これがものほんのお嬢様!
「グラント様、すぐに撤退を!」
砂塵を見た騎士の一人が、グラントさんに馬の手綱を渡しつつ叫んだ。
「サラさん、逃げましょう!」
私はサラさんに声をかけつつ、辺りを見回した。しかし冬枯れした草があるだけの、荒涼とした丘陵地だ。身を隠せそうな場所はどこにもない。
それに砂塵の量を見る限り、私の斬撃ぐらいで、どうにかなる相手でもなかった。それがものすごい速さで、こちらへと近づいてくる。
「両手を上げて、後はお祈りするしかないね」
サラさんが、諦めた口調で私に肩をすくめて見せた。
「やっぱり、それしかありませんか?」
「ああ、運のつきというやつだよ」
冒険者になったからには、厄災にぶっ殺されることは覚悟していたが、まさか人に殺されるとは思わなかった。それに人が相手と言う事は、単にぶっ殺される以上に、ひどい目にあう可能性だってある。
それでも私は冒険者だ。心臓が動いている限り、生き残る努力をしなければならない。そう決心して、覚悟を決めた私の腕を、グラントさんがいきなり引っ張った。そのまま体をひょいと持ち上げると、馬の鞍へと乗せてしまう。
「私はこちらのお嬢さんを乗せる。君はそちらの方を馬の後ろに!」
グラントさんは騎士の一人に指示を出すと、私の背後へまたがった。どうやら二人乗りで逃げるつもりらしい。
「ちょっと待ってください!」
慌てて背後を振り返る。どう考えても、二人乗りで逃げられるとは思えない。
「これでも騎士の端くれですよ。いざとなったら、私たちが時間を稼ぎますので、馬でそのままお逃げください」
「えっ!」
思わず驚きの声を上げた私に、グラントさんが片目をつむってみせる。この人は本当に貴族なのだろうか? 私の知っている貴族とは、全くの別物です。
むしろ、オールドストーンでかかわった、庶民などすべて貴族の為にいる、ぐらいに思っている方が、私が想定する貴族そのものだ。しかも、超がつくほどのイケメンです。
もしグラントさんが普通の庶民の家に生まれていたら、町中の女の子が、気合を入れまくった刺しゅう入りのマフラーを編むだろう。編み物が全くできない私でも、編む気になるかもしれないぐらいだ。
「アイシャ、ここは逃げの一手だよ」
思わず妄想の世界へ行っていた私の耳に、サラさんの声が響いた。そうでした。先ずは生き残らないといけません。死んでしまったら、妄想すら出来なくなります。
私はグラントさんの邪魔にならぬよう、馬のたてがみにしがみついた。だが気づけば、左右からも砂塵が舞い上がっている。それは私たちを追い越すと、完全に行く手をふさいいだ。
それを見たグラントさんが馬を止めた。他の騎士たちも、円陣を組むように、グラントさんの周りに集まってくる。
「どうやら相手の方が上手ですね。背中から撃たれるより、素直に降伏した方がよさそうです」
「せめて、私たちは無関係だと言ってもらえると、助かるんだけどね」
サラさんの皮肉に、グラントさんが苦笑をして見せる。
「はい。可能な限りの努力はしてみます」
そう答えつつ、腰に差した剣の柄に手を掛けた。流石にその表情は真剣だ。私もいつでも斬撃が撃てるよう、気合を入れる。
「エミール家の紋章です」
不意に騎士の一人が、砂塵を指さしつつ声を上げた。それを聞いたグラントさんの顔に、安堵の色が浮かぶ。一体どういう事だろう?
