54.閑話 マリーの憂鬱
呪いの女神との対決から一週間が経過した。わずかに肌寒さを感じるエルドの部屋でマリーは目を覚ました。
体を起こすとなにも着ていない体が震える。隣で寝ているエルドの黒髪を撫でる。この髪色をうらやましいと思ったのは一度や二度ではない。魔力が低い両親から生まれ、隔世遺伝で高い魔力を持ったマリー。父親は特に気にしてはいなかったと思う。でも母親は自分の母親、マリーの祖母に劣等感を抱いていた。祖母は赤髪赤目だった。だから同じ赤髪赤目のマリーを憎んでいたところもあったと思う。それでも5歳までは一応育ててくれたから恩はあるとおもう。親に対してどう思っているのかマリーはわからなかった。
そっと自分の下腹部に触れる。魔力感知をするが自分の魔力しか感じない。もし妊娠していればこれでわかる。これまでも友人知人に確かめさせてもらったことだから知っている。もちろんこれは一般的な方法のためエルドだって知っている。でも彼はマリーに対してやったことは無い。遠慮しているのか、マリーが言うまで待っているつもりなのかはわからないが。
マリーはため息をつきベッドから降りる。ソファーにかけてある自分の服をとって着替えた。ファニアール領もだいぶ冷え込んできた。もうすぐ雪が降る季節になるだろう。ライナス領に戻ったら雪が降ってるかもしれないと思った。
エルドの部屋を出て食堂に向かう。どうしてもファニアール邸にいるとメイドだった時の癖で早く起きてしまう。もう一眠りしてもいいのだがエルドもここにいるときは早起きだ。先に起きていても問題ない。
食堂に来ると使用人があわただしく朝食の準備をしていた。まだ料理は運ばれてないがそう時間を置かずに運ばれてくるだろう。
マリーは定位置になった席に座る。周りで忙しそうにしている使用人はマリーも共に働いていた仲だ。少し居心地が悪い。
「おはようございます。マリー様。」
使用人の一人に声をかけられた。
「おはよう。エスメダ。私に対しては敬語なんか必要ないのに。」
「あら、エルド様の婚約者なんだから私たちにとっては雇い主も同じ。きちんと対応しないと。」
そう言いながらも崩した口調で話し始めるエスメダ。彼女はマリーと同い年だが10年近く働いているベテランだ。本当はマリーが辞めた時に結婚のために辞めていたが、人が補充できるまで半年契約で再度雇われた。
マリーも仕事は彼女から習った。同い年なのもあり先輩後輩というよりは同期のように軽く接してくれていた。
「もうすこしすれば朝食の準備も出来るから待っててね。明日中央都でパーティーだっけ?」
「そうそう。聖女様のお披露目パーティーだって。本当は襲名式も呼ばれてたんだけど今回の事件もあっていけなかったから、どうしても来いって呼ばれちゃった。」
ファニアール邸で働いている使用人には呪いの女神の一件は周知されている。もちろん事件の後にやとわれたエスメダも同様だ。だけど領民には伝えないように箝口令が敷かれている。そしてこれから雇われる使用人にも話さないようにとも。
「その後はどうするの?こっちに戻るの?」
「う~ん…ライナス領に家もあるし、一応ここは領主の持ち物になるからこの屋敷にいても居候になるからな~。エルドも帰る気みたいだし。」
「そう。せっかく再会できたのにもうお別れなのね。」
エスメダはさみしそうな表情になる。
「そんなこと言ってくれるなら一緒にライナス領に来る?向こうの家は狭いけどあなたとあなたの旦那を使用人として迎えるくらいは出来るわよ。」
マリーはいたずらに笑った。
「ふふふ。それもいいけど、ここで契約満期になったら私も妊活積極的に行おうと思っているから遠慮するわ。」
「あらあら。ごちそうさま。」
マリーは微笑む。
「マリー、あなたはどうするの?エルド様って結構子煩悩そうだし甘やかしそう。」
