出会い
なろう初投稿です!!つたない部分もあると思いますが最後まで読んでいただけると嬉しいです
歩く。行く宛てもないままただ歩き続ける。先程から歩いている道は,道とも言えない程に草木の生い茂った舗装されていない山道だ。
吹き付ける風は冷たく、茶色に染まった落ち葉を踏み鳴らしながら1人で歩く。おおよそ山を登るためとは言えないような公爵家の家紋を胸に付けた高貴な服をフード付きのボロボロのマントで金色の髪とここ数日でやつれてしまった僕の顔を隠して盗賊に怯えながら、それでも誰も助けを呼ぶことも街に出ることも出来ないまま僕は歩き続ける。
どうして……こんなことに……
言われるがまま家を出てから何十回目かの自問に僕はまたため息をつくことしか出来ない。
出来ることなら幼少期、天才と呼ばれていたあの頃に戻りたい。
そう願っても時間を巻き戻すような魔法は僕には使うことは出来ない。そもそもそんな魔法が存在するのか不勉強な僕なんかにはわからない。
魔法。この世界には火、水、風、光、闇この五属性の魔法が存在する。そしてその魔法を使うにはまず適正がなくてはどう努力しようとも使うことが出来ない。
何故か、それを僕に聞かれても困る。所詮僕なんて落ちこぼれなんだ。思い上がって落ちこぼれた……
「ふぅ……」
また僕はため息をついて落ち込んだ気持ちを無理やり上げる。
「前のことよりもこれからどうするか考えなくては」
誰もいない森の中で独り言を呟く。そうやって自分に言い聞かせないと前に進む足がすぐに止まってしまいそうだから。
右手には家を出たときに持たされた袋を無くさないように大事に握りしめている。
『家から出て行け。お前はガルシア家にふさわしくない』
「……っ!!」
ふと思い出してしまった父上の……いや元父上の感情のない声が僕に受け入れがたいこの状況を受け入れろと突きつけてくるようで、僕はいらだって握りしめていた袋を大きく振りかぶる。
しかし投げることも出来ずに糸が切れた操り人形のように力なく腕を下ろした。
袋の中にはおよそ一ヶ月分の生活費である銀貨三枚が入っている。元父上なりの餞別なのだろうか。
「……はっ」
そんなことを自分で考えて自分で失笑してしまった。
どこまで都合のいい考え方をしている。ただ単に厄介払いするために厄介者に文句を言われる前に手切れ金を握らせていただけだろう。
ああ……ダメだ。悪い考えしか浮かばない。せめて足だけは前に進めなくては。
そう思って一歩踏み出す。しかし次の一歩は踏み出すことが出来なかった。
僕の歩いている獣道のすぐ左にある茂みが揺れた。一瞬風で揺れたのかと思ったがしかし僕の目の前に何かが飛び出してきて僕は楽観的な考えが勘違いだったことに気づく。
「グルルルル……」
「ま、魔物……」
目の前に飛び出してくるなり大きく放たれた魔力の波動につい、怯えの入り交じった声でそんなことを呟いてしまった。
魔物。世界に多く生息する家畜のような動物とは違い、魔力を持ち凶暴性が高く、その魔力によって異常な身体能力を持つ生物を指す。
そして目の前にいる四足歩行で僕と同じくらいの背丈をしたオオカミのような姿をしたこの魔物には見覚えがある。
「ワーフ……」
僕が明確に落ちぶれた原因……天才なのではなく凡人以下だと叩き付けられた魔物……
過去のことに苦い顔をする僕にワーフは牙をむき出しにして威嚇する。
僕もマントのフードをとって最大限ワーフの動きを警戒する。
「ガアアアア!!」
