人生は全てが冒険なんです!
私は夢を見ていた。すぐに夢だと気づくぐらい、場違いなところだ。それは大きなホールで、正面のとてつもなく高い背もたれの椅子に座っている。大勢の人々が私へ向かって膝をつき、頭を下げていた。
「我々一同、あなた様のご帰還を、一日千秋の思いでお待ちしておりました」
正面に座る、いかにも大貴族らしい人が、私に声をかけてきた。夢の中の私は頬杖をつき、片手で銀の盆に盛られたイチジクの実を食べながら、投げやりな態度でそれを聞いている。
「ならば我がしもべたちよ、その責務を果たせ」
どう考えても、上から目線そのものの態度で、夢の中の私が告げた。
「はい、アイシャール様。我らが――」
「アイシャ、いい加減に起きな!」
誰かの呼び声に目が覚めた。気づけば、サラさんが呆れた顔で私を眺めている。
「随分と偉そうな寝言を連発していたけど、一体どんな夢を見ていたんだい?」
「えっ!」
どうやら夢の中の台詞が、全て寝言になっていたらしい。どこかの大貴族、それも相当いやな奴になった夢を見ていたとは、口が裂けても言えません。昨日、貴族に言い寄られたかもぐらいで、こんなにも態度のでかい夢を見るだなんて、どういう事でしょう。
「それよりも、いつまでもそんなかっこうでいると、風邪を引くよ」
サラさんの言葉に、慌ててベッドに座る自分を見た。
「何ですかこれ!? ほとんど裸じゃないですか!」
「酔っぱらって戻ってきて、しかも息が吸えないとかで、ぶっ倒れたんだよ。ドレスとコルセットを脱がせてやれば、こうなるに決まっているだろう」
そうでした。本当に死ぬかと思いました。もしこの家に嫁ぐのであれば、体の線は自慢できませんが、あれだけは勘弁してもらいます。それがだめなら、私には絶対無理!
「それで、例の件はどうするつもりなんだい?」
「例の件って?」
サラさんがさらに呆れた顔をする。
「あんたの婚約の件だよ」
「はっきりさせないといけませんよね」
でも根っからの庶民の私に、貴族の本妻なんて務まるのだろうか? マリアンヌさんの、凛とした姿が頭に浮かぶ。コルセットと同様に、私にあの威厳は絶対無理です。
トン、トン、トン……。
思わず頭を抱えた私の耳に、扉を叩く音が聞こえた。
「アイシャール様、サラ様、おはようございます」
扉の向こうから、昨日案内してくれた侍女さんの声が響いてくる。「はい」と答えようとして、慌てて言葉を飲み込んだ。昨日ドレスを着る時に、ひん剥かれてはいますが、流石に裸同然でお出迎えと言う訳にはいきません。
「ちょっと待ってください」
そう答えると、私はサラさんの方を振り向いた。
「サラさん、私の正装はどこにありますか?」
「正装って、あれかい?」
サラさんが奥の衣裳部屋を指さす。そこに私の使い慣れた、皮のつなぎが掛かっているのが見えた。私が酒におぼれている間に、きちんと手入れをしてくれたらしく、なめし油がきれいに塗られている。
「どうぞお入りください」
サラさんに手伝ってもらって、慌ててつなぎを着つつ、外で待つ侍女さんへ声をかけた。
「失礼いたします」
麻色の髪をした、私とそう年の違わない侍女さんが、頭を下げて部屋へ入ってくる。ドレスや大きな箱を持った人たちが、その後ろに続いているのも見えた。その箱が増えている気がするのは、気のせいですかね?
