遭遇
「グギャ、グギャ」
「この声……緑鬼ですか?」
「ああ、恐らくそうだろう。他の魔物に比べて仲間とのコミュニケーションを取る魔物だが……にしてもなんだか慌てているようだな」
魔物の変死体を見てから僕たちはいつも以上に周囲を警戒していた。が、このゴブリンの声を聞くまであれから一匹も魔物と遭遇しなかった。
いくら何でもこんな山奥で一時間近く魔物に遭遇しないなんて滅多にないことだ。少しばかり不気味に思えていたが緑鬼の声を聞いて少しホッとしてしまった。
「おい。気を引き締めろよ。いくら緑鬼といえど奴らは狡猾だ。個々の能力は低いが侮っていると手痛いしっぺ返しを喰らうからな」
「はい。もちろんです」
「わかってるならいい。で、声のした方向は……」
師匠は緑鬼の声のした方向をじっと睨み付ける。
「どうしますか? だいぶん離れていると思うので無視してもいいと思いますが」
「いや俺達を見つけて仲間を呼びに行ったのかもしれない。念のため倒しておこう」
そう、緑鬼は集団で動くことが多く個々に役割を持たせることもある。斥候、弓兵、歩兵などに分かれ死んだふりや囮などを行うことがあるため初心者向けの魔物ながら致死率が最も高い魔物でもある。
だからこそ僕は師匠の言葉に頷き少し緩んだ心をまた引き締め直す。
生い茂っている草木をかき分けながら少し歩くと少し前にどこかへと駆けていく緑鬼の姿が見えた。
「少し下がって隠れろ。様子を見て奴らを狩るぞ」
「わかりました。ただ……あいつらどこかに逃げてませんか?」
「囮……って訳でもなさそうだし戦闘音もしない。だが意味もなく奴らが走ることはないしこの近くに奴らの巣があるようには思えないがどこに向かってるんだ?」
しばらくの間、僕たちは茂みに隠れながら逃げていった緑鬼と逃げてきた方向を見ていたが特に何かが近づいてきたり、また緑鬼が駆けてくることはなかった。
「……何だったんでしょうねあの緑鬼は」
「少しおびえてるように見えたから何かに追われていたのは間違いないと思うが……。冒険者であれ魔物であれ追ってくると思うんだがな」
師匠は首をひねって考え込んでしまった。
ランクの高い冒険者が大物を狩りに来ていて緑鬼なんかは相手にしなかったのだろうか? う~ん。それにしては静かすぎるし……
「考えてても仕方ねえ。緑鬼が逃げてきた方向に行くぞ。さっき見た変死体に今の緑鬼……何かの予兆かもしれないしこのまま放置は出来ん。一応調べておこう」
「龍でも来たんですかね」
「バカ言うな。そんなことあったら俺が気づいてないわけがない。いくら何でもあの存在感はロニーでも気づくはずだ」
「あはは。そりゃそうですよね」
「まあだが何があるかわからん。俺が逃げろと言ったらお前は逃げろよ」
「……はい。そうならないことを祈っておきます」
僕は渋々師匠の言葉に頷いた。これは鍛錬するときからの僕たちの約束だ。最初は師匠を見捨てろと言っているのかと僕は反対したがそれよりも街に知らせる方が重要だ、と師匠に言いくるめられてしまった。
この先冒険者として生きていくためにもそれは遵守しなければいけないらしい。もっとも、師匠が敵わない魔物なんてこの森の魔物がいくら弱いとはいえ、瞬きする間もなく倒す師匠からは想像が出来ないが。
「まあ今から行く街で俺らが確認しなかったが為に魔物に荒らされるのも癪だしな。少し到着は遅れるが見ておいた方が良いだろう」
「確かに。もしそれで責任問題になったら困りますしね」