マリーは一瞬笑顔を崩した。しかしすぐに持ち直させエスメダに気付かせない。彼女は知らない。魔力の差がありすぎると子供ができにくいことを。
「そうかもね。ミレニアやジェイロットに対する接し方から甘やかしそう。…私はわからないな。ほら私、両親とうまく接せてなかったから…」
マリーは表情を暗くする。エスメダはそんなマリーの手を取った。
「大丈夫。エルド様がいるんだからマリーもちゃんと子供と接せるよ。自分がそうだったからって悲観的にならないで。」
マリーは普段自分の弱い部分を見せない。ただエスメダは時々見せるマリーのそんなところを優しく抱きしめるように声をかけてくれていた。
「そうね。エルドがいるから。…でもエルドって結構子供っぽいから子供が一気に増えるだけになりそう。」
マリーは笑顔を取り戻して言う。
「あらそうなの?しっかりしてるとは言い難いけど、やる時はやるって感じじゃない。」
「そうでもないわよ。わがままだし自分勝手だし無責任だし薄情だし。正直領主なんてよくやってたって思うわ。」
「あらあら。そんな人と婚約するなんて先が思いやられるわね。」
エスメダはくすくす笑いながら言う。
「おはよぅ…」
エルドが眠そうに眼をこすりながら食堂に入ってきた。
「おはようございます、エルド様。」
エスメダは瞬時に使用人の顔になりエルドに挨拶をする。マリーはそれを見て笑ってしまう。相変わらずこの切り替えの早さは驚嘆する。
「おはようエルド。ちゃんと顔洗ったの?」
「水が冷たくなってきたからね~。顔が凍りそうになる。」
相変わらず答えになってない答えを出すなとマリーは苦笑した。
「昼頃中央都に向かうけど大丈夫?何か急な予定とか。」
「大丈夫。もう一週間もしなくてもいいような仕事させられて疲れてきてたところだから早く中央都に行って羽を伸ばしたい。」
この一週間エルドと共に領主の代行とランドレット関連の処理に追われていた。
「はは。昼前にサンドレアが戻ってくるからそうしたら交代で僕たちが行けばいいね。サンドレアもかわいそうだ。五大家の老獪たちを相手にしないといけないんだから。」
「そんなに面倒な相手なの?話し合いの場へ同行はしたことあったけど、関係者しか部屋に入れないからって外で待ってばっかだからよく知らないけど。」
「そうだね。なぜかは知らないけどうちは憎まれてたから。特に何もしてないはずなんだけどね。」
「あなたなら相手を怒らせることがあっても先々代やその前の人はやらなそうね。」
「あはは。信用がないな~。」
エルドは困ったように笑う。
「あら、学院時代あなたのちょっとした言動のせいでアルを怒らせて大喧嘩したことがあったじゃない。あのせいで学院の建物が破壊されるかもしれなかったのに。」
「あ~、あったね~。なんて言ったんだっけ?」
「さぁ。そもそものきっかけはいつも通り私が他の男子生徒に絡まれていたからあなた達が助けてくれたんだけど、その時に何か言ってアルを怒らせたんじゃない。」
「やっばいな~。なんて言ったか覚えてないや。明日アルに会ったら聞いてみようかな。」
「そんなことしてまた怒らせて喧嘩になったら大変だからやめてよね。今の実力だと中央都を崩壊させかねないんだから。」
確かにとエルドは笑いながら言う。そうやって話しているとミレニアとジェイロットも食堂に入ってきた。それを見計らったかのように料理が運ばれてきた。
昼を回ったころにサンドレアとルーファスが中央都から帰ってきた。二人とも放心状態でまともに挨拶できずにいる。
「本当に大変だったのね。」
「そのようだね。これからいろいろ苦労するだろうけどまあしょうがないよね。」
エルドの笑顔がどこか晴れやかだ。
二人はそのまま中央都へ向かった。




