婚約って、こんなに簡単に決まるものなんですか!?
「アル、今すぐ私にあの男を排除させろ!」
フリーダの大声に、アルフレッドは首を横に振った。
「なぜだ!? どう見ても、あの男はアイシャへ言い寄っているぞ!」
「何度言ったら分かる。命の危険が及ばない限り、干渉は無しだ」
「命と同じくらい大切なものを、奪われるかもしれないのだぞ!」
「くどい!」
そう叫んだアルフレッドの肩を、誰かが叩く。振り返ると、エミリアが真剣な顔をして立っていた。
「アル君、本気で言っているの? アイシャが他の男にとられるかもしれないのよ」
「あの小娘は誰のものでもない。それと当分の間、のぞき見もなしだ」
それを聞いたフリーダが、狼狽した顔をする。
「それって、アイシャを見れないと言うことか?」
「あれだって若い娘だ。惚れた腫れたを、人からのぞかれたくはないだろう」
「そんなの死んでしまう!」
「息が出来ないより、ひどいではないか!」
フリーダとリリスが、アルフレッドへ拳を振り上げて抗議する。
「なら、二人とも死ね」
そう言い放つと、アルフレッドは隠者の影の奥へと姿を消す。残された三人は、互いに顔を見合わせた。
「どうして、アルはあんなにも意固地なんだ?」
フリーダが、アルフレッドが消えた先を指さしながら、呆れた顔をする。
「柔軟で物分かりがいいアル君なんて、アル君じゃない気もするけど。でもアイシャのことになると、特にそうよね」
「意固地と言うより、アルにかけられた呪いだな」
リリスの台詞に、他の二人も頷く。
「それよりも、本当にアイシャへの監視を止めるつもりか?」
フリーダの問い掛けに、エミリアが肩をすくめて見せる。
「アル君がそう言うのだから、仕方がないわね。でもアイシャがあの城に戻ってくるなんて、これは運命の女神のいたずらかしら」
「だとしたら、大失敗だ!」
「どういうこと?」
「そいつを、先にぶっ飛ばしておくべきだった!」
フリーダはそう叫ぶと、何も映さなくなった隠者の影の先を睨みつけた。
「随分と早く戻って来たね」
息も絶え絶えに部屋に戻った私に、ソファーに寝ころんでいたサラさんが声を掛けて来た。
「それで、口づけの一つも交わしてきたかい?」
そう言うと、りんごをかじりつつ、ニヤついた顔で私を眺めてくる。
「た、単に夕飯を頂いただけですよ!」
「それは残念だったね。もっと楽しんでくると思っていたよ」
ちょっとやばかったのは認めます。でも元庶民とは言え、相手は貴族のイケメンですよ。私ごときでは無理です。
「それよりも、これを脱ぐのを手伝ってください」
今さら気づきましたけど、このコルセットって、自分では絶対に脱げないやつです。
「はいはい。お姫様、仰せの通りに」
あのー、冗談はさておき、さっさと手伝ってくれませんか? このままだと絶対に窒息死です。せめてドレスだけでも、自分で脱ごうと思って、首元に手を掛けた時だ。
「アイシャ、それはなんだい?」
私の背中に回ったサラさんが、訝しげな声を上げた。
「えっ、何ですか?」
「指にしているやつだよ」
そう言えば、グラントさんから預かった指輪を、指にはめたままだった。
「アイシャ、着替えなんか後だ。先ずはそこに座りな」
サラさんが急にドスの効いた声で私に告げた。顔も先ほどまでとは違って、迷宮に潜っている時みたいに真剣です。とても先に着替えをさせてとは、言えそうにない。
「聞き耳を立てている奴はいないね。今晩何があったか、洗いざらい話すんだ」
もしかして、馬車でランドさんのことを聞きまくった、意趣返しですか?
「特に何もありませんよ。これはグラントさんの――」
そこまで口にしてから、この指輪が色々と曰く付きだったのを思い出す。そのまま嵌めて来るなんて、なんて不用心だったのだろう。それにドレスにポケットなんて、便利なものはついてない。
「お母さんの形見の指輪で、当主としての正当性を示す、大切なものだそうです。こちらで預かって欲しいと言われ、赤毛組として受けました」
「アイシャ、自分が何をしたのか、分かっている?」
サラさんが私に、とてつもなく呆れた顔をして見せる。よく考えれば、これを持っているとばれたら、間違いなく命を狙われる奴ですね。
「勝手に依頼を受けて、ごめんなさい」
私はサラさんに頭を下げた。でもグラントさんに頼まれたら、サラさんだって受けますよね?