「旦那様が、お昼をご一緒したいと申しております」
そう言って頭を上げた侍女さんが、皮のつなぎ姿の私を見て、「おや?」っという顔をする。
「こちらへ着替えていただいても、よろしいでしょうか?」
「ありがたくお受けさせて頂きます。ですが、自分の服でお願いいたします」
我がままなのはよく分かっています。でも私は貴族のご令嬢ではなくて、冒険者ですからね。それを取ったら、私には何も残りません。
「はい。承知いたしました」
侍女さんがあっさりと答える。
「えっ、いいんですか?」
「はい。全てアイシャール様のご希望に沿うよう、旦那様から仰せつかっております。ですが……」
侍女さんがわずかに困った顔をして見せる。その視線の先に何があるのか気づいた。横にある姿見を見ると、ただでさえ収まりの悪い髪が、怒り狂った魔王みたいに跳ねまくっている。
「御髪に櫛を通させていただいても、よろしいでしょうか?」
「はい。もちろんです!」
と言うより、どうかよろしくお願いいたします。
「あの~~、かなり遅くなってしまいましたけど、大丈夫でしょうか?」
私は薄暗い廊下を歩きながら、前を行く侍女さんに声をかけた。櫛を入れれば何とかなると思った私が間違いでした。
酔っ払って寝た私の髪は、その程度ではびくともせず、結局のところ、侍女さん一同にひん剥かれ、髪の毛を洗って乾かすところからになってしまった。なので、かなり遅くなってしまっている。
「旦那様は、女性の身支度には時間がかかると、分かっていらっしゃいますので、問題ないと思います」
『そうなんですか!?』
私の中でグラントさんが、すごく優しいイケメンから、とっても理解ある優しいイケメンへランクアップです。それなら、私がこうして皮のつなぎで現れても、許してくれるかもしれない。
でも、つり橋効果もそろそろ切れるでしょうから、私の方はかなりのランクダウンですね。正直なところ、前を歩く侍女さんの方が、よほどにかわいいと自分でも思う。マリアンヌさんみたいなご令嬢と比べたら、月とすっぽんです。
「そう言えば、まだお名前を聞いていませんでしたね?」
「失礼しました。アンジェと申します」
アンジェさんは立ち止まると、私に対して深々と頭を下げた。やっぱりとってもかわいい。それに言葉遣いを聞く限り、私なんかより、よほどに育ちがいい気もする。
「アンジェさんは、どうしてこのお城へ?」
ちょっとした違和感が気になって、つい彼女に聞いてしまった。
「私ですか?」
アンジェさんが、不思議そうな顔をして私を見る。
「はい」
かわいいだけでなく、とっても頭もよさそうなのに、どうしてこのお城で侍女をやっているんでしょう。
「半年ほど前に、口利き屋のあっせんで、こちらへご奉公にあがりました」
「口利き屋?」
大きな町では、そう言う商売があるとは聞いていたけど、あまりいい噂を聞かないやつだ。
「はい。家が小さな商家をやっていましたが……」
アンジェさんが口ごもった。私は余計な事を聞いてしまったらしい。
「私だけでなく、この屋敷にいる者のほとんどが、この一年以内にお城に来たものばかりです」
そう言えば、奉公人をほとんど入れ替えたと、グラントさんが言っていたのを思い出した。
「でも、とても運が良かったと思います。旦那様はとてもお優しい方ですし、アイシャール様にもお仕えできます」
「えっ!?」
思わず変な声が出る。
「す、すいません。旦那様とご婚約されたと、お聞きしておりましたので、つい……」
グラントさんは本気だ。この城の人たちまで、私がグラントさんと婚約したという事になっている。
「そうですね。これからグラント様とお話をして、どうするか決めます」
私の答えに、アンジェさんが驚いた顔をした。グラントさんの申し出を即決しないだなんて、信じられないですよね。
「アイシャール様、ご無礼を承知で、一つお聞きしてもよろしいでしょうか?」
「何でしょう?」
先ほどは、私が失礼なことを聞いてしまいました。その罪ほろぼしと言ってはなんですが、なんでも聞いてください。
「アイシャール様は、どうして冒険者になられたのですか?」
やっぱり、そう思いますよね。
「たまたまです。私は父親に育てられたのですが、その父親が死んだ際に、頼れと言われたのが、冒険者の方々だったせいです」
「お辛くはなかったのですか?」
「そうですね。冒険者としての修行は、決して楽ではありませんでした。でも最初に入ったパーティーの皆さんからは、まるでお姫様みたいに扱ってもらいましたよ」
あの嫌味男を除けばですけどね!
「今はお二人ですよね。どうしてそこを辞められたんですか?」
辞めたんじゃなくて、首になったんですけど……。まあ、どっちにしても、お姉さまたちとは何もかもがちがいすぎて、長くは続かなかった気がする。
「辛く無かったことが、辛かったんです」
アンジェさんが、今度は困った顔をした。きっと私が何を言っているのか、よく分からなかったのだろう。
私がお姉さまたちになれないのはよく分かっている。でもお姉さまたちにも、悩みや苦労はあるはずだ。神話同盟にいる限り、それを理解できる日は来ない。なぜなら、お姉さまたちがそこに至るまでに通った道を、私は全てすっ飛ばしているのだから。
「結局のところ、私にはまだ早かったんです」
あの男が私に告げた台詞そのもの。今の私は、それが何かよく分かっている。でも冒険者を辞め、グラントさんと暮らしたとして、私は何かを成し遂げられるだろうか?
家庭を持ち、支え支えられ共に生きていく。冒険者として厄災と戦うのと、何の違いもない。人生を生きていくこと全てが冒険だ。
お姉さまたちみたいな天才はさておき、私のような凡人が、何かを成し遂げられたかどうかなんて、人生の旅路の果てで、やっと分かるどうかだろう。グラントさんが、私を冒険者として受けて入れてくれるのなら、私は人生という冒険を彼と共に歩む。
「すいません。変な話をしてしまいましたね」
「とんでもありません。アイシャール様は、やっぱり冒険者なんですね」
通路の先にある扉へ手をかけたアンジェさんが、私にうなずいてくれる。
「はい。私は冒険者です」




