〈13〉刺激と温かさ
「これって、どういう状況なの?」
しばらくお手洗いに行っていた豊さんが、ボクたちが遊んでいた芝生の広場に合流した。バドミントンの試合はとうに終了していて、目の前の光景を理解できずにいた。
「じゃりじゃりする……。」
ボクは砂を固めたような舗装の上に立っていた。表面が少し削れていて、足の裏に沢山の砂が付く感覚があった。矢野姉弟の2人にバドミントンで負けて、ボクは足ツボロードを体験する羽目になった。今いるのはスタート地点だ。芝生の広場の片隅にそのコースはあり、バドミントンの試合中ずっと視界の隅に入っていてずっと気になっていた。
「コレやった後ってお腹すくのよね~。」
後ろに真桜さんが続く。矢野くんとの試合ではあと一歩で勝てるという所まで戦っていたのだが、気合を入れすぎた真桜さんがシャトルを建物の屋根にホームランしてしまい、試合中止となってしまった。真桜さんは失格、ということで、同じく足ツボロード送りとなった。
ボクの目の前には道が延びていた。丸くとがった白い石が規則正しく並んでいた。途中で「一」の字の形に並んで連続している所や、プラスチック製の作り物の丸太が半分地面にめり込んでいる所、土踏まずにちょうど収まるくらいのやや大きめの石が並んでいる所など、バリエーション豊かな凸凹が続いていた。
テレビとかで足つぼマッサージをとても痛がって暴れまわる人を見たことがあったけど、あんまり信じられなかった。全然痛くないなんてことはないだろうけど、あの暴れっぷりはさすがにわざとなんじゃないかと思えてくる。でも小さいころ床に落ちたレゴブロックを踏んだ時は確かに痛かったし、ここは慎重に進むに越したことはない。ボクはゆっくり一歩を踏み出した。コンクリートに固められた白い小石の大群が、足の裏に一斉に刺さった。
「あれ?思ったほど痛くないな。」
もう片方の足も小石の上に乗せた。すべての体重が足の裏にかかった。丸くて広い痛みが足に刺さる。
「……コレ、ちょっと気持ちいいかも。」
ボクは足ツボロードをゆっくり歩きだした。すると地に着いた片足に全体重が掛かった。さすがに刺激が強かったので、すぐ横の手すりに掴まりながら進んでいった。
「ほっ、よっ、」
ボクの後ろに続いて真桜さんも小石の上に乗った。手すりには触らず、平均台の上を歩くように両手を広げてバランスを取っていた。
L字の曲がり道に差し掛かる。地面が小石から丸太に変わり、足の裏の刺激がやわらいだ。真桜さんはまだ小石のゾーンを歩いていた。
「ん?」
そのゆっくり歩く姿のナナメ後ろに、怪しく近づく影があった。
「ずどん」
「わあ!ちょっと、やめてよ!」
矢野くんが真桜さんの両肩に手を置き、重さを掛けていた。そして手を離すと、こちらに視線が向いた。目が合う。
(あっ)
矢野くんがすたすたとこちらに向かって歩き出した。
「lock-on 〜 ♪ lock-on 〜 ♪」
「つばきちゃん逃げて!」
真桜さんの言葉に反射的に危機感を覚えたボクは、とっさに足ツボロードを駆け抜けようとした。これから何をされようとしているのかは容易に想像がついた。大したことじゃないのに、怖かった。追われるのって、怖い。
(やめろ…、ヤメろ!……あれ?前にもどこかで同じこと思った気がする。何だっけ?)
