〈12〉背波ゆらゆら
4人でプールを漂流した。真桜さんが一人だけ浮き輪に乗って楽をしていた。川幅(?)はとても広いのに、ボクたち4人の周りには誰もいなかった。ガヤガヤとした声が遠くから聴こえる。声の方を見た。今はちょうど、波の出るプールの方に人が集まっているみたいだ。
(流れるプールだって楽しいのにな。でも空いてたのはラッキーだ。)
ボクは頭にのせていたゴーグルを目まで降ろし、水の中に潜った。身体をうねらせて前へ進んだ。水の中を歩いている豊さんが見えた。追い風のような水流に押され、ボクはスピードに乗る。豊さんとの距離が急に縮まりそうになった。ボクは慌てて左にそれた。目の前に誰もいなくなったところで、そろそろ空気が欲しくなった。ボクは浮上した。後ろを振り返ると、ちょうど浮き輪に乗った真桜さんが目の前に流れてきた。
「つばきちゃん人魚みたーい!」
真桜さんは浮き輪の上で拍手しながら笑ってた。
「えっ、えと……。」
ボクはリアクションに困った。
「おーい。つばき困ってんじゃーん。」
「ちょ、ちょっとやめてよ!」
矢野くんが真桜さんの乗っている浮き輪をクルクル回し始めた。
「コーヒーカップじゃないんだから……、あっ」
回転する浮き輪の上で、真桜さんがどこか上の方を指さした。
「アレそろそろ来るんじゃない?」
流れるプールの隣に、大きな柱が何本も立つプールがあった。真桜さんが反応した上の方を見ると、巨大な赤いバケツがちょっとずつ傾いていた。
「ちょっと行ってくる!」
真桜さんは回転する浮き輪を飛び降り、隣のプールへ向かった。
「あっ、オレも。ゆた兄コレよろしく。」
「はいよ。」
矢野くんは手で掴んでいた浮き輪を豊さんに預け、真桜さんの後に続いた。
「ん?つばきちゃんは行かないの?」
その場に立ち尽くすボクを見て、豊さんが尋ねてきた。
「あ……、えと……。」
どう答えればいいのかわからず、ボクは戸惑っていた。このあとあそこでなにが起こるのかは簡単に予想できる。飛び込む勇気は無かった。バケツの傾きは徐々に大きくなっていく。
「ホラッ、つばきちゃんも早く早く!」
真桜さんがしきりに手招きしていた。
(……行かなきゃダメなやつ?)
ボクは真桜さんの呼びかけを拒否できず、ユルユルと流れるプールから上がった。柱の周りには4~5人くらいの人だかりができていた。浅いプールの上をチャプチャプ歩いていく。その時だった。
ざっぱ~ん!!
「うあっ」
突然重い水の塊に頭をひっぱたかれた。その一瞬前、矢野くんが大きく手を広げて上を見上げていたような気がした。柱の周りの人々の盛り上がる歓声が響く。「激しい」やら「すげぇ」やら、きゃあきゃあと喜ぶ声がした。
「冷たーっ。ヤバー。」
真桜さんが髪をかき上げながら、満面の笑みで戻ってきた。
「つばきちゃんも、ちゃんと食らった?」
「はい…。ちょっと痛かったです。」
「だよねー!って、ブフォッ」
真桜さんが何かを見つけて吹き出した。そのまま口とお腹を手で押さえてふるふると震えていた。
「ちょ……、タク……、しおれてる……w」
ふと横を見ると、肩を落としてうなだれるように、猫背で一人たたずむ矢野くんの姿があった。濡れた前髪が目を覆い隠していた。水浴びを終えたほかのお客さんが散り散りになる中ひとりぽつんと立つその姿は、よりその景色の寂しさを強調していた。
「も、もうむり……。フフッw、ハハハハw」
真桜さんはツボに入ったらしく、笑いながらその場にしゃがみこんだ。矢野くんの口元がニヤリと動いた。そして髪をかき上げるように顔を拭った。