次の瞬間、ワーフは爆発的な脚力で地面を抉るように蹴り飛ばし、枯れ葉を舞いあげ、凶暴な牙を向けて僕を喰らわんと飛びかかってきた。
「グッ!!」
魔物の強化された身体能力は異常に高く、かろうじて僕は横に飛び退き、ワーフ避けることが出来た。しかしとっさに飛び退いた僕は体勢を大きく崩してしまった。
対してワーフは僕がギリギリ、運良く避けれた速度をものともせずにワーフは体を空中で反転させ、砂埃をあげながら着地する。
「グルァアアアア!!」
そして獲物の体勢が崩れたその隙を見逃すことなく、ワーフはすぐに魔力によって強化された足に力を込めて再度僕に向かってくる。
向かってくるワーフはギリギリ見える。しかしこの速さで向かってくるワーフを完全に避けれるほど体勢が整っていない。
すぐに来るであろう痛みを覚悟してそれでも必死に避けようと、とっさに僕は歯を食いしばり体を細く縮めるようにして体をひねった。――しかし、
「痛っあああああああ!!」
あえなく、僕はワーフの透明な爪に右足を切り裂かれてしまい地面をのたうち回った。
ギリギリ避けれるはずだった。しかしこうして足が切り裂かれているところを見ると恐らく、ワーフは爪に氷を纏わせて攻撃範囲を延ばす水の中級魔法に位置する魔法を使われたのだろう。
ワーフは群れることは滅多になく、狩りは一匹で行う。ワーフの身体能力と洗練された魔法によって一撃で相手の機動力を奪い獲物を喰らう、それがワーフが行う狩りの常套手段。
右足の傷は深く、血がドクドクと溢れ出し真っ白だったズボンを赤く塗り替えていく。
痛い。
傷口を見てしまったせいだろうか、強い痛みをはっきりと覚えて立ち上がることは出来ない。傷口を塞ぐように僕は患部に手を当てる。
「癒えろ……」
光の初級魔法を唱えるが傷口が完全に癒えることはなく右足を動かすことは出来ない。ただ、痛みが少し引いたことで思考に余裕が出来た。そのせいで余計なことを思い出してしまった。
そうだ。前もこんなやられ方だった。足を奪われ負けが決まった。
一年前、
『い、痛あああああああ!』
今と同じようにワーフの氷を纏った爪に足を切られ、闘技場の真ん中でのたうち回る俺を傍目に同級生はヒソヒソと僕を指さしながら何が面白いのか笑みを浮かべていた。
『え? ワーフに負けてるよ?』
『全属性の適性者って嘘だったんじゃねえの』
『弱過ぎでしょ』
三者三様に僕を貶めて幼少期に全属性の適性者とちやほやされていた時からの堕落っぷりに優越感に浸っているようだった。
『このままだと落第してしまうぞ』
声をかけてきた教員は機械的で僕のことを心配しているかのような言葉をかけながらも今後に期待してくれているようなことはなかった。
『君を幼かった頃とは言え私は、君を目標にしてしまったことが今はとても恥ずかしい』
「……ぐっ」
最後のすかした男を思い出して僕は悔しさと痛みに歯を食いしばった。
だけど前とは違う。こいつは野性の魔物で止めてくれる先生も、足を治してくれる治癒士もいない。
……そして無様な僕を見かねて代わりに退治してくれるような同級生もいない。
ワーフは1歩1歩慎重に落ち葉を踏みならして前進する。
「や、やめろ……来るな……」
言葉は通じる訳もなくワーフはじわじわと僕に近づく。左足と両手を使ってズルズルと後ろに下がる。いくらワーフがゆっくりと慎重に近づいてきていてもそんな悪あがきではワーフとの距離が広がることは無い。
ここで死ぬのか? ふざけるな。こんなところで死んでいいはずがない。こんな同年代が簡単に倒せるような魔物に僕が負けるなんて認められない!!
