第94話 フーマという男
「失礼しまーすッ!!」
ディーノは力強く扉を開けて大声で挨拶するという、礼儀が成っているのか成っていないのか分からない行動と共に入室した。
穏やかな日差しが差し込む古い本の匂いが充満した部屋中にディーノの挨拶が響き渡るが、読書を邪魔された書斎の住人はゆっくりと振り向いて下手な笑顔を向ける。
どうやら読書を邪魔されたにも関わらず、気分を害してはいないようだ。
「やあディーノ、待っていたよ」
酷く落ち着いた声である。
決して聞き取れない程小さくは無いが読書を妨げる程大きくも無い、そんなこの空間に最適な声でくたびれたサラリーマン風の男フーマはディーノに話掛けた。
発された声はディーノの鼓膜を優しく撫でた後、本の中に吸い込まれるが如く消えていく。
「宜しくな、フーマ。アンタが俺に座学を教えてくれるんだろ?」
「ああ、ゴンザレスはコッチの方面に弱いし、アンベルトさんも知識は持ち合わせているけど短気で教えるには向いていない。消去法的に僕が君の座学を担当する事に成ったんだ」
「へぇ~……」
ディーノはやたらと自らを他人と比較する男だな、と思った。
前回会った時には禄に話す事が出来ず此れが自己紹介になるのだが、出来れば他人ではなく彼自身の事を、もっと言えば何が好きで何が得意なのかを知りたい所だ。
しかし自分の価値観を押しつけるつもりは無いので、黙って話に耳を傾けた。
「格闘技術を指南できる程腕っ節が強い訳でも無いし、アンベルトさんの様にボスとして心構えなんて説ける立場じゃ無いけど、せめて知識くらいは分かりやすく伝えるつもりだ。どうか期待しないで付いて来てくれ」
次に出た言葉も自己肯定感が無く自分を卑下する内容であったが、ディーノの目には決して見下せる様な人間には見えなかった。
ゴンザレスと同等、若しくはそれ以上の血匂が彼の身体に纏わり付いていたのだ。
「自信無さ気だけどさ……結構な人数殺してるじゃん。其れに、立ち姿も目の動きも全部戦闘用に研ぎ澄まされている。そんなに俺の利き腕は重要?」
「ハハッ、凄いなまさか気付いていた何て。流石はボスの息子だ才能に満ちあふれてる。視線の件は申し分け無い、幼い頃の癖が抜けなくてね」
フーマは乾いた笑いを発して話を紛らわせる。
余程自分を評価されるのが苦手な恥ずかしがり屋なのか、其れとも自分の実力を知られたくない何かしらの事情があるのか。
推し量るのが非常に難しい男である。
「ん? 珍しい形の剣持ってんじゃん。使いすぎて持ち手に手型が付いている、相当な鍛錬を積んでるんだろうな」
ディーノが次に目を付けたのはフーマの腰にぶら下がった珍しい形状の剣、『刀』であった。
柄の部分に巻かれた黒光りする鮫皮を注視してみると、何度も力強く握り振り下ろした跡である手型がうっすらと付いていた。
並の素振りではそのようには成らない、確実に人を斬る為の凄まじい握力が加わった痕である。
「いや、此れは唯お守りとして身につけているだけさ。才能も無い癖に長い間振り回して型が付いちゃただけで、結局物には成らなかった……」
この数秒間でディーノは、昔羽振りの良い儲け話を掴むため磨いた技術によってフーマから貴重な情報を聞き出す。
変わった形状の刀、幼い頃から身体に染みついている目線や身体捌き、そして長年鍛錬を続けている……この事からフーマが何処かの特殊な環境で育った事がほぼ確定した。
加えてどうやら何かに負い目を感じている口ぶりである。
(一応俺に対する悪意は感じられない。でも此れは間違い無く訳ありだな)
ディーノは自分が引き出せる情報は此処までが限度だと見切りを付け、目の前の男を値踏みするのを辞めた。
その下手な笑顔の裏には何やら有りそうだが、短期的な視点に立って考えれば自分に害を及ぼす様な相手では無さそうだ。此処は素直に教えを請おう。
「何言ってんだ、人生此れからだろ? 一緒に何かを物にするため頑張ろうぜ。宜しく頼みますよ、先生」
「どうやら未だ完璧には信頼してくれていない様ですが、一先ずお眼鏡には叶った様ですね。此方こそ宜しくお願いします」
そう言ってディーノが伸ばした手をフーマは握り、2,3回上下に振った。
どうやらフーマも自分が値踏みされている事に気が付いていた様で、ディーノは一瞬謝罪するか迷ったが向こうは大して気にした様子を見せなかったのでそのまま流す。
握られたその手は至る所の皮が剥けてガサガサしており、血豆も大量に存在していた。
本人は卑下して大した事なさげに話していたが、相当な鍛錬を長い期間積み重ねた武人の手である。
(数日前までは自分よりも強い人間なんて殆ど存在しないと思ってたけど、やっぱり想像以上に世界ってのは広いんだな。このフーマって人にも勝てる気がしねえッ)
ディーノは自らの未熟さを痛感して自嘲の笑みを浮かべる。
フーマは細身で身長も其れほど高くは無いが、その細い肉体にははち切れんばかりの筋肉と長年積み重ねた技術が詰まっているのだ。
ゴンザレスが只管にパワーとエネルギーが爆発させているマグマだとするなら、フーマは自身を重ね、叩き、削り落としたダイアモンドの様な男である。
究極の機能美がその肉体には宿っていた。
(だが、教わるのはあくまで座学だ。どれ程の実力なのか見せ貰おうじゃねえかッ)
武力では全く敵わないと悟ったディーノであったが、其れでも負けず嫌いな性格は変わらない。
割と自分の勉学方面の才能には自信があったので、鋭い質問を飛ばして困らせてやろうという悪戯心が浮かんできた。
素直に自分の負けを認めるのは面白く無い。
「じゃあ、早速勉強教えてくれよ。今日は何を教えてくれるんだ?」
「そうだな……ディーノは此処8年間にあった裏社会の主な流れは把握してる? ストリートチルドレンだった時も新聞は読めたかい??」
「いや、あの時は金があれば生きる為に全額回してたから新聞を読む余裕なんて無かった。偶に落ちてる新聞を読んだくらいだな」
「そうか、其れは教え甲斐が有りそうで良いね。じゃあ今回の授業は、現在の裏社会の勢力図を解説するにしよう」




