死体を探してきたんだ。感謝こそすれ、文句を言う筋合いはないはずだ」
「死体に憑依するなんて目に合うぐらいなら、変装した方がよほどにましだった。そもそも、こうまでしてあの小娘の後をつける必要があるのか?」
「アイシャだぞ。あるに決まっているだろう。それに流石はエミリアだ。これなら生アイシャへ近づき放題だ!」
少女はそう叫ぶと、「生アイシャ、生アイシャ……」と唱えながら、嬉しそうに跳ね回って見せる。それを見た人々が、怪訝そうな顔をして通り過ぎていくが、当の本人は全く気にならないらしい。いかにも嬉しそうな顔をしながら、飛び跳ね続ける。だが不意にその動きを止めた。
「アル、ここで待っていて、大丈夫なんだろうな? すり抜けられたりしたら、元も子もないぞ」
「一般人が入れる城門はここだけだ。それに城門が締まった後は、この辺りにある宿のどれかに泊まるはず」
「ふふふ、一泊したら、アイシャへ夜這いをかけられるな……」
少女はそうつぶやくと、まだ世間の穢れを知らなさそうな顔に似つかない、ニタニタした笑みを浮かべて見せる。
「お前は一体何を考えているんだ?」
「久しぶりに、アイシャを抱きしめながら眠りたいじゃないか。だけどこの体、胸がなくて、すぐに足が見えるというのには慣れないな」
「フリーダ、今の発言で、お前は人の半分の、さらに大半を敵に回していると言う自覚はあるのか?」
「敵? なんのことだ。それよりも、エミリアがあまり負荷をかけるなと言っていたから気をつけろ。限界を超えたら、一気に腐敗が進んで、ドロドロに溶けるそうだ。あまりひどいと、戻る時間すらもなくなるらしい」
「おい、そんな危険な代物だとは聞いていないぞ!」
「リリスに、何かの小動物に変えられるよりは安全なんだろう」
それを聞いたアルフレッドが、天を仰いだ時だ。
「もしかして、迷子にでもなったのかな?」
二人の背後から声が聞こえた。振り返ると、首元に赤いマフラーを巻いて、こじゃれた服を着た男が二人を見下ろしながら立っている。いかにも親切心から声を掛けた風を装っているが、その目は明らかに獲物を見つけたカワウソみたいだ。それに裏通りの暗がりからは、こちらを伺う別の視線も感じられる。
アルフレッドは男を振り切るべく、通りへ駆けだそうとした。しかしその前に、フリーダが男の前へと進み出る。アルフレッドは慌ててフリーダの服の裾を引っ張ったが、フリーダはそれを無視すると、男へ向かって愛想笑いを浮かべて見せた。
「はい。人を探しています」
フリーダの言葉を聞いた男が、わざとらしく辺りを見回す。
「もうすぐ城門も締まる時間だし、見つからなかったらどうするつもりですか?」
「また明日、城門が開く時間から探します」
「でも弟さんと二人だけですよね。宿はどうされるつもりですか?」
「そうですね……。その時はこの軒先を一晩借りることにします」
それを聞いた男の目がきらりと光る。そして値踏みでもするみたいに、フリーダの頭のてっぺんから足の先までを眺めた。
「半島の奥よりはましですが、まだ冬の内ですよ。私で良かったら相談に乗ります。早めの夕飯でも食べながら、探している方の特徴を教えていただければ、私の方で知り合いに当たってみましょう」
そう告げると、少女姿のフリーダへ、いかにも親切そうに口の端を持ち上げて見せた。
「えっ、よろしいんですか!」
「もちろんです。困ったときはお互い様ですよ」
耐えきれなくなったアルフレッドが、フリーダの裾を思いっきり引っ張ると、その耳元へ口を寄せた。
「馬鹿なことを言うな。こんな連中はさっさと片づけて……」
「この体でも腹はへるらしいな。それに喉も乾いた。私はこいつらに、飯と酒をおごってもらう事にする。気に入らないのなら、アルはここでアイシャを見張っていろ」
「おい、フリーダ!」
だがフリーダはアルフレッドの手を振りほどくと、男へ向かって再び愛想笑いを浮かべて見せる。