「燃えろ!!」
怒りにまかせて魔力を込め、そう詠唱したのは火の魔法。初級魔法で適性があれば誰でも出せる火の魔法。燦然と輝き僕の魔力を集めて顕現する。
しかし熟練度が足りないせいか僕の手から出る火の魔法は小さく、そして魔力の密度は小さい。
「……」
ワーフは無言で僕の魔法を見てどうと言うことはないように素早く、そして僕の魔法が当たらないような、正確な座標に水の壁を作り出した。
ワーフは僕に対しての警戒を解くことなく、いとも簡単に僕の魔法を打ち消すとまっすぐ僕を睨み付けてまた一歩僕に近づく。
「……ッ!! 燃え盛れ!!」
僕は火の中級魔法を唱える。だが何も起こらない。当然だ。これまで僕は初級魔法しか使えたことは無い。同級生達は次々に中級魔法に位置する魔法を使えるようになっていく中、僕だけがそれを使えるようになることはなかった。
だから落ちこぼれ。わかりきっていた事ながらもやはり発動できないことに僕は歯噛みする。
「凍れ!!」
やけくそ気味に僕は水の初級魔術を唱える。狙いをワーフに定めて魔力を込めて大気中の水分を集め凍らせることで出来た氷の矢を放つがワーフも同じように氷の矢を放ってきた。僕が放った氷の矢の軌道上に放たれたワーフの矢は使った魔法こそ同じであったが威力はワーフの方が勝った。
ワーフから勢いよく射出された氷の矢が僕の矢を貫いてそのまま僕に向かってきた。
「り、隆起せよ!!」
慌てて僕は闇魔法を使って自分の影に魔力を込めて眼前に黒い盾を作る。そんな僕の悪あがきをあざ笑うかのようにワーフの放った矢は薄く魔力の小さい盾を粉々に破壊した。
「……っ、が……」
そして破壊された盾や、矢の破片が僕の体に細かく傷を付けていく。元々ボロボロだったマントは至る所で破れ、既に使い物にならなくなっていた。
マントの下にある家紋が露わになり公爵家の高貴さなど見る影も失せるほど僕の血と土やら枯れ葉やらで汚れている。
「い、癒せ……」
再度光の初級魔法を唱えるがそれは小さな傷しか治すのが関の山で、一向に右足の傷口はふさがらず今もなお、僕のズボンを赤く染めていく。
血が出すぎたのかだんだん身体が凍えて震えてしまう。依然ワーフはジリジリと、僕との距離を詰めてくる。死が明確に近づいてくるようなそんな感覚に陥った。
怖い。嫌だ。やめてくれ。
「はっ……はぁ……はぁ……」
呼吸が荒くなり次第に体の震えが大きくなってくる。僕に残された手札は風魔法のみ。とはいえ他の魔法と威力も質も大して変わらない、そんなしょうもない魔法だ。
もうここまで来ればワーフに僕の攻撃は通用しないんだと言うことはわかる。それでもワーフはまだ警戒を緩めることなく慎重に、僕との距離を縮めてくる。
――こうやって慎重に相手を観察してただひたすらに勝つことへの努力を怠らなければ僕はもっと強くなれていたんだろうか。
自分の才能を過信せずにあいつみたいに愚直に努力していればこんな風にはならなかったんだろうか。
今更になって努力してこなかった自分に後悔の念が押し寄せる。
天才と言われあれほど期待された父上を裏切ってしまったこと、幼い頃僕をすごいと屈託のない笑顔で褒めてくれたあいつを失望させてしまったこと、そしてこんなところで死んでしまうかもしれないこと、その全てが猛烈に恥ずかしくなってしまった。
やり直したい。
そう強く願っても現実は変わらない。目の前のワーフはとうとう我慢できなくなったのか体を屈め踏ん張るような予備動作を見せる。
そして僕が何もしないのを見ると嬉しそうに口を歪めだらしなくよだれをこぼし未だ足を引きずって立ち上がれない僕に狙いを定めて風を切ってその牙を突き立てようと飛びかかってきた。
