私だって、たまには考えたりしますよ!
馬上からは、夕暮れの光を浴びて、黄金色に輝く冬枯れの牧草地と、茜色に染まるうろこ雲が見えている。それは息を飲むぐらいに美しいのだが、私の目には全く入ってこない。
そんなことより、背中にグラントさんの体が当たっているのと、彼の吐息が耳元にかかってくる方が、はるかに気になった。その度に、体がびくつくのを抑えるのに必死だ。
よく考えれば、こんなにも男性と長く密着するなど、生まれて初めての事です。しかも、相手は超がつくほどのイケメンですよ!
「疲れませんか?」
「だ、大丈夫です」
グラントさんの声に、慌てて答える。単に鞍に座っているだけなのだから、全く疲れる要素はないのだけど、イケメン慣れしていない私の精神は、くたくたを通り越してグタグタです。
そう言えば、嫌み男も見かけだけは、イケメンに分類できましたね。実際、一部の女性冒険者からはキャーキャー言われていた気がする。でもあの性格ですよ。見かけ以前の問題です。
サラさんの元カレもそうだけど、皆さん見かけに騙されすぎですよ。間違って結婚などしたら、後で後悔すること、間違いなしです。
「何を後悔するんですか?」
どうやら心の声が漏れてしまったらしく、グラントさんが私に問いかけてきた。
「サ、サラさんのお友達の話を、思い出していただけです!」
とりあえず適当な答えで、お茶を濁す。これって、後で思い出したら、絶対に悶絶するやつだ。これも全てあの嫌み男のせいです。あの男の存在は、私の人生の全てに、呪いをかけているとしか思えません!
「私たち男性の至らないところを考えれば、多くの女性にとって、結婚はそうかもしれませんね」
うろたえる私に、グラントさんが苦笑いを浮かべて見せる。
「それでも、誰もがよき伴侶を得たいと、願っているのではないでしょうか?」
「よき伴侶ですか……」
「はい。互いに支えあい、何かを紡いでいく存在です」
「マリアンヌさんの様な女性でしょうか?」
グラントさんの台詞に、思わず口から言葉が出た。まさに美男美女。お似合いのカップルです。
「そうですね。彼女は素晴らしい女性ですが、兄の婚約者です」
グラントさんが、私の目を見つめながら告げる。
『そうでした!』
兄の婚約者とグラントさんが紹介したのを、すっかり忘れていました。自分の不用意な発言に、心の中で冷や汗を流す。でもマリアンヌさんは、間違いなくグラントさんに好意を持っている。それも相当にだ。
一体どういうことでしょう。もしかして、私たち庶民がこっそり読む、ロマンス本の展開そのものでは? そう思った瞬間、体中が燃えたみたいに熱くなってきた。いえ、間違いなく燃えています。
「大丈夫ですか?」
グラントさんが、怪訝そうな顔をして私を見ている。
「こ、これは……、何でもありません!」
私の顔も、口と同じくらいに心の中がダダ漏れです。何があっても全く表情を変えない、リリスちゃんの爪の垢を持ってくるべきだったと、心から後悔する。
「長い時間、窮屈な思いをさせてすいません。ですがもうすぐですよ」
私の答えをどうとらえたのか、グラントさんはそう告げると、暮れ行く西の方を指さした。そこには辺りに連なる小高い丘とは違う、黒々とした巨大な岩山がある。だが岩ではなかった。その天辺にはいくつかの尖塔があり、竜の紋章の旗がはためいている。
「これは……」
グラントさんが私にうなずく。
「アズール城です」
私は次第に迫ってくる石の壁を見上げた。同じ貴族でも、オールドストンで関わったフンネル家の城は、お屋敷という感じだったが、こちらは全く違う。天然の要害に建てられた城塞だ。普通なら側にあるはずの人家も、全く見当たらない。
「アズール家はエミール家と同様に、半島に最初に入植した家の一つです。厄災への対処はもちろん、厄災自体が何かも分からなかった頃に、建てられた城なんです」
確かに、城から感じるのは威圧感ではなく、外部に対する拒絶、まさに孤城だ。
「今では皆さんのような冒険者の方々がいて、厄災への対処も可能になりました。むしろ産業に近いですね。特に厄災からの脅威がほとんどなくなった本土の人たちは、そう思っているようです」
「ええ……」
グラントさんのセリフに、曖昧に答える。確かに冒険者なんてものが、職業として成立しているのだから、産業と言えないこともない。それでも冒険者は特殊技能者集団だ。少なくとも、私はそう思っている。
