〈6〉やのくん家
時代劇に出てきそうな、白い壁が長く続く建物の前に着いた。真ん中あたりに門がある。扉みたいなものは特に見当たらず、トンネルみたいになっていた。
(これって何て言うんだっけ?確か……長屋門?)
「ここオレん家な。」
矢野君が中を指さして、門をくぐる。お父さんがこの町の話をするとき「あそこの長屋門の家を通り過ぎてから、次の角を……」みたいな言い方をよくしていた。
(アレって矢野君の家だったのか。)
僕は片手に残していた缶の甘酒を全て飲み干し、門をくぐった。
「ただいまー。」
「おかえり。ちょうどお昼出来たぞ。」
矢野君が玄関の扉を開けると、縮れたロン毛のおじいさんがめんつゆ片手に現れた。細身で灰色の浴衣を身にまとっていた。まるで山奥の旅館に住み着いてしまった人(?)のように見えた。
「……こ、こんにちは。」
矢野君の後ろから恐る恐るあいさつしてみた。
「アレ?拓馬の友達も来たの?どうも。こんにちは。君、お昼ご飯は食べたかい?」
「いえ、まだです。」
「そうか。なら、上がりなさい。皆と一緒に食べよう。」
「……だってさ。良かったな。まあ、一応母さんにも声かけとくけど。」
矢野君が僕の方を振り返る。おじいさんは障子を開けて部屋へと入っていった。昼食は矢野家でいただけることになった。おじいさんは、ゆっくり静かにしゃべる人だった。弱弱しい見た目なのに、何が起きても決して動じることがなさそうな、強者のオーラを感じた。
大きな長方形のテーブルを矢野家の人々5名と僕で囲む。一人ひとりの目の前には、氷のように透明な皿が置かれ、そうめんが盛られていた。矢野君のおじいさんとおばあさんは黙々とそうめんをすする一方、矢野君のお父さんはとても幸せそうな表情で一口ひと口をかみしめながら食べていた。大好物だったんだろうか。その横で矢野君のお母さんは自分の旦那さんの様子を少々呆れた目で見ていた。
僕も皆に交じってそうめんをすすった。矢野君も静かに食べていた。学校ではしきりに僕に話しかけてくるから、家の中でもさぞ賑やかなのだろうと勝手に想像していただけにちょっと意外だった。
「母さん、ちょっと麦茶取って」
矢野君がテーブルの上で手を伸ばした。
「はい」
矢野君のお母さんがポットを手渡した。矢野君がコップに麦茶を注ぐ。
「拓馬、俺にもくれ。」
「はいよ。」
矢野君のお父さんがポットを受け取る。
「ゆみさんも要る?」
「吉成さんの後でいいよ。」
矢野君のお父さん、吉成さんが麦茶をコップに注いだ。結局ポットはおじいさん、おばあさんにも渡されて、テーブルを一周した。今日は割と暑い日だったから、みんな喉が渇きやすかったのだろう。
それにしても、家族同士が名前で呼び合っている様子を見るのが、ちょっと新鮮だった。僕の家では両親とも自身のことを「父さん、母さん」と言っていた。家が違うと、こういうところが違っていたりするらしい。ちょっとした異文化との初めての出会いだった。ちなみに矢野家の人々の会話を聞いていて、おじいさんは定芳さん、おばあさんは英美里さんというらしいことが分かった。
「どう?永二君。そうめん美味しい?」
ゆみさんが尋ねてきた。
「はい。美味しいです。今日はありがとうございます。」
「いいの、いいの。そういえば、おうちの人には今日うちに遊びに来ること、言ってあるの?」
ドキッとした。親には何も知られないまま姿を消すつもりでいたのに………。
しかし、親切にもお昼ご飯を出してくれた人たちに、ウソをつく気にはなれなかった。
「……言ってません。(すみません。)」
思わず最後の(すみません。)が小声になってしまった。
「あら、そうだったの。じゃあうちの電話貸してあげるから、おうちの人に電話するといいわ。そこの棚の上にあるから。」
ゆみさんはそう言って和室の隅に置かれた固定電話の方を左手で指さした。詰んだ。家出は、今回はあきらめよう。僕は心を空っぽにして、家の固定電話に電話を掛けた。うちも割と古くから続く家らしく、固定電話がまだ置かれていた。
受話器をとり、ボタンを押す。機械的に。無心で。電話を済ましてしまった後の未来に自分が飛んだような妄想をしたり、ただ淡々と時間が過ぎていくことを願った。電話には母が出た。僕は事務的に用件を伝えた。友人宅で外食することを、母は許した。電話を切った。怒られるようなことはなかった。そのことに安堵した。
後ろを振り返ると、いつの間にかテーブルの上に小さな流しそうめんセットが設置されていた。流れるプールのような、楕円形の水流の上をそうめんがクルクル流れていた。
「……なにしてんすか?」
目の前の光景を見て、思わずツッコんでしまった。
「何って、見ての通り、流しそうめんだよ。」
吉成さんが応えてくれた。
「この人、こういうの好きなのよ。遊びには全力で取り組む人だから。」
ゆみさんが自分の皿からそうめんを取りながら言う。そうめんを流しているのは、吉成さんだけだった。他の皆さんは手元のお皿から普通に食べている。
「親父、次それ貸してくれよ。」
「おう、ちょっと待ってな。」
そう言いつつ、目の前の親子はほぼ同じ速さでそうめんを消費していく。このまま行ったら、マシンを借りたころには流す麵が無くなってないか……?