そこで死を確信したからだろうか。世界が速度を落としたかのようにワーフの動きが、落ちる枯れ葉が、舞う砂埃が、揺れる木々が、ゆっくりと目に映った。その光景はまるで走馬灯のようで迫り来る牙に目をつむった。
ああ……ここで死ぬのか……自分の才能を過信して慢心したあげく、段々同級生達が僕より強くなっていくのをぼんやりと眺めて、そのうち僕の才能がなんとかしてくれると驕っていたツケが、ここで回ってきたのか。
才能があるから努力しない。そんなことを思っていた僕がここで終わるのなら誰もが期待していたことだろう。そうだ、最後こそ期待に応えようじゃないか。いい方向での期待ではなかったがそう思えば納得……納得…………
「出来るわけがないだろ!!」
そう叫んだ途端、世界が速度を取り戻し恐ろしいスピードでワーフが僕の喉元めがけて飛びかかってくる。素早くワーフの口めがけて僕は手を伸ばし残り少ない魔力を惜しみなく使って詠唱する。
「風よ!!」
詠唱したのは風の初級魔法。木を少し揺らす程度の威力だが僕はそれを辺りに大量に落ちている枯れ葉を巻き込んでワーフの口めがけて放った。
「ガゥッ!!」
僕の狙いは成功しワーフの口を閉じさせることが出来た。しかしそんなわずかな、傷を付けるでもなくただ僕が生きていられる時間を少し延ばすだけのような抵抗ではワーフの突進を止めることは叶わずワーフは瞬時に思わず閉じてしまった口から前足の爪に攻撃手段を代え、僕の胴体を真っ二つに切り裂かんと迫る。
「なっ!!」
後先考えていなかった僕は半ば反射的に上半身をのけぞらせようとしたが、
「あああああああ!!」
ワーフの爪を完全に避けることは叶わず、痛みに耐えきれず声をあげてしまった。幸い、胸に付けられた傷は深くなく今すぐ止血が必要なほど出血はしていなかった。
しかしその代償に魔力は枯渇し既に魔法は使えず、出血の止まらない右足は動かず、まさに満身創痍といった形になってしまった。
口に僕の肉ではなく枯れ葉を入れられたワーフは恨みがましく僕を睨み付け再度、攻撃しようとゆっくりと動けない僕の死角に回る。
動くことも魔法を使うことも出来ない僕は今度こそ反撃の余地はなくなってしまった。拳を握りしめ奥歯を噛みしめてここからの勝ち筋を探る。しかしそう都合よくそんな勝ち筋は見つかることはなかった。
「……もう僕は自分の才能に頼らない。次があれば今度こそ僕が凡人だと見下していた奴らのように必死にあがいて努力して強くなってやる……もう二度と誰にも負けないっ……負けないっ……からっ……」
その代わりに意味のない負け惜しみを、無駄だとわかりながら口にする。それはワーフに対して、元父上に対して、そして蔑まれた同級生に対してのせめてもの強がりだったのかもしれない。
ここにその人たちがいなくてもせめて死に様だけは強くなろうと、強く見せようとほんのわずかに残っていた見栄が僕の口を動かした。
それを言い終わると何も起こらないことをワーフは察したのだろう。わずかに地面を蹴り上げる音がした。来るであろう衝撃に僕は目をつむる。そして――
「いい宣言だ、坊ちゃん」
予測していた衝撃ではなく、低い声と共に地面が波打つような振動と何かがきしむような音がして僕はとっさに振り返る。
「ギャウ!!」
鈍い音と共にワーフは十メートル程離れた木の幹に打ち付けられていた。急に吹き飛ばされたワーフに目を白黒させていると僕の頭上から先程と同じ低い声がした。
「いやぁ~危ないところだったな坊ちゃん。ずいぶんといい服を着て、こんな山奥で修行してるのか?」