私たち冒険者が、厄災なんて化け物に対峙できるのは、迷宮が放つマナを、体内に取り込むからだ。なので、迷宮から離れれば、その力を奮うことはできない。
ベテランの冒険者になると、マナを体内に残しておくことで、いくらかは外でも使える。これはミストランドへ行ったときに、お姉さまたちから最初に訓練させられた。ハマスウエルで、クラリスちゃんを狙う連中とやりあえたのも、この技のおかげだ。
もっともいくつかの例外はある。その一つは、迷宮の核によって作られた宝具を得ることだ。これさえあれば、冒険者は迷宮にいる時と同じ力を、外でも奮うことができた。
それ故に使い手は選ぶにせよ、一旗揚げたい冒険者だけでなく、世の王侯貴族たちも、目の色を変えて宝具を求める。では戦争が起きれば、宝具を使った極大技やら、極大魔法のオンパレードなのかと言うと、そうではなかった。
エミリアお姉さまの説明によれば、人同士の争いに使うには強力すぎるらしい。権力者からすれば、そんな強烈なものを誰かに渡せば、渡した自分が狙われる可能性だってある。なので、そう簡単には使えない。
なにせ子供だろうが、嫁さんだろうが、いつ敵に回るか分からないのが、王侯貴族の世界だ。厄災などより、よほどに恐ろしい存在です。
それでも、相手がそれを使う可能性がある限り、自分も持たないといけない。相手が二つ持つなら、こっちも二つという訳で、宝物庫には使う予定のない宝具が、山ほど積まれていると教えてくれた。
思い返せば、サラさんにせかされて、何の考えもなしに斬撃を打ったけど、相手がすぐに引いてくれてよかった。そうでなければ、こっちは空になって、試合終了です。
だけど、特に空になる気配もなかった気がする。これだけの城を築いたぐらいだから、ここにも死んだ迷宮があるのかもしれない。核を失った死んだ迷宮でも、しばらくの間はマナが残留し、厄災も発生した。そう言う場所は、サラさんのいたブリジットハウスみたいに、ギルドの元で、まさに産業みたいになっている。
でも今回は迷宮に潜る訳でも無いと思って、油断しすぎました。エミリアお姉様がよく、迷宮の中のほうが余程に安心できると言っていたけど、その気持がよく分かる。もし嫌み男がいたら、敵の刃に突かれる前に、不用意に斬撃を放つ状況になった事について、嫌みの連発と説教で殺されているところです。
「とりあえずは結果オーライです!」
「結果ですか?」
グラントさんが不思議な顔をしてこちらを見る。いけません。またしても、心の声が漏れてしまったみたいです。
「これだけ立派な城があったから、厄災から生き延びられたのですね」
「そうですね。そうだと思います」
私の適当なあいづちを、真に受けたらしいグラントさんが、感慨深げに城壁を見上げる。そのイケメンな顔を眺めながら、ふと、ある疑問が頭に浮かんだ。
『人がマナで力を得るとしたら、厄災は何から力を得ているのだろう?』
どんなものでも、何かから力を得てはいるはずだ。常識的に考えれば、核から力を得ているのだろうけど、それなら核は何から力を得ている? しかも宝具、人の道具になっても、力を持ち続けている。
『本当に、道具として扱えているのだろうか?』
エマちゃんたちがよほどの役者でもない限り、彼らは間違いなく宝具に操られていた。それに迷宮が宝石やら鉱物やら、人が求めそうな物を用意するのは、やっぱり都合がよすぎる。暴れて見せるのも、おもちゃを欲しがる子供のように、単に無視されないためではないだろうか?
「何か考え事ですか?」
グラントさんの呼びかけに、我に返った。よく考えれば、迷宮研究家でもない私が、厄災のことをあれこれ推測しても無意味だ。誘い込んでようが誘い込んでなかろうが、私と厄災との関係は、ぶっ倒すか、ぶっ倒されるかだけです。
「いえ、あまりに立派な城なので、圧倒されていただけです」
ギギギィギィギィ――!
その立派すぎる城の向こうから、耳を覆いたくなるような音が響いてくる。それは城門を兼ねた、大きな吊り橋が降ろされる音だった。それがとてつもなく深い空堀へとかかる。
「アイシャール・ウズベク・カーバイン殿、当家の居城へようこそ!」
グラントさんはそう告げつつ、吊り橋の向こうへ馬を進める。その先に見える石壁を見ながら、迷宮に潜るときと同じく、私は得体のしれない恐怖を感じていた。