「すいません。弟はとても人見知りな性格でして、ここに残りたいそうです。なので、私の方からお話させて頂きます」
それを聞いた男が、アルフレッドを見ながら怪訝そうな顔をした。
「弟さんは、一人で大丈夫なのかな?」
「ええ、弟は見かけ以上に大人なので、大丈夫です」
フリーダは後ろも振り返らずにそう答えると、男と連れ立って、裏通りへすたすたと歩いていく。それを眺めながら、アルフレッドは心の中で肩をすくめた。実際の所、アイシャを探すだけなら、フリーダが側にいない方が、うるさくなくて余程に都合がよい。
『もっとも、別な面倒が残っているか……』
そう心の中で呟くと、アルフレッドは辺りを見回した。表通りと裏通りの両方から、アルフレッドが借りている少年の太ももよりも太い腕っぷしをした男が、こちらへと近づいてくる。その表情はとても友好的とは思えない。男たちは逃げ道をふさぐように立ち止まると、アルフレッドの方をじっと眺めた。
「マシューの言う通り、確かに整った顔をしている。女より金になるのは、間違いないんだろうな?」
「ああ、卸先にもよるが、女よりもこっちの方が金になる」
アルフレッドは男たちの会話を聞きながら、心の中でため息をついた。どうやら男たちはアルフレッドのこの体を、どこかの貴族にでも売り飛ばすつもりらしい。しかも、それを隠す気さえない。
アルフレッドは、袖の中に隠し持ったナイフをそっと手の中に降ろしながら、どうやって二人を片付けるかを考えた。
『やはり奇襲だな……』
相手はこちらを年端もいかない少年だと思って、油断しているはず。それにここで騒ぎを起こすと、色々と面倒なことになる。どちらかがこちらへ手を伸ばしてきた時に、その手をかいくぐって、喉を切り裂く。そのまま反転して、もう一人も同じように始末する。そうすれば、相手が声を上げる前に始末をつけられるはずだ。
「あきらめて、おとなしくするんだな」
思った通り、男が腕を伸ばしてきた瞬間、アルフレッドは壁を足で蹴って、前へと飛び込んだ。だがすぐに、自分の操る体に違和感を感じる。
アルフレッドとしては、少年の体に合わせて壁を蹴ったつもりだったが、予想よりはるかに大きな加速度で、男の方へ突き進んでしまう。結果、男の喉へナイフを振るう前に、アルフレッドの体は相手の腹へ体当たりをする形となった。
「うっ!」
男は小さくうめき声をもらしたが、背後へ抜けようとしたアルフレッドへ向けて、回し蹴りを放ってくる。その動きは決して素人のものではない。
アルフレッドは片腕を上げて、その蹴りをブロックした。同時に体を回すようにしながらその勢いをそぐ。だが少年の小さな体は、まるでコマが回るように吹き飛ばされた。アルフレッドは素早く受け身を取ると、壁の手前で立ち上がる。
『やはりそうだ……』
男の蹴りを受けた腕を軽く振りながら、アルフレッドは心の中でつぶやいた。本来なら痛みを感じるべき腕から、何も感じない。
エミリアが死霊術を使って、アルフレッドの意識を死体へ移した際に、体の代謝や味覚を含む感覚までほとんどつないでいる。だが痛みというか、肉体が感じる限界については除外してしまったらしい。死霊術を使うものは、それが目的で行うのだから、いつもの癖でそうしてしまったのだろう。
だが、体を操るアルフレッドとしては問題だった。ある意味、肉体の限界を感じることが出来ないため、うまく動きを制御することが出来ない。つまりは慣れが必要なのだ。
「どこかの没落貴族の息子か? こいつ、この年で見かけによらずやるぞ」
壁を背にするアルフレッドへ、男たちが両側からジリジリと間合いを詰めてくる。これでもう奇襲は望めなくなった。
『さてどうしたものか?』
フリーダに対し、心の中で山ほど悪態をつきつつ、アルフレッドが手に隠し持つナイフを握り直した時だ。
ドン!
鈍い音が辺りに響く。それは男の腹へ蹴りがめり込んだ音だった。




