〈7〉影武者と隠れ家
「ただいま。」
矢野家での昼食を終えて、自宅に帰ってきた。玄関の鍵は空いていたが、中からは返事がない。裏庭にでも出ているのだろうか。
僕は自室に入って荷物を下ろした。ランドセルの中から夏休みの宿題のリストを取り出して眺めた。
「……多いな。」
三四郎さんに代わりにやってもらおうかという考えが頭をよぎったけど、今日のお昼時、口に出す前に「夏休みの宿題は自分でやろうね?」とゆみさんに圧迫感のある笑顔でクギを刺されてしまった。ちぇ。
それにしても、僕の姿をした別人が本当に現れるのだろうか。吉成さんの話だと、三四郎さんは「化け術」という術を使って僕になりすますらしい。まだ信じられなかった。
約束では今日の夜の8時頃だと言っていた。そして、矢野君のおばあちゃんの家には明日にも出発するという話になった。ずいぶんと自由な人たちだと思った。
泊りの旅行って、何を持っていけばいいんだろう。それまで家族で泊りの旅行に出かけることは、ほとんどなかった。母方の祖父母の家に泊まることは年に何回かあったけど、いつも着替えなどは母が準備していた。
(とりあえず大きめのバッグでも引っ張り出そうか。)
タンスの中を探すと、以前に学校の宿泊実習で使った黒いドラム型のバッグが出てきた。
(そうだ。あの時の準備を参考にすればいい。)
僕は本棚から去年の宿泊実習の時に配られたしおりを見つけ、持ち物リストを見ながら準備をした。ついでに例のマンガと、いつも遊んでいた携帯型のゲーム機もバッグに入れた。
夕食の後、少し浮かれた気分で自室にこもっていた。まだにわかに信じられないけど、これから矢野君と僕の姿をした三四郎さんが迎えに来る。ちょうど8時くらいになったところで、台所から通じる裏口から外に出ていくことになっていた。冷蔵庫の中の牛乳を取りに行くフリでもしてくればいいと、吉成さんに言われた。どうやら作戦とかを考えるのが好きらしい。
「風呂湧いたよ。先入ってくれない?」
扉の向こうから姉の声がした。
(どうしよう。8時になるまであと15分くらいある。風呂上がりに外いきたくないしなぁ。)
「後に入るから先入ってもいいよ。」
「あっそ。じゃあお先。」
足音が遠ざかっていく。少しホッとした。
(ん?今僕緊張してた?)
やっぱりこの家にいると、僕は気が休まらないみたいだった。まだ早いけど、台所に行ってスタンバイしておくことにした。僕は自室のふすまを開けた。そのまま台所へ行こうとしたとき、父に声を掛けられた。
「どこ行くんだ?」
心臓がはねた。
(まさか……、計画がばれてる?)
「……台所。牛乳飲もうと思って。」
「ちょうどよかった。ついでに麦茶も持ってきてくれ。」
「あ、私も飲む。」
母が続いた。
「……分かった。(なんということだ……。)」
これでは一度台所から茶の間まで戻ってこなければならない。下手をすれば、また父の演説を30分以上聞かされるハメになる。それだけは避けなければならなかった。とりあえず台所へ行ってしまって、作戦はそれから考えることにした。
冷蔵庫から牛乳と麦茶を取り出す。
「せっかくだから今のうちに飲んでおこうか。」
僕はコップを棚から取り出し、麦茶を注いだ。茶葉のパックを入れてから時間が経っていたので、割と濃いめになっていた。そこに台所のテーブルの上になぜか転がっていたコーヒー用のガムシロップを開けて入れ、そこに牛乳を注いだ。こうすると、コーヒー牛乳っぽい味がした。
