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〈4〉取り立てる者、受け止める者

夏休みが近づいてきた。この頃になると、採点の終わったテスト用紙がまとめて返ってきたりする。学校から帰ってきて自室に戻りランドセルを下して早々に母に呼び出され、茶の間へ入った。「低い点のテストを隠す」とか「捨てる」といった高等な概念を持っていなかった僕は、それが当然の儀式とでもいうかのように、母にテスト用紙を見せた。一枚、また一枚と紙をめくるたび、表情が険しくなっていく。


「裏面に何も書いてないじゃない。」


「………。」


小学校のテスト用紙は、両面に問題が印刷されていた。表面までならどうにか解けたが、裏面に回るころには頭がボーっとしてしまい、紙と向き合ったまま固まってそのまま時間切れになってしまうことが度々あった。ただ、あのころはまだ、なんで「裏面が白紙になる」という現象が起きるのか、自分でもよくわかっていなかった。


「学校の勉強、難しい?」


「……。」


「黙ってないで何か言ってよ。言わないとお母さん分からないよ?」


「……(……何を言えばいいんだろう。)」


「表はちゃんと解けてるのに、なんで裏は真っ白なの?」


「……(なんで?)」


「ハァ……」


何も発言しない僕にしびれを切らしたのか、今度は父が言葉をかけてくる。


「授業中、教科書とノート出さなかったらしいな?」


「……(……。)」


父の問いは一応事実だったので、恐る恐るうなずいてみる。


「そうか。あの担任の先生、嫌いか?何か気に食わないのか?」


「……(?)」


嫌い?気に食わない?よくわからなかった。僕はただ、教師が授業を説明しているのに耳を傾けているうち、教科書を出し忘れただけだった。


「父さんも永二くらいの頃は担任が嫌いでな。図工の時同級生とわざと一緒に言うこと聞かないでいたらアイツ、なにしたと思う?廊下に4、5人集めて次々に顔面にニス塗やがったんだぞ?信じられないよな?同窓会で久々に会ったら皆で『何だ、まだ生きてやがんのか?』って言い放ってやったよ。他にもな……」


「…………」


僕のことをそっちのけで父は自分の話をし始めた。こうなると少なくとも30分はしゃべり続ける。話の内容はいつも同じ。それも普通では考えられないほど過酷で波乱万丈な話ばかりだった。父さんの前では、僕の人生なんか取るに足らない。


しばらくはどうにか父の話に耳を傾け頭に取り込もうとしていたが、父と母2人に問い詰められて緊張が高まっていた僕は、集中力を切らしかけていた。頭がだんだんボーっとしてくる中、父は何かを話し続けている。その隣で母は黙っている。



「……………のか?」


「……(……)」


「オイ、……永二は……のか?」


「……(!)」


しまった。聞き逃した。父は僕に何かを問うていた。しかし、何を聞かれたのかが分からなければ、返答のしようがない。………背に腹は代えられなかった。ここは、素直にそのまま言うしかない。僕は気力を振り絞った。


「…………今、何て言ったの?」


言い方を間違えていたかもしれない。もっと良い言い回しがあったはずだろう。でも、この時はこれが精いっぱいだった。両親の目が少し見開いた。もう一度さっきの問いを教えてくれることはなかった。その代わり、2人の口調が明らかに厳しいものになっていった。


父と母が交代で僕の学校での失態について問い詰めてきた。僕が聞き逃した問いもその中に含まれていたかもしれないけど、確かめることはできなかった。両側から次々に投げかけられる言葉にどうにか応えようと思考を巡らせたが、この場に適した言葉を見つけることはできなかった。いらだちを募らせた両親は、さらに言葉を投げてくる。すると僕は先ほどまでの思考を一旦すべて放棄して、またイチから思考を巡らせ始める。一体、何を言うべきなんだろう。何て答えればいいんだろう。しばらく同じ状況が続く中、()は涙を流し始めた。


(マズイ。ここで泣き始めたら、余計に怒らせてしまう……!)


