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〈9〉仮の名は

1階の和室をのぞいてみると、誰もいなかった。隅の方に何個か大きめのカバンがまとめて置かれていた。


(ここに置いてもいいのかな?)


たぶん泊りの荷物を準備したやつだろうと思い、ボクもその端にドラムバッグを置いた。ふと、廊下の向こうの方で何か話声のような音が聴こえた。


(台所の方かな?)


向かってみると、定芳さんが皿洗いをしていた。


「おはようございます。」


「おはよう。よく眠れたかい?」


「はい。おかげさまで。」


「そうか。それは良かった。」


おじいさんはボクの姿を見ても、特に驚いたりしなかった。そのまま皿を洗い続けていた。


「はよー!ちゃんと術が効いたみたいだな!」


矢野君が台所の奥から卵と納豆を持って現れた。


「おはよう。まさか、こうなってるとは思わなかったよ。」


「んー、嫌だったか?」


「いや、そういうわけじゃないけど。ちょっとビックリはした。」


「そっか。でもその姿なら絶対バレないだろ?性別まで変えたんだから。」


「そりゃそうだろうけど……。」


「永二、TKG食うか?」


「え?」


(T)(K)(G)飯だよ。朝メシまだだろ?」


「う、うん」


矢野君は再び台所の奥へ行き、冷蔵庫を開けた。


「拓馬、ついでに板も取ってくれ。」


「はいよ。」


皿を洗い終えた定芳さんが、タオルで手を拭きながら矢野君に何かを頼んだ。


(板……?)


矢野君は卵と納豆と板チョコを持ってきた。


(「板」って、そういうことか。)


矢野君はご飯をてきぱきと茶碗に盛ってテーブルに並べてくれた。ボクと矢野君が並んで朝食をとっている間、定芳さんは向かいの席で板チョコをパリポリ食べていた。ふと、定芳さんと目が合う。


「姿を変えて出かけるといっていたね。」


「はい。」


「ならば、ハンドルネームを考えた方が良いかもね。」


縮れたロン毛のおじいさんが、じっとボクを見つめて言う。すごく冷静な雰囲気の人だな、と思った。


「確かにそうだな。コレで“永二”じゃおかしいもんな。」


矢野君が横で言う。


「そう……だね、うん。」


言われてみれば、そうだった。「バレたくない」という思いで頭がいっぱいだったけど、名前を変えることに関しては全く考えていなかった。


(めんどくさいなぁ。)


「うーん。永子(えいこ)でいいか?」


「嫌だよ。そのままじゃないか。」


さすがに単純すぎる。もう少し本名から遠い名前が欲しかった。


「そう言われてもなー。」


矢野君はそう言いながら卵かけご飯の上に納豆をのせる。二人並んで黙々とTKGを食した。矢野くんちの卵、うまい。


やかんの笛の音が鳴り響いた。


「よいしょ。」


定芳さんが机から立ち上がり、やかんの火を止めた。食器棚から湯飲みを取り出しながら、ボクたちに一つの提案をしてくれた。


「目の前の物の名前からアイデアを得るのはどうかな?例えばこの湯飲みとか急須とかね。人の名前とは全く関係ないけれど、アイデアって無関係なもの同士をぶつけると案外簡単に出てきたりするものだよ。」


矢野君が再び頭をひねり始めた。


「湯飲み…急須…湯の子?」


「もっと他にないの……?」


矢野君はやたら「子」をつけたがった。「子」がつくこと自体は別に良かったけど、なんだか適当につけられてるような気がした。もう少しよく考えてほしかった。二人で頭をひねっていると、定芳さんがお茶を淹れてくれた。


「どうぞ。」


「サンキュ。」


「あ、ありがとうございます。」


定芳さんが自分の湯飲みに急須でお茶を注いでいた。ボクも名前を自力で考えてみることにした。なにせ、自分で名乗るのだ。


「お茶…急須…茶色…色…緑色………みどり?」


連想ゲームを回してみたら、人の名前っぽい単語が出てきた。


「お、いいんじゃね?“みどり”」


矢野君が言った。


「“みどり”かぁ。でもどこかで聞いたことあるな。誰だっけ。どっかにいたんだよなぁ。“みどり”さん.........あ」


思い出した。


「うちの学校に“みどり先生”っていなかったっけ?」


「あー……。いたわ。『徳永みどり先生』。たしか3年の担任だ。」


(あの先生、3年の担任だったのか。)


よく詳しく知っているな、と思った 


「他の名前にする」


身近に存在する人の名前と被るのは、避けたかった。矢野君が箸を休め、腕を組んだ。


「うーん。“みどり子”」


「やだ」


「むう」


そんなやり取りをしながら、ボクたちは朝食を食べ終えた。お茶を飲みながら、名前を考え続けた。


「お代わり要るかい?」


「はい、いただきます。」


「オレはもういいや。」


定芳さんが湯飲みにお茶を追加してくれた。


(急須……急…須、…す、…す?)