「エミール家ですか?」
私の問いかけに、グラントさんが砂塵の向こうを指さした。そこには青い生地に、擬人化された月と星を描いた旗印が見え隠れしている。
「私の兄の婚約相手の家です。どうやら嘘をつく必要はなさそうですね。無関係ではなく、命の恩人だと、正直に話させて頂きます」
グラントさんはそう答えると、朗らかに笑って見せる。やがて砂塵の向こうから、見事な鎧をまとった騎士の一団が姿を現した。その先頭では、閲兵式に臨むみたいに、旗騎士が月と星の紋章を掲げている。
その騎士たちに囲まれて、白馬に横乗りした、ドレス風の乗馬服を身にまとった女性が進み出た。その麻色の髪はきれいに結い上げられ、冬の柔らかい日差しを浴びて、黄金色に輝いている。
前にも一度、ご令嬢と言うのに会ってはいるが、いきなり飛びかかられて、殺されそうになった。こちらは決してそんな事はしそうにない。ものほんの貴族のご令嬢です。
グラントさんは私を抱えて馬から降りると、膝を折って、淑女に対する騎士の礼をした。私もサラさんのマントを引っ張りつつ、片膝をついて頭をさげる。郷に入っては郷に従えという奴です。
女性は近習が用意した昇降台に降り立つと、グラントさんの方へ裾を軽く持ち上げて、紳士に対する淑女の礼を返す。
「グラント様、お怪我はありませんでしたか?」
その声音も、サラさんのドスの効いた声と違って、何かの楽器の音色みたいです。
「何とか無事でした。ですが、どうしてマリアンヌ様がこちらへ?」
「はい。警備のものから、見慣れぬ集団が街道筋へと向かっているとの報告があり、城下でグラント様をお待ちしていた兵を、そのまま引き連れてまいりました」
「ですが、マリアンヌ様の身にも危険が……」
グラントさんの台詞に、女性が首を横に振って見せる。
「こちらからご招待させていただいたのです。そもそも私の方で、街道筋まで出向いて、グラント様をお待ちすべきでした。それに何かあっては、クラウス様に顔向けができません」
女性はそう告げると、どこか遠くを見るような仕草をした。その立ち振る舞いの一つ一つが、貴族のお嬢様らしい優雅さに満ちている。
「お気遣い、ありがとうございます」
グラントさんは女性の手を取ると、その甲に軽く口づけをする。そこで女性は背後で膝まづく私たちを見て、「おや?」という顔をした。
彼女からすれば、皆が騎士姿に身を固めている中、埃にまみれ、皮の鎧をまとっている私たちは、間違いなく正体不明の存在だろう。いや、不審人物そのものだ。
「グラント様、そちらはどなたでしょうか?」
「こちらは、あぶないところを救っていただいた、命の恩人です」
それを聞いた女性が、さらに当惑した顔をする。
「そう言えば、まだお名前をお聞きしていませんでしたね」
「冒険者をしております、赤毛組のアイシャール・カーバインと申します」
「同じく、赤毛組のサラ・アフリートです」
「冒険者の方ですか!?」
女性が驚きの声を上げた。同時に私たちの姿を見て、納得した顔をする。
「半島南部にはあまりいらっしゃらないので、こうしてお話をさせていただくのは初めてです。ですが、女性の方ですよね?」
その問いかけに、思わずサラさんと顔を見合わせる。もし女性でなかったら、私はいったい何になるのだろう。エミリアお姉様と同じでしょうか?
「お二人で、厄災と戦われるのですか?」
「はい。冒険者ですので……」
女性が興味津々という顔で、私たちの方へ歩みよってくる
「マリアンヌ・エミールと申します。私からも、グラント様を救っていただいた、お礼を言わせてください。助けていただきまして、ありがとうございました」
正直なところ、スルーしてもらいたかったのだけど、仕方がありません。私たちも冒険者らしく、胸に手を当てて礼を返した。
「お役に立てて光栄です」
女性が澄んだ水色の瞳で、こちらをじっと見つめる。その完璧な姿と、彼女のつけている甘い香水に、女の私でもクラクラしそうになってきます。
だけどこの香り、どこかで嗅いだ気がする。でも貴族のお嬢様が、私の知っている香りをつけるだなんてあり得ない。単に気のせいだろう。
「せっかくご招待いただいたのですが、領内の安全確認のため、本日は城へ戻らせていただきます」
グラントさんが、マリアンヌさんへ声をかけた。マリアンヌさんは少し残念そうな顔をしたが、すぐにうなずいて見せる。
「そうですね。その方がいいかと思います」
「それと、一つお願いがございます」
「何でしょうか?」
「アイシャール殿たちの馬車が、この先にあります。馬がくせ者たちによって害され、動かすことができません。それを私の城へ届けていただけませんでしょうか?」
「はい。承りました」
「イクラム!」
「はっ!」
兵士長らしい、一番立派な鎧を着たひげ面の男性が、マリアンヌさんの前へ進み出る。
「馬車の回収と、替えの馬の手配を。それと不審なものがいたら、すべて城に連れてきて尋問しなさい。何より、このようなことが二度とあっては困ります」
「はっ、申し訳ございません!」
強面の兵士長が、直立不動で答える。こうして見ると、マリアンヌさんはただのお嬢様ではない。青い血を持つ人たちの一員だ。兵士長は深々と頭を下げると、マリアンヌさんの周囲を警戒しつつ、来た道を引き返して行く。
もう少し後にここを通りかかったら、不審者として拘束されていたかもしれない。ともかく貴族とかかわると、ろくなことにならないのは、オールドストーンで懲りている。
思わずため息をついた私の肩を、誰かがポンと叩いた。サラさんだろうか? そう思って振り返ると、グラントさんがにこやかな顔をして、私を見ている。
「では、我々も行きましょうか」
「あの、どこへでしょう?」
「アズール城、私の城です」
そう言うと、グラントさんは私に、再び片目をつむって見せた。