一応貴族だった僕はそう言った小さいミスで追い詰められた人たちを何人も見てきている。それまで順調だった貴族も隙を見せてしまうと一気に没落してしまう。
責任責任と言っているが気にくわなかったり、利益を得ることが目的であることが見え見え何だよな……
「っ!! ロニー!!」
「へ?」
師匠の声が聞こえたと思ったら鈍い衝撃と共に僕は後ろに吹っ飛ばされた。その瞬間、僕がさっきまで立っていたところに上からものすごい速度で半透明な何かが降ってきた。
そしてそれは僕と突き飛ばした師匠の腕に深く入り込んだ。
「し、師匠!!」
その光景に思わず僕は叫んだ。布をかぶったような半透明の骸骨の鎌が師匠の腕に突き刺さっていたからだ。
「慌てるな! さっさと起き上がって距離を取れ!」
師匠の言葉通り僕は起き上がろうとした瞬間、師匠に突き刺さっていた鎌が刃先をこちらに向けて師匠の腕を何の抵抗もないかのように切り裂いて僕に斬りかかる。
「クッ……」
僕はとっさに力を練り上げて迫り来る鎌から飛び退いた。かろうじて鎌を避けることは出来たものの力の練度が足りなかったのか筋肉痛のような痛みに襲われた。
しかし距離をとることには成功し、鎌の攻撃範囲から逃れることが出来た。
「師匠大丈夫ですか!」
「大丈夫に見えるが……チッ! 刺された先から手が動かねえ……」
「な……」
あの師匠が負傷した? そんな……僕のせいで……
「おい! 反省は後にしろ。それより状況をよく見ろ。逃げるぞ」
「は、はい」
師匠に肩を揺すられて僕はハッとする。無傷に見える師匠の右肘から先はけいれんしている。師匠の腕を一瞥して、悔しさが溢れてくる。それでも強引に敵に視線を変える。それなりの速度で森を駆けているはずだが敵はほとんど同じスピードで僕たちを追いかけてくる。
敵は一見、大鎌を持った骨兵に見えるが、奴らは半透明になったりしないし足がなく浮いていることもない。それに肉体に傷を負わせず動きを封じるなんてことは出来ないはずだ。
「恐らくアンデッドの類いだとは思うが俺はあんな魔物見たことがねえ。とっさに力を練って腕を守ろうとしたが突き破られた」
「そ、それは本当ですか」
「当たり前だ。こんな状況で騙したりしない」
なんてことだ……師匠の防御力が通用しないとなれば僕なんてすぐに殺される。チラッと後ろを振り返ると奴は僕たちとの差を少し縮めていた。
「クッソ……速いな。師匠魔法で足止めします」
「おう! 元々このまま逃げ続けるつもりはない。とりあえずやってみてくれ」
荒くなっている息を一度落ち着かせ敵に狙いを定める。
「凍れ」
放たれた氷の矢は敵に向かって一直線に飛んでいった。が――――
「な! 透過した!?」
「何だと!?」
氷の矢は敵に直撃したように見えたが半透明な骨をすり抜けていってしまった。流石に師匠も驚いたのか振り返る。
「奴がアンデットなら光魔法が有効だ! そっちは!?」
「やってみます! 癒やせ!」
魔力が放たれる感覚と共に半透明な骨に光の初級魔法の輝きが覆った。しかし――――
「こ、効果ありません!」
敵は何事もなかったかのようにスピードを落とすことなく追い続けてくる。
「そう、か……」
師匠は落胆したかのようにうなだれた。
クッソ……どうするっ。火魔法で森を燃やすか? さっきの水魔法のようにすり抜けて意味がないんじゃないか? 力を練って戦う? あの鎌の速度に僕は対応できるか? そもそもあいつに殴ってダメージを入れることが出来るのか?
