無邪気って、実はとっても怖い奴ですよね?
「これが世界を滅ぼす力なの? ちょっと残念過ぎじゃない?」
隠者の陰の先に見える映像を見ながら、タニアが鼻を鳴らして見せた。そこでは、冒険者たちへ襲い掛かろうとした黒い影たちが、魔法職の放つ炎に一掃されているのが見える。
「でも、あの娘はあなどれない」
タニアがランドの腕に抱かれた、クラリスへ顎をしゃくって見せる。
「あれはなに? 厄災を吸い込むだなんて、聞いたことがないけど。それこそ、人の振りをした厄災だと言ってくれた方が、余程に納得が出来る」
「種類は違いますが、アリスと同じ類かもしれません」
タニアの問いかけに、アンチェラが答えた。当のアリスはと言うと、床にぺったんこ座りをしながら、調子はずれの鼻歌を歌い続けている。自分が呼び出したゴーストが一掃されているのに、不機嫌そうには見えない。
「どうしようかな? もう一度ぐらい、試してみようかな?」
アリスはそう呟くと、片手を小さく振った。次の瞬間、一掃されたはずの広間の中に、再び黒い影があふれ出す。
「さあ、次はどうするのかしら?」
そう言ってほくそ笑むアリスに、タニアは言葉にならない不気味さを感じた。アリスが本気になれば、映像の先にいる冒険者を取り込むのなんて、容易い事なのだろう。だがアリスは、子供がアリの巣をほじくり返すように、ただもて遊んでいる。
しかしながら、これがアンチェラが言う、世界を滅ぼす力とはとても思えなかった。せいぜいが、冒険者たちを右から左へ、遠い所へ送ってやるぐらいのものだ。国が宝物庫から、あるだけの宝具を持ち出して編成した軍隊に、敵うとは思えない。
「アンチェラ、この子は本当に役に立つの?」
「もちろんです」
「だって、やっているのは冒険者を取り込むのと、ゴーストを湧かせるぐらいよ」
タニアが不満げに告げた時だ。
「タニア、アンチェラ!」
不意にランセルの声が響いた。
「びっくりさせないでよ!」
タニアが振り返ると、ランセルが杖を掲げながら、探知の術式で何かを探っている。
「誰かがこちらの張った結界を破って侵入してきた。それも驚いた事に、ここへ来るのに、転移魔法を使ったらしい」
「命知らずね。それとも単なるバカ?」
「ランセル、ミストランドからの増援でしょうか?」
「それは分からんが、転移魔法で来るとは思えん。とりあえず場所は分かった。隠者の陰に投影する」
ランセルが杖を振ると、隠者の影の映像が村の中へと切り変わった。そこには街の宿屋に入る三人の姿がある。二人は皮のつなぎを着た冒険者らしいが、もう一人はどう見ても別物だ。それを見たタニアが呆れた顔をする。
「しかも侍女連れなの!」
「いや、単に見かけだけかもしれんぞ」
ランセルが横目で、男装の侍従姿をしたアンチェラを眺める。
「アンチェラをあんな小娘と、一緒にしないでくれる?」
タニアはそう言って嫌そうな顔をしたが、宿屋に誰もいないのを見ると、今度は不思議そうな顔をした。
「そう言えば、街の住人たちはいつの間に避難したのかしら?」
「避難などしておりませんが?」
「だって、誰もいないじゃない!」
映像には、食事の途中としか思えない宿屋の食堂と、その中で途方に暮れる冒険者たちの姿がある。
「おそらくは、結解が解けた際にめんどくさくなって、アリスが消したのだと思います」
「消したって、どう言うこと!?」
そう口にしてから、タニアは慌ててアリスの方を振り返った。その視線の先には、やたらと機嫌のいいアリスがいる。
「ちょっと待って。それって、この子の力は迷宮の中だけじゃないって事?」
「はい、お嬢様。アリスのいるところが迷宮なのです」
「でも、世界中の人間を支配するのは、流石に無理よね?」
平静を装っているが、答えを待つタニアの体は、小刻みに震えてくる。
「全ての人を支配する必要などありません。他の者を支配できる、お嬢様の叔父上のような、一握りの人物を支配すれば事足ります」
「それで、私たちは陰の支配者になるってこと?」
「いいえ、そのような面倒な立場になる必要もありません。その者たちを使って、先ずはこの世界にいる、意味もなく増えた人々を減らしてしまえば、物事はもっと簡単になります」
「――」
タニアは何かを告げようとしたが、何も言葉が出ていかない。そんなタニアに対し、アンチェラが謎の笑みを浮かべて見せた。
「それにタニアお嬢様、朗報です。神話同盟を打倒するための鍵が、向こうから来てくれました」
アンチェラが隠者の影に映る、赤毛の女性を指差した。
「うふふふ」
それを見たアリスが、急に嬉しそうな声を上げる。
「誰かと思えば、私の偽物じゃない。ちょっと本気出しちゃおうかな?」
隠者の陰に、アリスの調子はずれの鼻歌が、再び響き始めた。
「転移そのものを、止められなかったのか!」
隠者の影に映る映像を見ながら、そう声を上げたアルフレッドに対し、エミリアとリリスが肩をすくめて見せた。
「命の危険が無い限り、手出し無用だと言ったのは、アルではないか」
リリスの答えに、アルフレッドが何度も首を横に振って見せる。
「ここへ来る事自体が間違いなく危険だ。そんな事ぐらい分かっているだろう。お前たちなら、直接邪魔をしなくても、別の場所に転移させるぐらい出来たはずだ」
「一応はやるつもりだったのよね」
エミリアの台詞に、アルフレッドが驚いた顔をする。
「あの女に、それだけの力があったのか?」
「あのお色気お姉さんも、馬鹿には出来ないけど、私たちの相手ではないわよ」
「そもそも、あの小娘に普通の術式は効かない。まさか、お前たちが手伝ったんじゃないだろうな!?」
「あら、バレちゃった? どちらかと言えば、アイシャの意思の強さに負けたと言うところかしら。アルくんだって、それが一番大事だって言っていたでしょう」
「そ、それはそうだが……。済んだ事をとやかく言っても仕方がない」
それを聞いたエミリアとリリスが、互いに顔を見合わせる。アルフレッドは何か言いたげな二人を無視すると、隠者の影の前で大剣を手にする、フリーダの方を振り返った。フリーダは隠者の影が映すアイシャを、じっと見つめ続けている。
「フリーダ、小娘がいつ斬撃を撃つか分からん。いつも通り、タイミングを上手く合わせてくれ」
「まかせろ、アル。アイシャの邪魔をする者は、全て私が世界の果てまで吹き飛ばしてやる!」