顔を上げるとそこには袖のない薄汚れた白い服を着た、スキンヘッドの筋骨隆々とした大男が真っ白な歯を輝かせて僕に声をかけていた。
状況的に考えてこの男がワーフを吹き飛ばしたのだろう。しかし僕は混乱のあまりそんなこともわからず口をパクパクさせてしまった。
「? おいおいほんとに大丈夫かよ……ってうお!! めちゃくちゃ出血してるじゃねえか!! ちょっと待ってろ」
男は僕の右足を見ると膝をついて僕のそばに落ちていたボロボロになったマントを右足に強く巻いて応急処置をしてくれた。すると痛みが少し引き出血が治まってきた。
「た、助かりました。えっと……」
「いいんだよ坊ちゃん。そんなことよりほら、まだあの狼はくたばってねえぞ」
そうして男は僕の脇を掴んで軽々と持ち上げ、立ち上がらせるとワーフを指さした。僕を喰らわんと飛びついてきた時の勢いはなりを潜めワーフは警戒心をまた剥き出しにしてこちらを睨みつけている。僕も痛む右足を軽く上げてすぐに動けるように体勢を整える。
「ところで坊ちゃんアイツは俺が倒していいんだよな。坊ちゃんが討伐しなきゃいけない訳では無いんだろ?」
「そ、そうです。その……」
どうして助けてくれたのか。そう聞こうとして口を噤んだ。助けてくれた理由よりも自分ではやはり歯が立たなかったことを悔しく思えてしまったからだ。
ギリっ……と悔しさに歯噛みした。そんな僕の内心を察したのか男はぽんと大きな手を僕の頭にのせた。
「そう焦るな坊ちゃん。坊ちゃんが言ったように次勝てればいいのさ。だからここは俺に任せな」
男は僕の頭をぐしゃぐしゃに撫で回してワーフに向かって歩き出した。ワーフは近づいてくる男から一定の距離を保つように後退り、男の側面に回ろうとする。
男はワーフを視界から外すことなく体は動かすことなく顔だけを動かしワーフの動きを追う。ワーフは男の側面に回るとその爆発的な脚力を使って男に襲いかかった。
「グルアアア!!」
しかし男は焦ることなくワーフの咆哮を涼しい顔をして聞き流す。向かってくるワーフにまるで反応できていないかのように微動だにしない男を見て僕は焦ってしまう。
もしかしたら先程僕を助けてくれた攻撃は男がたまたま当てられたものなのではないのか。現に、ワーフの攻撃に全く反応できていないじゃないか。
このままではこの男は……そんなことを思っている間にワーフの牙は男の首に吸い寄せられていく。
――しかし、
「遅い」
次の瞬間、轟音と共にワーフは地面に叩きつけられていた。全身を震わせた音の衝撃を物語るようにワーフの頭は地面にめり込むようにして砕け地面はワーフの真っ赤な鮮血が飛び散っていた。
男はおそらく両手を組んでワーフの頭を殴ったのだろう。無惨な姿になったワーフの上で腰を落とし、組んだ両手を振り下ろし残心していた。
その光景に僕は言葉を失った。何故か、それは全く魔法を使ったような痕跡がなかったからだ。いくら一瞬のこととはいえ魔法を使えば周りに魔力が散るはずなのだ。しかし今この場にその痕跡はない。
つまり、この男は単純な力のみでワーフを地面に叩きつけたことになる。彼の容姿から確実に僕よりは腕力があるのだろうと分かりきっていたがこうも腕力一つで僕の実力と大きく差があることを見せつけられて驚きに言葉が出なかったのだ。
「……ふう」
男はピクリとも動かなくなったワーフを一瞥して全身の力を抜くように息を吐いた。そしてゆらりと僕に声をかけた時とは全く異なる鋭い目つきで僕を視界にとらえた。男の豹変した目に僕は身震いする。あるいは実力差から来る震えだったかもしれないが。