ガラガラガラ………
僕がコーヒー牛乳もどきを飲んでいると、後ろの方で静かに戸を開けるような音がした。
「(おっす。迎えに来たぞ。こっちこっち。)」
矢野君が小声で言い、手招きをしていた。矢野君の後ろに、人影があった。その人影が戸をくぐってこちらをうかがってきたとき、また僕の心臓がはねた。
「………!」
そこには僕がいた。来ている服まで同じの。まるで3Dの鏡を見ているようだった。
「よう、西山。オレだ。三四郎だ。ビックリしたか?」
そういいながら、目の前の僕は笑っている。だが、その笑顔は自分のものではなく、どこか見覚えのある顔だった。確かにあの時公園で見た、三四郎さんの笑顔だった。僕は唖然としてしまい動けなかった。
「早く入れかわろうぜ。父ちゃん母ちゃんに麦茶差し入れなきゃなんだろ?」
「あっ、ハイ。お願いしてもいいですか?」
「……分かった。」
またドキリとした。急に表情が暗くなった。そしてそれは………、いつも自分が鏡で見ている姿そのものだった。しかし、すぐまた三四郎さんはニヤリと笑った。
「どうだ?似てるだろ?」
完璧な影武者だと思った。これならバレない。
「でも、どうして……、麦茶のことを?」
両親とのやり取りをなぜ知っているのか気になった。三四郎さんは僕の背中に手を当て、何かを剥がした。
「コレだよ。」
手に持っていたのは、人の形をした切り絵の紙きれだった。
僕は庭の隅に隠しておいた荷物を回収し、矢野君と一緒に夜道を歩いた。矢野君の手には提灯が握られていた。
「懐中電灯じゃないんだね。」
「ん?ああ、コレか。万が一消えても術の力で明かりが作れるから、こっちの方が良いんだよな。」
「へぇ……。」
(もしかして矢野君も化け術が使えるのか?)
三四郎さんの衝撃を食らった後では、どんなファンタジーなことが起きても何も不思議に思えなくなっていた。
提灯の明かりで歩く夜道。これから夏祭りにでも行くみたいだな、と思った。
「ただいまー。」
矢野君が玄関の扉を開ける。
「「「おかえりー」」」
奥の方から何人かの重なった声が聴こえてきた。たぶんさっきお昼ご飯を頂いた和室の方だ。障子は開けられていて、中の光が廊下の方に差していた。
「…お邪魔します。」
僕は矢野君の後に続いて家の中に上がらせてもらった。
「ようこそ、お越しくださいました。」
「???」
和室から、突然スーツ姿の紳士が現れた。
(矢野君のお父さん……?)
「お部屋はお二階にございます。どうぞこちらへ。」
手を広げ、階段の方へ誘導する吉成さん。
(これは、ホテルマン……?)
「あら、いらっしゃい、永二君」
開いた障子のところから、ゆみさんが顔を出した。
「お邪魔します。今日はお世話になります。」
僕は深々とお辞儀をした。
「ゆっくりしていってね。夕飯はもう食べたの?」
「はい。家で済ましてきました。」
「そうなの。お風呂湧いてるから、もしよければいつでもどうぞ。」
「ありがとうございます。」
「では、こちらへどうぞ。」
吉成さんが案内をしてくれるらしい。いつの間にか僕のカバンを持ってくれていた。
「うちの親父こういうの好きなんだよ。まあ、少し付き合ってやってくれ。」
息子の方はやや呆れ気味だった。
和室の方を通って歩き出そうとしたとき、こちらに顔だけ出して話しかけてきていたゆみさんの全体の姿が目に入った。着物を着ていた。
(今日って何かお祝い事でもあったの?)