「ウケたようだな。やったぜ」
右手の親指を立てて、軽くドヤ顔をしていた。
ぐぅ~
「お腹鳴っちゃった!……ぷふっ……ハハハ!腹筋痛い……!」
「コイツ壊れたな」
真桜さんの腹筋の震えが落ち着くのをしばらく待っていると、流れるプールに少しずつ人が増えてきた。ボクたちは昼食をとるため、吉成さんとゆみさんの居るテラスの方へ向かった。
「あ、おかえり。」
テラスに着くと、ゆみさんが迎えてくれた。
その隣の白いプラスチックのイスの上では、吉成さんが整っていた。
「ただいま。おなか空いた~。」
真桜さんが丸いテーブル越しのイスに座った。皆でちょっとだけ休んでから、屋内のフードコートの食券販売機の所へ向かった。何を食べようか迷う人たちの先頭を切るように吉成さんが「ラーメン」と表示されたボタンを押し、後に続くように皆も同じボタンを押した。真桜さんだけは「メロンソーダ」のボタンを追加で押していた。
テラスのテーブルには6つのラーメンと1つのメロンソーダが並んだ。水中で遊んだ後の空腹感はいつもの日常よりもはっきりしていて、ラーメンのカロリーが体中に染み渡った。今になって思えば、この時は女の子に変身していたというのに、美容も何もあったもんじゃない。ただ、真桜さんですら気にしている様子がなかったし、みんな子供らしくこの時を過ごしていたのだろうと思う。一人でメロンソーダの上のバニラアイスをつつく真桜さんが羨ましく見えた。ボクも遠慮なんかせずに「メロンソーダ」のボタンを押しておけばよかった、と思った。
腹を満たしてしばらく食休みした後、ボクたちは波の止まった「波の出るプール」の所へ向かった。プールは奥の方の「波が始まる場所」に向かって深くなっていた。矢野くんと豊さんはどんどん先へ進み、一番奥の安全ロープにつかまっていた。2人とも肩まで水に浸かっていた。ボクと真桜さんには水が深すぎて、奥まで行ったら足が底に着かなくなってしまいそうだった。
(潜れば行けなくもないかな?)
ボクは潜水で奥のロープまで行こうと考えて、おでこのゴーグルを眼まで下げた。
「ねぇ、半分こしない?」
「え?」
真桜さんが抱えていた浮き輪の端をこちらへ向けた。ちょうどその時、プールの波が始まった。
ボクはとっさに浮き輪の片方に抱き着いた。波の力で浮き輪ごと持ち上げられ、両足が浮いた。
「うあっ」
「イェーイ!キタキター!」
波が通り過ぎて浮き輪ごと降下し、再び足を着いた。また次の波が来て、体が持ち上がる。と同時に、岸の方へ向けてちょっと押し出された。波の始まりが少し遠ざかった。何度か繰り返すうち、浅いところまで流されてしまった。真桜さんと2人で浮き輪を持ちながら、もう一度水の深いところまで歩いた。波に身を任せて岸まで運ばれてみたり、浮き輪の下で足をかいてその場に留まろうとしたりして遊んだ。
一度だけ全く足のつかないくらい深いところまで2人で進んでみたけど、だんだん怖くなって、浅い所へ戻った。他のプールに散り散りになっていたお客さんたちが続々と集まってきて、波の出るプールが賑やかになってきた。「波に運ばれる遊び」を他のお客さんを避けながらやるのが面倒臭くなってきて、ボクは浮き輪を降りた。真桜さんは引き続き浮き輪と共に波へ挑みに行った。
ボクは岸辺に体育座りをして待つことにした。しぶきを含んだ小さな波が背中に当たる。ふわっと背中を押して、ボクの両側を通り過ぎていく。一定のリズムで前後にゆらゆら揺すられるのがなんとなく気持ちよかった。
「ゴメン。もしかして飽きた?」
横から真桜さんが顔を覗いてきた。