「ガハハハハ! どうだ~坊ちゃんワーフはこんな感じで倒せばいいんだよ。わかったか?」
ぱっと今までの鋭い目付きを引っ込めて柔らかい目で豪快に笑う男を見て僕はポカーンと口を開けてしまった。呆気にとられながらも男の言葉を段々理解した僕は――
「わかるわけないだろ!!」
つい助けてくれた恩人ということも忘れて叫んでしまった。そんな僕に嫌な顔をすることもなくむしろそんな反論が返ってきたことが面白かったのか男は豪快に笑い続けた。
そしてひとしきり笑いきったのかふぅ……と、息を吐くと白い歯をむき出しにして陽気な声を出した。
「そういえば自己紹介がまだだったな。俺の名前はヴァル・ガンテ。しがない冒険者だ。坊ちゃんは?」
「僕は……」
そう言いかけて僕は逡巡する。もう僕はあの家の人間ではない。では僕が名乗るべき名は、
「僕はロニー。ただの流浪人です。助けていただきありがとうございました」
そう言うことにしておいた。もはやあの家に勘当された僕は姓を名乗る資格はないだろうと思ったのだ。
僕は胸に手を当てて頭を下げてお礼をした。どういう目的であれ救ってくれたことに変わりはないので頭を下げたが、しかし下げた頭で考えていたのはヴァルという男の目的だ。そもそもヴァルが本当に助ける目的であのワーフを倒してくれたのかもわからない。
もしかしたら僕を奴隷商に売りつけるためになるべく怪我のない良好な状態にしたかっただけかもしれない。または僕の家に身代金でも要求するつもりなのかもしれない。
そんな考え方は幼い頃から天才ともてはやされて良くも悪くも種種雑多とした身分の人から勧誘されたときに身に染みついたものだ。
最も、最近ではそんなことは全くと言っていいほどなくなっていたのだが。それでも勝手に頭が僕を助けるメリットを考えてしまっているあたり、無駄な能力が身についたものだと自虐的な笑みを浮かべそうになった。
「いやいや、ワーフ程度どうって事はない。しかし、それにしても、そうか、ロニー……か」
ヴァルは僕のお礼を手をひらひらと振って受け流すと少し怪訝そうな顔をした。
もしかして僕のことを知っているんだろうか? 公爵家の子供だと言うことがばれたんだろうか。
冷や汗が流れるのを感じながら僕はヴァルを見るがすぐに疑うような視線を止めた。そして脈絡もなく鍛え上げられた手を僕に差しだしてきた。どういうことだと問うように僕は首を傾けてヴァルの顔と差し出された手に交互に視線を向ける。
「強くなりたいんだろ? 次こそはワーフに勝つんだろ? ならこの俺が鍛え上げてやる。だから俺に付いてこい、ロニー」
突然の提案、そして予想を見事に裏切ってくれたヴァルに僕は大いに戸惑った。
「な、なんでですか。そんなことをしてもヴァルには何のメリットもないじゃないですか」
ますますヴァルに対して警戒心が高まる僕に一瞬キョトンとしてヴァルは快活に笑った。
「ほぉ。坊ちゃん、幼いくせになかなか考えてるじゃねえか。だかそれは考えすぎだ。言っただろ? 俺は冒険者なんだって。ほれ」
ヴァルは徐にズボンのポケットに手を突っ込むとそこから小さな袋を僕に投げつけた。突然投げられた袋を少し慌てながら受け取る。
な、何のつもりなんだろうか。もしかしてこの小さな袋の中に火薬でも入っていて火の魔法で着火させて僕を殺す気なんだろうか。
「あ~警戒しすぎだ。いいからそれ、開けてみろ」
確かに警戒のしすぎかもしれない。そもそも先ほどの戦いぶりを見た感じだとこの男なら僕を殺すことも拘束することも簡単にできるのだろう。
なのに今していないならば少しは信頼するべきじゃないのか?