そう思いながら階段を上がろうとしたとき、後ろから小さな声がした。
「建物が和風なんだし、ここは旅館にするべきでしょ。なんでホテルマンなのよ……。」
………似たもの夫婦だな、と思った。
「では、ごゆっくりどうぞ。」
「オレの部屋なんだけど」
吉成さんが深々とお辞儀した後、ゆっくりと扉を閉めた。最後までホテルマンになりきってた。矢野君は扉の前でため息をついた。そして先に部屋に入れてもらっていた僕の方を振り返る。
「急で悪かったな。」
「何が?」
「いやホラ、ばあちゃん家行くの明日になったからさ。」
「別にいいよ。むしろありがとう。家を離れられて気が楽だよ。」
「そうか。なら良かった。」
矢野君は学習机のイスに座る。僕は床の上であぐらをかいた。
「今日はもう遅いし、風呂入って来いよ。多分明日早くに出発するだろうから、早めに寝ないとな」
「良いの?家の人たちは?」
「もう全員入ったと思うぞ。俺は永二の後でいいよ。ちょっとやることがある。」
「そう。ありがとう……ございます。」
人にお礼を言うときは、たとえ親しい人や身内であったとしても敬語を使えと小さいころから言いつけられていたので、つい丁寧になってしまった。
「ごゆっくりどうぞ……」
「………」
ホテルマンごっこ。さっきまでツッコみ役に回っていたのに。あの父親にしてこの息子……!それにしても……。
「意外だね。早く寝ようとか言ってくれるの。夜中まで遊ぼうとか誘われると思ってたのに。」
「だろ?意外だろ?オレさあ……。睡眠削ると頭鈍くなるからさぁ。体も重くなるし。夜はたっぷり寝たい派なんだよねぇ。」
遠い目をしてしみじみ言う。
「……なんかゴメンね。」
「なんのなんの。」
階段を降りて一階へ行くと、廊下に再びホテルマン(吉成さん)が現れ、風呂の場所を案内してくれた。その後ろ、和室の方から仲居さん?の格好をしたゆみさんがじーっとこちらを見ていた。
(いつまでやってんだろう。この人たち……。)
風呂はよくある普通のユニットバスだった。汚れてるところが全く見当たらず、うちの風呂よりはるかにピカピカだった。
(羨ましいな。普段からキレイに使ってるんだろうな。……それとも、これもホテルマンごっこに合わせて、気合入れて掃除したとか?いや、余計なことを考えるのはやめておこう。)
お風呂に入るのは僕の後は矢野君一人だけのようだったので、あまり時間を気にせずのんびり湯に浸からせてもらった。
コンコン。
「はいよー。」
矢野君の部屋まで戻ってきて扉を開けると、何やら机の上で書き物をしていた。
「お風呂ありがとうございました。」
「どういたしまして。」
矢野君は机に向かったまま応える。机を覗いてみると、なにやら円形の複雑な模様が紙に描かれていた。
(ナニコレ?魔法陣?)
「何描いてるの?」
「ん?コレ?お前を変身させるための準備だよ。」
「……僕に何する気?」
「そんな具合悪そうな顔するなよ。大丈夫だって。ただの化術だ。三四郎さんがやってたやつと同じだよ。」
「それをヒトに?三四郎さんって狸なんでしょ?ヒトが真似して、ちゃんと元に戻れるの?」
「んー、どうだろうな。」
「えっ」
矢野君はちょっと目をそらしてとぼけた。
「戻れる戻れる!大丈夫だ。そんな顔すんなよ。オレを信じてくれよ。つーかそもそもお前が頼んできたことだろ?」
「……狸みたいに化けたいとか、一度も言った覚えがないんだけど。」
「なにー?!『誰にも見つかりたくない』とか言ったのはどこのどいつだー?!」
矢野君は両手の拳を上に突き上げて、怒っているフリをした。その仕草を見て、なぜだろう、すごくホッとした。
「せっかく永二のためを思ってここまで描き上げたのに……。くそう!こうなったら意地でも仕掛けてやる!」
「いいよ。大丈夫だよ。遠慮なく仕掛けてよ。確かに『見つかりたくない』って僕言ったよ。」
矢野君は僕の言葉がきっかけで、僕を何かに変身させようとしていたらしい。それなら、ちゃんと試してみようと思った。
「……本当にいいのか?」
今度はどこか悲しそうな表情を演じている。ちょっと吹き出しそうになった。