「いえ、そんなことないです。」
ボクは慌てて首を横に振った。
「波でゆらゆらするのがなんか、楽しくて……」
「あ、そうなん?」
真桜さんはボクの左隣で体育座りをした。浮き輪は膝の前で掴んでいた。肩を越えるかどうかくらいの小さな波がやってきて、2人並んでゆらゆらした。真桜さんが前に掴んだ浮き輪が、通り過ぎる波に持ち上げられてパタパタ上下していた。
「たしかに、コレいいかも。」
結局波が収まって矢野くんと豊さんが戻ってくるまでのあいだ、ボクと真桜さんは海草のように岸辺でゆらゆらしていた。
―――――
真桜さんに連れられて、屋外の小さな丸いプールの所へやってきた。矢野くんと豊さんは流れるプールに入っていったので、2人に浮き輪を預けた。丸いプールの中心からはたくさんの泡がブクブク湧いていた。見知らぬ同い年くらいの男の子が一人だけ先に入っていた。ボクは右足をゆっくり入れた。
「温かい。」
「そう。温かいの。ここ。」
2人並んで肩まで浸かり、プールの壁にもたれかかって足をのばした。足の裏を無数の泡がかすめていく。
「ああ~。いい湯だわ。」
「プールですよね?」
「プールですけど?」
真桜さんは何か問題でも?と言いたげに首をかしげた。温かくもはっきり塩素臭のする水(お湯?)に入る感覚が、ちょっと新鮮だった。身体の芯まで温まってきた所で、ボクたちはプールから上がることにした。
テラス席に待機していたゆみさんと吉成さんの所へ行き一言伝えた後、更衣室で着替えてから中の売店を見て回った。10分くらい後になって、矢野くんと豊さんも着替えて出てきた。吉成さんとゆみさんも合流し、みんなでゆっくり売店を見て回った。
「何コレ?すっごい古そう……」
ふと、売店の隅にかなり年季が入っていそうなプリクラが置いてあるのが目に入った。本かテレビか何かで写真を見たことはあったけど、実物はこの時初めて見た。
「お、つばきちゃん写真撮るの?」
「いえ、大丈夫です。」
「大丈夫、なのね?!ヨシ!撮ろう撮ろう!」
「そ、そういう意味じゃなくて、ちょっと?!」
真桜さんに背中をグイグイ押され、マシンの中に押し込まれてしまった。さすが姉弟、揚げ足の取り方が同じだった。とても乗り気で誘ってはきたものの、真桜さんもこのマシンをあまり使い慣れていないみたいだった。
何枚か不意打ちみたいに撮られた写真は、お地蔵さんが並んでるみたいのとか、体育の授業でやってそうな背中合わせのストレッチの態勢みたいのとか(顔が映っていない)、ナゾのポーズばかりだった。数枚撮った写真の中からシンプルに2人でピースサインをしてるものを選ぶと、画面がお絵かきコーナーのようなものに切り替わった。
変に目玉を大きくしたり、やたら画面を真っ白くキラキラにするような機能は無く、シンプルなただのペイントソフトみたいな機能だけが並んでいた。真桜さんがヒモでむすばれたプラスチックの棒みたいなタッチペンを持って、画面に散りばめるように小さなハートマークを何個か書き込んだ。
「つばきちゃんも何か描いて。」
真桜さんにタッチペンを渡された。
「え、どうしよ」
ふいに画面の端にイラストがいくつか並んでいるのが見えた。ボクはクチバシがやたら太く描かれたマンガ調のカラスの絵に触れてみた。何も起こらない。
「?」
今度はテキトウに画面の真ん中あたりに触れてみた。触れた場所に、カラスが現れた。
「あ、コレ、スタンプだ」
今度は左上から右下に画面をなぞった。たくさんのカラスが連続して現れ、折り重なった一本の太い線になった。