数日前に何もかも失ってしまった僕はもしかしたら信頼できる人が欲しかったのかもしれない。
そのせいか僕はヴァルの言葉を信じたいと思った。
ゆっくりとヴァルから渡された袋を開けると――
「……え?」
その袋は底がなく、まるで夜空を眺めているかのように暗闇が果てしなく広がっていた。暗闇に吸い込まれそうになる視線を無理矢理あげてヴァルを見ると自慢げに頷いた。
「それは今、冒険者の間で有名な袋でな『魔法の袋』っていうらしい。何でも空間魔法とかいうものを開発した天才が作ったものなんだとよ」
「……はぁ。それでこれが何だって言うんですか?」
「まあまあ、そう結論を急ぐんじゃねえよ。じゃあその袋に金貨って念じて手を突っ込んでみな」
「金貨ですか? えっと……金貨、金貨」
僕自身気づいていなかったがもう僕はヴァルの言う通り動いてしまっていた。これが洗脳ならヴァルは本当にいい腕をしていただろう。
しかしこのときの僕はそんな思考に至れなかった。なぜなら先ほど見た袋の中身は深淵を覗いているような闇しかなかったはずなのに、袋に突っ込んだ手には少しひんやりとした、一つ一つ規則正しい形をした物が当たっていたからだ。
そして僕はそれが何か少し触っただけでわかってしまった。まさかと思い、手に当たった物を掴んで袋から出すとそれは確かに金貨であった。
「偽物じゃねえぞ? この国の硬貨なんて偽造出来やしないんだからな。まあつまり何が言いたかったかというと俺は別に、金に困ってるわけじゃねえんだ」
この国、ヴィルメチア合衆国の金貨の価値は銀貨百枚分、つまりそれが一枚あれば一年は遊んで暮らせるような大金だ。それが手に掴める程……ていうか手が沈むほどこの中に入ってた、だと?
「どうだ? 金は最大の信頼材料だとか言ってる奴もいたがロニーはそれで信頼してくれるのか?」
「誰が言ったんですかそれ……」
ともかくヴァルが金に困っていることは無さそうだ。というかこんな金額を持っているのは相当な猛者なんじゃないだろうか?
そんな人から教えて貰えるのか? 願ってもなかったチャンスが巡ってきたのでは無いのだろうか。なら……
「僕は……僕をどこまで強くしてくれますか?」
「俺以上に強くしてやる」
考え無しかとつい思ってしまうほど早くヴァルはそう答えた。
「情けない話なんだが年のせいかどれだけトレーニングを積んでも強くなれるどころか最近は弱くなっていってな。そろそろ冒険者は引退かと思ってた所にちょうどよく情熱を持った坊ちゃんがいたわけだ。死ぬ気で鍛錬するなんてここ最近の冒険者でも見かけねえ位いい気合いを持ってるしな。ま、ほんとに死にそうだったのはよくねえけどな」
そう言われてしまうと弁解のしようがない。まあ、あえて言うのならば鍛錬をしていたわけではないのだがそれを言ってわざわざ僕の身の上話をすることもないだろう。
「でだ、そんな気合いのある坊ちゃんは三食寝床付きで俺の弟子になるつもりはないか?」
ヴァルは再度僕にそんな提案を持ちかけてきた。予想外の好条件に僕は再度疑いをかけたくなってくる。
「そんな条件を持ち出されても僕に返せるものは何もありませんよ」
「返して貰うことならある。俺が武道会で負けたやつが言っててな、何でも弟子に教えるのはこっちにしても良い勉強になるそうなんだ。だからその学びのためにロニーを利用させて貰うって事だ。もしかしたらその中にまだ強くなれるヒントが残ってるかもしれないしな」
なるほど。ヴァルは今、別の視点から強くなる方法を模索しているのか。それで誰かに教えるという経験を積んでみたいと。
ならいいんじゃないだろうか。いい加減疑うのも疲れてきたしなにより、行くあてもない僕が強くなりたいという気持ちと手段を見つけられたんだ。ヴァルを信じたい。だから、
「ヴァル、いえ、師匠これから僕に稽古を付けていただけないでしょうか」
「ああ、望むところだ」
こうして僕は師匠と行動を共にすることとなった。