だが、涙は止まってはくれなかった。そして案の定、両親は激怒した。母は僕の内心を憶測して、アフレコをし始めた。


「『あー、うるさいなぁ。長いなぁ。早く終わってくんないかなぁ。とりあえず泣いておけば許してもらえるかなぁ。終わるかなぁ。』」


とても恐ろしい勘違いだった。そして本人が1ミリも思っていない打算的な考えを僕の脳内に勝手に当てはめていることが、気持ち悪かった。しかし、()の方はというと、相変わらず発すべき言葉が見つからずにいた。父の語気がさらに強まっていく。


「永二はもしかして普通の子(・・・・)じゃないのか?なあ、母さんよ。こんなに話しかけてるのに一言もしゃべらないんだぞ。俺の知り合いに普通じゃない子(・・・・・・・)を預かって面倒見てくれる施設やってるやつがいるんだけど、一度連れて行ってみないか?何て言ったっけな。ああ、そうだ。『自立の学校』って所だ。少しは永二も変わるんじゃないか?」


「えーっと、それはさすがに、ちょっと。」


母はたじろいだ。()は本能で身の危険を感じていたのか、気が付くと泣きながら首を横に振っていた。


「ほら、永二も嫌がってるみたいだし……」


「なんだよ!こういう時ばっかり反応しやがって!言葉がわかってんなら会話しろよ!聞かれたことくらい答えろよ!話しかけても何もしゃべらねーんだもん。俺にはもうどうすればいいか分かんねーよ。やっぱりあの施設にぶち込むしかねぇよ!」


「ちょ、ちょっと待ってよ!」


両親がモメだした。結局は母が父をなだめたことで「自立の学校」送りになることは避けられた。ただ、僕はもうほとんど捨てられたも同然の気分だった。居心地の悪い場所に頼って暮らすくらいなら捨てられた方がマシだろうに、僕は「捨てられること」を「嫌」だと思ってしまったのだった。何故だろう。




その日の夕飯時、僕は久しぶりに発言した。


「ちょっと醤油取ってもらっていい?」


「今何て言ったの?」


「今何て言ったの?」


「今何て言ったの?」



父、母、姉が立て続けに同じセリフを僕に浴びせてきた。もうここには僕の味方はいないな、と思った。目の前にそろうのは、敵だけだ。僕を責める者だけが集まり、取り囲まれている。あの時読んだマンガの、主人公の家出シーンが頭をよぎった。




(この家、出ようかな。)





―――――





今日は早めに教室に着いた。いつもより軽めのランドセルをロッカーに収めると、席に戻っていつものエッセイを机から取り出し、読み始めた。するといつものように、上から聞き慣れた声が降ってきた。


「おっす。おはようさん。」


「ん。おはよう。」


僕は本から目を離さないまま返事をした。


「………」


「………」


「……(?)」


何?この間。


「お前今日暗いな。」


「そう?」


今日()、じゃないの?僕はいつでも暗い人間じゃないのか?矢野君は僕を明るい人だと思ってくれていたのだろうか。


「明日から夏休みだってのに。あ、もしかして学校来れなくなるの寂しいのか?」


「何言ってんだ。やめてくれ。今すぐ帰りたいくらいだよ。」


「冗談だよ~。そんなに怒んなよ~。」


矢野君はいつも以上にひょうきんにおどけていた。


「怒ってない。」


少し荒っぽい言い方をしてしまったかな。けど矢野君ニヤけてるし、多分面白がっているだけだ。


「そういやこの間ののこべん(・・・・)、どれくらい時間かかったんだ?帰ったの俺らの後だっただろ?」


「6時」


「……ん?」


「夕方6時に終わった。」


「………マジ?」


「うん。」


「……」


「……」


会話が止まった。僕は長話があまり得意じゃなかった。会話中にどこまで読んでいたのか見失ってしまったので、もう一度今開いているページの初めに戻って読み始める。1、2文読み進みそうなタイミングで、会話は再開した。