(面白い。何コレ。)
画面上をかき回すように、夢中でタッチペンを動かした。次々に現れるカラスが2人の姿をどんどん覆い隠していった。
「ちょっと?つばきちゃん?」
「ハッ!」
真桜さんの声で我に返った。慌てて画面のどこかに消しゴムのマークが無いか探した。
『…3、2、1、』
「消しゴム……、あった!」
『終了~!』
「あっ」
印刷口の前で待っていると、昔のテレビの砂嵐みたいな模様が板チョコみたいに並んだだけのつるつるの紙が出てきた。目を凝らしてよく見てみると、無数の間抜けな顔をしたカラスの粒が画面中を埋め尽くしていた。真桜さんがボクの肩にポンと手を置いた。
「撮り直そ。」
~~~~~
プールからの帰り道、信号が赤に変わる。みんなの頭を揺らさないように、そっとブレーキを踏む。遠足のバスの運転手をやっているみたいで、楽しい。車の動きが落ち着いたところで、左のカップホルダから緑茶の入ったペットボトルを手に取る。ふと、バックミラーに写った子供たちが視界に入る。遊び疲れたのか、全員寝落ちしていた。
「静かだな。」
助手席に座るゆみさんも寝ている。お茶を飲み終わったところで、信号が青に変わる。みんなを起さないように、そっとブレーキから足を離す。アクセルをじわっと踏んで、次の目的地へ。みんないい思い出、作れたかな。
~~~~~
陽が傾いてきた頃、ボクたちは日帰り温泉にやってきた。プールとこの温泉とのコンボが、矢野くん家の夏の定番らしい。ロビーにはタキさんも来ていた。受付を済ませた後、皆で畳敷きの個室に入った。部屋の隅にそれぞれ手に持っていた荷物を下ろした。
「さて、いつもの行くか!バドミントンやろうぜ!」
矢野くんが透明なビニールに包まれたラケットらしきものを手提げ袋から取り出した。
「つばきちゃんも行こ?」
「あ、はい。」
ボクが畳の床に腰を下ろそうとしたとき、真桜さんに左手を引かれた。これからどこに連れていかれるのかあまり良く分からないまま、とりあえずその場に立ち尽くした。
「親父も行こうぜ。」
「ごめん。今回パスするわ。ちと疲れちゃった。今日はまったりさせちくり。」
「おう、そっか。じゃあ3人で行ってくるわ。」
「いってら~。」
吉成さんは脱力したような表情でゆるりと手を振った。
個室を出た後、カーペットの敷かれた廊下をしばらく歩いた。廊下は途中からガラス張りになっていて、建物の外に芝生の広場が広がっているのが見えた。出入口のサッシ戸の前で3人とも靴下を脱ぎ、広場に出た。
「対戦の順番どうしようか?」
真桜さんが芝生の上をペンギンみたいにてくてく歩きながら言った。
「ん~、じゃんけんで勝った人が指名するとかでいいんじゃない?」
矢野くんの提案に乗って、3人でじゃんけんした。ボクと矢野君がグーを出したところで真桜さんがパーを出して勝った。
「じゃあ、最初はつばきちゃんで。」
矢野くんが手に持っていたラケットを、ボクと真桜さんに手渡した。
「とりあえず、先に10点取った人の勝ちね。シャトル貸して。」
「おう」
矢野くんは真桜さんにシャトルを渡した。
「じゃあ、いくよー」
「負けた人足ツボロードな」
「お゛っ」
矢野くんの一言に動揺した真桜さんが、ラケットを空振りした。シャトルが地面に落ちた。
「も、もう一回ね。」
トスッ
今度はちゃんとボクの所まで飛んできた。
人混みが苦手で、いつもお祭りの屋台とかは誰も並んでない所を選んで買い物することが多い。なのに、気付くと自分の後ろに人が大量に並んでたりする。人が増えてきたから逃げる。野生の辻サクラの爆誕。