幸いにも後半は刺激少なめの丸石ゾーンだったため、何とか早歩きで進むことができた。しかし、足ツボロードの外側を歩く矢野くんのスピードにはかなうはずもなく、結局「ずどん」されてしまった。
「ふむぅ」
変な声が出た。はずかしい。ただ、いざ「ずどん」されてみると、さっきまでの怖さはウソのように消えていた。
「???」
ふと真桜さんの方に視線を向けると、その場にしゃがみこんで震えていた。足の裏に限界が来てしまったのか。いくら罰ゲームでも、矢野くんはちょっとやりすぎたんじゃないだろうか。そんなことを考えていると、真桜さんが何か絞り出すように声を発した。
「……ぁィィ」
「えっ」
「つばきちゃん……カワイイ…」
―――――
ボクと真桜さんが足ツボロードを一周し終えると、館内に再び戻りカーペット敷きの廊下を歩いた。心なしか足が軽くなっているような気がした。矢野家の人々が待つ個室まで戻ると、ゆみさん、吉成さんとタキさんが「おかえり」と言って迎えてくれた。
「そろそろご飯食べよ?」
ゆみさんがテーブルの上のメニュー表を取って言った。
「それともお風呂にする~?」
真桜さんがボクの目の前で振り返り、人差し指で口元を指す仕草をした。
「それともカラオケする~?」
吉成さんがテーブルの前に座ったままマイクを持つジェスチャーをした。タキさんはただ静かに微笑んでいた。
「この人たちは、ホントにもう……。」
「?」
豊さんが何か行き場のない強い感情を抑えているような、何とも言えない表情をしていた。ゆみさんは下を向いていた。一体どうしたんだろう。
「その三択なら、風呂にするかな。歌う気分じゃないし。」
ゆみさんを巻き込んだ2人の寸劇に、矢野くんが応えた。
「え~、もう足ツボのせいでお腹空いたんだけど。ボケに乗っかんないでよ~。」
「面倒臭ぇな。」
結局先に夕飯を済ませ、ちょっとのんびりとした時間を過ごした後、皆大浴場の方へ向かった。さすがにボクはついていくわけにはいかないので、個室に付属していた貸切風呂を使わせてもらうことになった。
頭の上にタオルを乗せて、露天風呂に一人で肩まで浸った。夕方の外の空気がむわっとしていて気付かなかったけど、さっき体を動かしたときに汗で冷えてしまっていたらしい。お湯の温かさが身体の芯に向けてじんわりとしみ込んでくる感覚があった。
遠くの方に小さく海が見える。海の向こうに、夕日がゆっくり沈んでいた。頭の中が空っぽになって、いま自分が夢の中にいるのか現実を見ているのか、分からなくなりそうだった。
更衣室にもどると、ボクは扇風機のスイッチを入れた。まだ汗が引かない体にバスタオルを巻き付け、機械の風を浴びた。
「あ゛あ゛あ゛あ゛ワレワレハウチュウジンダ」
声が風にぶつかってブレた。汗が引くまでしばらく扇風機の前に座り、声を震わせて遊んだ。そういえばこれ、元ネタはなんだったんだろう。
―――――
今日も寝坊した。好きなだけ寝れるのって、なんて自由なんだろう。毎日自分のタイミングで起きられたらいいのに。ただ、今日はさすがに起きるのが遅すぎたようだった。
矢野家の人たちに朝のあいさつをした時ボク以外は皆朝食を食べ終えていて、その団らんから向けられるたくさんの温かいまなざしが恥ずかしかった。次はもうちょっと早く起きよう、と思った。
遅めの朝食のあと、ボクは矢野くんに声を掛けられた。
「散歩行こうぜ~」
ボクは外に連れ出された。
木陰に覆われた庭を抜けて道路に出ると、熱い日差しが半そでの両腕に降り注いだ。
「うおっ、暑っ」
矢野くんが日差しに目を細めた。ボクは黙ったまま隣を歩いた。
(そりゃ夏だもの。暑いに決まってんじゃん。)
山に囲まれた一本道をゆっくり歩いた。2、3分くらい進んだところで、森の入り口みたいな一本の脇道に曲がった。
「はぁー。涼しいな。ココ」
(そりゃ日陰だもの。)
矢野くんのつぶやきに、またしてもボクは心の中で反応した。その時、ボクの目の前を手のひらが横切った。慌ててのけぞる。矢野くんがボクの顔の前で片手を上下にヒラヒラさせていた。
「お~い。起きてるかー。」
「う、うん。起きてるよ。何?」
「さっきから何もしゃべらねぇんだもん。心配すんだろ。」
「ごめん。大丈夫。ちょっとボーっとしてただけ。」
「そうかい。その辺の石ころにつまづいて転んだりすんなよ?」
「?、うん。」
森の中をまた歩き始めた。
(今なにかしゃべるようなこと、あったかな?)