「いいよ。それより仕掛けるって、その紙どう使うの?」
「コレはな、布団の下に敷くんだ。そして一晩寝るとゆっくり術がかかる。一瞬で化けられるやり方もあるにはあるんだけど、この紙使った方が化けたときの姿が崩れにくくなるんだ。勝手に元に戻るようなことも無い。その代わり元の姿に戻ろうとしたらまた一晩かかるんだけどな。」
「ふーん。」
「ふーんて、お前……。」
「ちょっとピンとこなくて。」
「やってみればわかるさ。こっちへカモン」
矢野君は術の紙を片手に部屋を出て、すぐ隣の和室の障子を開けた。僕も後ろからついていった。矢野君が天井からつり下がったひもを引くと、明かりがついた。畳敷きの部屋の真ん中に、一人分の布団が敷いてあった。
「ここが今日のお前の部屋な。父さんは俺の部屋使わせるつもりだったみたいだけど。んしょっと」
矢野君は布団を一旦すべてめくり、現れた畳の上に術の紙を置くと布団を元に戻した。
「これでOK。この布団で寝れば明日の朝には別人になれるぞ。」
「別人って、誰になるの?」
「そりゃあ………、明日になってからのお楽しみだよ。」
そういいながら、矢野君はスイーっと目を横に逸らした。
「……何か企んでる?」
「さぁて今日の残業も終わったし、風呂入って寝るかぁ。」
「残業て……。」
「あ、そうだ。学校で話したデカい掛け軸、あれな。」
矢野君が奥の壁の方を指さした。確かに、僕の背丈以上はある立派な掛け軸が飾られていた。墨で何か字が書かれているようだけど、太い線がうねうねしてるだけに見えて、なんて書いてあるのか読めなかった。おそらく漢字が並んでいるのだろうということだけは分かった。
「うん、デカいね。」
「デカいだろ!?」
とても自信満々にどや顔してきた矢野君。でも、君が書いたわけじゃないだろう。
「まあ、それだけなんだけどな。んじゃおやすみ~。明日は早いぞ。出発8時な。」
「あ、ありがとう。おやすみ。」
「良い夢見ろよ!」
ピシャン。
障子が閉まる。改めて部屋の中を見渡すと、僕が持ち込んだ荷物はすでにこの部屋に運ばれていた。床の間に飾られた掛け軸と花の前に、無造作に置かれたドラムバッグ。
(せっかくホテルマンさんが案内してくれたのにな。)
用意された布団の上に胡坐をかいて座る。なんとなく、部屋の畳を数えてみた。部屋の隅にあるテレビと布団の下にあるやつを足すと、大体8枚くらいだった。以前こんな風に隠されたブロックの数を数える脳トレパズルで遊んだことを思い出した。
車屋さんで家の車を点検してもらっている間、待合室のテーブルの上に貼ってあったパズルで遊んだことがあった。自力で数えてるときに問題の下の方に小さく逆さに書いてある答えがチラッと見えてしまって、ついセルフネタバレしたものだった。
この部屋にはパズルの問題の紙とかトランプとか、それを一緒に遊ぶような相手もいなかったけど、どこかワクワクする感じがした。学校の宿泊実習くらいでしか、泊りの旅行に行くことがなかったからかもしれない。
この部屋に居るのは、自分一人だけだった。矢野家の人々はもう寝る準備をしているはずの時間だった。もちろん、僕の父と母、姉は、僕がこの時ここに居たことを知らない。この空間には、絶対に誰も入ってくることはない。そう思うと、急に脱力感がやってきた。今までずっと、人の気配に身構えて、張り詰めていたことに気が付いた。
(誰も入ってこないって、こんなに楽なのか。)
布団の上でそのまま横になった。障子越しに、外の暗がりが見える。自由と開放感、これが家出なのか、と思った。……いや、矢野君の家に泊めてもらっているのだから、ただの外泊だ。だけど、この時はもうほとんど家出をしたような気分になっていた。今思えばとても呑気だ。
少し眠くなってきた。このまま寝てしまいそうだった。でも、布団の上では冷えてしまう。僕は天井のヒモを引っ張って明かりを落とし、かけ布団の中に入った。
出来るだけオリジナルな物作りをしたいと思うけど、知れば知るほど、自分で生み出すものが既出のものとどこか似たり寄ったりであることを思い知る。もう、被りとかあまり気にしないようにしてる。