「ところでさ、今度もタキばあちゃんの家行くじゃん?今度永二も連れてって良い?」
矢野君が家族の皆さんに提案をした。
「いいけど、突然どうしたの?」
ゆみさんが返す。
「智沙姉さんのやってる『憩いの家』ってあっただろ?そこに永二を紹介してやりたくて」
「ああ、なるほどね。いいわよ。永二君は、どうなの?」
「ぜひ行きたいです。お願いします。」
僕は箸をおいて頭を下げた。
「じゃあ、決まりね。そういえば実家に行く日程まだ決めてなかったわね。今年はいつにしようかしら。」
「ああ、その前に言っておかなきゃいけないんだけど、」
矢野君が慌てて話を遮った。
「永二はオレらと一緒に出掛けること、家族の人には内緒にしてほしいんだって。だからもし聞かれたら言わないでもらっていいかな?永二が留守にしてる間の影武者は三四郎さんに頼んでおいたからさ」
「お忍び旅行ってわけか。面白そうじゃないか!」
吉成さんが食い気味に興味を示した。
(お忍び旅行。言われてみれば、そうだよな。……ん?影武者?)
「ねえ矢野君、三四郎さんって、さっき会ったおじさんだよね?影武者って……小学生のフリするのは無理なんじゃないの?」
「それは……」
「三四郎さんに会ったのかい?」
「はい」
矢野君が何か言いかけたとき、吉成さんが横から尋ねてきた。
「あの人なら大丈夫だと思うよ。人じゃないから。」
「人じゃないって……。さっき矢野君も同じこと言ってましたけど、皆さん三四郎さんの扱いひどくないですか……?」
「だって三四郎さん、狸だもん。」
「………?」
矢野君に突然言われ、リアクションに困った。狸……?
「三四郎さんは、人間に化けられる狸なんだ。矢野家は昔から、狸の一族と仲がいいんだよ。」
吉成さんが言った。
「まあ、突然そんなこと言われても訳わかんないだろうね。三四郎さん普段はふつうのおっさんだもんね。でもあの人に頼んだのなら安心して。大丈夫。うまくやってくれるよ。」
「そうなんですか……。」
こう返すのが精いっぱいだった。三四郎さんは狸で、僕に化けて影武者をやってくれるという。僕をからかっているんじゃないかと思った。矢野君も吉成さんもよく冗談を言う人だけど、この時ばかりはさすがに無理があると思った。あくまで、この時は……。
「三四郎さんが影武者をやってくれるってことは、オレたちの方は永二君のSPというわけだな?フフフ……。今年は楽しくなりそうだ。」
「どうしてそうなるのよ……」
ゆみさんは自分の旦那さんをまたも呆れたように見ていた。
「そんな顔しておいて、母さんも実は『楽しそう』とか思ってんじゃないの?いつも父さんに巻き込まれたフリしてノリノリで遊んでるくせに」
「う、うるさいわね……。」
矢野君に指摘され、ゆみさんは恥ずかしそうに顔を赤らめた。なんだか、愉快な家族だ。他所の家族って、こんなに平和なものなのか。むしろこれが普通なのだろうか。
遠足や修学旅行の時はいつも午後の紅茶ストレートティーを持って行っていた。コンビニでたまに買って飲むと、あの頃を思い出す。バリエーションが増えた今、時代が進んでるなぁと思う。