これが私の守護天使の実力ですよ!
「リア、すぐに聖域の加護を唱えろ!」
ランドの台詞に、リアが面食らった顔をする。
「こちらから攻めるんじゃないんですか?」
「もちろん攻める。だがその前に、俺たち自身を守らないといけない」
そう告げたランドの横で、クラリスはポケットから色とりどりの布で編まれた紐を取り出した。その先には白い石で出来たペンダントが付いている。
「急げ!」
リアはクラリスの体が、うっすらと光を帯び始めるのを見ると、慌てて杖を小刻みに動かし始めた。杖の先に複雑な幾何学模様、術式が浮かび上がる。それが消えた瞬間だ。ホータムの光が消え、黒い霧がありとあらゆる方向から、一斉に襲いかかってくる。
クラリスの小さな体は黒いつむじ風に覆われ、なぎ倒されるかに思えた。だが黒い霧はそこでぐるぐると回るだけで、近づこうとはしない。まるでクラリスへ触れるのを、躊躇しているかに思える。
いや、違った。必死にクラリスから逃れようとしていた。だがその場にとらわれて、逃れることが出来ずにいる。やがてクラリスに引き込まれる様に、黒い霧が一つ、また一つと消えていく。その度に、数十人のざわめきのような声が、辺りに響き渡った。
「何なの!」
全力でエスクルの術式を維持しつつ、リアが声を上げた。額からは汗も流れ落ちている。ちょっとでも気を抜けば、ゴーストだけでなく、自分もクラリスに引き込まれてしまいそうだ。
「これがクラリスの力だ」
ランドの台詞に、リアが信じられないと言う表情で、首を横に振って見せる。
「ランドさん、あの子はマナ使いだって、言っていましたよね!」
「その通りだ。だがそれは誰かにマナを供給するだけじゃない。マナをその場から吸い取りもする」
「でもこれって――」
リアはそこで言葉を飲み込んだ。厄災をぶっ倒しているんじゃない。厄災の存在そのものを消している。だとすれば、世の中にこれほど危険な存在はない。
自分たち冒険者は、それが剣技であれ術式であれ、マナを、厄災自体の力を使って、厄災に対抗している。なので、冒険者が冒険者たり得るのは、原則は迷宮の中だけだ。そうでなければ、冒険者なんて怪しい存在は、厄災以前に、人によって排除されかねない。
もっとも、いくつかの例外はある。その最たるものは核を封印した宝具だ。それがあれば、迷宮の外でも剣技や術式が使える。王立魔導院の術者は、国からそれを与えられ、人を厄災化した兵器とも言えた。
故に迷宮は産業基盤でもある。宝具の元になる核だけでなく、厄災の一部を原料にした薬、迷宮から排出する鉱石などは高価であり、ある種の利権でもあった。核が封印された死んだ迷宮の横には、ギルドを中心に、大きな街が作られるぐらいだ。
だが厄災は、依然として厄災そのものでもある。封印に失敗したり、欲の皮が張りすぎて、迷宮を活性化させてしまえば、そこに住んでいる者は全滅し、誰も住めない土地になってしまう。しかし、厄災で利益を上げている者たち、世の権力者からすれば、住人の生活など大した問題ではない。
厄災自体を無かったことにするクラリスの力は、多くの均衡をひっくり返してしまう可能性があり、余りにも危険な存在と言えた。迷宮の発生根源そのものの研究だって、王立魔導院では禁忌中の禁忌扱いだ。
「誰かに気づかれるとやっかいなやつだ。だからクラリスの母親は、自分の命を賭してクラリスを守った」
「そうだったんですね」
ランドの言葉に、リアは素直に頷いた。そうでもしなければ、この子を救うことなど、出来なかったのだろう。
最後の影が消えると、クラリスはがっくりと膝をついた。床に手をつきながら、全身で荒い息をする。リアがエスクルの術式を解除するや否や、ランドはクラリスの元へ駆け寄り、その小さな体を両腕で抱え上げた。
「大丈夫ですか?」
「眠っているだけだ。だが相当に疲れたらしい」
「でしょうね。一体どれだけのマナを取り込んだのか、想像もつきません。並みの迷宮なら、迷宮丸ごと一つ分はありますよ」
「あの子が膨大なマナを使えるのは、どこかから勝手に湧いてきているんじゃない。あたりにいるマナを根こそぎ吸い上げちまうんだ。だからあの子がいるだけで、辺りにいるやつは弱る」
「場合によっては、私たちも例外ではないと言うことですね」
「そうだ。だが膨らみ続ける風船がそのままにはならない。封印を解いたクラリスはここにいるだけで命を削っている」
「こうして迷宮に潜る私たちは全員がそうです。だから、私たちは冒険者なんです」
はっきりと告げたリアに、ランドが肩をすくめて見せる。
「小さい時から、冒険者に囲まれて育ってきただけのことはあるな。俺なんかより、お前の方がよほどに肝が据わっている。それに、お前が王立魔導院を袖にしてくれて良かったよ。そうでなければ、俺がお前を遠いところに送るか、お前に俺が遠いところへ送られるかだった」
それを聞いたリアが、真剣な表情をしながら、首を傾げて見せた。
「でもまずいです。私がここに来たのはオン爺経由ですよ」
「俺たちもだ」
「オン爺の事ですから、この子の能力には気づいていると思います。オン爺の背後には王立魔導院もいますし、もちろんギルドともつながっています。この件が漏れるとやっかいです」
そう言うと、手刀を喉元に当てて見せる。
「十分に長生きしたと思いますし、この子の為に、遠いところへ行ってもらいますか?」
「リア、お前は本当にサラそっくりだな」
「えっ、サラお姉さまに似ています?」
リアが目を輝かせて見せる。
「喜ぶな、これは嫌味だ。オン爺にそのそぶりがあったら、会った時に俺がオン爺を遠いところへ送っている。それにこの子の確保をするつもりなら、お前を送り込んだりしないで、別の誰かが来るだろう」
「確かにそうかもしれません。でも関係者一同、一網打尽を狙っているだけかもしれませんよ」
「疑り深いのは冒険者の大事な資質の一つだが、サラの教育が行き届き過ぎだ」
「はい、私はサラお姉さまの一番弟子です。目標はサラお姉さまみたいな冒険者になることだけなのに、王立魔導院の連中は、それが全く理解出来ないみたいなんです」
そう言って肩をすくめて見せたリアに対し、ランドが苦笑いを浮かべて見せる。
「天井をぶち抜くのは最後の手段として、どこかに仕掛けがあるはずだ、それを――」
ランドはそこで口を閉じると、用心深く辺りを見回した。リアも素早く杖を掲げる。腰に付けたランタンの明りの先で、何かが蠢く気配がした。
「どうやら、相当に執念深いみたいです」
リアの言葉に、今度はランドが肩をすくめて見せる。
「一度ぐらいでは、許してもらえないということか……」
「リア、クラリスを起こす。もう一度、聖域の加護の準備だ」
「ランドさん、新人さんにはもう少し休んでもらっていてください。少しは先達の違いって奴を、見せてやることにします。でも寝てたら見れないのか……」
そう言って口を尖らせると、リアは手にした杖を、頭上高く掲げた。
ランドとリアの会話を一部追加しました。




