初心忘れるべからずですよね
「サラさん」
近づくアビスゲイルの街を見ながら、馬車の御者台で、手綱を握るサラさんへ声をかけた。
「トイレかい?」
またしても、サラさんが乙女に聞くとは思えない台詞を吐いてくる。それにどうしていつも、「トイレ」なんでしょうね?
「違います。これからの予定の相談です。今度は普通の冒険をしましょう!」
「普通の冒険?」
私の問いかけに、サラさんが小首をかしげて見せる。
「封印された迷宮に潜って、厄災相手に、ちょっとしたお宝をいただいてくると言うやつですよ」
「普通ね……」
私の提案に、サラさんがいまいち乗り気じゃない表情をした。
「それが普通の冒険ですよね? なにか問題でもあります?」
「あんたといると、何が普通なのか、よく分からなくなってくるよ」
「ちょっと待ってください。今回の一件は、私のせいじゃないですからね。クラリスちゃんをいきなり処女探索へ連れて行った、ランドさんのせいだと思います」
私は前を行くランドさんたちの馬車を指さした。そちらの馬車には、ランドさんのほかに、リアちゃんとクラリスちゃんが乗っている。
私たちの馬車はというと、とりあえずギルドの出先に借りる旨の一筆を書いて、そのまま借りっぱなしだ。迷宮を一つぶっとばしたのだから、これぐらいは許してもらいたい。
「それはそうだね。でもあんたとかかわると、私を含めて、みんないろいろなネジが緩みっぱなしになるみたいだ」
サラさんが、私に向かって肩をすくめて見せる。
「あのですね!」
どうして全部が全部、私のせいになるんです。それと、昨日の夜は何をしていたんですか? 気づいたら部屋にいませんでしたよね。一体どこへ行って何をしていたのか、後でじっくりと追及させてもらいます。覚悟しておいてください。
「あの~」
私がいかにサラさんを追及するか、その手段を考えていると、背後から声がかかった。振り返ると、アンジェさんが興味津々な顔でこちらを見ている。アンジェさんも、サラさんが何をしていたのか、気になりますか?
「普通の冒険とは、具体的にはどのようなものでしょうか?」
アンジェさんが思わぬことを聞いてくる。
「ふ、普通ですか? それは、ギルドで所属を登録してですね……」
普通の冒険って、一体なんでしょう? 冒険に普通ってあるんでしょうか? そもそも、私は何で冒険者なんてしているんでしょうね? 色々な事が頭を巡って、思わず口ごもってしまった。
「街道筋の隊商の護衛とかだよ。それか街で雇われてそれの警護だね」
サラさんが私たちの会話へ割り込んでくれた。
「えっ、そうなんですか?」
「封印に失敗して、崩れになった所から流れてくるやつだって、わんさかいるんだ。そんなものがうろうろしていたら、畑仕事だって出来ないじゃないか」
「それって、迷宮とは関係なしですよね?」
「そう言うもんさ。迷宮を抱えている街以外ではみんなそうだよ。負荷をかけすぎて、くずれが起きないようにしながら、迷宮に潜ってお宝を探してくる。でもそれが出来るのは、本当に一握りの連中だけだ」
「やっぱり、アイシャ様やサラ様はすごい方々なんですね」
アンジェさんが羨望の眼差しでこちらを見る。
「は、はあ……」
下積みと言う物をしていない身としては、そのキラキラした目がとても辛い。やはりあの男の耳に届くぐらい名を上げるには、日頃から地道な努力をしないといけません。
『本当にそれでいいの?』
不意に声が響いた。辺りを見回しても誰もいない。どうやら、自分の心の声が聞こえたらしい。
『そんなつまらない目的に、みんなを巻き込んでいいの?』
再び頭の中に声が響く。私の良心とでも言うべきものが、私自身へ語りかけているのだろうか?
だけど私は心の中で首を横に振った。こんな自分でもサラさんを始め、みんながリーダーとして私を立ててくれている。私たちはパーティーなのだから、それが自分自身のものでなくても、みんなの期待に応えると言う目的があってもいいはずだ。
「やっぱり、トイレかい?」
サラさんの声に我に返った。いつの間にか黙り込んでしまっていたらしい。サラさんが冒険者に戻ったのも、こうしてランドさんと再会できたのも、私の意地の結果だ。それにいきなり何かが出来る訳でもない。やはり地道な努力こそが大事なのだろう。それと先立つ物です。
今回も赤毛組としては完全なただ働きだ。でも宿については、ランドさんたちがアビスゲイルの郊外に家を借りていて、そこに転がり込めそうなのは助かった。あんな高い宿に泊まっていたら、すぐに破産です!
「サラさん、私はアンジェさんと一緒に、宿まで荷物を取りに行きますから、サラさんはランドさんと先に戻っていてください」
「私を仲間外れにするつもり?」
「違います。これでも気を使っているんです」
せっかく色々と命を張ってきた結果ですから、今回は絶対に逃がさないようお願いします。それに、夜中にこそこそ行かないで、堂々と会って話をしてください。
「あんたに気をつかってもらうとはね。でもあんた一人で――」
そう言ってから、サラさんが荷台に乗るアンジェさんの方へ視線を向ける。
「まあ、アンジェがいれば大丈夫か。アンジェ、場所は分かるね?」
「はい。ランド様から聞いた街なら、何度か通ったことがあるので大丈夫です」
「なら安心だね。アンジェ、アイシャが寄り道しないよう気を付けておくれ」
あのですね、頼む相手を間違っていませんか? でもアンジェさんなしでは、たどり着ける自信がないのも確かです。
「それじゃ、後はまかせたよ」
そう一声かけると、サラさんはひらりと馬車を飛び降りた。あっという間に前を進む馬車へ追いつくと、私の方へ片手を振ってくれる。その顔は普段の苦虫をかみつぶした顔と違って、とても朗らかだ。
私もサラさんみたいに、心から愛し、信用できる相手を見つけることは出来るのだろうか? そう思った瞬間、アズールでの思い出したくもない過去が頭に蘇り、大きなため息が出る。
「アイシャ様、お疲れでしょうから、私の方で手綱を持ちます」
荷台から御者台へ乗り込んできたアンジェさんが、私の手から手綱を取ると、アビスゲイルへ向かう本街道へ馬車を向けた。その先ではアビスゲイルの城壁と、それを取り囲むように立つ塔の影が、長く伸びているのが見える。
急がないと、荷物を取って出る前に城門が締まってしまう。それを分かってか、アンジェさんが馬の行き足を急がせた。車輪が石畳にあたる音を聞きながら、不意にあの嫌味男の姿が頭に浮かぶ。
思い返せば、あの男は迷宮に潜った時、私以上に何もしていなかった気がする。お姉さまたちにあれをしろ、これをしろと指示を出していただけで、実際には全てお姉さまたちが厄災をぶっ飛ばしていた。
なので、冒険者としての心構え以上に、リーダーとしての在り方がさっぱり分からない。これも全てはあの嫌味男のせいです。あの男は一体何を目的に冒険者を、それにリーダーをしていたのだろう。さっぱり訳が分からない。
「もしかして、私を馬鹿にするためだけ?」
流石にそれはないか……。だいたい、あの男の事を思い出した時点で、何かに負けた気がします。
「あー、腹が立つ!」
「アイシャ様、私は永遠にアイシャ様のお側におります」
アンジェさん、なんか途方もない勘違いをしていませんか?