「お前あのドリル全部やったの?」


「宿題に出されてた所までは」


「スゲェな。オレ答え見て写しちゃったよ。ムラシマが一回教室出て行っただろ?」


先生のことを堂々と呼び捨てている様子を見て、思わず周囲をチラ見した。先生はまだ来ていなかった。


「うん」


「その間に仕留めてやったぜ。」


「後でバレない?」


「大丈夫、大丈夫。たまに間違った答えわざと書いてリアル感だしといたから。つーかあんなのマトモにやってたら終わんねーよ。お前って真面目だな。オレには無理だよ。」


僕は本に視線を向けてはいたが、読む目は止まっていた。


「その手があったか……。失敗したな。」


さっきまで立って話していた矢野君はしゃがんで机に腕を乗せ、目線の高さを僕に合わせた。


「ドンマイドンマイ。そんな日もあるさ。」


軽いノリで言っている様子だったが、この時の僕には十分暖かかった。


ふいに、あの日の出来事を矢野君に話してみたくなった。本を両手に開いて読むふりをしながら、僕は矢野君に語り始めた。


「帰るの遅くなりすぎてさ。結局シマセンに車で届けられたよ。」


「マジか。」


「うん。」


会話が止ま……らない。


「それで家帰ってから『宿題終わらせろ』ってお母さんに言われてさ。お腹空きまくってたけどなんとか漢字ドリル終わらせた。」


「空きまくってたって、そんなの飯食った後にやればいいじゃん。」


「食うなって言われた。」


「…は?」


矢野君が真顔になった。僕は本を開いたまま話を続ける。


「人間ってお腹空くとああなるんだね。今まで『お腹空いた?』って聞かれてもあまりよく分からなかったけど、これで良く分かったよ」


「ああなるって……、どうなるんだ?」


「なんだろう、全身から力が抜けて、机から落ちそうになる。」


「……」


「……」


途切れながら読み進めていたページが、いつの間にか最後の文にたどり着いていた。僕はページをめくった。


「お前、こっそり部屋抜けてお菓子食ったりしないの?」


「……確かに。その手があったか。ああ、でも僕の部屋茶の間から丸見えだからすぐバレるな。」


「トイレに行くフリとかすればいいじゃん。そうすりゃそのまま冷蔵庫まで行けるだろ。」


「なるほど。頭いいな。」


「オイオイ……。ずいぶんのんきだな。」


今日はいつもより長く話してる気がする。いつの間にか何人かのクラスメイトが登校しており、教室の密度が上がり始めていた。


「お前、親に逆らったりしねーの?宿題ため込んだくらいで飯抜きとか、いくら何でもやりすぎだろ」


「そうかな?飯抜きになるくらいのことを僕がやってしまっただけだと思うけど。自業自得(・・・・)でしょ?悪いのは僕だ。」


そうだ。自業自得(・・・・)なんだ。宿題をため込むなんてことしなければ、こんなことにはならなかった。自分が悪いのだ(・・・・・・・)。そうやって自分自身に向けて言葉を突き刺すたび、心臓が波打つような感じがした。痛いような、心地いいような、息苦しいような……。


「……お前って純粋だな。」


矢野君は呆れるように言った。


「純粋……?って、何?」


ボケたりごまかしたりしたわけじゃない。本当にこの時はまだ「純粋」という単語を知らなかった。


「純粋っていうのは、ホラ、あれだよ、純粋(・・)純粋(・・)だよ。」


「なるほど?」


矢野君もあまりよく分かっていなかったらしい。

でもなんとなく、人間扱いされている心地がした。

いつか瀬戸大橋の上を自転車で渡ってみたいなと思って「瀬戸大橋 サイクリング」で検索したら、全長12kmと出てきてプランを考え直してる。

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