どこか腑に落ちないモヤモヤを抱えたまま、矢野くんの後ろをついていった。やがて視界がひらけて、一面に雑草が広く生い茂る緑色の庭みたいな場所に出た。奥の方に小さな和風の一軒家が見えた。
「あ!」
矢野くんがその場に立ち止まった。
「しくったー。忘れ物した。悪いけどさ、先に行っててくんない?」
「え?どこに?」
「ホラ、あの家。あ、そうか。言い忘れてた。あれが前に行った憩いの家ってやつ。オレすぐ戻るから、先に中に入っててくれ。」
「え、えと」
「ピンポン押せば入れてもらえるから。じゃ」
矢野くんは元来た道を引き返して森の中に消えてしまった。広い緑色の中に一人取り残された。
「え?散歩は?前に行った……家?って何?」
ボクは混乱した。ついさっきまで導いてくれていた存在が突然いなくなり、自分が次に取るべき行動が何なのか分からなくなる、そんな感覚がした。しばらく呆然と立ち尽くしていると、素肌を焼く熱さに自分が今太陽の下にいることを思い出した。
日陰を求めて歩き出す。森の方へ一人で行くと迷ってしまいそうな予感がしたので、仕方なしに目の前に見える一軒家を目指すことにした。
―――――
玄関の前まで来るとやや長めの軒があり、太陽から逃れることができた。さて、ここまで来たからには中に入らねばならない。矢野くんの言葉を真っすぐ受け取りすぎていたボクは、まるで難しい命令を下された犬のように葛藤していた。
ここはきっと矢野くんが知っている人の家なのだろうけど、ボクには全く知らない家だった。そして中に今人がいるのか居ないのかさえ分からないという状況が、ボクを不安にさせた。呼び鈴を鳴らしても誰も出てこないかもしれないし、誰か出てくるかもしれない。もしかしたら外の方から誰かが帰ってきて、ここで鉢合わせするかもしれない。とにもかくにも、まずは中に入らなきゃならない。
おそるおそる呼び鈴に手を伸ばす。あと1センチで触れそう、というところで手を引っ込め、その場にしゃがみこんだ。
(怖い。)
ふと、玄関の横に一段低くなっているところを見つけた。雨戸が閉められていて、中からこちらは見えない。ボクはいそいそと立ち上がってサッシの前に移動し、またしゃがみこんだ。コンクリートの壁と草むらに囲まれて、体の力が抜けた。
(これからどうしよう。)
ボクはその場から動けなくなり、じっとしていることしかできなくなった。
あたり一面「ジー」というセミの声が鳴り響く。時々カエルや鳥の声も聴こえた。一体どれだけの時間うずくまっていただろう。何も考えずにただただ聴こえてくる音たちに耳を澄ませた。ふと、遠くの方からカサ、カサという音が聴こえた。だんだん音がこちらに近付いてきているような気がした。
(矢野くんかな。)
忘れ物を回収し終えて戻ってきたのかもしれない。先に家の中に入っておけ、という指示を実行できていないことに焦りを感じ始めた。見つかったら怒られるだろうか。
カサカサ……
(どうしよう。いそいで中に入るか?でも……)
そうこうしているうちに、草を踏みしめる足音が徐々にはっきり聴こえるようになっていく。
(まずい!見つかる!……ん?この感じ、どこかで…)
「あ!」
「んぴい」
変な声が出てしまった。おそるおそる顔を上げる。そこにいたのは、歳が1、2コ下くらいの知らない女の子だった。
「みーつけた!」
温泉宿に籠ってのんびり執筆とか憧れる。一度はやってみたい。