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プロローグ

僕が今まで見てきたものは、僕を何色に染めただろう。

染まった後の僕の心は、いったい何に化けただろう。



人は何者に出会ったかによって、心の色や形が決まる。人に限らず、モノでも景色でも。誰に何と言われるかはわからないが、僕の出会いは割と恵まれている方だと今のところ思っている。ただ、それらの影の部分ばかりに目を向けてきたせいで、僕の心は少し(いびつ)になってしまった。そしてやるべきことをやらない自分の情けない生き方が、自らへの信用を奪い心をさらにゆがめてしまった。


「こんにちは。」


「いらっしゃい。」


喫茶店の懐かしい扉を開けると、これまた懐かしい珈琲の香り、そして長びく3月の肌寒さから僕を解き放ってくれる暖かさが、僕を包み込むように迎えてくれた。


「どうも、お久しぶりです。」


「ん、ああ、西山君か。お久しぶりです。いつものやつでいいかい。」


「はい。いつもので。あ、今日はSサイズでお願いします。」


「かしこまりました。」


店員の受け答えは淡々としていた。小田原さんとは高校時代にはよく会話をしていて、割と親しくしていたつもりだった。なのに、僕のことを思い出すのに一瞬間が開いたりちょっと対応がかしこまっていたりしたのが、なんだか寂しく思えた。そりゃあ一般客の一人に過ぎない人物が、たとえ常連だったとしても1年ぶりに突然現れたりしたら誰だってすぐには思い出せないだろう。まして僕はあまり人に好かれるような人間じゃないからなおさらだ。


頭ではわかっている。でも、人に慣れるという感覚を忘れてしまっていた僕にはどうしても堪えた。僕は店の本棚から一冊の自動車雑誌を手に取ると、窓際の席に座った。半年前に出された9月号でも、僕にとっては最新号だった。静かに雑誌を開いて眺めていると、小田原さんがSサイズのココアを持ってきてくれた。


「相変わらず車好きなんだね」


「え、あ、はい。」


会話がぎこちない。しばらく人と会って喋ることから離れていたせいだろうか。


「免許はもうとったの?」


「まだです。今年の夏に取りに行くつもりです。」


「そうかあ。楽しみだね。」


小田原さんは柔らかく微笑んだ。


「はい。」


今度は落ち着いて返事をすることができた。会話自体は短かったが、僕は大きな安心感を得ていた。この人に嫌われたわけじゃなかったんだ、と。この程度のことで内心一喜一憂してしまったことに、我ながらとても大げさだと思った。小田原さんはきっと誰にでも平等に振りまいている愛想を、僕にも同じく分けてくれただけだろうと思う。その程度のことに僕は自分の感情を大きく動かしてしまう。


「お、永二じゃん!久しぶり!」


ふいに高いところから声がした。上を見上げると、吹き抜けの2階から誰かが顔を引っ込める瞬間を目撃した。もう一人、懐かしい声がしたな。声の主は、階段を下りてきた。


「峰大受かったか?」


「受かったよ。おかげさまでね。」


小学生のとき同じクラスにいた矢野君だった。中学校では別のクラスにいて、高校は別々の所に行った。けど、時々この「喫茶池田」で偶然に遭遇していた。地元の高校生たちのたまり場みたいな場所だから、べつに偶然でもないか。


「やったじゃん。おめでとう。いよいよだね。」


「ありがと。というか、行く場所一緒じゃないか」


「ソウダッケ?」


「まさか、落ちたの?」


「落ちてねーよ!ちょっとボケただけだ!お前を祝ってちょっとボケた!」


「……どういうこと?」


矢野君は僕の向かいの席に座った。心底、というほどでもなさそうだけど、僕の合格の知らせが嬉しかったのか、隠しも誇張もしない自然な笑みを浮かべていた。この人はこんなにも濁りの無い表情ができるのか。自分には、いや、今の自分には到底マネできそうにない。


「早いなぁ。もう大学生か。疲れたろ、受験勉強。もうどっか遊びに行きたくてしょうがねえよ。永二は行きたいところとかない?」


「…特に浮かばないな。」


勉強に必死になりすぎて、遊び(・・)という概念すら忘れていた気がする。僕の受験生活は少し度が過ぎていたのかもしれない。……相変わらず生きるのが下手だな、と思う。


「えー、何か1つはあるだろ。現に今車の雑誌読んでるし」


「これは通学手段だ。」


「ああ、なるほどね。いいよな、車通学。雨風しのいで移動できるとかホント素晴らしいよ。便利さは自転車の比じゃねえ」


「自転車だってそれなりに便利だろう……」


「いける距離も違うじゃん。なー小田原さん、またどっかドライブ連れてってくださいよ。」


「いいね。港にでも行こうか。」


「海鮮尽くし!」


矢野君は相変わらず頭の回転が速い。次から次へと言葉の出てくる人だ。小田原さんも難なくそれについていく。矢野君は小田原さんと海鮮堪能ツアーの妄想で盛り上がり始めた。僕は二人の楽しげなやり取りを眺める。


この人たちは話をしているとき、いつも笑顔だ。こんなにも暖かくて明るい場所が、この世にはあるのか。そして僕の存在を受け入れてくれる人が、まだこの世にはいるようだ。ずっと冷たい環境に囲まれて生きてきたせいで、いや、僕自身が物事の冷たい一面にしか目を向けなくなってしまっていたせいで、こんな当たり前のことが幻と化していた。世界は立体的だ。影の裏側に回ってみれば、そこにはたいてい光がある。そんな誰にでもわかるようなこと、もっと早く気づいていたかった。


……もしかしたら、一度気付いていたかもしれない。しばらく忘れていただけで。子供の頃、こんな暖かさにちょっとだけ身を置いた記憶がある。どんなに冷たい場所にいても身を保つことができたのは、あの夏に作った秘密の思い出が、知らない間に僕を支えてくれていたからなのかもしれない。


夏休みに遊んだ思い出があまり無くて、いざ時間があったとしても何をしたらいいかよくわかりません。ただ、とりあえずハワイアンズには行ってみたい。

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