ダメだ。全くいい案が浮かばない。
「ふう……仕方ねえ。ロニーこれ持ってけ」
「へ? これって……魔法の袋じゃないですか! どうして僕に」
「言わなきゃわかんねえのか。とりあえずあいつは俺が食い止める。その間にお前は街に行って応援を呼んでこい」
「な!? 無茶です!! あいつにはこっちの攻撃が通用しないじゃないですか」
「無茶でも何でもやるしかねえんだよ!!」
師匠の叫びに僕は思わず黙り込んだ。ここまで追い詰められた師匠は見たことがなかった。そして改めて敵の異常さを僕は感じる。
師匠は少しばつが悪そうに僕から顔を背けて半透明な骸骨に視線を向ける。
「鍛錬を初めて時の約束、忘れてねえよな」
師匠のその言葉を一瞬受け止めきれなかった。冷たい手で心臓をなでられたかのような錯覚に崩れ落ちそうになる。
「忘れたとは言わせねえぞ。俺がお前を投げてでもお前には街まで行って貰う」
「いや、で、でも」
「なに、安心しろ。絶対お前が戻ってくるまで持ちこたえてやるし、最悪お前には追いつかせない」
師匠は白い歯をギラつかせて左手で自分の胸を叩いて説得しようとする。だがそれがただの強がりであることは僕にもわかる。最初に攻撃された右手は未だに動かすことは出来ていないようだったから。
「……わかりました。でも! これだけは約束してください」
「おう。何だ?」
「僕が戻ってくるまで絶対持ちこたえてくださいね」
師匠は一瞬キョトンとしてすぐニッと笑顔を作って親指をあげる。
「任せとけ!」
そう言うと師匠は来た道を戻るように走り出した。羅針盤を強く握って僕は振り返らないように走る。
「約束、守ってくださいね」
再度走り出した僕の耳に聞き慣れてしまった暑苦しい声が返ってくることはなかった。
それからどのくらい走っただろうか。聞こえていた地鳴りのような戦闘音も遠ざかり完全に僕はひとりぼっちで走っていた。
しかしどれほど走っても眼前に広がる光景は変わらない。
「この羅針盤壊れてるんじゃないのかっ……」
こんなところで遅れている暇ないのに……速く街について応援を呼ばないと。そうじゃないと師匠が。
例え、街についたとしても師匠以上に強い人がいるのか? これでも学園だったり闘技大会で強い人たちは見てきた。そんな中でも師匠はずば抜けて強いと言えただろう。
なら……
「っ! クッソ!! 余計なこと考える暇あったらもっと速く走れ!」
浮かんでしまったいやな考えを払拭するように自分に言い聞かせる。再度羅針盤に目を向けて方向を確認する。
「ほんとにこの方向で合ってるんだろうな」
相変わらず羅針盤の指し示す方向は変わらない。しかし目の前の光景は先ほど見たような物ばかりだった。
もし羅針盤が間違っていたとしても僕には走ることしか出来ない。この辺りの土地勘なんてない。いつも移動は馬車だったし道なんて御者が覚えていればいいと思っていた。
「もっと勉強しておけばよかったのか? 才能にあぐらをかいたから僕は何もかも失うのか? くっそ……」
今更そんなことを言っても何も変わらないことはわかっている。だけど嘆かずにはいられなかった。だってこんなのあんまりじゃないか。最近頑張っていたんだ。強くなるために、過去の自分から脱却するために。
「なんでこんなことになったんだ……」
もう足が動かなくなりそうだった。前に進む気力が尽きかけたその時、見慣れた景色が一気に晴れて明かりが差した。
「やっと街に……」
しかし一瞬差し込んだ明かりが嘘だったかのように僕の目の前は真っ暗になった。
「え……?」
ふわっと足が空を切る感覚、そして視線の先にある暗闇で僕は気づいてしまった。
「いやだ……いやだあああああああああ!」
完全にこれはそう落ちている。落下している。必死に空中でもがく。が、しかしそれが何か功をなすことはなかった。
「くっそおおおおお! いでよ水! いでよ水!」
闇雲に僕は魔法を唱えて少しでも落下の衝撃を和らげようとするが――――――
薄暗い谷底、鍔広の三角帽子をかぶった杖を持った女とフードをかぶった者が歩いていた。ふとフードをかぶった者が歩みを止めて上を見上げた。
「ん、人」
「また~? いつも通り追手かな?」
「いや、上から落ちてきてる」
「え? 落ちてきてるって……」
三角帽子の女が上を見上げた瞬間、鈍い音が谷底に響き渡った。
「うわぁ! え、いや今の音はまずいでしょ」
「うん。死にかけ」
「死にかけぇ!? 嘘……こんな高さから落ちて死にかけで済むんだ」
「そうじゃないと思う」
三角帽子の女の言葉にフードをかぶった者は呆れたような目で女を見る。
「それで? どうする?」
「ん~まあ一応見に行ってみるね。もしかしたら知り合いかもしれないし」
「ほんと、お人好し」
そんな言葉が聞こえていないかのように女は一直線に落ちてきた者に駆け寄る。
「ごめん、アダム手伝ってくれる」
「わかった」