「あんたが受けたのは、組への依頼なんかじゃないよ。あの男から求婚されて、それを受けたんだ」
「サラさん、冗談はやめてください」
「それはこっちの台詞だ。あんたはあの男から指輪を差し出されて、それを左手の薬指に、はめてもらったんだろう?」
「はい」
でも指輪ですから、指にはめるのは自然ですよね。それにサラさんと違って、胸元へ隠すなんてのは不可能です。
「どう見ても、貴族の正式な婚約そのものだよ」
「え”っ!」
酒の酔いが一気に覚めた。
「貴、貴族の婚約ですよ。もっと色々な段取りとか、ありますよね!?」
ほら、親に挨拶に行くとか、親戚一同を呼んで、食事会をするとかですよ。もっとも、私の両親はとっても遠いところにいるから、参加は無理だ。そう言えば、グラントさんもそうか……。
「普通はあるんだろうさ。でもその全部をすっとばして、あんたはあの男の求婚を受けたんだ」
「ちょっと待ってください。グラントさんは由緒正しい家の貴族ですよ。庶民の私と正式に結婚なんて、絶対に無理じゃないですか!」
だからロマンス本だと、愛人になっちゃうんですよね?
「出来るよ」
「へっ!?」
「これでもギルドの受付をやっていたんだ。あんたよりギルド法には詳しい。この辺境領では、私たち冒険者は男爵に準じるんだよ。それにミストランドの冒険者なら、子爵扱いだったと思う」
「冒険者って、そんなに偉そうな存在でしたっけ?」
普段の扱いを見てると、とてもそうとは思えません。
「ギルドから冒険者として認められるのは、それなりに大変なことだ。厄災の相手をするのも命がけ。その昔は冒険者を集めるのに、飴を用意したんだね。もっともこの辺境領限定だし、土地がもらえるわけではないから、単なる名誉職だ。だけど……」
そう言うと、私に小さく頷いて見せる。
「貴族の一員であることに変わりはない。だからあんたがあの男と結婚するうえでの、縛りはないんだ。それに古い話なら、領主貴族が冒険者を嫁さんにもらうという話は、それなりにあったらしい」
「でも、今日あったばかりです!」
「男女の関係に、今日も明日もないよ。くっつくかくっつかないか、それだけだ」
あのー、恋愛を単なる接着剤みたいに言わないでください。
「それに相手は私ですよ!」
「どうしてこうも、自己評価が低いんだろうね」
サラさんが大きなため息をつく。
「女の私が惚れるくらいに、十分にかわいいよ。それに、あんたもこれで玉の輿だ。もう冒険者なんてやくざな事をしなくても済む」
そう言うと、私に片目をつむって見せた。今度はほめ殺しですか? 百歩譲ってそうだとしても……。
「誰も受けるなんて言っていません!」
だって、私たちは赤毛組ですよ。私が冒険者を辞めたら、サラさんはどうするんです。そんな無責任なことは出来ません。それにサラさんと、ここでお別れすることになってしまいます。そんなの耐えられません!
『本当にそう?』
私の中の何かが問いかけてきた。さっきサラさんが言った通り、冒険者は命がけだ。ミストランドを離れて以来、何度死にそうな目にあったことか……。
私だけじゃない。サラさんだって危険な目に何度もあっている。私みたいな、やらかしてばかりいる人間と一緒だと、いつかは悪運だって尽きるかもしれない。でも、でも!
「私たちは赤毛組ですよ。私がここで降りたら、サラさんはどうするんですか?」
「私かい?」
サラさんが当惑した顔をする。
「そうだね。私もどこかで男を捕まえて……」
「私は嫌です。サラさんとお別れするのは絶対に嫌です」
自分のわがままだと言うことは、よく分かっている。でも赤毛組としては、まだ何もやり遂げていない。だから、これはまだ受け取れないし、受け取る訳にもいかない!
「待ちな!」
サラさんが、指輪を抜こうとした手を押さえる。
「アイシャ、私は冒険がしたくてあんたといるんじゃない。あんたがいるから冒険者をしているんだ。だから、アイシャがあの男を受け入れてもいいと思っているのなら、私もここにいるよ」
「サラさん……」
「玉の輿とはいえ、貴族の家に入るんだ。一人ぐらいは味方が必要だろう。まあ、お単なる邪魔虫かもしれないけどね」
「絶対にそんな事はありません!」
私はサラさんに抱きついた。だがどう言う訳か、目の前が暗くなってくる。
「アイシャ、大丈夫かい? 唇が真っ青だよ!」
やばいです。コルセットのせいで、息がまともに吸えないのを忘れてました。