須藤(すどう)……?」


「「お?」」


矢野君とおじいさんが同時にこっちを見た。ちょっとたじろいだ。


「な、なんすか?」


「今の!も一回!」


矢野君のテンションが上がる。


「え……?須藤?ってコレ、名前というより苗字じゃない?」


「下の名前だけじゃなくて、苗字も要るだろ。よっしゃ、オレ今から永二のこと『須藤さん』て呼ぶわ。うちの学校でも他に聞いたことないし。な!須藤さん!」


「うん……まあ、いいか。じゃあ、苗字はそれで。」


とりあえず苗字が決定した。次こそは名前だ。「須藤 永子」とか「須藤 湯の子」は、さすがに勘弁してほしかった。


「ほかにヒントを探ってみようか。名前の種になりそうなものは、他に無いかい?」


定芳さんがヒントその2(?)を出してくれた。


(うーん。とりあえず急須とお茶から離れようか。)


台所の周りを見回してみた。やかん。ガス台。食器棚。冷蔵庫………冷子(レイコ)


(いかんいかん。矢野君に引っ張られてる!でも……かっこいいな。レイコ。)


しかし、ボクにはちょっと名乗れないかな、と思った。自分で名乗るにはカッコよすぎる。口に出すと矢野君に茶化されそうだったから、黙っておいた。一応候補の一つにはとって置くことにした。


矢野君もボクと同じくヒントを探しているのか、キョロキョロと周りを見渡していた。


「なあ、あの木って何て名前?」


矢野君はガラス戸の向こうに見える庭の木を指した。


「あの白い花のやつかい?」


定芳さんが応えた。


「確か『ナツツバキ』だったかな?」


「ナツツバキ……」


矢野君がハッとして、指をパチンと鳴らした。


「つばき!『須藤つばき』はどうだ?!」


「須藤つばき、か……。うん、いいかも。」


候補2。良い感じだ。


「何?名前つけてるの?」


真桜さんが台所にやってきた。


「今ちょうど良さそうな名前が出来上がったとこだ。な?」


「あ、うん。」(え?もしかして、これで決まり?)


矢野君はとても満足そうに笑っている。


(まあ、これ以上考えるのが面倒くさくなってきたし、これでいいか。身近に被る人いないし。)


「何て名前?」


真桜さんが矢野君に尋ねた。


「“須藤つばき”だ。………イマカラ オマエノ ナマエハ“つばき”ダ。」


矢野君はボクの目を見てしわがれた声を出した。もしかしてあの温泉屋さんのお婆ちゃんのつもりなのだろうか。


「いいんじゃない?可愛いよ。つばきちゃん。ちょうど最近のマンガにも出てくるし。」


真桜さんがパンを2枚トースターに置きながら言った。


(ん?今何て?)


「マンガの主人公、ですか。」


「そーそー。私も最近気になってるんだよねー。買おうかな?あれ。」


せっかくしっくりきそうだったのに、真桜さんの一言でまた気持ちが揺らぎ始めてしまった。いっそレイコで行こうか......。


「名前、考え直すわ。マンガの主人公にいたなんて……。」


「なんでだよ!いいじゃねぇか。須藤つばきで。というかオレたちごときが考える名前なんてとっくに誰かが名乗ってたっておかしくないだろ。それとも何か?“つばき子”にするか?」


「やめろ!」



真桜さんはトーストにみかんジャムを塗って食べていた。見てたらまたお腹が空きそうだった。





吉成さんが庭に車を出してくれていた。矢野君と真桜さん、ゆみさんがトランクスペースに荷物を載せていった。ボクのドラムバッグは誰かがいつの間にか運んでくれていたようだった。頭の中ではまだ名前大喜利が続いていた。


「よろしくお願いします。」


「どうぞ。」


運転席に座る吉成さんに声を掛け、車に乗り込む。


つばきちゃん(・・・・・・)は後ろね。」


「え?」


思わず動きが止まる。


「ホラホラつばきちゃん(・・・・・・)、乗った乗った!」


真桜さんに後ろから背中を押され、ボクは3列目のシートに座った。この時はもう否定できそうになかった。検討むなしく結局ボクは「須藤つばき」になった。矢野君と真桜さんは2列目のシートに座った。


矢野君が窓を開けた。


「んじゃ、じいちゃん、ばあちゃん、行ってくるわ。」


「「いってらっしゃい。」」


定芳さんと英美里さんが玄関の前に立って手を振ってくれていた。


車が動き出した。矢野家の人々に連れられて、ボクの秘密の夏休みが始まった。




ここで一旦ブレイクです。

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