決して怪しい者ではございません!
いきなり世界が真っ白になったかと思いきや、辺りにはとんでもない風が吹き荒れている。それが舞い上げる砂埃に、目も開けていられないぐらいだ。だが少なくとも、あのエロじじいの部屋でないのは確からしい。
「サラさん、大丈夫ですか!」
「大丈夫だ!」
私の呼びかけに、サラさんが答えてくれた。やっと風が収まると、そこは刈り取りが終わった麦畑だった。辺りには何もない。それか、風が全部吹き飛ばしたらしい。迷宮の真ん前に転送されると思っていたのだが、違った。確かに、そんな危険なところへいきなり転送されても困る。
「迷宮は――」
何処でしょう、と聞こうとしたら、目の前に水で濡れた布が差し出された。
「アイシャール様、おしぼりです」
顔をあげると、何故かアンジェさんが立っている。それに髪も侍従服もさほど乱れていないし、砂埃もかぶっていない。揚げる前の鳥みたいになっている私とは大違いです。
「アンジェさん、どうしてここに?」
「はい。私は赤毛組の侍女ですので、皆様のお側にてお仕えするのは、当然のことかと思います」
アンジェさんが、何の疑問も感じさせない声で、さらりと答えてくる。
「でもこれって、迷宮への潜りですよ!」
あの色気お化けめ、一体何をしてくれているんでしょうか!
「来ちまったからにはしょうがないね。それを私にも貸してくれるかい?」
「はい、サラ様」
アンジェさんが、水筒の水で濡らした布をサラさんに差し出す。
「サラさん、転移魔法って、こんなひどいやつなんですか?」
「私が前のリーダーの術式で、一度だけ使った時は、砂だらけにはならなかったけどね。でも五体満足で来れただけでも、御の字というやつさ。行方不明者が多数の上に、手や足がなくなるやつらだって、ごまんといるんだ」
「そんなやばいやつとは知りませんでした……」
「そう言っただろう。私の話を聞いていなかったのかい!」
「はい。すぐに移動できると言うのに気をとられて、全く聞いていませんでした」
「それよりも、迷宮はどこでしょう?」
普通なら封印柱が高くそびえているはずだから、近くにあればすぐに分かる。でも処女探索となると、目じるしになるそれがない。
「アイシャール様、サラ様、向こうに街があるようです。そちらでお聞きしてはいかがでしょうか?」
アンジェさんが、木立の先を指さした。確かに街らしきものがある。よく見れば、塔もあるから、それなりに大きな街だ。
「すぐに行きましょう!」
「アイシャ、ちょっと待ちな。なんか様子が変だ」
サラさんが背後で声を掛けてくる。何を待つ必要があるんです。さっさと聞いて、さっさと迷宮に潜って、さっさとクラリスちゃんを、あのくそじじいの陰謀から救わねばなりません。
私は木立の中を一気に抜けると、街を囲む壁に空いた門を目指した。普通はいるはずの門番が誰もいない。門を通り抜けた瞬間、首の後ろがチリチリする感じがした。もしかしたら、厄災からの防御の為に、誰かが術を張っているのかもしれない。
中に入って見ると、昼休みのせいだろうか、街の目抜き通りには誰も人がいなかった。ともかく誰かを捕まえて、迷宮の位置を聞かねばなりません。それか、ギルドの出先があればその場所です。そう思って辺りを見回すと、都合のいいことに、宿屋と酒場を兼ねた、少し大きめの建物が目に入った。
「すいませ~ん!」
扉の前で大声を上げたが、誰も出てくる気配はない。
「誰かいませんか~!」
もう一度声を張り上げる。やっぱり返事はなし。怪しい者ではありません、冒険者ですよ。いや、冒険者自体が怪しい存在なのか?
「アイシャ、厄災が既に迷宮を出ているかもしれないんだ。いきなり飛び込むんじゃないよ」
「サラさん、何を言っているんです。それだとクラリスちゃんたちが、もうだめという事になってしまいます。そんな前提はあり得ません!」
「でも、どなたもいらっしゃらないですね」
アンジェさんが、そう言って辺りを見回す。確かに誰もいないが、ついさきほどまで、誰かが生活をしていた気配は残っている。
「みんな避難しちまって、誰もいないみたいだね。それでも、運の悪いつなぎ役ぐらいは、残っていそうなものだけど」
そう言うと、サラさんはおもむろに扉を足で蹴飛ばした。鍵は締まっていなかったらしく、扉があっさりと開く。でもこのやり方だと、盗賊に間違えられて、いきなり撃たれるからやめて下さい。とは言え、時間もないので、とりあえず中に入ってみる。
「何これ?」
思わず当惑の声が出た。食堂のテーブルにはパンやスープが並んでいる。スープからは湯気まであがっており、今すぐにでも食事が始まりそうな感じだ。でも食堂は空っぽで、誰もいない。
奥の調理場では、かまどにくべられた薪が、パチパチと音を立てながら、赤い炎を上げている。慌てて逃げたにしても、流石に火の始末ぐらいはしないだろうか?
「ちょっと前まで、誰かがいたとしか思えないね」
スープの中身をスプーンですくったサラさんが、私に告げる。どうやらサラさんも、私と同じ意見らしい。
「アイシャ、誰か逃げていく姿を、見かけなかったかい?」
「何も見ませんでした」
サラさんが首をひねって見せる。
「だとすれば、逃げたと言うより、消えちまったと言った方がぴったりだね」
個人的には、そこはどうでもいい話です。問題は誰も居なくて、どこへ行けばいいか分からない事ですよ。抑えようと思っても、心の奥から焦りが湧き上がってくる。思わず大声で、「迷宮はどこだー!」と叫びたくなった時だ。
「アイシャール様、サラ様、こちらに地図がありますが、何かの手掛かりにはなりませんでしょうか?」
アンジェさんが、食堂の片隅にあるテーブルを指さした。そこには一枚の紙が広げられており、アンジェさんの言う通り、地形や建物らしきものが書き込まれている。
いや、それだけではなかった。そこには仮設の封印柱を表す記号まで書かれている。間違いなく冒険者が、この近くに現れた、迷宮の情報を書き込んだものだ。
「サラさん、これって、ランドさんが残した地図でしょうか?」
「ランドの字じゃない。だけど、ランドたちの他にも、冒険者たちがここへ来ているらしいね」
私はサラさんに大きく頷いた。同時に希望の光も見えてくる。そもそも一つのパーティーで、処女探索をやるなんてのは無理筋な話だ。最低でも二つのパーティーが協力して、仮設した封印柱の維持と、内部の調査を同時にやる必要がある。ランドさんの他にパーティーが居れば、それが可能になるはず。
地図を見ると、迷宮の位置はこの街からさほど遠く無い所にある。ありがたい事に、反対側の出口から出てまっすぐだ。これなら私でも道に迷う心配はない。
「サラさん、行きますよ!」
そう言って、まだ何か躊躇しているサラさんの腕を引っ張る。その時だ。
ギィギギギィギィ――!
外から車軸の軋む音が聞こえた。




